私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

妬み?

2006-07-31 22:55:26 | 日々つれづれ
今日は、ちょっと疲れてしまった。
昨日は、子ども会の集まりがあって、夜6時半から始まり8時までかかった。
話がまとまりそうもなく進まないので、意見を出した。
それについて、夕方呼び出しを受けた…

特に、そうしたかったわけでもないし、単なる案として意見を出しただけだった。
周りが、それに賛成しただけのこと。
特に、それに対して思い入れがあるわけでも、そうしなければいけないと思っているわけでもなかった。

あれこれ質問されていると、意見なんて言うんじゃなかったという気になってくる。
それ以前に、出席しなければ良かったという気になってくる。
最初から、自分の思い通りに決めておけば良かったんじゃないの、会なんて設けなくても、みんなには事後報告でよかったんじゃないのって思う。

でも、そうした集まりに出席しない保護者がいて、集まらないことに対して非難が始まる。
私は、こういうのが大嫌い。
そんなに出るのが嫌なら、あなたも来なきゃいいじゃないのって突っ込みをいれたくなる。
自分が嫌々、周りを気にして出席したりするから、そう思うんじゃないのって思う。
私は、自分で決めて出席したのなら、他の人がどうであれ、関係ないと思ってる。

あの人がこう言った、ああ言ったの話が始まる。
私もそういう話から、呼び出されたのかと思うと気が重い。
そこで、話を聞き続けるのも気が重い。
でも、さっさと帰れないのが私の悪いところ。
こうやって、ここにいる限り、同罪になるんだろうなぁ…

会長のやり方から、運営方法までケチをつける。
「私はとてもじゃないから、引き受けてくださっているだけで、ありがたく思っている。」と言うと、いかにその人のやり方がひどいか、説明を受ける羽目に…
もう、うんざり。

お陰で、晩御飯の準備が出来ず、子ども達には悪いけど雑炊になってしまった。
でも、帰ることが出来ない私が、悪いんだよね。
ご飯の支度があるからって言い出せない私が悪いんだよね。
だから係わりたくないって思ってしまう。
子どもがいなかったら、絶対に私の足を踏み入れない世界だなぁ~。

こんなのに付き合わされるくらいだったら、友達少なくてもいいかも。
気持ちよく、なんでも出来る人の中に身を委ねていたいなぁ…
偏見かもしれないけど、保育園の役員の中には、こういうタイプがいないんだよね。
働いていて、なおかつ立候補で役員を引き受ける人たちって、考え方が違うのかなぁ…

私は、その世界しか知らなかったから、子どもが小学校に行って愕然とした。
女の世界って、なんて了見が狭いんだろうって。
私は、噂するタイプじゃなくて、噂されるタイプ。
輪の中にいつも入っていないから。
でも、それでもいいやって思ったのでした。
私って男性的なのかなぁ…


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話さなかった理由

2006-07-31 01:10:18 | 日々つれづれ
カウンセリングで、現在起こっている出来事と合わせて、生育歴を話している。
普段から、誰かとあまり話すことがない私、なんだか溜まってるかのように、現在のことを話してしまいすぎて、生育歴が進まない。
東京でカウンセリングを受ける前に、話して以来だから、もう1ヵ月半も止まったまま。

高校生の途中から話が止まっていて、これから先は、恋愛がメインで、どれも同じような内容になってしまうこともあって、生育歴を語ることを重視していなかったことも事実の一つ。
前回「話しにくい??」って聞かれたのだけど、もはやカウンセラーに対しては、ほとんど羞恥心もなくなってるから、それはないけどと思っていた。

でも、話さなかったのにも訳があったし、時期があったのかなって思う。
細かいことかもしれないけど、話さなかった間に起きた出来事がきっかけで、これから生育歴を語ることについて意味を持つことが出来てきた。
不思議なのだけれど、導かれているのかなと思う。

色んなことに心を澄ませていれば、起こる出来事や、出逢いのすべてに意味があることが見えてくる。
自分の周りに起こるすべての出来事は自分にとって、意味があり、出逢いもまたそうなのだ。

これまでは、そんな出来事も出逢いも無駄にしてきたかもしれないと思う。
出来事は自分を変えるチャンスだったり、出逢いは切り札だったりするのかもしれない。
トランプゲームのように、自分に回ってきたカードの意味を充分捉えていなければ、上手く使うことも出来ないし、いいカードも無駄になってしまう。
そんな感じ…

最近、自分の進学の決意を話せば、同じように進学を考えている人だったり、苦しくて辛い気持ちを話せば、同じような想いをされている人だったりする。
話してみたいという自分の感覚に、少し確信が持てた気がする。

今まで、重要に感じなかったこれからの生育歴を話すことを、今、猛烈に語りたい気持ちになっている。
今、心に浮かび上がっている自分の中の問題。
この問題を取り扱うのではなく、生育歴を話すことで、乗り越えられそうな気持ちになっている。

なんだか不思議だなと思う。
話したいなと思うのは、自分の中でこれから話すことを受け止めるだけの力があるからかなと思う。
話すことで、心の中がどう変わるのかな?
ちょっと楽しみに感じている。



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7月30日 羨ましさと、妬みを小さくする

2006-07-30 17:32:02 | 西尾和美アファメーション
新しいカテゴリーを設けてみました。
西尾和美先生のアファメーションに沿って、時々、自分を見つめてみようと思います。
今日は”羨ましさと妬みが、どれはど自分の生活の中で大きくなっているか、あるいは小さくなりつつあるかに注目してみましょう。”
ということで書いてみようと思います。

書籍心の傷を癒すカウンセリング366日―今日一日のアファメーション
本日のアファメーションIFF 今日一日のアファメーション(日替わりです)


羨ましさと妬み。
元は同じ感情なのかなと思いました。
私に嫉妬心がないと書きましたが、羨む気持ちは常にあります。
自分以外の人が、すべてよく見えてしまいます。

自分の長所と短所、相手の長所と短所を比較するのではなく、常に、自分の短所と、相手の長所を比べてしまいます。
総合的な判断ではないと知ったのは、最近のことでした。

次女に、
「こんな人になりたいなっていう友達がいる?」と聞いた時、
「勉強はAさんで、走るのはBさんで、運動はCさんで、絵を描くのはDさん。」
と答えました。

私は、一人の答えが返ってくることを期待していたのですが、そうではありませんでした。
この答えを聞くと同時に、私もそうだと思いました。
私の中には、そんなすべての長所を持ち合わせた完璧な人間像が頭の中にあって、いつもその人と比べて、自分は駄目だと思っているのだと…

Aさんは勉強は私より勉強が出来るけど、運動は私のほうが出来るなと思うのではなく、私はAさんより勉強で劣っていて、Bさんより走るのが遅くて、Cさんより運動が出来なくて、Dさんより絵が下手なんだ…と思ってしまうのです。

人を羨むと同時に、自分の評価は下がっていく。
でも、自分を守れる人は、Aさんは塾に行っているから勉強が出来て当然と思うかもしれないし、塾に行けていることを妬むかもしれない。
逆に、Aさんの悪い所を見つけて、Aさんは勉強が出来るけど、運動が出来ないのよとけなすかもしれない。
だいたい女性に多いのは、このけなすタイプかもしれない。

私は、羨むばかりで、妬むこともけなすことも出来ず、自己評価を下げてばかりだった。
でも、自信のない態度は取れず、自分の長所を極力見つけようとして自慢してたかもしれない。
この自慢は、結局、杭を打ちつけるように、母親に打ちのめされてしまっていたのだけど。

他人の長所を見つけるのはいいことだし、見習いたいという気持ちはそのままで、羨んで自分の評価を下げることは、避けていきたいなと思います。
Aさんのいいところはここ、私のいいところはここと、自分のことも対等に評価できるようになりたいなと思います。
最初は意識的に、だんだん無意識に出来るようになればいいなと思っています。


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抱きしめられたい

2006-07-29 23:46:16 | 旦那への気持ち
すぐ、私の中には、抱きしめられたいという想いが浮かび上がってくる。
以前は、自分のそういう感情を、いやらしいとかそんな風に思っていた。
でも、それはそれでいいじゃんって思えるようになってきた。

今日も、しっかり抱きしめてもらってきたよ、パパ友に。
しかも、公衆の面前で。
別に、いやらしい感情を持っているわけでもない。
ママ友とも仲良しだし、子ども達も、友達同士。

冗談半分、コミュニケーション半分。
それでも、抱きしめられるっていいなぁと思ってしまう。
なんだかね、心が強くなれる気がするよ。
温かさに包まれて、優しくなれそうな気がするよ。

抱きしめるって本当に大切なんだよね。
ドラえもんの歌じゃないけど、あんな風に、ハグしちゃおうって、出来るといいなぁ。
あの曲を聴いていた長男。
「ハグってなあに?」
「好きってすること。」
「ふうん」
いや、長男とは、毎晩抱き合ってるし。
だって、寝る時、私の左肘が、長男には必要なんだから。

公共広告機構のCMにいつも心苦しくなっていた私。
抱きしめて欲しい時に、抱きしめてもらえず、大切だよって思うことも出来ずにいたからかなぁ。
子ども達に、ちゃんと伝えられているのかな。


そう言えば、結婚していいなと思ったのは、抱きしめられたい時に、抱きしめてくれる人が傍にいることだった。
でもね、そうじゃなかったのよね。
何をしても、私を抱きしめれば許してもらえると、旦那は思っていた。
喧嘩の後も、旦那が何かしでかして私が泣いている時も、抱きしめればそれで終わりだと、それでごまかせるのだと旦那は思っていたみたい。
幼い子どものように泣きじゃくるしかなかった私を、抱きしめることで慰めた。

私は、この人は、私を守ってくれるのだと、そう感じていた。
でも、違うよね。
なんだか、私の抱きしめられたいという気持ちを逆手に取られていたというか…
それで、何もなかったことにされていたんだなって。
今更ながら、ブログを書いてて気が付いた。

私を抱きしめるは、旦那のしてきたことの免罪符になっていたのだな。
痛めつけておきながら、自分は、私を守っているかのような顔をして、優しく手を差し伸べてきて、私もそれにごまかし続けられていた。
でも、旦那に抱きしめられることが苦痛に代わってからは、それが免罪符にはならず、旦那は私の機嫌を取ることさえ出来なくなっていた。
その苛立ちが、暴力へと変わったのかなぁ。
まぁ、いいか、この辺は、またじっくりと考えよう。


それでも、なお、抱きしめられたい想いに駆られている私。
進歩がないのかなぁ。


過去と現在

2006-07-28 11:10:36 | 日々つれづれ
過去は過去だと切り離して考えていた私。
でも、過去は現在と繋がり続けているのだと悟った。
身につけたこと、やってきたことは繋がっているとは感じながら、感情が繋がっているとは思ってもみなかった。
考えてみれば、当たり前なんだけど。

過去の問題を現在の問題にしたい時にフラッシュバックを起こすのだと、ワークショップで斎藤先生が言われていたけれど、まさに今、フラッシュバックの連続。
フラッシュバックというのは、なんだか苦しい悪いものだけのような気がしていたけれど、そうではなくて、温かい情景が重なることもあって、私にとって必要なものなんだなと思う。

忘れ去られていた記憶が、現在の出来事に重なって、景色やその時の空気、音、ときめきまでをも浮かび上がってくる。
ここまで覚えていたのかと思うほど鮮明な記憶が、目の前に浮かび上がってきて、不思議な気持ちなる。

私は、中学生の頃から、自分の気持ちを書き綴っていたけれど、それはやはり言葉でしかなくて、あいまいで…
その時あった出来事を自分なりの解釈で言葉として書き綴られているだけで、すべてが記憶に繋がるかというとそうではない。

でもフラッシュバックで蘇った記憶の解釈は、今の私がつけることが出来る。
その時は、幼かったり、未熟だったりして、考えられなかったことを、今の私が考えることによって、その情景から受ける印象が変化していく…
これが記憶の書き換えなのかなと思う。

生育歴を語ることによって、無理にフラッシュバックを起こしてしまうことも大切だけれど、それはそれで、受け止める枠組みを自分自身が持っていなかったら、同じ情景にもう一度傷付けられてしまう気がする。

何度話しても、何度思い出しても、フラッシュバックを起こさなかった自傷のこと。
あの時、カウンセリングでフラッシュバックを起こしてしまったのは、私なりに現在の問題にしたいと思った時期なのかもしれないけれど、かなり辛かった。
出来事を話していたのは、今の私ではなくて、過去の傷付いていた私で、私には思い出すことの出来なかった感情を話していた。

傷付いた私を、私自身受け止めることが出来なくて、自傷した時と同じように死にたい気持ちに陥った。
でも、まだ小学生だった私が受け止めた出来事を、大人の私が受け止められないのはおかしいと思った。

それでも、私はそれを乗り越えて生きてきたんだと、過去の自分に励まされた気持ちになった。
辛かったけれど、苦しかったけど、私は生き抜いてきたんだと感じることが出来た。
そこに至るまでは、やっぱり辛くて苦しかったけれど…

もしかしたら、人によっては意識することなく、記憶の書き換えを行っているのかもしれない。
私は、そういうことが上手く出来ないままに、大人になってしまったんだろうな。
それは、自分にとって都合がいいように、解釈できなかったからだろうなと思う。


もうすぐ5歳になる長男。
私に妹が生まれた頃の年頃だ。
その頃の子どもというのは、自己愛的な考え方をするのだと先日の講演会で、斎藤先生が話されていた。

まさにその通り。
長男は、私は自分のことを好きだと思っているし、大切にしてくれていると思っている。
そればかりじゃなくて、クラスの友達も自分のことが好きなんだと思ってる。

先日、
「○ちゃんね、俺のほっぺと口にチューしたんよ。
 ○ちゃんは、俺のこと好きなんよ。
 俺、○ちゃんと結婚しないといけないかもしれない…」という長男。

まぁ、なんて自分に都合のいい解釈。
でも、実際○ちゃんに聞いてみると、本当のことみたいだったけど…
その頃の子どもって、こんなにも自分に都合のいい解釈が出来るはずだったのねと今更ながら、私は知ることになった。

そんな時期に、私はどうだったのだろう。
お母さんは、私よりも妹が大切なんだ。
私は愛されていないんだと感じてしまった。
そして、愛されないのは、自分が悪いからだと思ってしまった。

以前、私のインナーチャイルドは、4歳くらいだと感じたことがある。
男性に、
「何て呼んだらいい?」って聞かれると
「ねこちゃん。」と答えた。
ねこちゃんは、妹が生まれるまで、父や母が呼んでいた愛称だ。
妹が生まれてからは、お姉ちゃんと呼ばれていたから。

とっさに、
「ねこちゃん。」と答えて、いつも不思議だった。
いい年をして、なんでこう言ってしまうのだろうと。
実際、旦那と別居してすぐに、チャットで知り合った男性にも言ってしまったから…

インナーチャイルドワークを、私は途中で辞めてしまっている。
ちゃんと育っているのかなぁ。
少なくとも、子ども達と張り合うことが少なくなったから、子ども達の年齢くらいには成長できているのかなぁ。

色々こうやって考えると、私にとって3人の子ども達がいることは必要だったんだなと思う。
子ども達、一人一人に、色んなことを気付かせてもらって、教えてもらっている。
私は、こんな風に生きていくことを与えられているのかなと思う。

まだまだ現在と過去の間に、たくさんの霧が掛かっている。
伝え切れなかった自分の想いと一緒に、たくさんのやりきれない想いと一緒に。
一つずつ、今度は自分の手で、救い出してやりたいなと思ってる。

すべてが繋がって、今私はこうやって生きていると、胸を張って言えるようになるといいな。
悲しい出来事も、辛い出来事も、嬉しい出来事も、楽しい出来事も、すべて自分の宝物になればいいな。



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旦那に対する気持ち

2006-07-27 18:58:00 | 私が離婚を決めた理由
昨日、私の留守に電話が掛かっていた。
結婚前、一緒に仕事をしていた上司から。
仕事をきっかけに興味を持った不動産業を始めると、1年半前に早期退職している。

その上司の送別会をすることになるちょっと前、旦那が暴力をふるって、私は110番していた。
直後は、どうなるか覚えていろと意気込んでいたが、その後は急に優しくなり、私が勤めを辞めてからは、夜、外出させてくれることもなかったのに、私が出席出来るように計らってくれた。

その時の幹事は
「いい旦那さんだね。
 家ばかりでは、ストレスがたまるみたいだから、よろしくお願いしますって言われてたよ。」そう言った。
その時は、その幹事と旦那は、同じ職場と言うだけで、接点がなかった。
でも、家庭を大切にしているという印象を受けたようだった。

退職した上司と旦那は、同じ職場になったことはなかったが、何かで一緒に東京へ出張へ出掛けたことがあり、懇意にしていた。
だけど、その人が仕事を辞めて不動産業を始めると知ると、旦那は馬鹿にし始めた。
素人かそんなこと仕事に出来るはずがないと決め付けた。

去る上司に対しては、今までの恩も忘れ、冷たい態度を取り、今から一緒になる可能性のある幹事には、自分のいい所を見せ付けた。
旦那の、本心を見たような気がした。
私が、勤めていた時の態度と、私が辞めた後の旦那の態度、そのままだった。
その後、幹事と同じ課に配属され、幹事は旦那の上司になった。

今回、退職した上司からの電話は、もしかしたら幹事から話を聞いて、私を説得しようとしているのかもしれないと私は構えてしまった。
私は誰がなんと言おうと、気持ちが動かないだろうと思った。

でも、電話の内容は違っていた。
「知り合いの息子の嫁になってくれる人を探してるんだけど、あんたの友達に誰かいい人いない?」と言う。
思わず、
「私じゃ駄目???」って聞いてみた。
「そんなこと言ったら、父ちゃんに怒られるで…」
私たちのことは知らないんだと思った。

それと
「○○にいい物件があるんだけど、家探してる人いない?
 予算は250万円で、築30年だから改装が150万くらいかかると思うけど、
 悪くはないと思うよ。」
思わず、私が住みたいと思った。
そうしたら、マンションを売ってローンを払ってもそれ以上のお金入るじゃないと思った。
そうすれば、何にも考えることなく、別れられるじゃないと思った。

「何か物件探している人がいたら、連絡して。」
そう上司は電話を切った。
私は、電話を切った後、上司は引っ越していたので、新しい電話を知らないことに気が付き、着信記録を見て、何かのためにと番号を登録した。

でも、どうして上司は、ここの電話番号を知っているのだろう?
ふと疑問に思った。
その疑問の答えを数時間後に知った。
旦那からのメールがあった。
「○○さんから電話があり、貴女と連絡がとりたいとのことでしたから、家の電話番号を教えました。」

旦那は、別居していることを隠している様子だと、周りの人から聞いたことがある。
たぶん、何知らぬ顔で、上司にも連絡先を教えたのだろう。

私はと言えば、旦那のことを聞かれると、嘘を重ねることに疲れて、正直に別居中であることを話している。
少し前までは、別居であることを話しても、元に戻った時にやりにくいからと咎める気持ちと、私が悪いんだって思うところもあったから言えずにいた。
でも、噂好きだなと感じている人以外には、自分の気持ちも話している。

旦那は、やり直せると思っているのだろうか?
1年近くも、ほとんど会話を交わすことのないままにいる私。
旦那にとっても不安だろう。
もしかしたら何らかの形で、今の気持ちを話すことがいいのかもしれない。
でも、旦那のことを考えるだけで、嫌悪感でいっぱいになる。

それとやっぱりずるいのだろう。
一緒に生活する気はないと思いながら、下手な形で離婚して、お金に不自由するよりも、今のまま生活費を入れてもらうほうがいいと考えている。

結婚前に貯めていた貯金や自分の稼ぎを、きちんと持っていればそこまで考える必要もなかったであろう。
浪費家の旦那の給料は、ほとんど旦那が使い、結婚後に買い換えた車、家の頭金、ローンは、私が仕事を辞めるまですべて私が調達していた。
おまけに退職金は、私の専門学校の学費を除いてはすべて繰り上げ返済に使われた。

でも、その証拠が残っているわけでもない。
「そんなこと知らない。」旦那に言われたら、それでおしまいだ。
「そうだったね。悪かった。」なんて言う人間じゃないということは、今までの生活でようやく悟った。
悟るまでの間、旦那にもそういう誠意があるのだと、それを引き出そうと必死になった。
今は、最初から持っている人間じゃないんだと思っている。

旦那が、カウンセリングを受ければ、こういう誠意が持てるようになるのか?
私は、信じてはいない。
もう信じて裏切られるのは嫌なのだ。
変わるかもしれないという、可能性すら信じるのが嫌なのだ。
旦那のことで、傷付いたり振り回されたりしたくない。
もうたくさん、そう思う。

カウンセリング38

2006-07-26 21:17:58 | カウンセリング
今日のカウンセリングは、妹の関係で考えたことを話していきました。
最近、ちょっと目の前の問題について話すことが多かったので、今後のカウンセリングの進め方として、優先順位をつけてみようということになりました。
○妹を含め原家族との調整
○旦那との関係の整理
○生育歴の整理
○子どもとの関係の整理

私の中では、まだ今の段階で旦那のことはやり直すとも、離婚するとも考えられないので、考えるのは先送りにしたいこと。
子どものことについては、今、私が少しずつ手放すことにより、関係性が変わってきたので、しばらく様子を見ていきたい事を伝えました。
そして妹の関係、母との関係を見直すことで、自分の中で何か大きな変化をもたらすような気がすること、それと同時に生育歴を進めていきたいと伝えました。

生育歴は、しばらくの間話さずにいたけれど、今起きている問題を解決していく上で、一緒に記憶の書き換えが行われています。
Kさんとの関係で、人を好きになる感情の見直しも出来たし、相手から同じように思われていることの感覚もわかったように思います。
今までは、実感することの出来なかった、相手からも大切に思われているという、言葉では表すことの出来ない感覚を、過去関係した男性からも、母親からも受け取っていたことを思い出すことが出来ました。

それと、今まで出来なかった男性との間に境界線を持つことも出来るようになったと思います。
たぶん、それは過去だけを見つめていてもわからなかっただろうし、現在を生きながら感じる感情に、過去の感情を重ね合わせて見つめていたからかなと思います。
ふと重なる情景。
ふと重なる感覚。
重ね合わせ、見つめることで、過去は気付くことの出来なかったことを現在の自分が感じることで、無意識の感情を知ることが出来たり、傷が癒されたり…

現在の自分と過去の自分の両方を生きているんだというカウンセラーの言葉の通り、二つの自分がいることを常に心に感じながら、無意識の感情を、出来るだけ意識することで、色んなことが見えてくるんだなぁと思いました。


カウンセリングが終わって、考えていると、子ども達を通して気付いたことを思い出しました。
私は、長女に対して執着していました。
やることなすこと目に付いて、見張っている感じでした。
それは自分でも押さえることの出来ない、何かが取り憑いているような感覚でした。

長女がすることはすべてが気に入らず、一つ一つ注意するというか、けなしている状態でした。
でも、自分自身も母に同じようにされていた思いがあり、親とはこんなものだと自分で納得しているところもありました。

でも、次女が同じことを、言ったり行動しても、何も感じない。
腹が立つどころか、笑って許してしまう。
姉妹を同じように扱ってやろうと、お姉ちゃんという言葉を使うことなく育ててきたつもりなのに、何故こんな風に感じてしまうのか、不思議に思っていました。

ある日、次女が言いました。
「○ちゃんばっかり相手にしてずるい…」
そんな言葉が次女から出るとは思いませんでした。
私からすれば、長女ばかり怒ってしまい、執着してしまい、長女に罪悪感を感じていました。
だから、長女から
「私ばかり怒って…」ということを言われるのは理解できるものの、次女の言葉に疑問を感じました。

考えているうちに、ふと思いました。
私が、長女に取り付かれ監視している状態になってしまった時、私は長女ばかりみているのだなと…
次女からみると、私を見ていないことになっていたのだと…

もしかしたら妹も同じ気持ちだったかもしれません。

小学校6年の時、私よりも悪い成績を貰ってきた妹は褒められ、私は怒られた。
それを講義すると、
「あんたはやればもっと出来るから…」と母は言いました。
でも、妹からすれば、やっても出来ないと言われているようなものかもしれない。

私は、色んな問題を起こし、母は必要以上に心配し、執着した。
私にとっては余計なお世話だったし、うっとおしかった。
でも、妹は自分のことを心配してくれない母親に、寂しさを感じていたのではないか?

夫婦仲が上手く行かず心配させ、鬱になって心配させた。
仕事を辞めてもやっぱり心配していた。
同じように心配して欲しかったから、妹も同じことをしたのかもしれない。
でも、親としては免疫がついてしまうから、同じことがあっても気にならなかったりする。

私は、親となったからそういうことがわかるようになり、母親の気持ちも共感できたし、自分の抱いていた誤解も解くことも出来た。
でも妹は、そういう機会が与えられずにいるから、ずっとお母さんはお姉ちゃんばっかりという気持ちから離れられないのかもしれない。

我が家の場合、どちらかというと次女が私の性格を受け継いでいて、トラブルメーカーで、そういう意味では次女を心配することが多い。
そういう私に対して、妹は、次女ばっかりひいきしていると言っていた。
そして、次女に対して、冷たい扱いをすることが多く、気になっていた。
それは、次女に対する怒りというよりも、私に対する怒りだったのではないか。

もう少し、気持ちの整理をしながら見つめていこうと思います。
子ども達を通して、色んなことがわかるのかもしれないなと思います。
長女と次女を通して、女同士の葛藤を、次女と長男は私と妹の歳の差が同じなので、関係性を見つけることが出来るのではないかと思います。


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オーラソーマ 誕生日ボトル

2006-07-26 13:34:40 | 自分考察
以前、オーラソーマカラーリーディングをやってみたことがある。
オーラソーマカラーリーディング 結果

今回は、誕生日でボトルを選ぶっていうのをやってみた。
数秘学による、あなたのボトル
私のボトルは
フィジカルレスキューB001というブルーとディープマジェンダの組み合わせで何があっても自分では選ばないような色合いのボトル。

ボトルメッセージ
内なる存在とのコミュニケーション

メッセージ
あなたは、生まれながらにしてヒーリングをもたらす質を持っている人です。
ここで言う「ヒーリング」とは、どんなことを意味するのでしょうか?
ヒーリングと聞くと心地の良い響きが全身に響き渡るような、くつろぐような感覚があります。
ヒーリング、あなたの魂が求めている癒しは、このあなたを生み出した存在と一つになることによってもたらされます。
それにはまず、自分のあるがままにくつろぐことです。
くつろぐことで、あなたは宇宙と一つに、全体と一つになっていきます。
その感覚を忘れたときに、あなたは全体からの分離を感じ、緊張し、ストレスを感じます。
自分に対して批判し、こうでなければ、という思い込みにとらわれてしまいます。無意識に自分の本質に覆いかぶさった雲に気づく必要があるのです。
そこで、はじめてヒーリングが可能となるのです。
あなたには、自分自身にヒーリングをもたらし、また、多くの人に癒しを与える可能性があるのです。そのことに気づいていてください。
そして存在の大きな愛に包まれているということを・・・。

ボトルの意味
性格の肯定的側面: 自分の理想をはっきりと掲げ、それを現実化させることができます。分析的、カリスマ的な傾向を強く持ち、またリーダーシップもあります。男性、女性を問わず、内面に強い男性性(アニムス)を有しています。

課題となる性格の側面: 自分の女性的な側面を受け入れるのに困難を覚えます。精神的に非常に興奮しやすく、また、ネガティブな方法で他の人を操ろうとする傾向があります。
自分自身を表現することがうまくできません。


参考ボトルは
行って木を抱きなさいB010

ボトルのメッセージ
「木を抱擁しに行きなさい」

メッセージ
正直であることを促し、カルマの解消を助けます。
自分の内側が変化すれば、外側にも変化が起きることを理解できるように援助します。
アストラル体(最も深い次元)を安定させ、センタリングし、さらにそれを拡大していきます。混乱した精神に明晰さをもたらします。
内なる平安を創り出し、外部からの攻撃から守ってくれます。
特に逆境において、自立する力に目覚めさせます。

ボトルの意味
性格の肯定的側面: 人々を支配することなく導いて行く人で、他の人にそれぞれ成長するスペースを与えることができます。
人類の抱える問題についてハートのレベルで心配しています。
何をしなくてはならないかをはっきりと認識していて、実際に行動に移します。
喪失の体験の中においてさえ、何かを得ることのできる人です。
良い聞き手であり、自分自身に対し、きちんとワークしています。
また、正直で、真の意味で自立し、自らの運命に調和しています。
創造性に満ちたアイディアを、実現できる人。
自然と深いつながりを持っています。

課題となる性格の側面: 過去や未来に過度にとらわれています。知的な部分の中に閉じこもりがち。
大地に両足がしっかりとついていません。
自分が必要としているスペースや気晴らし、あるいは将来の見通しなどを創り出すことができません。
自然や人生の刻むリズムからかけ離れてしまっています。
なぜ霊的な進歩が必要なのか理解していません。


2本のボトルの課題となる性格の側面、とっても当たってるなぁと思う。
>内面に強い男性性(アニムス)を有しています。
>自分の女性的な側面を受け入れるのに困難を覚えます。
まさに、その通り。
別に、自分の身体を受け入れられないわけでもないし、女性のほうが好きなわけでもない。
このままの身体でいいと思うし、好きになるのは男性だけど、でも何となく自分が女性であることに違和感を感じてしまう。

「木を抱擁しに行きなさい」
これも私にぴったりのメッセージ。
木を抱くと、命の流れのようなものをすごく感じる。
私が、植物を愛するのもそんなところからなのかもしれない。


今年のテーマボトル
アトランティアン / ハートボトルB003

ボトルのメッセージ
ハートによるコミュニケーションを養う

メッセージ
胸の中心に手を置いて、ハートを感じてみてください。
そしてそのハートの中心に深呼吸するとともにハートのスペースを感じます。
吐く息とともにすべてを手放し、ハートの中心へとくつろいでいきます。
そのくつろいだスペースから周りの音に気づいてみてください。そのときあなたはただハートのスペースへと入っていっています。
とてもシンプルです。
そのハートのスペースから人の話しを聞いてみてください。
すると言葉ではないその人の何かを感じ取ることが出来るでしょう。
マインドで判断したり、ジャッジしたり、次は何を話そうかと思いながら聞くのではなく、ただあるがままを受け入れ聞いていくことで、これまでとは違った別の次元に気づいていくことが出来るでしょう。
ハートのスペースに気づいて欲しいとあなたの魂は語りかけています。

ボトルの意味
性格の肯定的側面: アトランティアンボトルは、選んだ人が直感的な知識を持っており、アトランティスからの贈り物をもたらすために転生してきた魂である可能性を示します。
つまり、忘れられた贈り物を開示するために、古い感情とエネルギーをすっかり洗い流している人である可能性があります。
大きなスペースとあらゆるレベルでの寛ろぎを示しており、この人は真に自分自身でいることができます。
またそれゆえに、他の人々が進むべき道を見いだすのを援助することができます。芸術家、教師、セラピストになる能力が有ります。
芸術的、身体的、また特に生態学的な仕事を通じて、霊的に目覚めることができます。
この人にとっては、真理が大変重要です。
どんなことにせよ、成功しようと決めたことを達成する才能に恵まれています。
過去世からのたくさんの収穫を今世にもたらすことができます。

課題となる性格の側面: 極端に他の人たちの期待に答えようとしてしまいます。
曖昧なメセージを発します。
自分自身がどう感じているのかがわかりません。
自分の魂が進化していくための、スペースを創り出すことが困難です。


>言葉ではないその人の何か
私の最近気になっているこのことが書かれていて嬉しい。
そんな風になれたらいいな。
>どんなことにせよ、成功しようと決めたことを達成する才能に恵まれています。
そうだといいな。


最後に今年の参考ボトル
愛への新しい始まり B021

ボトルのメッセージ
愛への新しい始まり

メッセージ
神の愛が、他の人への、あるいは彼らからの愛の中に表現されているのだということに気づかせてくれます。
葛藤を手放し、抵抗の克服を助けます。
自分の人生の目的と結びつけてくれます。
新しい自分への愛のためにスペースを創り出してくれます。
現在、遭遇している困難が克服できるように手助けします。
その人の人生の中にすでに存在している愛に気づかせてくれます。
愛に関して、与えることと受け取ることの間のバランスを取ります。
外部からの攻撃に対処できるようになります。

ボトルの意味
性格の肯定的側面: 高次の意識を持った、真に成熟した人格の人です。
神と人間を愛しています。
愛を与え、そして受け取り、愛によって人々に建設的に働きかけます。
(例えば、執筆、芸術、講演をとおして、また家族の間でも)、夢を現実化することができます。
自分のゴールに気づき、それを実現するために行動する人。
他の人たちから必要とされる人です。
また、愛がすべての生命の基礎であることを知っています。
世界が自分のコースをたどっていくのを見守っていられる人。

課題となる性格の側面: 自分を愛する気持ちがほとんどありません。
また、人からも愛されていないと感じ、常に愛を探し続けています。
自分が望んでいる形での愛を、決して受け取ることがありません。
ネガティブな意味での夢想家です。
自分がバラバラで、神から切り離されていると感じています。
ある状況において、実際よりも自分は重要な存在なのだと思いがちです。
人生のレッスンを受け入れることを拒みます。
自分の状況に不満足なのにもかかわらず、それを変えることができません。


肯定的な側面を憧れに想い、課題となる性格の側面は当てはまると感じる。
当ってる…



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宿題

2006-07-25 23:44:23 | 私のこと
先週、カウンセラーに宿題を出されていた。
旦那へのメールの返事を考えること。
その後、旦那から3通のメールが届いた。

でも、とてもじゃないけど、今、旦那のことなんて考えていられない。
カウンセリングは週一回なのに、その一時間で話すことが出来ないくらいの、色んな出来事が目まぐるしく起きている。
カウンセリングを受け始めて、一週間って、こんなに長かった?と感じるようになった。

それまでは、どうやって生きてきたのだろうか?
生きてきたという実感が湧かない。
あっという間に月日は流れていっていたから。

この一週間。
みーちゃんの死に対する子ども達のケア。
中学校の時の、同級生が事件を起こした。
色んな人の反応や意見を聞きすぎて、辛くなった。

もし、私に子どもがいなかったら、今週は死んでいたかもしれないな。
そこまで気持ちが堕ちてしまった。

旦那のことで時間を費やすよりも、これらのことを処理していきたい気持ちが強い。
これが、今の私の旦那への素直な気持ちなんだろうな。
私は、偏った価値観を旦那に押し付けてしまっていたんだなと思うけれど、だからといって、旦那がしてきたことは許せないから。
旦那もまた、偏った価値観を押し付け返したところまでは許せるし、お互い様。
でも、あのルーズさは、やっぱり私にとっては耐えられないから。

今まで、真面目に生きてきたんだから、やりたくない宿題は、やりたくないって言ってしまおうかな。



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誰の責任? 自分の責任

2006-07-24 23:31:04 | 日々つれづれ
自分の書いた文章を見ながら、あれっと思った。
妹の出生について、母は先日、
「あんたが妹が欲しいと言ったんでしょう。
 赤ちゃんを産まないお母さんは馬鹿だと責めたでしょう。」と言った。

ずっと、だから私は妹を可愛がらなければいけないんだって思ってきたけれど、これって変。
だって、妹が欲しいと言ったのは、まだ4歳になる前の私。
母は、妹を産んだことを、今もなお、そんな小さい子どもが言ったせいだと言ってるわけ??

産んだのは、私の責任ではなくて、父と母の責任だよね。
いくら私が頼んだからといって、産まない選択も出来たわけだし、その選択をせずに産んだのは、どう考えても私の責任じゃないよね。

でも、私はずっと私の責任のように感じてきた。
大人になってもずっと…
でも、これも変だよ。
母がそう言ってきたことは事実だけれど、私の責任だと思い込んでいたのは、私だから。
私の責任なんかじゃないと逃げ出す選択も出来たはずだから。

結局、人のため、子どものためと言いながら、自分で責任を取ることから逃げてきたんじゃないかと思う。
母も、私も。
きちんと自分で決めたことだったら、最後まで自分で責任が持てたはずだと思う。

こうやって生まれてきた妹の立場ってどうなんだろう。
私のためだけに生まれてきたんだって思うよね。
お母さんとお父さんは、私を欲しいとは思わなくて、お姉ちゃんのために産んだんだって感じちゃうと、私に対して恨みの感情が生まれても当然じゃないかと思った。
でも、妹もまた、大人なんだから自分の感情に責任を持ってもいいのだけれど…

結局、連鎖っていうのはこういう考え方を引き継いでいるってことなんだろうな。
自分のために、しっかりと生きていれば、自分がしたいようにして、自分の責任を自分で取る。
でも、自分を犠牲にして、夫のため、子どものためとやってるから、してあげてるのにという感情も生まれてくるし、自分のしたことの責任もあいまいになってくる。

共依存って怖いなぁ…
まだまだ、そういう思考の癖から抜け出せない私がいる。
自分の気持ちをしっかり自分に聞いて、行動する。
誰のためでもなく、自分のために行動する。
そして、その責任は自分でしっかりと取る。
当たり前の大人の行動のようで、難しい。

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大変

2006-07-24 15:53:21 | 日々つれづれ
何年か前、まだブログなんて言葉がない頃、HPで日記を書いていて、その同じ日記のシステムを使って書いている方の日記をずっと拝読させていただいていた。
同じ歳のナースの方の日記で、アクセス数も一日2000件を超えていて、文章の書き方はもちろんのこと、何気なく書かれた日常に、色んなことを考えさせられていた。

でも、こうやって自分のことを見つめ始め、訪れる機会がなくなり、久しぶりに訪れたら、HPごと無くなっていた。
辛くてネットに依存していて、なんとなくその人の文章に触れたくなって、検索をきっかけに、またその人のブログを見つけた。

その日のブログにはこう書かれていた。
「大変って言う字は大きく変わるって書くでしょう?だから、大変な時期ってのは自分が大きく変わるチャンスなんだって!」

色んなことで行き詰っていて、なんで自分ばっかりこんな目にと、恨みがましい気持ちになっていたけど、あっそうか、私は、私が変わるためのチャンスを人よりもたくさん与えられているんだ。
変わろうと思っているときに、こうやって大変なことが訪れるのは、神様が手助けしてくださっているんだ。
ふっとそんな気持ちになった。

もう少し頑張れるかな、前を向いて歩こうかな、背中をポンと叩かれた気持ちになった。

講演会

2006-07-23 20:28:12 | カウンセリング
急遽、斎藤先生の講演会に出掛けて来ました。
今回は、諦めていたのですが、色んなことが重なって辛い時期だったので、何か解決の糸口になればいいなと思い、参加してきました。
今回の講演会は、どちらかというと援助者向けの内容だったかなと感じました。

アディクションを単なる我が儘として捉えてしまうと話が進まない。
問題行動を起こしている視点、家族の視点から考えていきましょうと言われました。
例えば、不登校の問題は、学校や家族の両方の問題ではあるけれど、そもそもどうして行かなければいけないかという所から考えてみましょうと言われました。

子どもが登校をしないことには意味があるので、それを無視して、無理に学校に行かせても、問題解決にはならないと言われました。
もしかしたら、親が心配で学校に行けなくなっていたとしたら、行かないことを責めるより、いい子だということを認めていくことが必要らしいです。
子どもは、自分がそれを出来る実力を持っているか持っていないかを考えることなく、身体を張って家族を守っていくところがあるそうです。

例えば、病気をしやすくなったり、事故を起こしやすくなったり、それによって一瞬の平安を求めていると言われました。
それによって、普段は自分に向いてくれない親が、自分に向いてくれたりすることを求めているのだそうです。
家族の中で子どもが問題行動を起こすとき、必ず、兄弟関係を聞き、赤ちゃん(下の子)が生まれてきた時に、上の子はどうしたかを聞くそうです。

私と妹の問題はこの辺りにあると思っています。
私は、妹が生まれた時から2歳くらいまでの記憶がないし、妹が生まれる前後、私は病気や怪我を繰り返しています。
何度も転ぶ、ジャングルジムで怪我をする、中耳炎、難聴、頭を切り縫う、胃痛による不調。
妹が、お腹に宿ってから1歳を迎えるまでに起きた出来事です。

そして、私が子どもを生んで、長女が次女にやきもちを焼く姿を見て、とても苦しくなったことがあります。
母は私は妹に対してやきもちを焼くことがなくて、同じように5つ下の長男と張り合う次女の姿をみて、おかしいと言っていました。
でも、本当におかしかったのは、次女ではなく、私ではなかったかと思っています。

今回、母と揉めた時も、
「あんたが妹が欲しいと言ったんでしょう。
 赤ちゃんを産まないお母さんは馬鹿だと責めたでしょう。」と私に言いました。
だから、妹を産んだのだと母は言いました。
私は、妹と喧嘩するたびに、
「あんたが妹を欲しがったんでしょう。」と父と母に言われていました。
そう言われると私は、どうすることも出来ませんでした。

でも、父や母にそう言われるまま、妹をずっと守ってきたという自負があります。
内弁慶で、幼稚園に行くのも泣いて嫌がっていた妹を、母はずっと心配していて、小学校に入学した時も、私は6年生で何度も教室に妹の様子を見に行きました。
妹が、短大の時には、私が旅費を出しアメリカ旅行も行っています。

大人になってからも、常に妹を守らなければいけないという気持ちが強いし、食事に行けば、必ず私が払うし…
でも、ある時、同じ大人の立場で、そうして私はずっとこうしているのだろうかと疑問を持ったことがあります。
それでも、やはり私は姉だからという思いが強く、困ったことがあっても、なかなか妹に助けを求めることが出来ないし…
ただ、この辺りは、自分を見直し始めてから、困った時には頼ればいいと思えるようになってきました。

これは、私の立場から見た面です。
妹から感じる私と両親との関係は、異なっています。

私から見たら、妹は母から可愛がられ、母の愛情を独り占めにしていたような気がします。
でも、妹の態度はそうではありませんでした。

私が、妹の前で何か都合の悪いことをするたび、必ず妹は母に言いつけていました。
子どもの頃だけなら、わかるのですが、それは大人になってからも、そして今もそうです。
それが、きっかけで私は幾度も母に怒られています。
けれど、それを直接、妹に対して問い詰めたことは一度もありません。

私は、両親から反対を受けながら、少しレベルの高い普通科高校へ進みました。
でも、妹は反対を受けることなく、むしろ応援されながら同様のレベルの高校へ進んでいます。
短大に進む時も、父から勉強する気がないのなら行く必要はない、行くのが当たり前だと思うなと言われながら、頼みました。
でも、妹は、行くのが当たり前のような親の態度でした。

私は、結局1校しか受からず、その短大へ。
妹は、他にも受かったのに、私と同じ短大へ。

私は就職し、妹も同じところへ就職。
私は、職場で一つ年下の旦那と結婚、私と同じ年齢の頃、妹も、職場で一つ年下の男性と結婚。

私がマンションを買い、妹も同じマンションの上の階を買う。

私は鬱になって仕事を辞め、妹も続いてやめる。

私は専門学校に行き、妹は大学へ行く。

ずっと妹は、何故か私の後をずっと追いかけています。
先生が言われるには、お姉ちゃんがいいものを持っていて、それを見せて欲しくて追いかけているのに、見せてくれないから追いかけ続けているのだと言われました。

妹は私より秀でていると思っているものは何かの問いに私は答えられませんでした。
思い当たらなかったのではなくて、あっと思ってしまったからでした。
一つ目は、動物の面倒を見ること。
二つ目は、友達付き合い。
三つ目は、母を思いやる気持ちでした。

今回、妹は私に対して
「動物と友達を粗末にすることに対してだけは、どうしても譲れない。」と頑固に言い張りました。
だから子ども達に、判らせるために罪悪感を持たせるのだと言いました。
私は、どうしてか動物の世話が出来ずにいたし(性格には、人が見ているところで出来なくて、人がいないところでは出来たのです。)うまく友達を作ることが出来ませんでした。
妹が母に、
「お姉ちゃんには、性格では絶対に負けない。」と言っていたと母から聞いたことがあります。

母は何故か、妹が私のことを言いつけたときも、こういうことを言った時も、必ず私に報告します。
言わなければ、私は嫌な気持ちにならないのに、何故わざわざ言うのだろうと思っていました。

母に対しても、わざわざ私が傍にいることを知っていて、母の誕生日の日に、
「誰よりも幸せを祈っています。」というメールを母に送っています。

すべてが妹の私に対する気持ちの表れだったのかもしれません。
妹は、その3つだけは、私には負けないという思いを持ち続けていたのでしょう。

逆に、妹は私よりも劣っているとか、私は妹より勝っていることなんて考えたことはありませんでした。
いつも、妹は私よりも母に褒められていたし、妹が怒られるところも見たことがありませんでした。

私が、以前気になったことは、母が私の前で妹を褒め、妹の前で私を褒めていたということです。
妹は私に、
「おねえちゃんだけ、結婚する時に祝福されて、私の時には何にも言ってくれなかった。」と言いました。
でも、私も祝福の言葉を受けたことはありませんでした。
むしろ、妹の結婚が決まった時の方が嬉しそうでした。

実際、子ども達に対しても、
「お母さんは、こんなことしなかった」とか
「お母さんは、こんなこと言わなかった」とか
私に褒めたことがないようなことを持ち出して、子どもの前で、私のいいところを言っています。

妹は、私ばかりを褒める母を憎むのではなく、私自身に敵対心を燃やしていたのでしょうか?
でも、私にとってわからないのは、もっとレベルの高い短大に進んでいれば、私より勝っている気持ちになったのではないかということ。
子どもがいないことに対して、罪悪感を持つようなことをせずに、治療を受けてみればいいのにしないこと。
(私は、結婚前、卵管が詰まっていたりして、子どもがどうしても欲しくて治療を受けています)
仕事だって、私は事務職だったのに比べ、妹は専門職だったから、立場的には優れていたのに、途中で辞めたこと。
わざわざ、私と同じ位置に留まろうとしているとしか思えないのです。

でも、それはすべて妹が意識的に行っていることではなくて、無意識におこなっていることだと思います。
私が、動物の面倒を見ることが出来なかったのも無意識です。
私と妹の中で、何が起きていたのか、まだ私にはよく見えてきません。

性格だけはお姉ちゃんに負けない。
友達が多いのだけはお姉ちゃんに負けない。
妹は、そんな風に思っていたようですが、こうやって私が自分を見つめ始め、少しずつ行動を変え始めてから、色んな人と付き合えるようになっていきました。
妹の幼なじみの友達とも、元々面識もあるし、子どもがいるので、妹抜きで付き合うようになりました。

妹は、諦めてしまったカウンセラーの仕事ですが、何故か最近、私は人の話を聞くことが多くなり、色んな相談を受けるようになってきて、そのことを妹に話しています。
もしかしたら、私は妹の守っていた領域を犯しているというか、妹か見ると犯されている気持ちになっているのかなと考えた時、このままでは、妹との関係がますます悪くなってしまうのだろうかと思います。

私にとっては、大切なかけがえのない妹だと思うし、こんなことで仲たがいしたくないと思っています。
私が思っているよりも、根深い問題みたいで、それに火をつけたのは私なのかなと思うと辛いです。

先生の話の中で、人を愛する力と憎む力は同じ感情なんだと言われました。
愛することの反対は、無関心なのだと言われました。
憎まれているうちはいいのでしょうが、接触を避けられている今の状態が続くとどうなのだろうと思いました。

旦那のことがきっかけで自分を見つめ始めたのに、旦那のことだけでなく、Kさんのこと、妹のことと次々に自分の目の前に、色んな問題が降りかかってきて、私がいるからこんなことになる。
そんな悪循環な思いに引きずられています。



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アナログ

2006-07-21 14:43:35 | 日々つれづれ
記憶っていうのは、アナログなんだってワークショップで斎藤先生が話されていたけれど、本当にそうなんだなぁと思う。
言葉でも、文章でもなくて、表現するには難しいたくさんのもので記憶されている。
その情景が思い出されるにつれ、私の中にあった記憶の一部が変化してる。

一番最初に好きになった人の思い出。
私の中では、最終的に遊ばれてたのかもしれないって整理されてしまっていたけれど、忘れてしまっていたワンシーンが思い出されるに連れて、違う感情が湧き上がってくる。

確かに、彼は遊んでて付き合っている女性も次々に変わっていて、そしてその度に私のところに戻ってきていたけれど、私が思っていたみたいに行為だけが目的じゃなかったのかもしれないなと思う。
言葉では表現できない、その時の空気や感覚、そんなあいまいなものなのだけれど。

行為の後の時間や、抱きしめられた感覚、優しいキス。
私が流した涙を、指でそっと拭いてくれたその時の表情。
その時、私は愛されていたのかもしれないと…
その二人での時間が私にとって大切で、その時間を私は求めていたのではないかと。
そして、彼も同じように、その共有する時間を必要としていたのではないかと…

私はいつも誰かに抱きしめられていたくて、誘われると断れなくて、でも求めていたのはそんな言葉では表現できない時間だったのではないかと思う。
その時間を共有できない人には、最後まで抱かれることが出来なかった。
もしかしたら、私の感じた感覚は、愛されていた感覚なのかもしれないし、心が重なり合っていたという感覚なのかもしれない。

記憶の中に同様の感覚がある。

母の新聞配達を手伝っていた時のこと。
早朝のしっとりとした時間。
母と二人で、人気のない町を歩く。
母の優しい笑顔がとても好きだった。
私は、母が喜んでくれるのが嬉しくて、一生懸命手伝っていて…

何が同じとは言葉では表すことが出来ないけれど、母は私のことを大切に思ってくれていて愛されていたのかもしれないな…
二人で過ごす時間を、私が求めていたのと同じように、また母も大切に感じていてくれたのかもしれない。

子供の頃から私は、ずっとこの感覚を求め続けていたのではないかと思う。
「愛している」という言葉ではなく、言葉ではないこの感覚を大切にしていたのかもしれない。
私は、この感覚を求めて、誰かを愛し続けたのかもしれない。

話をしなくても、ずっと黙っていても、感じられる感覚。
切なくて甘い時間。
私が欲しかったのは、求めていたのは、これだったのかもしれないと思う。

デートしても、二人きりになることにこだわった。
でも、セックスをしたいわけでもない。
求められることで、必要とされる自分に満足していた所もあったけれど。
私が本当に求めていたのは、この感覚だったんだなと思う。

でも、私は何故かこの感覚を否定してしまっていた。
この感覚を共有出来る男性は、良くないのだと思い込んでしまっていた。
それは、最初に付き合った人とのことがあったからかもしれないけど。
旦那とは、この感覚をいだいたことがない。
体当たりに愛情をぶつけてくる、こんな人こそ私を大切にしてくれるのだと思ってしまった。
私が、大切にしていた感覚は、愛されているという言葉では表現できない感覚だったのかもしれない。

思い出す甘美な情景は、私の心を温かく包む。
決して苦しくない。
あの過ぎ去った恋は、胸を引き裂くぐらい苦しかったはずなのに…
愛されているという実感を、私は今の今まで、気がつかぬまま過ごしていたのではないだろうか?

愛しているということは、言葉ではなく、もっと感覚的なものだったのかもしれない。
言葉や態度はそれぞれの持っている感性や価値観によって伝え方が違うけれど、ふっと伝わる感覚的なものは、変わらないのかもしれない。

肌に触れる手の感覚。
ふと見つめるしぐさ。
こぼれる笑顔。
言葉ではなく、もっと直感的なもの。
心を澄まして、感じてみたい。

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2006-07-20 20:34:18 | 日々つれづれ
忘れ物の代表と言えば、やっぱり傘だろう。
お勤めしていた時も、JRやバス会社からたくさんの傘が落し物として届けられていた。
ほとんどが取りに来られないから、保管期限を過ぎると、またJRやバス会社に戻される。

そんなたくさんの傘を見ながら、不思議に思った。
どうしてそんなに忘れるのだろうと…
それまで私は、傘を失くした事がなかった。

でも、今年になって何本忘れたやら。
買ったばかりの傘を、飲食店に忘れた。
6月に東京に行ったとき、新幹線の中に傘を忘れ、夕方から雨が降り出し、傘を買った。
まだ買って間もない折りたたみ傘も、どこに置いたかわからない。

心ここにあらずの状態で、いつもぼんやりしているせいもあるのだろう。
集中力もなくなって、一つの作業は長続きしないし、片付けも出来なくなってる。
いつになったら落ち着けるのかな。

罪悪感

2006-07-20 17:25:19 | 日々つれづれ
色んな罪悪感に襲われて、身動きできなくなっている。
いくつ記事を書いても、思いを書いても、消すことの出来ない罪悪感。
突然に湧き上がってくる思いに縛られて、身動きできなくなっている。

私は、私でいていいの?
ただ、偽善者を装っているだけなのかもしれない。
消えてしまいたい思いに駆られる。
自分から逃げ出したくなる思いに駆られる。

自分の感情がバラバラになる。
どの自分を演じていても、自分じゃない気がしてくる。
どの自分も切り裂いてしまいたくなる。

身の回りに起こるすべての災いを抱え込んで動けなくなる。
全部自分のせいだと思ってしまう。
私がいるから上手くいかないんだ。
私がいけないんだって思ってしまう。

痛みは、出来事が起こったときすぐに襲ってこなくて、じんわり時間差で攻めてくる。
何もなかったかのように冷静な自分でありながら、突然に痛みだけが襲ってくる。
ほら稲妻の後に、遅れて雷が落ちる音がするように。

この痛みは、いつになったら消えるのだろう。
この苦しみから救われる日はくるのかな。


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