1週間、色々なところへ足を運び、電話を掛けたことを話しました。
前回のカウンセリングの後、カウンセラーに自分の気持ちを受け止めてもらえていないような気がして、今まで築いてきたことは、なんだったのだろうかと思い、二晩泣きました。
私は、ずっとカウンセラーの「旦那はやり直す余地のある人」という言葉に囚われていました。
自分が離婚に踏み込めないのは、その言葉に引っかかっていたからだと思っていました。
二晩泣き続けた後、私の心に答えが出ました。
旦那のことは誰もわからないんだ。
旦那がどんなことをして、どんなことを言っていたか、私がその時どんな気持ちでいたのか。
本当のことをわかるのは私だけなんだ。
でも、わからないのは悪いのでもない。
わからないことは当たり前なんだと・・・。
その気持ちをカウンセラーに告げました。
カウンセラーは、自分が見ているのは、ねこさんの変化であって、旦那さんではない。
旦那さんには会ったことはないし、本当はどんな人かどうかもわからない。
ただ、ねこさんの気持ちが変わっていくことに対して、応援している。
そんな風に言われました。
相談窓口の女性、担当医、女性は旦那とやり直すことは無理だろうと言っていました。
でも、カウンセラーにだけ、余地があると言われ続けたこと。
それは、一番、私を知っていたからこその言葉であったのかもしれないなと思いました。
私の心の中の迷い。
答えが出せないことに対しての、言葉だったのかもしれないな・・・
そんな風に思いました。
私の心の中で本当に決まっていたのだとすれば、カウンセラーに何を言われようと、私はやり直すことが出来ないと言うことが出来たのかもしれません。
私は、それを言うことは、カウンセラーを否定することになるかもしれないと怖れていました。
そうやって自分の気持ちをあやふやにさせていました。
自分の気持ちには寄り添うことが出来ないのに、他の人のことばかり考えていました。
私の中で自分を一番に考えることは、どうしても許されない行動でした。
自分勝手だ、わがままだ・・・そんな風に自分を非難してしまう。
誰かを傷つけてしまうかもしれない、そればかりを考えていました。
頭では自分を中心に考えているつもりでも、無意識の思考は、自分ではなく他者を中心に捉え、そのことにすら気がつけずにいました。
でも、1週間、色んな出来事があり、自分の一番の理解者であるのは自分なのだと心から感じることが出来るようになったことに対して、カウンセラーは認めてくださり喜んでくださいました。
カウンセラーの言われることが、わからないうちは自分を否定されたり、非難されているように聞こえることが、心にすっと入ると、本当の意味がわかるようになります。
私のそんな態度に揺れることなく、根気強く見守ってくださることに感謝です。
これから行動を起こすに当たって、私と子どもの身の安全を守ることを考えていかなければいけないと言われました。
一つ、一つ、乗り越えなければいけない壁があります。
でも、このままの生活を続けるのは苦しい。
それが正直な気持ちです。
一つは離婚すること。
そして、この家を慰謝料としてもらうこと。
子どもとの面会の条件は、カウンセリングを受けること。
この3つを手に入れたいなと思っています。
誰になんと言われてもかまわない。
どんな方法を取っても、ひどいと言われてもいい。
それだけは、手に入れたいと思います。
「先生は無力だと言われたけど、私は無力じゃないよ。」
心配される先生にそう言いました。
「僕は無力だけど、精一杯応援してるから・・・」
「その気持ち、届いてるから・・・」
そんな風に伝えました。
応援してもらえること、何よりの力です。
誰かが私の代わりになることも、私が私から逃げることも出来ません。
自分の力で乗り越えていかなければ、ずっとそこに止まっているだけなのです。
それが、いいか悪いかを決めるのは自分です。
誰かが決めるのではなく、誰かに決めてもらうのでもなく、
誰かの基準ではなく、私が基準なのです。
私が思うことを思うように、行動するしか道は開かれないのだと思います。
誰かのアドバイスに安心できたとしても、誰かのアドバイスに心が沈んだとしても、最終的に判断するのは私なのです。
先週、相談した方に、
「あなたはこの先、どうしたいの?」
そんな風に言われました。
私の心が、定まっていないのを見透かされたような気がしました。
でも、今は違います。
迷いがないと言えば、嘘になります。
でも、誰かのためにではなく、自分のために、誰かの言葉ではなく、自分の言葉で、自分の道を定めていきたいなと思います。
前回のカウンセリングの後、カウンセラーに自分の気持ちを受け止めてもらえていないような気がして、今まで築いてきたことは、なんだったのだろうかと思い、二晩泣きました。
私は、ずっとカウンセラーの「旦那はやり直す余地のある人」という言葉に囚われていました。
自分が離婚に踏み込めないのは、その言葉に引っかかっていたからだと思っていました。
二晩泣き続けた後、私の心に答えが出ました。
旦那のことは誰もわからないんだ。
旦那がどんなことをして、どんなことを言っていたか、私がその時どんな気持ちでいたのか。
本当のことをわかるのは私だけなんだ。
でも、わからないのは悪いのでもない。
わからないことは当たり前なんだと・・・。
その気持ちをカウンセラーに告げました。
カウンセラーは、自分が見ているのは、ねこさんの変化であって、旦那さんではない。
旦那さんには会ったことはないし、本当はどんな人かどうかもわからない。
ただ、ねこさんの気持ちが変わっていくことに対して、応援している。
そんな風に言われました。
相談窓口の女性、担当医、女性は旦那とやり直すことは無理だろうと言っていました。
でも、カウンセラーにだけ、余地があると言われ続けたこと。
それは、一番、私を知っていたからこその言葉であったのかもしれないなと思いました。
私の心の中の迷い。
答えが出せないことに対しての、言葉だったのかもしれないな・・・
そんな風に思いました。
私の心の中で本当に決まっていたのだとすれば、カウンセラーに何を言われようと、私はやり直すことが出来ないと言うことが出来たのかもしれません。
私は、それを言うことは、カウンセラーを否定することになるかもしれないと怖れていました。
そうやって自分の気持ちをあやふやにさせていました。
自分の気持ちには寄り添うことが出来ないのに、他の人のことばかり考えていました。
私の中で自分を一番に考えることは、どうしても許されない行動でした。
自分勝手だ、わがままだ・・・そんな風に自分を非難してしまう。
誰かを傷つけてしまうかもしれない、そればかりを考えていました。
頭では自分を中心に考えているつもりでも、無意識の思考は、自分ではなく他者を中心に捉え、そのことにすら気がつけずにいました。
でも、1週間、色んな出来事があり、自分の一番の理解者であるのは自分なのだと心から感じることが出来るようになったことに対して、カウンセラーは認めてくださり喜んでくださいました。
カウンセラーの言われることが、わからないうちは自分を否定されたり、非難されているように聞こえることが、心にすっと入ると、本当の意味がわかるようになります。
私のそんな態度に揺れることなく、根気強く見守ってくださることに感謝です。
これから行動を起こすに当たって、私と子どもの身の安全を守ることを考えていかなければいけないと言われました。
一つ、一つ、乗り越えなければいけない壁があります。
でも、このままの生活を続けるのは苦しい。
それが正直な気持ちです。
一つは離婚すること。
そして、この家を慰謝料としてもらうこと。
子どもとの面会の条件は、カウンセリングを受けること。
この3つを手に入れたいなと思っています。
誰になんと言われてもかまわない。
どんな方法を取っても、ひどいと言われてもいい。
それだけは、手に入れたいと思います。
「先生は無力だと言われたけど、私は無力じゃないよ。」
心配される先生にそう言いました。
「僕は無力だけど、精一杯応援してるから・・・」
「その気持ち、届いてるから・・・」
そんな風に伝えました。
応援してもらえること、何よりの力です。
誰かが私の代わりになることも、私が私から逃げることも出来ません。
自分の力で乗り越えていかなければ、ずっとそこに止まっているだけなのです。
それが、いいか悪いかを決めるのは自分です。
誰かが決めるのではなく、誰かに決めてもらうのでもなく、
誰かの基準ではなく、私が基準なのです。
私が思うことを思うように、行動するしか道は開かれないのだと思います。
誰かのアドバイスに安心できたとしても、誰かのアドバイスに心が沈んだとしても、最終的に判断するのは私なのです。
先週、相談した方に、
「あなたはこの先、どうしたいの?」
そんな風に言われました。
私の心が、定まっていないのを見透かされたような気がしました。
でも、今は違います。
迷いがないと言えば、嘘になります。
でも、誰かのためにではなく、自分のために、誰かの言葉ではなく、自分の言葉で、自分の道を定めていきたいなと思います。