私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング63-2

2007-01-31 15:28:09 | カウンセリング
カウンセリング63-1

「自分の問題」と「相手の問題」の話になると、私は、まだよくわからなくなってしまいます。
自分の行動が起因して、相手を傷付けたのであれば、謝る必要があるのではないかと思ってしまうのです。

相手が勝手に傷付いたという解釈を旦那はよくしていました。
「お前が勝手にそう思ったんだろう。」
「責めるお前が悪い。」
「自分の問題」を「私の問題」に摩り替えられてしまっていたように思うのです。

相手を思いやらないことは、いけないこと・・・
と罪悪感を感じてしまう私と、
自分を守って当たり前・・・
と相手に罪悪感を与える旦那。

「相手の問題」としてしまうことは、旦那と同じ人間、同じ考え方になるのではないかと思ってしまうのです。

アサーティブネスの12の権利というものを教えていただきました。


アサーティブネスの12の権利

① 私には日常的な役割から、自立した一人の人間として自分の物事の優先順位を決める権利がある

② 私には賢くて能力のある対等な人間として敬意を持って扱われる権利がある。

③ 私には自分の感情を言葉で表す権利がある

④ 私には自分の意見と価値観を述べる権利がある

⑤ 私には「イエス」「ノー」を自分自身で決めて言う権利がある

⑥ 私には間違う権利がある

⑦ 私には考えを変える権利がある

⑧ 私には「分かりません」という権利がある

⑨ 私には欲しいものを欲しいと言い、したいことしたいと言う権利がある

⑩ 私には人の悩みの種を自分の責任にしなくていい権利がある

⑪ 私には周囲の人から認められることを当てにしないで、人と接する権利がある

⑫ 私にはアサーティブでない自分を選択する権利がある。


日本は、まだまだ人権意識がなくて、ないことにすら気付いていない人も多い。
DVなど、虐げられている人が多く、虐げられても当然という教育がされている。
この権利が保障されている時、同時に相手の権利も受け入れることが出来るのだと言われました。

大きく紙に書いて、どこかに貼って、毎朝晩唱えなさいと言われました(笑
自分を受け入れて初めて他人も受け入れられる。
自分を責めているうちは、人を責めてしまうのだと言われました。
なかなか『赦し』は難しいです。



参考
アサーティブネスとは「自己主張をすること」という意味であり、1970年代のアメリカ女性解放運動で提唱された思想です。女性の社会的地位がまだまだ低い時代、同じ人間として対等な価値ある存在として認めてあっていこうという理念の下に提唱されてきました。
 日本ではまだまだ「自己主張すること」を自分の意見を何が何でも押し通す行為として、集団の和を乱すわがままな行為や生意気な行為と受け取る人も多いです。しかしアサーティブネスでいう「自己表現」は、相手の権利を侵すことなく、自分の気持ちや意見を、誠実・率直・対等・自己責任の4つの原則の下で、表現することを意味しています。まずかけがえのない自分を認め、愛し大切にする中で、同じくかけがえのない相手を大切な存在として認めていこうという姿勢がアサーティブネスでは大切にされています。




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カウンセリング63-1

2007-01-31 14:50:29 | カウンセリング
自分がブログを書くと同時に、たくさんのブログを拝読させていただいています。
夫と別れ、新しい人生を歩みだされている方、再構築をされている方・・・
私には、まだどちらの決断をすることも出来なくて、まだ迷っているのだと思います。
私の中で、もし再構築をするのなら、旦那にもカウンセリングを受けて貰って、もう一度人生を見つめなおして欲しいと思っていました。
まだまだ、自分の感情を手放すことが出来ていなかったのかなと思います。

価値観の違いや、認識の違いは、時に自分の中にあるこだわりに気付かせてくれるものだと感じました。
もし、再構築するのであれば、私の求めるべきところは、そこなのではないか、旦那が私と同じような気持ちになって再構築をすることを求めてはいけないのではないかと感じました。

今日のカウンセリングでは、そこから話して行きました。

様々なブログの中で、相手の不倫を取り上げたものが多く、私は不倫に対して自分が感じていた認識は、果たして正しいのか?
すべての人が自分と同じように感じているのか?疑問を持ったことから、他の場所で質問をさせてもらいました。

○ もし、あなたが、不倫をして配偶者に責められた時、どのような対応をしますか。
○ あなたが不倫をした時、相手が許してくれた時、どう思いますか?
○ 相手がいつまでも、そのことにこだわり続ける時に、どうしますか?

このような内容でした。
私は、相手を裏切るようなことをしたのだから当然だと思うし、相手が許してくれることに対しても感謝して、同じ過ちを繰り返さないように思うし、相手が信じてくれるように誠意を持って対処したいと思います。

でも、答えは色々でした。
私は、自分の考えを、家族に対しても持って欲しいと思っていました。
ただ、それは自分の押し付けに過ぎなかったのかもしれないと思いました。

そんな話をしながら、別居前にあったことをさかのぼって話していきました。
カウンセラーに話していたつもりだったのだけど、旦那との関係は、簡単に話しただけで、具体的なことは何一つ話していなかったみたいです。
このブログを始めた時は、離婚調停をするための資料作りも兼ねていました。
でも、書き綴っているうちに、自分の育った環境、自分の性格、そちらのほうに目がいき始めたのです。
だから、相談内容も、旦那との関係を見直すことではなくて、自分自身に焦点を当てて話していました。


別居のきっかけは、10日間、実家に帰宅していて、その間の郵便物が溜まっていたことでした。(別居の始まり
この記事を書いた時には、思い出すことが出来なかったのだけど、郵便物には様々なエピソードがありました。

長女が出産し、実家への帰省中に届いた親戚からのお祝いの現金書留は受け取られることなく、2度も親戚の元に戻って行きました。
単身赴任中、筆頭者の元に届けられてしまうシステムになっている市からの様々な書類は、そのまま放置され、長男の検診の書類や、保育園の書類が届かないこともありました。
固定資産税の納付通知書もそうでした。

親戚にお詫びをしたのも、それぞれ単身赴任先ではなく、自宅に届くように手続きしたのも私でした。
父親が居るにも係わらず、長男の保育園での保護者の欄は私の名前です。

そんな小さな小さな積み重ね。
本当は、小さな小さな積み重ねをして築いていくものなのに、そんな小さな小さな積み重ねが、二人の関係を壊していきました。

実家に帰る2日前にあった出来事。(忘れ物
私は、それでも、子ども達のためにやっていこうと思っていました。
旦那が悪いことをしたのだから、反省してくれるはず、誠意を示してくれるはずと私は、前述のように思い、期待していました。
でも、郵便物はそのまま、家の中もいつものまま・・・
この人は、何が合っても変わらないんだ、そういう人間なんだと思ったのが別居の一番の理由でした。

別居する前の半年間は、穏やかな生活でした。
だらしのない旦那を責めれば、暴力をふるわれる。
だからもう、旦那が何をしても見て見ぬふりをしていました。
お金さえ入れてくれれば、それでいいと思っていました。
期待するから傷付けられるんだと思っていました。
旦那が大声で怒鳴っても、自分が気にしなければいいんだと思っていました。

母に相談しても
「あんたが言い過ぎるから」と言われ、
妹に相談すると
「私は、○さんのこと大好きだし、本当のお兄さんみたいに思えるし、みんながいいお兄さんでいいねって言ってくれるよ。」と言われました。
旦那も私も妹も妹の夫も同じ職場でした。
義母からも、
「反省しているみたいだから、許してやって・・・」

私が悪いから上手くいかないのだと、私の我慢が足りないから上手くいかないのだと、私がもっと責めることなくおおらかな気持ちで居れば、上手くいくのだとそう思ってしまいました。


別居して、
「子どもが3人もいるのに、大変でしょう。」とよく言われます。
でも、旦那が居なくて大変だという意味が良くわからないのです。
金銭的な問題ならともかく、一人で3人を育てる大変さはわかりません。
長男の妊娠中から、3歳になるまで、私は一人で子育てしていました。
長男が数ヶ月の時、私は食中毒になり、抱っこしたまま点滴を受けたこともありました。
腹痛でうずくまっていても、「仮病だ」とまたがれ放置され、妹に助けを求めたこともありました。
怒鳴られ、暴力をふるわれる暮らしよりも、子どもが大きくなった今の方がよっぽど楽だし、幸せです。
一緒に居た頃は、何故自分ばかりと思っていたのに、一人だと自分でして当たり前と思えるから行動するのも楽になりました。

私が勤めている間は、まだ協力的な夫でした。
でも、それは私のため、子どものためではなく、自分の世間体のためだったのかなと思います。
職場結婚で、なおかつ私のほうが顔が広く、世間では妻の方が夫の付属のように言われることが多いかもしれませんが、その逆でした。
職場では、旦那は、ねこの夫として見られていたのです。
良き夫、良き父親を演ずることが、自分の職場での評価にも繋がると思ったのでしょう。

しかも、私が勤めている時には、給料の額もほとんど変わらず、階級的にも私のほうが上でした。
たくさんの人を知り、人間関係を築いていました。

私が、仕事を辞めたとたん、家庭放棄した状態になり、それを責めると、
「誰が食わしてやってるのか?」
「お前は、家に居るんだから、お前がすればいい。」
「わしが一番えらいんじゃ。」
そんな風に言うようになりました。

私が、自分のHPの中で、家族のことを書くのも極端に嫌いました。
職場の人たちが見て、それで色々言ってくるからやめろと・・・
「今度書いたら、パソコンをこわしてやる・・・」とも・・・


先生「それに対して、どうしたの?」

私「私も、人から色々言われるの好きじゃないから、そうかなと思ってやめた。」

先生「もし、今だったら、どうする?」

私「ごめんね。って言いながら続ける。」

先生「どうして謝るの?」

私「だって、自分は悪くないと思っていても、相手に嫌な思いをさせたのなら、謝らないといけないと思って・・・」

先生「自分が悪くないと思っているのなら、謝らなくていいよ。
   だって、嫌な思いをしているのは、相手の問題でしょ。」

・・・カウンセラーには言えませんでしたが、今まで、子ども達にも、
「いくら悪くないと思っても、相手は辛い思いをしたんだから謝りなさい」って言っていたのですが・・・・


長くなったので、分けて書きます。


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認識の違い

2007-01-30 13:51:43 | 旦那への気持ち
旦那からメールが届いた。
「源泉徴収がきました。必要ですか?あと、もうすぐ、長女と長男の入学ですが何か用意する書類がありますか?」

今年、長女は、中学校に入学する。
でも、長男は、年長に進級する。

一緒に生活していた頃、
「平成18年からは、毎年、誰かが入学だから、生活設計を考えないといけないね。」
私は、何度も、何度も提案した。
「そんなのその時になったら、なんとかなる・・・」
そうやって、相手にもされなかった。

私の中では、結構重要な問題だったけど、旦那にとっては、関係ないこと。
別居して、もうすぐ1年半。
長男の歳すら、わからなくなっているのだろうか?


どちらかというと私は心配性。
「もし・・・こうなったらどうするの?」
しょっちゅう旦那に言っていた。
「びっくりする。」
それが旦那の答えだった。

でも、最初は、それが頼もしくもあった。
何事にも動揺せずに、構えていられる人なんだと思った。
それが、私にとって安心感を与えた。
この人とだったら、いつも笑顔で過ごせるかも・・・そんな風に感じた。

でも、違っていた。
何にも考えていないだけだった。
こうしたら、どうなるか?
こんなこと言ったら、どんな気持ちになるのか?
本能のまま、気の向くまま・・・

こんなにも、罪の意識のない人間は見たことがないと思った。
こんなにも、誠意のない人間は見たことはないと思った。
何を言っても、通じない。
今までの人間関係の中では、出会ったことのないような人間だった。

会話にならない。
私の考えは、ことごとく否定される。
出来事を話せば、
「その話のおちは?」
「結論だけ言えば?」
ちょっと相談を持ちかければ、
「わしに何をして欲しいん?」
「お前が悪いから、そういう目に遇うんよ。」

私にとって夫婦で協力して子どもを育てる。
家庭を守る。
お互いが助け合う。
そんな風に思っていた。
旦那には、一番の相談相手になって欲しかった。
でも、違っていた。

「なんで、わしにそんな話をするん?
 お前には、友達がおらんのんか?
 まぁ、おらんでも当然よ。」
「そんなこと自分で解決せえや・・・」

たぶん旦那は、小さい時からそうやって、自分で自分の気持ちを処理していたのだろう。
なんでも、旦那に頼ってしまう私がおかしいと感じてしまったのだろう。

時間や約束に対して、厳しい私を、どうしてこんなにもうるさく言うのだろう。
細かいことばかりいいやがってと思っていたのだろう。

育った環境は、認識さえも変えてしまう。
私が、当たり前だと思っていたことは、旦那にとっては当たり前ではなく、おかしなことだったのだろう。
逆に、旦那にとって許されるべき行為を、私は許せない行為として、受け取っていたのだろう。


お正月明けに、旦那の実家から荷物が届いた。
かごの中に入った、女児用のおもちゃが二つ、男児用のおもちゃが一つ。
おもちゃのタンバリン、ふわふわのボール、女児用にはままごとセット、キャラクターの変身道具・・・男児用はミニカー・・・
それには、値札もついている。

長女は6年生、次女は4年生。
そんなものは必要ない。
でも、もらい物ではない、義母が買ったという証拠の値札。
旦那の実家から送られてきたものには、海外旅行のお土産にも、服にも、すべて値札がついたまま。

義母は、数年前まで、小学校の校長だった。
子どもに必要なおもちゃや、服のサイズもわからない。
その子どもである旦那が、そうであっても、もしかしたら仕方がなかったのかもしれない。

私にとっての常識は、旦那にとっての常識じゃなかった。
常識とは、ある意味、思い込みに過ぎないのだとふと思った。
同じものを見て、同じように認識できないのだと思った。
この認識の違いを私は受け入れられる日がくるのかな?
それとも、いつまでも近づくことを求めるのだろうか?




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自己嫌悪

2007-01-30 11:41:33 | 日々つれづれ
今日は、ミーティングに出掛けようと思っていた。
でも、ちょっと時間があるからと、始めた携帯のテトリス。
終わって、時間を見ると開始時間を過ぎていた。
気になっていたオークションの終了時間が、ミーティングの時間とダブっていて、どうしようかなと迷っていたのも事実。

勝手に自分の都合のいいように解釈して、このオークションに参加した方が良かったんだと、入札。
終了の30秒前、高額の入札があって、購入できず・・・
結局、何も出来ないまま、時間は過ぎていく・・・

集中力もないくせに、ゲームだったらおかしいくらいはまって、時間が過ぎていく。
仕事もあるのに・・・
ミーティングに行けば良かったと自己嫌悪・・・


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子ども達の思い

2007-01-28 23:08:44 | 日々つれづれ
久しぶりに長女と衝突してしまった。
朝から、友達と映画を見に出掛けて、帰ったのは夕方。
宿題もしていないのに漫画ばかり読んでいる。
やることもたくさんあるのに、動かない。
机の周りはぐちゃぐちゃ・・・
何度言っても聞かなくて、激怒して、机の上のものを床にすべて落としてしまった。

「そんなことされるくらいなら、捨ててくれたほうがマシだし・・・」
なんて言うので、ますます腹が立って、落ちているものをゴミ箱に入れていると、
「○(長女の名)を捨ててくれた方がマシだって言ってるのよ!」

身体を引っ張り玄関に連れていこうと思った。
叩いたり、蹴ったりはしたくない。
だけど、本当に捨てられるほうがいいのか、そういうことを言うのはどういう意味なのか思い知らせてやりたい気持ちになってしまった。

あちこちにつかまり抵抗する長女。
つかまった手をはずし、私も必死だった。
やっとの思いで玄関先まで、連れていったものの、二人の息は切れ切れだった。
長女も、外に出されまいと必死。
そこでポロポロと泣き出した長女。

「お母さんは、○を捨てたくはない。
 だけど、捨てられたほうがマシで、幸せになれるのなら、捨ててあげる。
 どうなの?」

「捨てられたくない・・・
 ごめんなさい。」と長女。

次女は、私がひっくり返したものを拾っている。
長男は、「やめて」と大声で泣き続けていた。

長男が言った。
「誰かが出て行くのは嫌なの。
 誰かが死ぬのも嫌なの。
 みんなで一緒に暮らしたいの。」

私が追い出してしまった、父親。
そして、死んでしまった、猫のみーちゃん。

長男にとっては、深い傷なのかもしれない。
5歳でも、色んなことを考えてるんだなぁと改めて感じてしまった。

「みんなで仲良く暮らしたいの。
 楽しく暮らしたいの。
 幸せに暮らしたいの。
 お母さんは、もう暴力ふるわれるの嫌かもしれないけど、ちゃんと二人で仲直りして欲しいの。
 そして、仲良くなって、一緒にどこかに行きたいの・・・」

だんだん、長男は、話しているうちに自己陶酔してしまっていたが、正直な長男の気持ちなのだろう。
何故か、こういう時は、標準語で話す長男・・・

「お姉ちゃんが大好きなの。
 いなくなって欲しくないの・・・」

「ごめんね。
 悲しい思いさせて悪かったね。」と抱きしめた。

いつも、お姉ちゃん達にいじめられて、虐げられているのに。
次女も、少し前まで、長女に泣かされていたのに・・・
家族として一度機能し始めたら、子どもは必死に壊さないように努力を始めると斎藤先生が言われていたが、本当にそうなのだろう。
大切な家族なのだろう。

どんなに、喧嘩ばかりしていても、どんなに嫌な親でも、それを壊したくない、底から離れたくない思いでいっぱいになるのだろう。


「○は力が強くなったねぇ・・・
 お母さん、もう疲れて、体中が痛いわ・・・」
と長女に話しかけた。

「弱いねぇ・・・
 ○は全然大丈夫だし。」
と長女は笑った。

後ろから抱きつくと、
「きもいねぇ・・・罰金500円ねぇ・・・」
と長女は笑った。

「明日、身体が痛くて、起きれんかもしれんよ。
 冷蔵庫の中にある、今日の残りか、肉まんを食べてね。
 駄目なお母さんでごめんねぇ・・・」
早起きするという長女に言っておいた。

「ほんまだし・・・
 子どもと一緒に起きずに、先に起きて準備して欲しいよねぇ・・・」
長女が笑う。


でも、今までみたいに、自分がいるから子ども達に悲しい思いをさせているとも、嫌な思いをさせているとも思わない。
自分がいなくなったほうが、幸せになれるとも思わない。
そして、長女にそうやって言われても、腹が立たない。
駄目よねぇ。なんて笑ってられる。

子どもみたいで、ちっとも大人らしくない母親だけど、今までみたいにそれを隠して、大人のふりをするよりもいいのかなと思ったり・・・
駄目な母親だなぁって思うけれど、子ども達の笑顔が嬉しくて、今までよりも愛おしく感じた。
今度は、もっと冷静に、子ども達と向かい合えるようになりたいな。



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カウンセリング62

2007-01-24 16:17:52 | カウンセリング
今日のカウンセリングでは、整理したい部分がたくさんあったので、初めて、あらかじめ何を話すのか計画を立てていました。

最初は、恐怖心のこと。
直接旦那の存在が怖いのではなくて、自分は必要のない人間だとか、消えたいとか、死にたいとかそんな感情に陥ってしまうのが怖いのだと話しました。
そして、斎藤先生に、妄想は発育すると言われたこと、少しずつ会ったらどうかと言われたことも話していきました。

そんな感情に陥ることはないと思うよ。
今のねこさんなら大丈夫だよ。
いくら同じ事を言われても、そんな風にならないよ。
斎藤先生は、よく見ていて、大丈夫ではない人に対してそんなことは言わないよと言われました。

でも、今はそういう関係性から離れていたいこと、今後は自分を傷付けるような関係性に近づきたくないと思っていることを話しました。


それと、ここ1ヶ月に起こった出来事、それにより感じた出来事を話していきました。
カウンセラーとの関係性が、いつか終わってしまうのだと感じて怖いと話せ、それを受け止めてもらってから、色んな出来事があったこと。
今までとは違った関係性が、男性と持てていること。
「変わったね、男とか女じゃなくて対等な関係が築けているね。」と言われました。

そして怖いと感じていたカウンセラーとの関係も、例え終わりがある関係でも、縁があれば、何かに繋がるだろうという思いに変わり始めたこと。
カウンセラーに何を話しても大丈夫だという安心感を持てるようになったことを話しました。
形のある関係しか信じることが出来ず、目に見えない関係を否定してしまっていたけれど、本当は、その関係の方が大切で温かいものだったんだなと思います。

教会に行ったこと。
CDを送ってもらって、素敵な音楽に出会えたこと。
本を紹介してもらって、足りない自分にOKが出せたこと。
同じような体験をしている女性に出会えたこと。
それらすべては、人を介していて、色んな人に支えられている自分に気が付くことが出来て・・・

今までは、ただ一人の一つだけの愛情を求めてしまっていたけれど、愛情というのは、色んな人に与えて、与えられているものだと、ようやく感じることが出来たことを話しました。
自分だけを愛して欲しい。
もう、そんな愛情はなくてもいいかなと思いました。


嫉妬という感情についても話していきました。
「羨ましい」という感情があっても「妬み」という感情がないこと。
それを持たないから、他人の「妬み」という感情が理解できなかったり、「妬み」という感情が自分に向けられていても、なんで自分なんかを妬むんだろうと思ってしまうこと。
それが余計に相手を腹立たせるのだと、カウンセラーも話してくださいました。

私は、自分にないものをみんなが持っているような気がして、必死にそれを手に入れようと頑張って、でも頑張っている姿を見せたくなくて、水鳥みたいに、涼しい顔して、水面下で必死になっていて・・・
でも他の人から見たら、簡単に手にしているように見えたのかもしれないと話しました。

たぶん妹も、私が嫉妬の感情を持つこともなく、自分の姿に苦しんでいるでもなく、当たり前のようにしている私を見て、私だけが色んなものを与えられていて、自分は何一つ与えられていない気持ちになっていたのかもしれません。

私は、妹が生まれてから記憶のない2年間で、もしかしたら一生分の嫉妬という感情にもがき苦しんでいたのかもしれないけれど、嫉妬の対象である人に対して、嫉妬を持つこともなく、敬い尊重が出来ることは、ありがたいことなんだなと思います。
ねこさんのそういうところは、神様から与えられたものかもしれないねと言われました。


今まで、自分で感じることの出来なかったことを感じ、気付けなかったことに気付き、少しずつだけど変わり始めた自分を感じることが出来ること。
それが一番の進歩なのかなと思います。

来週から、何もなければ少しずつ、生育暦を語っていきたいなと思います。
まだまだ吐き出しきれていない部分もあるのかもしれません。
仕事をする上で、背負ってしまった傷や、世の中の不条理を少しずつ整理出来たらいいなと思っています。



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旦那への恐怖感

2007-01-23 15:36:50 | 旦那への気持ち
私の旦那への恐怖感はだんだんと強くなっているように思う。
旦那だけではなく、元上司から電話がかかってからは、旦那に係わる人や場所も怖くなってしまった。
そして、BBSに中傷される夢を見て、それが本当になってからは、自覚しないままに、恐怖感が増しているような気がする。

でも、旦那の襲ってくるシーンや、罵声を思い浮かべても、それほど強い恐怖感ではなく、私はどうしてこんなに怖いのだろうと思っていた。
斎藤先生に、妄想は発育すると言われてそうなのかもしれないと思った。

昨夜、ふと思い出した。
私が一番怖れていたのは、罵声でもなく、暴力でもなかったのだ。
けんかするたびに私は、人格を否定する言葉を言われ続け、私の心はズタズタになり、自分は必要のない駄目人間なんだ、生きている価値なんてないんだと感じていた。
私のもともと低い自尊心は、旦那の言葉に木っ端微塵に打ち砕かれた。
そして子どものように泣き喚き、この人がいなければ私は何も出来ないのだと、この人を失ったら、私の傍にいてくれる人は誰もいないのだとすがりついた。
極限の精神状態だった。
廊下で、だらりと座り込み、
「お願い、捨てないで、傍にいて。
 ごめんなさい。」と泣き続けた。

私は、旦那の罵声にも、暴力にもひるまなかった。
「どうしてそんなこと言われなくちゃいけないの?
 どうして暴力を振るうの?」
きちんと自分の思いを伝えることが出来た。

でも
「ええんか?
 また、お前が泣き喚くようになるまで、とことんやってやろうか?」
旦那の言葉に私は凍りついた。
極限の精神状態になるのが怖かった。
そう言われると、私は無力だった。
旦那に従うしかなかった。
そうなってしまう自分が一番怖かったのだ。

もうそんな風になりたくない。
そのような状態に陥りたくない。



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ワークショップ

2007-01-21 19:34:51 | カウンセリング
斎藤学先生のワークショップに参加してきました。
私は、旦那に対して怖いという感情がだんだん強くなっていくこと。
そして怖いという感情は、旦那に対してなのか、自分自身が旦那と接することによって色んな感情を引き出されてしまうのが怖いのか、わからないと話しました。
接触がある度に怯えてしまい、動かなくなってしまうので何とかしたいと話しました。

私の持つ恐怖は、根拠のない妄想で、放って置くと発育するものだと言われました。
それを断ち切るためには、それに慣らしていく必要があること、つまり、公共の場で逢うことが一番いいと言われました。
それを繰り返すことで、恐怖というものが薄れていく。
そういう行動療法的なものが必要だと言われました。

多少の問題があるにせよ、私が今までどおり生活が出来ているということに対して、もう一度関係を作っていくのが一番いいと言われました。
離婚するメリットとデメリットを考えた時に、メリットがある方が選択肢が多いのだと言われました。
選択肢が多い方が生きていきやすいのだと・・・
私の場合、収入の問題、子どもの問題を考えると、結婚を続ける方が、選択肢が増えることになるそうです。

逢って話をすることを考えただけで、怖いという感情が噴出してしまいます。
今までは、自分の気持ちの整理が出来ていけば、旦那への怖いという感情も薄らいでいくのではないかと考えていたのに、いくら気持ちは楽になっても、身体的には楽にはならない。

旦那だけではなく、それに関する人や場所すらも今まで以上に、避け始めています。
今までは、旦那を夢見て恐怖を感じていたのに、旦那の上司がいて、それを避けてしまうという夢を見るようになってしまいました。
パキシルは有効であるだろうという見解でした。

人は2歳くらいまでに、人間関係の辞書を作るそうです。
誰かがこういう行動を取った時には、こういう意味だというような自分なりの解釈をつけるようになるそうです。

そして怒りは、飼いならすことによってコントロール出来るようになると言われました。
自分がいい人だとは思わないこと、そして自分の中にある悪意や怒りを出してみるといいそうです。
例えば、一番憎い人を想像の中で殺してみる。
年賀状を見ながら、腹が立つ人に、出さない怒りをぶつけた手紙を書くなど、自分の中にある怒りを見つめることで、コントロール出来るようになるのだと言われました。

自分の中の怒りがコントロール出来ない人は、人から大切なものを貰っていない。
自分だけに向いてくれる人を持つことが必要だと言われました。
自分のすべてを受け入れてもらえる体験をしなければいけない。
女性であれば、男性のカウンセラーについてもらうのが良いと言われました。
そして、相手に全面的に受け入れてもらうということは、自分が相手を全面的に受け入れることだと言われました。

ここ1ヶ月、自分の中がとても楽になり、カウンセラーからも認めてもらえたのは、私がカウンセラーに対する不安が消えたことにも関連していると思っています。
それまでは、カウンセラーに対して、見捨てられ不安が消えず、心のどこかで関係性が危ういものだと思っていました。
でも、カウンセラーを信じられると思えた時から、少しずつ動き始めたように思います。

今朝、私の中で一つ整理できたことがあります。
私の恋愛は、母と妹と私の関係そのものでした。
私は、妹が生まれた時のトラウマを、ずっと恋愛で再現し続けていたのです。
そして、私は自分は愛されるべき存在ではないと思ってしまっていました。
妹を嫉妬することは、記憶がないのでわからないのですが、私にとって母から愛されないという誤ったメッセージを受け取ってしまったのでしょう。
「あんたが妹を欲しがったんでしょ。」ずっと言われ続けた言葉は、私の嫉妬の感情を抑圧していたのかもしれません。

斎藤先生の言葉を借りれば、私にとって、嫉妬心を表現すると愛されないという辞書が出来てしまっていたのです。
でも、私はこれでいいと思います。
嫉妬心に苦しむよりも、相手のことを尊重出来る方がいいなと思います。
今は、私の中で、嫉妬心を表現すると愛されないという意味づけは必要なくなったからです。

嫉妬心がある時には、それを押し殺す必要もないし、でも、嫉妬心がないからといって、それを考える必要もない。
過去の私は、嫉妬心を抑える必要はあったかもしれないけれど、私は、知らないうちに誰もが苦しむ嫉妬心というものを処理する能力を身に着けているのかもしれません。

先日、失恋したと書きましたが、それでも相手の感情には嘘がなかったのだと信じることが出来ます。
愛情というものは、一人にだけ注がれるものではなく、色んな人、例えば、友人や子どもや親などに注がれるものだと感じることが出来るようになったからです。

私は、母の愛情が妹だけに注がれているものと間違った認識をしてしまったことから、逆に、自分だけを愛して欲しい。
自分以外にも愛情を注ぐのは自分を愛していないからだと思ってしまうようになったのでしょう。

でも、私は色んな人からの愛情を感じることができるようになりました。
愛情は形ではないことを知ることが出来ました。
かつて、愛の形としてセックスを求め、結婚を求めていたような気がします。
セックスがなくても、自分一人を相手が見つめないにしても、愛はあるのだと、私はたくさんの愛を色んな人から貰って、生きているのだと感じています。
そして、本当の愛情は形なんかではなく、育んでいくものだと思えるようになりました。

旦那に対して、怖いという感情と裏腹に、私は一つの期待も持っています。
旦那がカウンセリングを受け、旦那自身が、私と同様、回復の道を歩み、自分の中の衝動性に気が付いてくれることです。
夫婦で、それが出来るのであれば、修復も可能なのではないかと思います。
ただ、それをしてくれたからと言って、修復できると約束出来るものではないかなと思います。

二人きりで、逢うことはまだ不可能ですが、その提案をすることから始めればいいのかもしれないと、このブログを書きながら、ふと思いました。
今まで、何度もカウンセラーから進められながら、受け入れることが出来ませんでしたが、もう一度、考えてみようと思います。


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与えられる理由

2007-01-20 18:15:13 | 日々つれづれ
昨日朝、目が覚めたのは、長女の友達が誘いに来たピンポーンの音。
8時でした。
どうしても朝、目覚めることが出来ません。
身体もとても重いです。
なので、気になる仕事もあるけれど、家にいてもはかどらないことがわかっていたので、昨日は、子宮頸がんの再検査に行きました。

今回、再検査の通知が来て、しばらく色んなことを考えました。
ショックはありませんでした。
色々、調べてみたけれど、がんである可能性も低く、もし仮にがんであっても、死に至ることはないみたいでした。

高校生の頃から、生理不順で、産婦人科通い。
子宮内膜炎。
卵管の癒着。
30過ぎで、排卵がなくて、更年期障害の症状。
2回の流産。
原因不明の出血があり、粘膜を強くするために冷凍療法を受けるなど、ストレスが一番出るのは婦人科系でした。
なので、やっぱり・・・という思いもありました。

私は、女性が背負うであろう問題を、普通以上に経験しているのではないかなと思います。
でも、それはこうやって自分の心の問題を見つめ始めてから、もしかしたらこの体験を与えられているのではないかと感じるようになりました。
もし、私がそういう仕事に携わるとしたら、自分の経験は何よりも力になってくれるはずと思ったからです。

そう思ったときから、勉強してみようと思うようになりました。
もし、検査の結果が悪くても、自分に与えられたものとして、受け入れることが出来ると自分の心の中で確信が持てました。
次のステップのために与えられたのだと考えることが出来ると思いました。

内視鏡検査を受け、若干気になる場所があったみたいで、組織検査となりました。
検査結果は、まだ先になりそうですが、動揺することなく受け止めることが出来そうです。

その後、mixiで知り合った方と食事をし、やっぱりmixiで知り合った写真家の方のスタジオに行きました。
ブログやmixiで少しずつ自分の気持ちを綴っていることで、実生活においても自分のことを話せるようになったのではないかなと思います。

写真家の方には、クリスマスイブに教会に導いていただいて、今回は、その教会の牧師さんの書かれた本を貸していただきました。
そこには、原爆のことが書かれていて、この世の中から核兵器が無くなって初めて、広島や長崎に落ちたことの意味があるのだと書かれていました。
出来事の意味を生かしていかなければならないと・・・

自分の身に起こってしまった災いや不幸は、それが何の意味なのか気が付き、それを生かすことで、なぜそれが自分に必要だったか気が付け、感謝できるのかなと思います。
私に、与えられた役割はなんなのでしょう。
初めてカウンセリングを受けた時に、
「機能不全の連鎖を断ち切るのが、ねこさんに与えられた役割なのかもしれませんね。」と言われました。
私は、この役割という言葉に強く使命感を抱きました。
私に与えられた理由を、じっくりと考えて受け止めていきたいなと思います。



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失って気が付くこと

2007-01-20 00:35:19 | 日々つれづれ
プチ失恋をしてしまいました。
正確には、恋も始まっていないし、勝手に想っているだけで、その人にはすでに相手がいることがわかっただけなんですが・・・
自分ではその人のことを本当に好きなのかどうかもわからなくて、でも今回、やっぱり好きだったんだなぁって感じてしまいました。

事実を知った時、最初は何の感情も沸き起こってきませんでした。
やっぱりそうだったんだよなぁ・・・とうすうす感じていたことなので、ある意味納得した気持ちでした。

次に生まれてきた気持ちは、その相手の女性はどんな人なんだろうという好奇心でした。
そしてしばらく経ってから、悲しみが押し寄せてきました。
でも、その女性を嫉妬する気持ちは沸き起こりませんでした。
それよりも、その人が素敵なのは、その女性との関係があるからなんだろうなと、その女性に対しても逢ってみたいそんな気持ちになりました。
ただ、その気持ちとは裏腹に、胸がとっても痛くて苦しいのです。

初めて関係を持った男性は、色んな女性と関係を持っていました。
その時、付き合っている彼女が私に逢いに来たこともあるし、私の友達がその男性と付き合ったこともありました。
他の女性と別れると私のところに帰ってくるような男性でした。

でも、私は一度も彼女達に嫉妬の感情を抱いたことはありませんでした。
友達と付き合っているときには、友達と上手くいくことを願っていたように想います。
そうしなければならないという気持ちではなく、同じ男性を好きになったものとして何か通じるものを感じてしまうのでした。
そして、自分には相手を幸せにすることが出来ないから、代わりに幸せになって欲しいという想いもあったような気がします。
好きな人だからこそ、相手に幸せになって欲しい想いが強かったように思います。

今も、同じ心境です。
けれど、強い喪失感が心を襲ってきます。
嫉妬心を消してしまっているのか、それとも本当にないのか、私にはわかりません。
とてもモヤモヤとした感じです。
悲しくて、涙もこぼれるけど、まだ現実のものとして受け止めかねているのか、ぼんやりとしています。

相手の女性に対する気持ちと、私の妹に対する気持ちは、同じなのではないかと予測しています。
この辺りの感情が自分に見えてくると、妹との関係もはっきりとわかるのではないかなと思います。

前々回のカウンセリングで、妹の話になり、前回のカウンセリングで、あれから妹との関係を考えてみた?と聞かれたのですが、私の中では、何にも湧き上がってきません。
私にとって、妹への感情はとても大切だそうです。
たぶん私の不安定さは、引越し、妹の誕生における喪失が一番の原因ではないかと思っています。
妹が生まれてから、妹に対する記憶がないのと、この相手の女性に対する感情がなにか関係しているような気がします。

せっかくの失恋体験、過去を探るのに役に立てたいなと思っています。



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足りないものを求めて

2007-01-18 10:52:55 | 本箱
なんだかずっと私は、何かわからないものを探し求めていた気がします。
時には、本屋をぐるぐると回り、時には、ネットで検索を続け・・・
でも何かを探し求めている自分には気が付いていても、何を探しているのか良くわかりませんでした。

たぶんそれは、無意識のうちに、自分の中にある空洞や、足りない部分を必死に埋めようとしていたのではないかと思います。

時に、誰かの愛情で
時に、セックスで
時に、必死に頑張ることで
時に、無我夢中になることで

時に、食べることで
時に、買うことで
時に、怒ることで
時に、活字によって

そして時に、共感することで・・・


足りない何かを求めることは、私に必要なことでした。
心の空洞を何かで満たそうと思うのは、大切なことでした。


mixiで知り合った方に本を紹介していただきました。
ぼくを探しに」シルヴァスタイン作 倉橋由美子訳 講談社

この本を読んで、初めて足りない自分を認めることが出来たような気がします。
足りないから、それを求め続けていたから、手にすることの出来た、キラキラと輝くものを私はたくさん持っているような気がしました。

そう考えると、足りないことも悪いことではないと・・・
足りないことも素敵なのではないかと・・・
足りない自分を、満足して受け止めることが出来たのです。

この本を通して、初めて自分との分かち合いが出来たように思います。

本を紹介してくださった方
その方と知り合うまでの経緯
そしてこの本を読むタイミング・・・

すべてにおいて、与えられているんだなと感じます。
たぶん、その一つが早くても遅くても、
私の心に響かなかったかもしれないから・・・

たくさんのありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。


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カウンセリング61

2007-01-18 01:34:37 | カウンセリング
長男が喘息っぽい咳をしていたので、朝、診察券を出しに病院に行きました。
帰り、駐輪場に自転車を入れようとすると、玄関から出てくる人影が旦那に見えてしまいました。
慌てて、駐輪場に自転車を入れて隠れようとしたものの、旦那は自転車に乗るから駐輪場に来るんだと思い、足がすくんで動けなくなってしまいました。
駐輪場に入ってきた人を見ると、違う人で、私はへなへなとそこに座り込んでしまいそうになりました。

しばらくは動悸も治まらず、足もふらつき、呼吸するのもやっとの状態で、家に帰ってすぐ安定剤を服用しました。
長男を病院に連れて行き、帰ってすぐカウンセリングでした。
そんな中でのカウンセリングなので、話した内容すべてを、覚えていません。

ただ、そういった身体の状態であっても、気持ちが安定してきたことを話しました。
クリスマスに教会に行ってから、そういう状態になってしまう自分を許し、受け入れられるようになったことを話しました。
この1ヶ月のうちに、様々なことがあり、それらすべてが私を助けてくれている、そんな風に思えています。
「赦された」と感じてからは、自分で自分を咎めそうになった時に、「赦す」という言葉を思い浮かべると楽になれたことを話しました。

日曜日に行った教会でいただいたその日のお話の解説文の中に
「神は恵みの神であると同時に、試みを与えたもう神でもあります」と書かれています。
試練を与えることで、人間としての絶望に追い込まれ、自分自身の罪を悔い改めることが出来るのです。
人は自分に力があると思っている内は、決して神に頼ろうとはしません。
自分には出来る、力があると思っている内は、決して自分を超えることが出来ず、その中に囚われてしまいます。
人はどうして変わることが出来ないか、と言うと、罪を持つ自分に絶望していないからです。
神からの試み、苦難はそうした乗り越える事の出来ない自分を突き抜けさせてくれるのです。
しかし、その試練、苦難の中に神を見出すことが出来なければ、単に挫折と痛みに終わってしまいます。
苦難、試練は単にそれと戦うだけのものではなく、その中に座してよくそれを見つめると、その中に、主が居られる事に気が付く・・・

私は、それを体感したような気がします。
私が自分に気が付くために、神様から与えてられたものとして、受け止めることが出来るようになったと思います。

カウンセラーから、それがステップの1なんだと言われました。
自分の力ではどうしようもない、自分は自分に対して無力だと知ること、自分の苦しさを認めること・・・
頭でも、気持ちの上でもそうなんだと思いながら、最後のところで、まだ手放すことが出来なかったのだなと思います。
動かなくなった身体は、私にそれを教えてくれたように思います。

”しかし、その試練、苦難の中に神を見出すことが出来なければ、単に挫折と痛みに終わってしまいます”と牧師さんの話にあるように、二者関係に囚われていると出てくる感情は良くないけれど、神が何を学べと言っているんだろうと考えることによって、その人を恨まなくなるし、何を認知するかという癖みたいなものを考えられるようになると言われました。

私がブログを始めた頃は、自分の辛さを誰かに認めてもらいたかったんだなと思います。
自分の中では、自分の辛さを認めることが出来ず、誰かに自分を被害者だと、旦那が加害者だと認めて欲しいと思っていたんだと思います。
でも、他人と比較し、自分がされたことはたいしたことではないとか考え、自分を認めることが出来ませんでした。
今は、旦那が何をしたか、誰がどのように感じるかではなくて、今の状態が辛いこと、それくらい旦那に追い詰められたんだと自分自身で認められるようになったように思います。
誰が、なんと言おうと、私が苦しいのも確かだし、身体に症状が出ているのも確かで、自分が辛いんだということ、そしてそれは自分ではどうにもならないんだということ、そう思ってもいいんだと赦された気持ちになれたこと。
旦那に対しては、恨みの気持ちではなく、旦那との関係があったから私は多くのことを学べたんだと思っています。
ただ、それでも苦しいものは苦しいで切り離して考えることが出来るようになったように思います。

感情の変化のプロセスが大切なんだよ。
ブログやmixiの日記には、その変化がきちんと残されていて、ねこさんの大切な資料になるねって言われました。


私の中で、今後自分がDVの被害者(被害者意識を持つのは嫌なのですが、自分の苦しさを説明する言葉としてDVの被害者という言葉を使っていくこととなると思います)として何が出来るか・・・
具体的な想いが少しずつ出来上がっているように思います。

一つは、その苦しさを持った人達の分かち合いの場所の提供。
ミーティングやHPなどを作っていけたらいいと思います。
そしてもう一つ、DV加害者の更生プログラム、虐待する親に対するプログラムの導入を自治体に呼びかけることが出来たらいいなと思っています。



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ミーティング14

2007-01-16 21:26:00 | ミーティング
今年、最初のミーティングということで「これから」というテーマで最初に話していきました。
昨年のクリスマスに教会に行ってから、自分自身を許していく、認めていくことを心がけていることを話し、今年は「赦し」をテーマに過ごそうと思っていることを話しました。
自分を許すということは、他者をも許し、認めていくことにつながるのではないかと思います。

今までは、両親に対しても、必要以上に期待してしまっていたことや依存してしまっていたこと、ようやく親であっても一人の人間であると思えるようになったこと。
良いところと悪いところ、それぞれを見ることが出来るようになったように思います。

今日のステップは
「今までの生き方の誤りが、『真の自己』を見失い、傷つけ、成長の最後の段階を踏み損なったことに由来することに気がついた。」というものでした。
「洞察のステップ」で、今まで「黒か白か」「いいか悪いか」というような、二分律的な考え方をしていたかもしれないという内容でした。

私にとっては、「いいか悪いか」というのは、母親との関係の中で培われてきたように思います。
母が言う「親子は一心同体だと思っていた」という言葉。
そして、母の一部を否定すれば、すべてを否定されたように受け取ってしまわれていました。
環境の中で、それを学んでしまったこと、そしてマイナスの感情を伝えると、すべてを否定されてしまっていたようでした。

年末、私は万引きを目撃して、見て見ぬふりをしてしまった自分を責めました。
そして、先日、また万引きを目撃し、今度はその様子を店員に告げたのですが、また同じように罪悪感が宿ってしまいました。
今までの私がどうしてきたかを考えたとき、ルールを守らないことは怒りとなって、考えぬままに捕まえるという行動に出ていたような気がするのです。
そして、それは当たり前の行動と思っていました。
「1か10か」、「いいか悪いか」の判断しか出来なかった時には、反応として行動していたのに、その怒りが取り払われてしまうと、どうやって行動するのかわからない私がいました。
「1か10か」の行動は「2から9まで」を選ぶ必要はなかったのです。

本来なら、成長する過程において、臨機応変に「1から10まで」を選択することを学んでいるのでしょうが、私は、「1か10か」しか選択することを学ばずにきたのです。
それを学んできた人にとっては、どれを選んで行動したとしても、自然に自己責任として受け止めることが出来るのに対して、私は、どれを選んだとしても、罪悪感が伴ってしまう。
これからは、親から学ぶことの出来なかったことを、人間関係の中で少しずつ学んでいくことになるのかもしれないなと思います。

今、体調においては最悪で、子どもがいなかったら、ずっと布団の中に入ったまま食事もせずに引きこもっている状態かもしれません。
でも、朝、布団から抜け出すことが出来るのも、食事を取ることができるのも、子どもがいるおかげだなと思います。
それまでは、子どもがいるから、しんどくてもしなくてはならないと思っていたことが、子どもがいるから、出来るんだという気持ちに変わってきています。
そして、本当に出来ないときには、自分を責めることなく、「ごめんね」という言葉や、代わりに動いてくれる子どもに対して、感謝の気持ちを伝えることが出来るようになったように思います。

自分を責めていたときには、子どもの非難めいた言葉にも傷つき、怒りが噴出してしまっていたのに、子どもの言い分を素直に認めることが出来たり、激しい怒りではなくて、きちんと自分の気持ちを説明できるようになっているのかなと感じます。
まだまだ、怒りが噴出す部分もあるのだけれど、意味もなく怒りを噴出して、それを相手のせいにするのではなく、冷静に自分の行動を分析出来るようになってきているのかもしれないと感じます。

今回は、体調が堕ちてしまっても、精神的に堕ちることがなく過ごせています。
何かのきっかけで堕ちそうになることもあるのですが「赦す」という言葉がおまじないのように、私の心を支えてきてくれるような気がします。
先日、長男が
「お母さんは、今まで頑張ってきたから、神様が助けてくれたんよ。」
という言葉を発してくれました。
それが、とても嬉しくもありました。
長男のように神様が与えてくれるものを信じてみたいと思います。



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症状

2007-01-12 15:49:31 | 日々つれづれ
今日は、通院日でした。
女医ならではの、サバサバとした感じはあるけれど、じっくりと話を聞いてくださるので安心感があります。
昨日、自分なりに考えた自分の身体に起こっていることを話してみました。

今までだと、順序良く物事が出来ていたのに、どうしていいのかわからなかったり、2時間くらいで出来ることが、一日かかっても終わらなかったり、片づけが出来ない状態だと話しました。

「例えば、説明書みたいなものを読んでも理解できなかったり、読んだことをすぐに忘れてしまったり、人の話が頭に入らなかったりしない?」

まさしく、その通りです。
教科書を読んでも、読んだ端から忘れていく。
本を読んでも、感情は残るけれど、何に対して感動したのかがわからなくなる。
書き記しておかないと、しなければいけないことも忘れてしまいそうになる。

「でも、これは全部、症状だかね。
 元の状態に戻るから・・・。
 心配しなくても大丈夫だからね。
 時間はかかるけど、治るからね。」
そう言われました。

「もう少し、パキシルの量を増やしてみましょう。
 この薬は、一日に40mgまで飲める薬だし、それで合うか合わないか、もし合わなければ他の薬を探しましょう。」

以前よりも、不安症状は少なくなったこと。
他の人の経験を聞いて、自分がこうなってしまうことに対して、見守ろうという気持ちになれたことを話しました。

「たぶん、そういう話す場もあるはずだから。
 色々と同じ体験をしている人と話してみるのもいいよね。
 幸せな生活をしていても、やっぱりふとした拍子に、辛くなることもあるみたいだから・・・」

夜になると症状が楽になること。
なので、ついつい夜に仕事をしたりしてしまうこと。
本当は早く寝る方がいいんですよね。と聞いてみました。

「昼と夜とが逆転してしまうと、引きこもりがちになるからね。」

時間はかかるけどゆっくりと取り組んで、治るのを待つしかないんだなと思いました。
こうなったら、完全に開き直って、症状が出る度に、戻るまでどのくらい時間を要するのか、何がきっかけで戻っていくのか、自分自身を観察してみようと思います。

身体は堕ちてるけど、気持ちは堕ちないように維持していきたいなと思います。
でも、ふとした拍子に堕ちてしまうと、辛いんですよね。

パキシル5mg→10mgになりました。
通常は10mgからスタートの薬です。
身体が楽になるといいな。



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いつまで続くのかな?

2007-01-11 22:59:53 | 私のこと
相変わらず、倦怠感が続いている。
旦那との接触後は、脱力感、眠りが浅くなり、集中力がなくなって、考えがまとまらなくなってしまう。
それと、下半身に力が入らなくて、抑うつ状態になる。

でも、私はもう、こうなってしまう自分を責めたくない。
この状態としっかり向き合っていようと思う。
そして、自分の身に起こっていることをしっかりと観察してみようと思う。

先日話を聞いた方のように、再婚してもトラウマはすぐには消えないのかもしれない。
でも、私だけの身に起こっていることではない。
そして、永遠に続くものでもない。
それなら私に経験する機会を与えられていると思って、自らに起こることを客観的に観察してみようと思う。

誰とも話したくない感じ。
引きこもりたくなる感じ。
テンションをいくら揚げようと意識しても、どんよりしてしまう。
記憶力の低下。
やる気が起きない。
何もしたくない。
布団から出たくない。
ぼんやりしたくなる。
泣き出してしまいそうな感じ。
自分をばらばらにしたい感じ。
自分の身体がどうにかなってしまうのではないかという不安。

だけど、今は一人でも堪えられる。
誰かに傍にいて欲しいとは思わない。
抱きしめて欲しいとも思わない。

時間が立てば、また元に戻れると思う。
身体も軽くなると思う。
今は焦っても、もがいても仕方がない、そう思える。
開放されるまで、静かにその時を待とう。

携帯より