私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

昨夜のことで・・・

2007-03-31 21:52:38 | 私が離婚を決めた理由
久しぶりに離婚について考えた。
最初は、もう離婚しかないと思い、気持ちや経緯を整理しようと始めたブログ。
調停の書類も書いたし、戸籍謄本も取り寄せていた。
でも、そのまま、私の心に答えが出ぬままいた。

結論を出さぬまま、自分の過去を見つめた。
カウンセラーと過去を癒し続けた。

もし、旦那が私と同じように、過去を見つめればどうだろう。
そう考えた。
別れることも、一つの方法だけれど、お互いが自分を見つめ、その上でやり直すことも可能ではないかと思った。
縁あって一緒になった人。
二人が知り合った意味がわかるまで、このままでいいんじゃないか、そう思っていた。

別居して、1年半。
少なからず、旦那は、給料を振り込んでくれ、そしてマンションのローンも払い続けてくれた。
それについては、とても感謝している。
少なくとも生活に困ることなく暮らしていくことが出来たから・・・。

だからこそ、急ぐ必要はないと思っていた。
今、結論を出さなくても、いずれ答えが出るのだろうと思った。
それと、まだ、私は旦那に逢えなかった。
もう心をかき乱されることは嫌だった。
出来ることなら、平穏に暮らしたかった。

けれど、こうやって夫婦の関係を続けている限り、私には苦しみが付きまとう。
いつ逢うかもしれない。
いつ何かを言われるかもしれない。
何をされるかわからない。
それでは、私の心は、本当に休まることはないのかもしれない。
そう思った。

弁護士を立て、逢うこともなく、離婚するのもいいのかもしれない。
今までどおり、メールだけの連絡で、子どもがYESと言えば、面会に応じれば、もう顔を合わすことも避けることが出来るのかもしれない。

ここまで、逢いたくない、顔も見たくない相手と、やり直すことはもう無理なのかもしれない。
例え、相手がカウンセリングを受けて変わっていったとしても、常におびえ続けなければいけないのかもしれない。
私は、それを背負うことが出来るほど、強くないのではないか・・・そう思う。

子ども達の周りで、また一組、離婚がある。
もう、離婚は、非日常的なものではない。
子ども達も、もう受け入れることが出来るのではないか・・・
姿の見えぬ父親を、形だけの父親としておく必要もないのではないか。
形は変わったとしても、父親であることは、一生変わらないのだから・・・

もう、自分自身が、楽に生きられる道を選択してもいいんじゃないか?
もう、これ以上、背負う必要はないんじゃないか?
私の心は揺れ始めている。



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不審訪問者

2007-03-30 23:37:55 | 日々つれづれ
23時。
玄関のインターホンが鳴る。
「はい。」と出るが返事なし。

それでも、しつこくインターホンが鳴る。
子どもみたいなしつこい鳴らしかた。

「いたずらだったら110番しますよ。」そう警告。

子ども達も起きてきて・・・

「怖いから、110番して」と言う。

「あと一度鳴ったら。」そう言ってインターホンのボリュームを下げると、また鳴る。

結局、110番して巡回してもらうことに・・・


パソコンを見ると、
「みんな元気ですか?春休みはどうするんですか?みんなと遊びたいな?」
22時57分、旦那からのメール。

駐車場を見ると、旦那の車がある。

到着した警察官が鳴らすインターホンにもビクついてしまう。

旦那と別居していることを簡単に説明。
でも、もし違っていたら、仕事に差し支えるのでと、職業などの詳細は告げぬまま。

しばらく収まっていたパニックの症状。
安定剤飲んで、効くのを待つしかない。

カウンセリングは、1週お休み。
明日から、4日間、保育園は休み。
大丈夫かな、きちんと過ごせるかな・・・

カウンセリング71

2007-03-29 00:30:12 | カウンセリング
他の方のブログで、旦那との関係を思い出し、夜眠れなかったことを話しました。
久しぶりに感情が噴出しました。
心の底の叫びは、
「ようやく、私だけを見てくれるひとを見つけたと思ったのに・・・」でした。

二人の関係が近くなれば、近くなるほど、遠ざかっていく。
付き合い始めた頃は、私との関係を最優先していた旦那。
最初のうちは、うっとおしくてたまらなくて、でも振り払っても、振り払っても追いかけてくる姿に、こうやって、愛されてる方が幸せなのだと思い始めました。

今までの恋愛で感じていた引き裂かれるような痛みも、恋しさも感じない、ただ一緒にいて楽しい、そんな関係に、結婚するのはこういう人なのだと思っていました。
ありのままの私でいても、この人は、私を愛してくれるのだと思い込んでいました。

でも、結婚が決まる頃になると、私との関係よりも、仕事や友達が優先になり始めました。
それでも、人を大切にする気持ちを快く感じていました。
結婚し、それがだんだん違って見え始めました。
どんな時でも、家族の順位は一番最後でした。
自分がしたいことが最優先。
自分が最優先。

家族の病気、怪我・・・
トラブル・・・
何があっても、優先順位は最後でした。
普段は、最後でもいい。
困った時、辛い時には、優先して欲しかった、助けて欲しかった・・・
でも、それを求めれば、求めるほど、溝は深まるばかりでした。

成り立たない会話。
将来を二人で話し合うことすらありませんでした。
話でも通じない。
話し方を変えても通じない。
心の傷は、だんだん深くなるばかりでした。


「今の結婚観ってどうなの?」
そんな風にカウンセラーから質問されました。

「同じ空間の中に一緒に暮らしているということ。
 お互いが、自分を好きになれるように、支えあうこと。」
そう答えました。

先生「情緒的な面では?」

私「今まで、期待しすぎて、辛かったから、求めたくない。」

先生「旦那みたいな人を選ばなければいいんじゃないの?」

でも、やっぱり結婚生活において、それを求めようとは思えませんでした。
ここで、カウンセリングの時間が終わってしまいました。

カウンセリングが終わって考えてみました。
もし、相手が、カウンセラーだったら、Kさんだったら、私は、情緒面で依存したいと思うのだろうか?
答えは、ノーでした。

旦那との関係が上手くいかなかったのは、旦那だけの責任とは思えないからです。
それを認めたくなくて、旦那のせいにばかりしていたような気がします。
でも、旦那の行動をひどくさせてしまったのは、やはり私との関係性もあったからではないかと思うのです。

「あんたみたいにわがままな人はおらんよ。」母の言葉
「お前とじゃなかったら、上手くいっていた。」旦那の言葉

一緒に暮らしていて、情緒面で依存してしまえば、相手が誰でも、同じような関係性になってしまうのではないかと思ってしまうのです。
近づくのが怖い。
今までと同様に、男性と付き合うことが出来たとしても、同じ空間の中で、結婚生活において、ありのままの自分をさらけ出すのは、怖いのです。
もうこれ以上、傷付くくらいなら、心を開きたくはないと思ってしまうのです。

普通の友達としての関係においては、今までよりも、心を開いて付き合うことが出来るようになったけれど、いざ、同じ空間での生活、寝起きを共にして、ずっと一緒にいると考えると、私は、今のままが一番だと感じてしまうのです。

そして、旦那のことも怖い気持ちは抜けきれていません。
似ている人を見るだけで、うずくまってしまいそうになるし、逃げ出したくなります。
ただ、その感情を引きずってしまうことはなくなったけれど、一生逢わなくてすむならそうしたいと思ってしまいます。

離婚しようとしないのは、逢うことが嫌だからもあるのかもしれません。
それと、もう一つ。
何のために、旦那と知り合い結婚したのだろうと思うことです。
今、自分を見つめることになったきっかけは旦那です。
それだけのためなのか、まだ他に意味があるのか・・・
それを見極めてから、決断したいという思いもあります。

離婚したところで、子ども達の父親であることは変わりません。
縁が切れるわけではない。
それなら、今は自分としっかり向き合って、答えがわかってから決めてもいいのではないかと思っています。

旦那との関係を見つめることは、やはりまだ辛いです。
求めても満たされなかった思いが、後から、後から噴出してきます。
ただ、少しだけ、そんな自分の感情をコントロールすることが上手くなりました。
以前は、噴出してしまう感情を、無理矢理引きずり出してしまったり、感情を止めることが出来なくなったりしていましたが、それを上手くかわすことが出来るようになったような気がします。
とは言っても、一度溢れ始めた感情を完全に止めることが出来なくて、何かの拍子に、出てきては涙がこぼれてしまいます。
当分は、こういう状態と付き合わなくてはいけないようです。


今日は、突然友達が訪ねてきてくれました。
東北に嫁いでいる短大時代が帰省し、こちらに住んでいる友達夫婦と食事に出掛けた帰りに寄ってくれました。
卒業して来年で20年。
それでも、私のことを忘れずにいてくれることとても嬉しく思いました。

明日は、北海道に住む同業者と食事に出掛けます。
最初は、ネットで知り合い、メールのやり取りをし、今回で逢うのは3度目です。

私は、今までのように、寂しさを感じることも少なくなったし、そして、自分だけを見て欲しいなんて思いません。
人との付き合いが下手だと思っていたし、友達も少ないと思っていたけれど、こうやって色んな人に見守られていること、心の中に存在していることを感じています。
そして、過去に私が欲しかった言葉を誰かに与えられる人になれたらいいなと思っています。
以前は、人に良くしてあげたら自分に返ってくるなんて思っていたけれど、そんな見返りも考えません。
ただ、私が欲しかったものをあげたい。
過去の私のような人に、少し楽な気持ちになって欲しい。
その人を救いたいと思うのではなくて、その人を救うことは出来ないけれど、少しでも苦しみをわかって、寄り添っていたい。
そんな風に思います。

「ねこさんといると安心できる」
先日、友達がそう言ってくれました。
私は、何倍ものプレゼントを貰ったような気持ちになりました。


癒されている面、まだ癒されていない面。
変わっていった気持ち、まだこだわり続けている気持ち。
私の中には、まだまだ両方が存在します。
そして、辛い部分には、蓋をし続けていたいと思う気持ちもあります。
それでも、変わっていった自分を感じることが出来るから、まだまだ変わりたいと思います。
まだまだ自分を見つめていたいと思います。




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カウンセリング70

2007-03-20 00:00:19 | カウンセリング
口唇期の問題を先週に続いて話しました。
頬が、じんわりとした温もりを感じることを求めていること。
直接の皮膚と皮膚との接触。
それはまさしく、母乳を与える母と赤ちゃんとの関係だと思うこと。
卒論小説の中にも、それが描かれていること。

「だから、ホテルに行っても、エッチをしないんだねぇ~。」
なんてカウンセラーから指摘をされました。
私が男性を求めるのは、セックスではなく、キスやそういう感覚的なものだと思います。

「旦那は、女性をハンティングしてる人でしょ。
 風俗に行ったりするくらいだから、ハンティングだよねぇ。
 ハンティングしてる男性は、冷たいというか、エッチが終わると、さっさと別の行動に移ったりしてしまわない?」とカウンセラー。

「どうしてわかるん~。」と私。

ハンティングする人は、女性を征服することで、癒されるのだと言われました。
でも、本当に癒されているのではなく、そうだと思い込んでいる、アディクションで、実際には埋まらないのだと言われました。

まさにその通り。
ずっと、結婚生活の間、そのふれあいを求めても、求めても与えられることはありませんでした。
セックスが苦痛でたまりませんでした。

旦那にとってのセックスは、性的な快楽を得る行為でしかなく、私が求めるものとは180度異なっていました。
旦那にとってのセックスは、いかに自分のテクニックを見せ付けるか、それだけしかなかったように思います。

私が、旦那とやり直したくないと思っている大きなポイントでもあるかもしれません。
私は、どうしても、あの温もりを手に入れたい。
でも、それも、アディクションに過ぎないのかもしれませんが、その思いがあるうちは、旦那とのスキンシップは取れないと感じてしまいます。

結婚生活の中でもまた、私は、このまま、こんなセックスしか出来ないまま、一生を終えるのかという思いがありました。
私が求めるのは、快楽ではなく、安らぎに過ぎなかったからです。

誰かに抱かれたい思いは、快楽的なものによって溺れたいのではなく、むしろ、子どもが母の胸に安らぎを求めるものと同じだったのでしょう。
5歳になる長男は、時折、抱っこを求め、少し抱っこするだけで安心して遊び始めます。
10歳の次女も、寝る前や、悲しい出来事があった時には、抱きしめてといいます。

でも、私は、5歳を迎える前に、それを辞めてしまいました。
お姉ちゃんだからという言葉によって、求めることが出来なくなりました。
口に出せない想いを、飲み込んで、飲み込んで、飲み込み続けて、初めて、男の人の胸に抱かれた時に、その想いを止めることが出来なくなってしまったのでしょう。

そして、その欲求は止められなかった。
傍にいるのに与えてもらえない、そんな怒りが旦那に対してありました。
寂しくて、寂しくてたまらなかった。
目の前にいながら満たしてはもらえない想い。
どうせなら、目の前からいなくなって欲しかった。

「あなたといると、一人でいるよりも寂しい。」
私は口にしたことがありました。
ずっと、ずっと寂しかった。

でも、今は、寂しさを感じることは少なくなりました。

布団で眠っている長男の横に滑り込む時の幸せ。
子ども達を抱きしめる、それだけで温かい気持ちになれます。

渇望ではなくなったけれど、まだ抱きしめられることの幻想みたいなものは渦巻いています。
きっと、この感情は、ずっと共生していくしかないのでしょう。
でも、悲しい時、辛い時、そっと寄り添い合える関係でありたい、それは人間として当然の依存ではないかと思います。

旦那は、すべて一人で処理していくものだと思っています。
そうするしかなかったのでしょう。
でも、私は、そんなのは嫌なのです。
しかたなく与えられるのも、しかたなく寄り添われるのも嫌なのです。
お互いが、そっと寄り添い合えるような関係が欲しいのです。





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カウンセリング69

2007-03-15 00:40:36 | カウンセリング
今回、カウンセリングがとても楽しみでした。
以前は、楽しみというよりも渇望で、痛みを伴っていたのに対して、とても楽しみなのです。
遠足の前の夜の子どもみたいに、昨夜は夢を見ました。
カウンセリングの時間を忘れてしまうという夢でした。

今までの恋愛と同じように、カウンセリングの時間を渇望し、なおかつ満たされない思いがあり、電話を切るのに痛みを伴う感じでした。
でも今は、わくわくするような、そんな楽しみです。
その気持ちを話すと、カウンセラーも楽しみにしていると仰ってくださいました。

以前なら、カウンセラーだからそんなことを言うんだと思ってしまっていたのかもしれないけれど、心地よく受け止めることが出来るようになりました。
根気よく、受け止め続けてくれるカウンセラーに対して、信じられるようになり、そしてまた、その言葉に対して、過度に期待しないようになったのかなと思います。

私がありのままの自分を見せることに抵抗がないのは、恋愛感情を抱いていない男性に対してだけだったような気がします。
女性に対しては、嫌われたくないという思いも強く、また、女性同士の特有な関係を持つことが苦手なこともあり、女性同士の付き合いは、逆に男性同士の付き合いのようなサバサバとした関係しか築けていないかったかなと思います。

カウンセラーに対しても、恋愛感情に似た感情を抱いていたこともあって、セックスの話題に触れるのは極端に恥ずかしかったし、恋愛についても語ることに対して羞恥心を抱いていました。

今は、今まで自分の作っていた壁を打ち破ることが出来たのか、少しずつ、他人との距離の取り方や、安心できる関係を築きやすく、またありのままの自分を出せるようになっていると思います。


キスについて話しました。
前々回のカウンセリングで、恋愛の始まりのきっかけの話の中で、なんとなくキスをしてしまうという話をしました。
色々と考えているうちに、私自身が、キスに対して何か特別な感情を抱いているというか、求められると拒めない魅力をキスに感じているような気がしました。
キスをすることで、快楽を得、自分の感情をコントロール出来なくなるような気がします。

ふと、思いついたのが、フロイトの性的発達段階の口唇期でした。
私は、母の母乳が足りず、ミルクが嫌いで吐くという行為を繰り返していました。
そのため、空腹で泣き続けていたらしいのです。
何か、関係があるのではないかと感じたのです。
異性の親との関係が上手く結べないと、恋愛依存になりやすいのではないかと感じることも話しました。
妹も、私と同じような性格で苦しさを持っていますが、妹の場合は、不安神経症といった症状で、恋愛依存には陥っていません。

口唇期の愛着障害としては、摂食障害などの症状が出やすいらしいのですが、私の場合、多少の過食が見られるだけです。
カウンセリング中には、思いつかなかったのですが、貧しくて食料が充分になかったことや、もったいないという意識も強かったこと、そして何より、摂食障害が始まる時期に、性体験を先にしてしまったことで、そちらに流れてしまったのではないかと思います。

無理に原因を突き止める必要性はないのかもしれませんが、自分の心を実験台にして心理学が学べるので、色々と自分との関連性を引き出して見つめてみたいなと思っています。

最後に、職場で抱えていたトラウマについて話しました。
先日、久しぶりに怒りの感情が沸いて来ました。
でも、それは、目の前に起こった出来事だけではなく、過去の感情も呼び起こしていることを感じました。

職場で、あまりにも見過ぎてしまった社会の裏側。
正しいことをすることが出来ない苛立ち。

私の中では、ある程度は気持ちのの整理がついている問題ではあったのですが、外では話しにくい内容だったので、話してみました。
話すことによって癒されるという経験を何度もしてきたので、少しでもトラウマは小さくしていきたいな、と思っています。

それと同時に、自分がその出来事を体験した理由、それを体験することによって、何を学べばよいのか、それをどう生かせばいいのか、気付きたいと思っています。

私は、女性が持ちうる多くの問題を、たくさん体験して来ました。
そして、自分がその時欲しかったものを与えられる人になればいいなと感じています。

人よりも多く見てしまった、社会の裏側の部分。
それは、どう受け止めればいいのか、まだ私の中では処理し切れていません。
物事が起こってしまった本当の意味を受け止めた時、本当の意味で、それを受け入れることが出来るのかなと思っています。

毎回、変わったねぇ~とカウンセラーが仰ってくださいます。
安心して話が聞いていられるよと・・・
ふつふつと湧き上がる、怒りや苦しみや痛みや叫びが少なくなりました。
あれは、なんだったんだろうかと、でも、あの状態は辛かったけれど、傷を癒すために必要なプロセスだったのだと思います。

かさぶたを作ることは出来ても、完治することはなく、ちょっとした衝撃で血を流し続けていた私の心。
そしてそのかさぶたは、小さくなるのではなく、だんだんと大きくなっていました。
本当は、その膿を出し切ってこそ、傷は治るのだと思います。
膿を出すのはつらい。
でも、何度も血を流し続けることよりも、楽になれるのだと感じています。
そして、血を流している時が、膿を出すチャンスでもあるのかなと思います。

フラッシュバックして、色んな思いが噴出す時、その傷を癒す、絶好のチャンスでもあるのかなと思います。
慌てて傷口をふさぎ、かさぶたを作ってしまうよりも、膿を出しきる。
今は、そのかさぶたがポロポロとはがれ落ち始めているのを感じています。

まだまだ、心の奥底には、かさぶたが潜んでいるかもしれません。
それを考えると怖いです。
また、あの苦しみを味わうのかと・・・
でも、もう一人じゃない。
それを見守ってくれる、仲間がいる。
たくさんの勇気をいただいています。


ブログを読んでくださる皆様。
いつもこんな私を見守ってくださってありがとうございます。
一緒に、傷を癒しながら、成長できるといいなと思っています。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。




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ゆるすということ

2007-03-09 23:57:47 | 本箱
今年の私のテーマは「赦し」です。
少しずつ色んなこと、そして自分の心を解放する事が出来たらいいなぁと思っています。
たくさんのこだわりをまだまだ持ち続けています。
時に、こだわりは大切な個性なのかもしれません。
でも、自分を苦しめるだけのものは、手放していけたらなと思っています。

クリスマスの教会でのキャンドルサービスで、牧師さんの
「私はあなたを赦します。」という力強い言葉に、私は神に赦された気持ちになり、本当の意味での神様の存在を感じることが出来るようになりました。
ただ、私は、神様を信じるということは、宗教にこだわる必要はないのだと思っています。
神様は、たぶん、どの宗教でも同じなのだと、ただ伝え方、それぞれの受け取り方が違うだけであって、同じ存在なのだと思っています。
そんな大きな意味での神様の存在を感じ、そして、今、自分の人生をゆだねられる気持ちになりました。

自分自身を霊的な存在と捉え、魂の成長の場として、色んな経験をすることを与えられているのだと、すべて身をゆだねて、漂っていればいいのだと、あたふたすることも苦しむことも悲しむことも、すべては自分の成長のために与えられているものなのだと、そう受け止めることが出来るようになりました。

とはいえ、まだまだ悲しみや怒りや苦しみに翻弄されます。
でも、ゆっくりと物事が起こった意味を、何を学ぶべきなのか、考えようと思えるようになりました。
人との出会い、本との出会い・・・・
それぞれが与えてくれるメッセージをしっかりと受け止めていけたらいいなと思っています。



「ゆるすということ」

ゆるすことは
幸せになるための処方箋
ゆるさないことは
苦しむための処方箋

苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて
「ゆるさない」
という種が
宿っていないだろうか?

復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し
免疫が低下することは
まちがいない

当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる

ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を
見逃すことではない

ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわりつづけるのをやめること

ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流しつづけるのをやめること

ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
いまこの瞬間に
百パーセント生き 
百パーセント愛すること

ゆるしとは
怒りからの解放であり
攻撃的な思いにさよならすること

ゆるしとは
誰に対しても
愛を拒まないこと

ゆるしとは
ゆるさないという思いから生じた
心の空洞を癒すこと

ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人のなかに
神の光を見ること

ゆるしとは、相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯したまちがいのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである

最も深い意味でのゆるしとは
愛で満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと

ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくはまちがっている考えを
ゆるすこと

いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに
ただゆるすこと

ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人と一体にし
すべての人を神と一体にする

ゆるすのに
早すぎることはない
遅すぎることもない

ゆるすにはどれだけの時間が
必要だろうか?

それはあなたの価値観しだい

絶対にムリだと信じるなら
絶対に起こらない

半年かかると信じるなら
半年かかる

一秒ですむと信じるなら
一秒ですむ

私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを



「ゆるすということ」ジュラルド・G・ジャンポルスキー著 サンマーク出版より




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繋がり

2007-03-05 12:21:08 | 日々つれづれ
日曜日、妹の友達からネットショップを開きたいという友達がいるんだけど相談にのってあげて欲しいとのことで、お話をしに、保育園のママ友が開いているお店に行った。
最初は、ネットショップの立ち上げ方などの話だったのだけど、何故か話は、違う方向へ。

妹の友達は、ダライラマ法王の話を聞いてから、とても心が楽になったと話していて・・・
私も、クリスマスに教会に行ってから気持ちが変わった話をした。
そんな話から、家族の話題になった。
異性の親との関係が、異性との付き合いに係わってくるんじゃないかと思うと私が話すとみんな興味津々。

話しているうちに、集まった4人は、それぞれ父親との問題、姉妹問題を抱えている共通点を持っていた。
今日、集まったのは、この話をするためだったんだねとみんなが口々に言った。

妹の友達とは、子どものときからの付き合いだったけど、歳も離れているし、話すようになったのは、ここ何年か・・・
それでも、一緒に旅行に行ったりするうちに、なんとなく彼女の抱えている問題に気が付いていた。

ママ友とは、保育園の役員を一緒にしていたけれど、彼女が同じような問題を抱えていることは、まったく知らず・・・
もう何年も前から、インナーチャイルドワークにも参加しているらしい。
彼女は、私の話の中で、一つ問題が解けたと話してくれた。

初対面の人もいるところで、こんな話をするとは夢にも思わなかった。
なんだか最後は、ミーティングみたいになっていた。
他にも色んな繋がりがあって、不思議な縁だなぁと思ってしまった。

みんな同じように自信がなくて、生き辛さを抱えていて、でも、だからこそ、今まで一生懸命にやってきたキラキラと光るものをいっぱい持っていて・・・
なんだか素敵だなと思った。
苦しかったけど、辛かったけれど、でも沢山のものを手にしている。
そんな風に感じた。

お互いが、成長し合える仲間になれればいいなと思った。
ママ友に、ヒーリングをしてもらった。
色んな問題を抱えている割には、身体に出ていないね。
上手く、浄化させる力を持ってるね。
すごいエネルギーを持っていて、手がビリビリすると言われた。

そして、妹の友達とママ友から、顔が変わったねと指摘された。
最近、何をしていても幸せを感じる。
まだまだ、身体が重くて動けないけれど、それでも、幸せだなぁと思う。
先日、鏡の中の自分の表情が違って見えて、携帯で写真を撮ってみた。
写真は、とても正直で、その時の状態をそのまま映す。
いくらきれいに化粧しても、いくら上手に笑っても、写真に撮ると良くわかる。
以前は、なかなかうまく笑顔の写真が撮れなかったのに、何枚写しても、同じような笑顔でいる私がいた。

自分の顔は嫌いだけど、最近、自分の心は好きになったと妹の友達。
「とっても美人で可愛いのに、贅沢だ。
 『鏡を見ながら、私は可愛い』って毎日唱えたら・・・」なんて私は言った。
みんな、そんな風に、自分と分かち合うことが出来ずに、この歳になってしまったんだなと思った。

型にはまったミーティングではなく、何かお互いが癒しあえるようなことが出来たらいいなぁなんて思った。
こうやって得た繋がりを、少しずつ紡いでいけたらいいなぁ・・・



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