私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング74

2007-04-25 23:43:42 | カウンセリング
1週間、色々なところへ足を運び、電話を掛けたことを話しました。
前回のカウンセリングの後、カウンセラーに自分の気持ちを受け止めてもらえていないような気がして、今まで築いてきたことは、なんだったのだろうかと思い、二晩泣きました。
私は、ずっとカウンセラーの「旦那はやり直す余地のある人」という言葉に囚われていました。
自分が離婚に踏み込めないのは、その言葉に引っかかっていたからだと思っていました。

二晩泣き続けた後、私の心に答えが出ました。
旦那のことは誰もわからないんだ。
旦那がどんなことをして、どんなことを言っていたか、私がその時どんな気持ちでいたのか。
本当のことをわかるのは私だけなんだ。
でも、わからないのは悪いのでもない。
わからないことは当たり前なんだと・・・。

その気持ちをカウンセラーに告げました。
カウンセラーは、自分が見ているのは、ねこさんの変化であって、旦那さんではない。
旦那さんには会ったことはないし、本当はどんな人かどうかもわからない。
ただ、ねこさんの気持ちが変わっていくことに対して、応援している。
そんな風に言われました。

相談窓口の女性、担当医、女性は旦那とやり直すことは無理だろうと言っていました。
でも、カウンセラーにだけ、余地があると言われ続けたこと。
それは、一番、私を知っていたからこその言葉であったのかもしれないなと思いました。
私の心の中の迷い。
答えが出せないことに対しての、言葉だったのかもしれないな・・・
そんな風に思いました。

私の心の中で本当に決まっていたのだとすれば、カウンセラーに何を言われようと、私はやり直すことが出来ないと言うことが出来たのかもしれません。
私は、それを言うことは、カウンセラーを否定することになるかもしれないと怖れていました。
そうやって自分の気持ちをあやふやにさせていました。
自分の気持ちには寄り添うことが出来ないのに、他の人のことばかり考えていました。

私の中で自分を一番に考えることは、どうしても許されない行動でした。
自分勝手だ、わがままだ・・・そんな風に自分を非難してしまう。
誰かを傷つけてしまうかもしれない、そればかりを考えていました。
頭では自分を中心に考えているつもりでも、無意識の思考は、自分ではなく他者を中心に捉え、そのことにすら気がつけずにいました。

でも、1週間、色んな出来事があり、自分の一番の理解者であるのは自分なのだと心から感じることが出来るようになったことに対して、カウンセラーは認めてくださり喜んでくださいました。

カウンセラーの言われることが、わからないうちは自分を否定されたり、非難されているように聞こえることが、心にすっと入ると、本当の意味がわかるようになります。
私のそんな態度に揺れることなく、根気強く見守ってくださることに感謝です。

これから行動を起こすに当たって、私と子どもの身の安全を守ることを考えていかなければいけないと言われました。
一つ、一つ、乗り越えなければいけない壁があります。
でも、このままの生活を続けるのは苦しい。
それが正直な気持ちです。

一つは離婚すること。
そして、この家を慰謝料としてもらうこと。
子どもとの面会の条件は、カウンセリングを受けること。
この3つを手に入れたいなと思っています。
誰になんと言われてもかまわない。
どんな方法を取っても、ひどいと言われてもいい。
それだけは、手に入れたいと思います。

「先生は無力だと言われたけど、私は無力じゃないよ。」
心配される先生にそう言いました。

「僕は無力だけど、精一杯応援してるから・・・」

「その気持ち、届いてるから・・・」
そんな風に伝えました。

応援してもらえること、何よりの力です。
誰かが私の代わりになることも、私が私から逃げることも出来ません。
自分の力で乗り越えていかなければ、ずっとそこに止まっているだけなのです。
それが、いいか悪いかを決めるのは自分です。
誰かが決めるのではなく、誰かに決めてもらうのでもなく、
誰かの基準ではなく、私が基準なのです。
私が思うことを思うように、行動するしか道は開かれないのだと思います。

誰かのアドバイスに安心できたとしても、誰かのアドバイスに心が沈んだとしても、最終的に判断するのは私なのです。

先週、相談した方に、
「あなたはこの先、どうしたいの?」
そんな風に言われました。
私の心が、定まっていないのを見透かされたような気がしました。
でも、今は違います。
迷いがないと言えば、嘘になります。
でも、誰かのためにではなく、自分のために、誰かの言葉ではなく、自分の言葉で、自分の道を定めていきたいなと思います。

カウンセリング73

2007-04-18 15:46:56 | カウンセリング
被害届を出すことにしたことを話しました。
それが旦那に対してもいい方法だと思うと話したら、誰もが、それをきっかけにして回復に繋がるとは限らないし、一生ねこさんのことを恨み続けるかもしれないよと言われました。
出すのなら自分のために出して欲しいと・・・

でも、やっぱり私は自分のためだけには動けません。
ただ、それを旦那に期待するのではなく、祈りに似た気持ちでいます。
旦那を信じようとする気持ちは、過去、自分が旦那を選んだことを信じたい、結局のところは自分のためなのだと思っています。

これによって、旦那が変わろうと変わるまいと、底をつこうがつくまいが、恨もうが恨むまいが関係ない。
ただ、私は、旦那が気付いてくれることを祈っていたいのです。

私が、この1年半、別れることも、話し合うことも何も出来なかったのは、やはり心の奥底で、旦那自らの行動を待ち続けたのではないかと思うのです。
やり直せないにしても、旦那の行動を待っていたかったのだと思います。
私は、DV加害者の更生プログラムについても興味を持ちました。
それは、旦那に立ち直って欲しいという心の叫びだったのかもしれません。


ねこさんが、被害届を出すということは、とっても大きな出来事なんだと言われました。
まだまだ、社会はDVの問題を受け入れていないこと、法律は出来ても形だけのものであること、深刻かつ微妙な問題であるのだと言われました。

「僕は、ねこさんの地域に住んでいるわけでもないし、守ってあげることも、一緒に行動することも出来ない。
 無力だ。」とカウンセラーは言われました。

カウンセラーは、私の地域で無力だとしても、私は、無力ではない。
今まで、自分が築いてきた人間関係を信じてみようと思いました。
みんなに少しずつの力を借りようと思いました。
小さいけれど決して無力ではない。

今までの自分を信じ、仲間を信じ、進んでみようと思います。
もし、上手く進まなかったにしても、それは無駄ではないことを信じて、進んでみようと思います。

色んなことに備えて、ブログの記事を非表示にしたり、移転をすることもあるかもしれません。
いざとなった時、ブログそのものを削除しなければならないかもしれないと思っています。
もし、突然に記事が、ブログがなくなっていたのなら、そういう事情です。

ブログの題「私が離婚を決めた理由」これだけはそのまま使おうと思っています。
そして、どうなっても結末は書きたいと思っていますので、ブログが消えても、興味があったり、今後の参考にと考えられている方は、「私が離婚を決めた理由」で検索していただけると、出てくるのではないかと思います。

古くから読んでくださっている方は、事情もご存知だとは思いますが、届出をすることは、私と旦那だけの問題では終わらない、そこには、また別の大きなものとの戦いもあります。
私の行いを、別の力で止めようともしてくると思います。
決して楽な道ではありません。
途中で挫折するかもしれません。

だからこそ、私のためとは思いたくないのです。
子どものため、旦那のため、
同じように苦しんでいる人のため・・・・
共依存が抜けていないといわれようと、私は、みんなの力を借りて向かっていこうと思います。


カウンセリング72

2007-04-11 16:55:41 | カウンセリング
今日から、カウンセリングは45分。
色々なことがありすぎて、何を中心に話せばいいのか考えてしまいましたが、不審者の訪問と、写真の貼り付けのことを話しました。
もし、旦那の犯行であるとするならば、この後も続くこと。
そして、それが続けば続くほど、いい状態ではなくなることを指摘されました。

もし、調停などで話し合ったところで、生活費を入れていることや、子どもと逢いたいのに逢わずに我慢している自分主張し、自分の非を認めることがないだろうと言われました。
旦那の外面のよさなどからすれば、第三者の前で、自分がしてきたことを認めない限りは、自分が悪かったとは言わないかもしれない。

関係再調整が目的ではなく、第三者に旦那の病理性を判断してもらう形で、カップルセラピーという方法を取るのが一番いいのではないかと言われました。
旦那が自分を正当化しているファンタジーから抜け出すことが必要ではないかといわれました。
そうしない限り、養われている事実、証拠にならない揺さぶりを打破するには、その方法が一番ではないかと言われました。

まだまだ、旦那と同じ部屋に存在する自分を想像することが出来ません。
けれど、今回のことを弁護士に相談したり、地元のカウンセラーとも話をして、カップルセラピーまたは旦那のセラピーに繋がることを考えてみたいと思います。



カウンセリングの後、防犯ビデオを見せてもらいました。
でも、不審な人物は映っていませんでした。
防犯カメラは完全に設置してあるのではなく、ゴミ出し用の鍵が必要である出入り口付近が死角になっており、そこから出入りした場合は映りません。
それと、貯水タンクを登って進入した際も映りません。

ただ、物取りなどの不審者が家人の様子を確かめるためにインターホンを鳴らしたのであれば、インターホンに出た時点で、続行することはないのではないかと思います。
そこが死角だと知っている者、防犯ビデオを見られることも考えての犯行じゃないかと思います。
ただ、そこが死角であることは住人である私には知りえないことでした。
そういうことを熟知したものであれば、可能です。
旦那は、前理事長を務めていたので、防犯ビデオを見たこともあり、それが可能です。

あくまでも、可能性の問題だけで証拠がない限りは、限りなく黒に近い白ということです。
これまでのことを話した私の妹は、そんなことするようには考えられないと言います。
身近な人間でさえ、私の想像を否定してしまうような旦那の評価です。
それを打ち破ることが出来るのか、ちょっと不安になってきました。

ただ、今までと違うのは、そんな私のことを見守ってくれる多くの友達がいます。
近くに住むパパ友達も、何かあったら電話でもメールでもして、男衆で守ってあげると言ってくれます。
一人じゃないと思えることは、どんなに心強くさせることなのでしょう。
だから、私は負けないし、巻き込まれない。
強い気持ちを持っていたいと思います。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング71

2007-03-29 00:30:12 | カウンセリング
他の方のブログで、旦那との関係を思い出し、夜眠れなかったことを話しました。
久しぶりに感情が噴出しました。
心の底の叫びは、
「ようやく、私だけを見てくれるひとを見つけたと思ったのに・・・」でした。

二人の関係が近くなれば、近くなるほど、遠ざかっていく。
付き合い始めた頃は、私との関係を最優先していた旦那。
最初のうちは、うっとおしくてたまらなくて、でも振り払っても、振り払っても追いかけてくる姿に、こうやって、愛されてる方が幸せなのだと思い始めました。

今までの恋愛で感じていた引き裂かれるような痛みも、恋しさも感じない、ただ一緒にいて楽しい、そんな関係に、結婚するのはこういう人なのだと思っていました。
ありのままの私でいても、この人は、私を愛してくれるのだと思い込んでいました。

でも、結婚が決まる頃になると、私との関係よりも、仕事や友達が優先になり始めました。
それでも、人を大切にする気持ちを快く感じていました。
結婚し、それがだんだん違って見え始めました。
どんな時でも、家族の順位は一番最後でした。
自分がしたいことが最優先。
自分が最優先。

家族の病気、怪我・・・
トラブル・・・
何があっても、優先順位は最後でした。
普段は、最後でもいい。
困った時、辛い時には、優先して欲しかった、助けて欲しかった・・・
でも、それを求めれば、求めるほど、溝は深まるばかりでした。

成り立たない会話。
将来を二人で話し合うことすらありませんでした。
話でも通じない。
話し方を変えても通じない。
心の傷は、だんだん深くなるばかりでした。


「今の結婚観ってどうなの?」
そんな風にカウンセラーから質問されました。

「同じ空間の中に一緒に暮らしているということ。
 お互いが、自分を好きになれるように、支えあうこと。」
そう答えました。

先生「情緒的な面では?」

私「今まで、期待しすぎて、辛かったから、求めたくない。」

先生「旦那みたいな人を選ばなければいいんじゃないの?」

でも、やっぱり結婚生活において、それを求めようとは思えませんでした。
ここで、カウンセリングの時間が終わってしまいました。

カウンセリングが終わって考えてみました。
もし、相手が、カウンセラーだったら、Kさんだったら、私は、情緒面で依存したいと思うのだろうか?
答えは、ノーでした。

旦那との関係が上手くいかなかったのは、旦那だけの責任とは思えないからです。
それを認めたくなくて、旦那のせいにばかりしていたような気がします。
でも、旦那の行動をひどくさせてしまったのは、やはり私との関係性もあったからではないかと思うのです。

「あんたみたいにわがままな人はおらんよ。」母の言葉
「お前とじゃなかったら、上手くいっていた。」旦那の言葉

一緒に暮らしていて、情緒面で依存してしまえば、相手が誰でも、同じような関係性になってしまうのではないかと思ってしまうのです。
近づくのが怖い。
今までと同様に、男性と付き合うことが出来たとしても、同じ空間の中で、結婚生活において、ありのままの自分をさらけ出すのは、怖いのです。
もうこれ以上、傷付くくらいなら、心を開きたくはないと思ってしまうのです。

普通の友達としての関係においては、今までよりも、心を開いて付き合うことが出来るようになったけれど、いざ、同じ空間での生活、寝起きを共にして、ずっと一緒にいると考えると、私は、今のままが一番だと感じてしまうのです。

そして、旦那のことも怖い気持ちは抜けきれていません。
似ている人を見るだけで、うずくまってしまいそうになるし、逃げ出したくなります。
ただ、その感情を引きずってしまうことはなくなったけれど、一生逢わなくてすむならそうしたいと思ってしまいます。

離婚しようとしないのは、逢うことが嫌だからもあるのかもしれません。
それと、もう一つ。
何のために、旦那と知り合い結婚したのだろうと思うことです。
今、自分を見つめることになったきっかけは旦那です。
それだけのためなのか、まだ他に意味があるのか・・・
それを見極めてから、決断したいという思いもあります。

離婚したところで、子ども達の父親であることは変わりません。
縁が切れるわけではない。
それなら、今は自分としっかり向き合って、答えがわかってから決めてもいいのではないかと思っています。

旦那との関係を見つめることは、やはりまだ辛いです。
求めても満たされなかった思いが、後から、後から噴出してきます。
ただ、少しだけ、そんな自分の感情をコントロールすることが上手くなりました。
以前は、噴出してしまう感情を、無理矢理引きずり出してしまったり、感情を止めることが出来なくなったりしていましたが、それを上手くかわすことが出来るようになったような気がします。
とは言っても、一度溢れ始めた感情を完全に止めることが出来なくて、何かの拍子に、出てきては涙がこぼれてしまいます。
当分は、こういう状態と付き合わなくてはいけないようです。


今日は、突然友達が訪ねてきてくれました。
東北に嫁いでいる短大時代が帰省し、こちらに住んでいる友達夫婦と食事に出掛けた帰りに寄ってくれました。
卒業して来年で20年。
それでも、私のことを忘れずにいてくれることとても嬉しく思いました。

明日は、北海道に住む同業者と食事に出掛けます。
最初は、ネットで知り合い、メールのやり取りをし、今回で逢うのは3度目です。

私は、今までのように、寂しさを感じることも少なくなったし、そして、自分だけを見て欲しいなんて思いません。
人との付き合いが下手だと思っていたし、友達も少ないと思っていたけれど、こうやって色んな人に見守られていること、心の中に存在していることを感じています。
そして、過去に私が欲しかった言葉を誰かに与えられる人になれたらいいなと思っています。
以前は、人に良くしてあげたら自分に返ってくるなんて思っていたけれど、そんな見返りも考えません。
ただ、私が欲しかったものをあげたい。
過去の私のような人に、少し楽な気持ちになって欲しい。
その人を救いたいと思うのではなくて、その人を救うことは出来ないけれど、少しでも苦しみをわかって、寄り添っていたい。
そんな風に思います。

「ねこさんといると安心できる」
先日、友達がそう言ってくれました。
私は、何倍ものプレゼントを貰ったような気持ちになりました。


癒されている面、まだ癒されていない面。
変わっていった気持ち、まだこだわり続けている気持ち。
私の中には、まだまだ両方が存在します。
そして、辛い部分には、蓋をし続けていたいと思う気持ちもあります。
それでも、変わっていった自分を感じることが出来るから、まだまだ変わりたいと思います。
まだまだ自分を見つめていたいと思います。




ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング70

2007-03-20 00:00:19 | カウンセリング
口唇期の問題を先週に続いて話しました。
頬が、じんわりとした温もりを感じることを求めていること。
直接の皮膚と皮膚との接触。
それはまさしく、母乳を与える母と赤ちゃんとの関係だと思うこと。
卒論小説の中にも、それが描かれていること。

「だから、ホテルに行っても、エッチをしないんだねぇ~。」
なんてカウンセラーから指摘をされました。
私が男性を求めるのは、セックスではなく、キスやそういう感覚的なものだと思います。

「旦那は、女性をハンティングしてる人でしょ。
 風俗に行ったりするくらいだから、ハンティングだよねぇ。
 ハンティングしてる男性は、冷たいというか、エッチが終わると、さっさと別の行動に移ったりしてしまわない?」とカウンセラー。

「どうしてわかるん~。」と私。

ハンティングする人は、女性を征服することで、癒されるのだと言われました。
でも、本当に癒されているのではなく、そうだと思い込んでいる、アディクションで、実際には埋まらないのだと言われました。

まさにその通り。
ずっと、結婚生活の間、そのふれあいを求めても、求めても与えられることはありませんでした。
セックスが苦痛でたまりませんでした。

旦那にとってのセックスは、性的な快楽を得る行為でしかなく、私が求めるものとは180度異なっていました。
旦那にとってのセックスは、いかに自分のテクニックを見せ付けるか、それだけしかなかったように思います。

私が、旦那とやり直したくないと思っている大きなポイントでもあるかもしれません。
私は、どうしても、あの温もりを手に入れたい。
でも、それも、アディクションに過ぎないのかもしれませんが、その思いがあるうちは、旦那とのスキンシップは取れないと感じてしまいます。

結婚生活の中でもまた、私は、このまま、こんなセックスしか出来ないまま、一生を終えるのかという思いがありました。
私が求めるのは、快楽ではなく、安らぎに過ぎなかったからです。

誰かに抱かれたい思いは、快楽的なものによって溺れたいのではなく、むしろ、子どもが母の胸に安らぎを求めるものと同じだったのでしょう。
5歳になる長男は、時折、抱っこを求め、少し抱っこするだけで安心して遊び始めます。
10歳の次女も、寝る前や、悲しい出来事があった時には、抱きしめてといいます。

でも、私は、5歳を迎える前に、それを辞めてしまいました。
お姉ちゃんだからという言葉によって、求めることが出来なくなりました。
口に出せない想いを、飲み込んで、飲み込んで、飲み込み続けて、初めて、男の人の胸に抱かれた時に、その想いを止めることが出来なくなってしまったのでしょう。

そして、その欲求は止められなかった。
傍にいるのに与えてもらえない、そんな怒りが旦那に対してありました。
寂しくて、寂しくてたまらなかった。
目の前にいながら満たしてはもらえない想い。
どうせなら、目の前からいなくなって欲しかった。

「あなたといると、一人でいるよりも寂しい。」
私は口にしたことがありました。
ずっと、ずっと寂しかった。

でも、今は、寂しさを感じることは少なくなりました。

布団で眠っている長男の横に滑り込む時の幸せ。
子ども達を抱きしめる、それだけで温かい気持ちになれます。

渇望ではなくなったけれど、まだ抱きしめられることの幻想みたいなものは渦巻いています。
きっと、この感情は、ずっと共生していくしかないのでしょう。
でも、悲しい時、辛い時、そっと寄り添い合える関係でありたい、それは人間として当然の依存ではないかと思います。

旦那は、すべて一人で処理していくものだと思っています。
そうするしかなかったのでしょう。
でも、私は、そんなのは嫌なのです。
しかたなく与えられるのも、しかたなく寄り添われるのも嫌なのです。
お互いが、そっと寄り添い合えるような関係が欲しいのです。





ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング69

2007-03-15 00:40:36 | カウンセリング
今回、カウンセリングがとても楽しみでした。
以前は、楽しみというよりも渇望で、痛みを伴っていたのに対して、とても楽しみなのです。
遠足の前の夜の子どもみたいに、昨夜は夢を見ました。
カウンセリングの時間を忘れてしまうという夢でした。

今までの恋愛と同じように、カウンセリングの時間を渇望し、なおかつ満たされない思いがあり、電話を切るのに痛みを伴う感じでした。
でも今は、わくわくするような、そんな楽しみです。
その気持ちを話すと、カウンセラーも楽しみにしていると仰ってくださいました。

以前なら、カウンセラーだからそんなことを言うんだと思ってしまっていたのかもしれないけれど、心地よく受け止めることが出来るようになりました。
根気よく、受け止め続けてくれるカウンセラーに対して、信じられるようになり、そしてまた、その言葉に対して、過度に期待しないようになったのかなと思います。

私がありのままの自分を見せることに抵抗がないのは、恋愛感情を抱いていない男性に対してだけだったような気がします。
女性に対しては、嫌われたくないという思いも強く、また、女性同士の特有な関係を持つことが苦手なこともあり、女性同士の付き合いは、逆に男性同士の付き合いのようなサバサバとした関係しか築けていないかったかなと思います。

カウンセラーに対しても、恋愛感情に似た感情を抱いていたこともあって、セックスの話題に触れるのは極端に恥ずかしかったし、恋愛についても語ることに対して羞恥心を抱いていました。

今は、今まで自分の作っていた壁を打ち破ることが出来たのか、少しずつ、他人との距離の取り方や、安心できる関係を築きやすく、またありのままの自分を出せるようになっていると思います。


キスについて話しました。
前々回のカウンセリングで、恋愛の始まりのきっかけの話の中で、なんとなくキスをしてしまうという話をしました。
色々と考えているうちに、私自身が、キスに対して何か特別な感情を抱いているというか、求められると拒めない魅力をキスに感じているような気がしました。
キスをすることで、快楽を得、自分の感情をコントロール出来なくなるような気がします。

ふと、思いついたのが、フロイトの性的発達段階の口唇期でした。
私は、母の母乳が足りず、ミルクが嫌いで吐くという行為を繰り返していました。
そのため、空腹で泣き続けていたらしいのです。
何か、関係があるのではないかと感じたのです。
異性の親との関係が上手く結べないと、恋愛依存になりやすいのではないかと感じることも話しました。
妹も、私と同じような性格で苦しさを持っていますが、妹の場合は、不安神経症といった症状で、恋愛依存には陥っていません。

口唇期の愛着障害としては、摂食障害などの症状が出やすいらしいのですが、私の場合、多少の過食が見られるだけです。
カウンセリング中には、思いつかなかったのですが、貧しくて食料が充分になかったことや、もったいないという意識も強かったこと、そして何より、摂食障害が始まる時期に、性体験を先にしてしまったことで、そちらに流れてしまったのではないかと思います。

無理に原因を突き止める必要性はないのかもしれませんが、自分の心を実験台にして心理学が学べるので、色々と自分との関連性を引き出して見つめてみたいなと思っています。

最後に、職場で抱えていたトラウマについて話しました。
先日、久しぶりに怒りの感情が沸いて来ました。
でも、それは、目の前に起こった出来事だけではなく、過去の感情も呼び起こしていることを感じました。

職場で、あまりにも見過ぎてしまった社会の裏側。
正しいことをすることが出来ない苛立ち。

私の中では、ある程度は気持ちのの整理がついている問題ではあったのですが、外では話しにくい内容だったので、話してみました。
話すことによって癒されるという経験を何度もしてきたので、少しでもトラウマは小さくしていきたいな、と思っています。

それと同時に、自分がその出来事を体験した理由、それを体験することによって、何を学べばよいのか、それをどう生かせばいいのか、気付きたいと思っています。

私は、女性が持ちうる多くの問題を、たくさん体験して来ました。
そして、自分がその時欲しかったものを与えられる人になればいいなと感じています。

人よりも多く見てしまった、社会の裏側の部分。
それは、どう受け止めればいいのか、まだ私の中では処理し切れていません。
物事が起こってしまった本当の意味を受け止めた時、本当の意味で、それを受け入れることが出来るのかなと思っています。

毎回、変わったねぇ~とカウンセラーが仰ってくださいます。
安心して話が聞いていられるよと・・・
ふつふつと湧き上がる、怒りや苦しみや痛みや叫びが少なくなりました。
あれは、なんだったんだろうかと、でも、あの状態は辛かったけれど、傷を癒すために必要なプロセスだったのだと思います。

かさぶたを作ることは出来ても、完治することはなく、ちょっとした衝撃で血を流し続けていた私の心。
そしてそのかさぶたは、小さくなるのではなく、だんだんと大きくなっていました。
本当は、その膿を出し切ってこそ、傷は治るのだと思います。
膿を出すのはつらい。
でも、何度も血を流し続けることよりも、楽になれるのだと感じています。
そして、血を流している時が、膿を出すチャンスでもあるのかなと思います。

フラッシュバックして、色んな思いが噴出す時、その傷を癒す、絶好のチャンスでもあるのかなと思います。
慌てて傷口をふさぎ、かさぶたを作ってしまうよりも、膿を出しきる。
今は、そのかさぶたがポロポロとはがれ落ち始めているのを感じています。

まだまだ、心の奥底には、かさぶたが潜んでいるかもしれません。
それを考えると怖いです。
また、あの苦しみを味わうのかと・・・
でも、もう一人じゃない。
それを見守ってくれる、仲間がいる。
たくさんの勇気をいただいています。


ブログを読んでくださる皆様。
いつもこんな私を見守ってくださってありがとうございます。
一緒に、傷を癒しながら、成長できるといいなと思っています。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。




ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング65

2007-02-14 16:33:53 | カウンセリング
一週間辛かったことを話しました。
精神的にはそこまで辛くないのに、身体がしんどいこと、引きこもっていたいと思うことを話していきました。

「1年半掛かって一番病んでいた膿の部分を出し始めたんだから、辛くなって当たり前だよ。
 引きこもっててもいいんだよ。
 猫だって、悪いものを食べたら、3日くらい寝込んでるよ・・・」
そう言われました。

私の中核信念として
「自分はダメだ。」
「人に迷惑をかける。」
という考え方の癖みたいなものがあって、
良き妻、良き母であることの承認を他者に求めていた。

カウンセラーとして、再構築して欲しいとも、して欲しくないとも思わない。
でも、ねこさんは再構築も出来る人だと思うよ。
男友達の一人くらいの気持ちでもいいのではないか・・・
そんな風に言われました。

友達だとしたら、付き合いたくないこと。
今までこういうタイプの人を見たことがないと思うくらい変わっていると思うこと。
他の夫婦の関係と照らし合わせても、今までの自分達の関係が変だなと思うこと。
今は、まだ向き合う気持ちになれないことを話しました。
そして、一緒にいれば、巻き込まれてしまいそうだと感じてしまうこと。
自分が元に戻ってしまって、苦しい思いをするのは嫌だと思うことを話しました。

以前のねこさんとは違うから大丈夫だよ。
そんな風に言われましたが、旦那の言葉に振り回され、傷付くのは怖いです。
振り回されるのも、傷付くと感じてしまうのも、私の中に問題があるのだとしても、その傷を癒されずに、傷口を開かれるのは嫌なのです。

カウンセラーの優しい言葉や、周りの人間関係が良くなれば良くなるほど、旦那との関係が苦痛になってしまう。
もうあの場所には、戻りたくないと感じてしまうのです。
価値観の違いから、色んなことが学べることは頭ではわかっているのですが、たまに会う友達ならまだしも、同じ屋根の下で暮らす勇気はない。
長男よりも、聞き分けもなく自分勝手な子どもが一人増えると思うとうんざりしてしまう。

旦那が何を言っても、平常心でいられるようになっても、心地悪い言葉や態度をされ続けることは、普通の感覚を持っていたとしても、やっぱり辛いのではないかなと感じるのです。



色んな方に今の状態を心配していただいて嬉しく思います。
たくさんのコメントやメールありがとうございます。
記事に出来ていないのですが、私の中で、過去が変わり始めています。
自分のことを好きになれなくて、封印してしまっていた高校時代。
最近になって色んな出会いがあって、色んなことを思い出して、キラキラと輝き始めています。

絶対に参加しないと思っていた同窓会も、そろそろ参加して、当時の仲間達と話がしたいなと思っています。
あの頃を、笑い飛ばせたり、懐かしく語ることが出来るようになったんだなと思っています。
大嫌いだったあの頃の自分、消してしまいたい過去だと思っていたのに、愛おしく、そしてとても大切な宝物に思えてきました。

こうやって、少しずつ過去が形を変えて見え始めたことは、自分を見つめ始めたことのご褒美のようにも感じられます。
過去の封印を解こうとした時に、本当に、色んな出会いが私を包んでくれました。
そして、一つ一つ、自分を取り戻せていけているような気がします。

過去があったから、与えられた、たくさんの今の出会い。
そして素敵な言葉達。
私の歩いてきた道は、間違っていなかったのかもしれないな。
きちんと歩んできたんだなと感じています。

まだまだ、辛い毎日です。
でも、この場所で、たくさんの方と知り合い、見守っていただけることも、私にとっては大切な宝物であると思っています。
本当にどうもありがとうございます。
そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。









ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング64

2007-02-07 14:05:19 | カウンセリング
診察台の上で感情が噴出してしまってからは、ちょっと自分の感情と向き合うことに臆病になっています。
昨日も、ミーティングに出掛けましたが、今一番辛い思いを語ることはどうしても出来ませんでした。
どれくらい自分の感情が溢れるのか、想像がつかないこともあって、触れることが出来ませんでした。
ミーティングは、私にとって安心して自分を語れる場所ではあるのですが、ミーティングから家に帰るまでの間は、私にとって安心できる場所ではありません。

それでも、ミーティングで自分の思いを語り、自宅に着くと、身体が鉛のように重くなり動けなくなりました。
今、心と身体は連動していて、心に負担が掛かると身体が動かなくなってしまいます。
これは、最近起こったことなのか、ずっと前からそうだったのに感じなかったのかは定かじゃありません。
ただ、以前のようなわけのわからない発熱や腹痛、頭痛に襲われることは少なくなったような気がします。


今日のカウンセリングでは、最初に、診察台の上で溢れてきた気持ちを語りました。
その感情はどうして生まれてきたのか?
どのような気持ちなのか?
感情を詳しく見つめていきました。

カウンセリングで先週話をしたことによって、過去の診察台での思いが蘇ったと思うこと。
恨み、憎しみは、今も旦那に支配されているから生じるものではなくて、過去の私の思いであること。
どうして私ばかりが辛い思いをしているのか、他の女性と比較して思うのではなくて、旦那に対してそう思うこと。
死ねばいいのにと思うこと。
無残な思いをして死ねばいいのにと思うことを話しました。
もし今、私が感情に任せて、旦那を殺してしまったら、やっぱり切り刻んでしまいたくなるかもしれないと思いました。

2回の流産後、どうしてもこの子を産んでやりたい、抱きたい・・・
そう思って、旦那に土下座をして、もう一人産ませてと頼んだこと。
妊娠中、長女は小学校に上がり、生活も変わり、つわりもひどく、単身赴任中に旦那に帰って欲しいと頼んだら、
「お前が欲しいと言ったんだろう。」と言われたこと。

妊娠中に、もう旦那とはやっていけない、離婚したいと思ったこと。
それを両親や妹に話したら反対されたこと。

子育ての大変さを訴えたら、
「お前は、子どもが嫌いだから、そんなことを言うのだろう
 お母さんは、お前らが邪魔なんと・・・」
そうやって子どもの前で言われたこと。

旦那にそう言われて、そんなことないと否定しながらも、子どもが可愛く思えないことも時々あって、旦那の言うとおりなのかもしれないと思ってしまったこと。

他の人に話したら、よくあることで終わってしまいそうなことだけど、それが毎日のように繰り返されると苦痛で仕方がなかったこと。
でも、それを説明してもわかってもらえないから、DVだと言っていること。
身体に受ける傷や痛みは、そんな毎日の生活に比べたら、たいしたことはないと思っていたこと。

一生懸命、夫婦として上手くやっていきたいと、積み上げても積み上げても、積み上げる端から壊されていく感じがしたこと。
働きに出ていた時には、その生活から逃れられていたけれど、仕事を辞めてからは、その生活から逃れられなくなってしまったこと。
友達はみんな働いていて、その友達と話をしたいと思っても、夜は出掛けさせてもらえなかったこと。


べき思考であること、自己否定感が強いことによって、周囲の強い主張によって巻き込まれてしまっていたのではないかと言われました。
旦那からだけではなく、両親や妹からも、私がわがままだからと言われると、私が悪いから上手くいかないんだと思ってしまっていたこと。
それは加害妄想だと言われました。

常に、自分が居なくなれば上手くいくのではないか、周りは幸せになれるのではないかと思っていて苦しかったことを話しました。
今は、これでもいいかと思えていること。
でも、今まで出来ていたことが出来なくなっていることに対して、やっぱり自分を認められないこと。

そして、それを認めてしまったら旦那と同じような人間になってしまうのではないかという恐れがあること。
約束も時間も守らず、自分が食べたい時に食べて、寝たい時に寝て、周りの人のことも気にせずにいて、私が嫌だと思っていた旦那と同じで、もしかしたら旦那はちっとも間違っていなかったのではないかという気持ちになってしまうのだと話しました。

先週の、アサーティブネスも旦那が出来ていたことばかりで、旦那が出来ていて、自分が出来ていなかったから上手くいかなかったのではないかと考えてしまうこと。
罪悪感を持たなくてもいいと言われていたけれど、本当にこの人は他人に共感する気持ちも罪悪感もないのではないかと旦那に対して思っていて、そういう風にはなりたくない思いがあるのだと話しました。

単なるわがままや自分勝手とアサーティブネスは違うよと言われました。
旦那は自分の権利ばかり主張して、それに付随する義務は果たしていなかったと思うのですが、まだまだ二分律的な思考から抜け出せずにいます。

カウンセリングが終わって2時間、それ以上感情が溢れないように、逃避してしまいました。
出来るだけ、何も噴出さないようにゲームに没頭したり、お菓子を食べ続けたり・・・
心が感じやすくなった分、今までの感情と向き合うのは苦しいです。
このまま逃げてしまいたくなります。




ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング63-2

2007-01-31 15:28:09 | カウンセリング
カウンセリング63-1

「自分の問題」と「相手の問題」の話になると、私は、まだよくわからなくなってしまいます。
自分の行動が起因して、相手を傷付けたのであれば、謝る必要があるのではないかと思ってしまうのです。

相手が勝手に傷付いたという解釈を旦那はよくしていました。
「お前が勝手にそう思ったんだろう。」
「責めるお前が悪い。」
「自分の問題」を「私の問題」に摩り替えられてしまっていたように思うのです。

相手を思いやらないことは、いけないこと・・・
と罪悪感を感じてしまう私と、
自分を守って当たり前・・・
と相手に罪悪感を与える旦那。

「相手の問題」としてしまうことは、旦那と同じ人間、同じ考え方になるのではないかと思ってしまうのです。

アサーティブネスの12の権利というものを教えていただきました。


アサーティブネスの12の権利

① 私には日常的な役割から、自立した一人の人間として自分の物事の優先順位を決める権利がある

② 私には賢くて能力のある対等な人間として敬意を持って扱われる権利がある。

③ 私には自分の感情を言葉で表す権利がある

④ 私には自分の意見と価値観を述べる権利がある

⑤ 私には「イエス」「ノー」を自分自身で決めて言う権利がある

⑥ 私には間違う権利がある

⑦ 私には考えを変える権利がある

⑧ 私には「分かりません」という権利がある

⑨ 私には欲しいものを欲しいと言い、したいことしたいと言う権利がある

⑩ 私には人の悩みの種を自分の責任にしなくていい権利がある

⑪ 私には周囲の人から認められることを当てにしないで、人と接する権利がある

⑫ 私にはアサーティブでない自分を選択する権利がある。


日本は、まだまだ人権意識がなくて、ないことにすら気付いていない人も多い。
DVなど、虐げられている人が多く、虐げられても当然という教育がされている。
この権利が保障されている時、同時に相手の権利も受け入れることが出来るのだと言われました。

大きく紙に書いて、どこかに貼って、毎朝晩唱えなさいと言われました(笑
自分を受け入れて初めて他人も受け入れられる。
自分を責めているうちは、人を責めてしまうのだと言われました。
なかなか『赦し』は難しいです。



参考
アサーティブネスとは「自己主張をすること」という意味であり、1970年代のアメリカ女性解放運動で提唱された思想です。女性の社会的地位がまだまだ低い時代、同じ人間として対等な価値ある存在として認めてあっていこうという理念の下に提唱されてきました。
 日本ではまだまだ「自己主張すること」を自分の意見を何が何でも押し通す行為として、集団の和を乱すわがままな行為や生意気な行為と受け取る人も多いです。しかしアサーティブネスでいう「自己表現」は、相手の権利を侵すことなく、自分の気持ちや意見を、誠実・率直・対等・自己責任の4つの原則の下で、表現することを意味しています。まずかけがえのない自分を認め、愛し大切にする中で、同じくかけがえのない相手を大切な存在として認めていこうという姿勢がアサーティブネスでは大切にされています。




ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング63-1

2007-01-31 14:50:29 | カウンセリング
自分がブログを書くと同時に、たくさんのブログを拝読させていただいています。
夫と別れ、新しい人生を歩みだされている方、再構築をされている方・・・
私には、まだどちらの決断をすることも出来なくて、まだ迷っているのだと思います。
私の中で、もし再構築をするのなら、旦那にもカウンセリングを受けて貰って、もう一度人生を見つめなおして欲しいと思っていました。
まだまだ、自分の感情を手放すことが出来ていなかったのかなと思います。

価値観の違いや、認識の違いは、時に自分の中にあるこだわりに気付かせてくれるものだと感じました。
もし、再構築するのであれば、私の求めるべきところは、そこなのではないか、旦那が私と同じような気持ちになって再構築をすることを求めてはいけないのではないかと感じました。

今日のカウンセリングでは、そこから話して行きました。

様々なブログの中で、相手の不倫を取り上げたものが多く、私は不倫に対して自分が感じていた認識は、果たして正しいのか?
すべての人が自分と同じように感じているのか?疑問を持ったことから、他の場所で質問をさせてもらいました。

○ もし、あなたが、不倫をして配偶者に責められた時、どのような対応をしますか。
○ あなたが不倫をした時、相手が許してくれた時、どう思いますか?
○ 相手がいつまでも、そのことにこだわり続ける時に、どうしますか?

このような内容でした。
私は、相手を裏切るようなことをしたのだから当然だと思うし、相手が許してくれることに対しても感謝して、同じ過ちを繰り返さないように思うし、相手が信じてくれるように誠意を持って対処したいと思います。

でも、答えは色々でした。
私は、自分の考えを、家族に対しても持って欲しいと思っていました。
ただ、それは自分の押し付けに過ぎなかったのかもしれないと思いました。

そんな話をしながら、別居前にあったことをさかのぼって話していきました。
カウンセラーに話していたつもりだったのだけど、旦那との関係は、簡単に話しただけで、具体的なことは何一つ話していなかったみたいです。
このブログを始めた時は、離婚調停をするための資料作りも兼ねていました。
でも、書き綴っているうちに、自分の育った環境、自分の性格、そちらのほうに目がいき始めたのです。
だから、相談内容も、旦那との関係を見直すことではなくて、自分自身に焦点を当てて話していました。


別居のきっかけは、10日間、実家に帰宅していて、その間の郵便物が溜まっていたことでした。(別居の始まり
この記事を書いた時には、思い出すことが出来なかったのだけど、郵便物には様々なエピソードがありました。

長女が出産し、実家への帰省中に届いた親戚からのお祝いの現金書留は受け取られることなく、2度も親戚の元に戻って行きました。
単身赴任中、筆頭者の元に届けられてしまうシステムになっている市からの様々な書類は、そのまま放置され、長男の検診の書類や、保育園の書類が届かないこともありました。
固定資産税の納付通知書もそうでした。

親戚にお詫びをしたのも、それぞれ単身赴任先ではなく、自宅に届くように手続きしたのも私でした。
父親が居るにも係わらず、長男の保育園での保護者の欄は私の名前です。

そんな小さな小さな積み重ね。
本当は、小さな小さな積み重ねをして築いていくものなのに、そんな小さな小さな積み重ねが、二人の関係を壊していきました。

実家に帰る2日前にあった出来事。(忘れ物
私は、それでも、子ども達のためにやっていこうと思っていました。
旦那が悪いことをしたのだから、反省してくれるはず、誠意を示してくれるはずと私は、前述のように思い、期待していました。
でも、郵便物はそのまま、家の中もいつものまま・・・
この人は、何が合っても変わらないんだ、そういう人間なんだと思ったのが別居の一番の理由でした。

別居する前の半年間は、穏やかな生活でした。
だらしのない旦那を責めれば、暴力をふるわれる。
だからもう、旦那が何をしても見て見ぬふりをしていました。
お金さえ入れてくれれば、それでいいと思っていました。
期待するから傷付けられるんだと思っていました。
旦那が大声で怒鳴っても、自分が気にしなければいいんだと思っていました。

母に相談しても
「あんたが言い過ぎるから」と言われ、
妹に相談すると
「私は、○さんのこと大好きだし、本当のお兄さんみたいに思えるし、みんながいいお兄さんでいいねって言ってくれるよ。」と言われました。
旦那も私も妹も妹の夫も同じ職場でした。
義母からも、
「反省しているみたいだから、許してやって・・・」

私が悪いから上手くいかないのだと、私の我慢が足りないから上手くいかないのだと、私がもっと責めることなくおおらかな気持ちで居れば、上手くいくのだとそう思ってしまいました。


別居して、
「子どもが3人もいるのに、大変でしょう。」とよく言われます。
でも、旦那が居なくて大変だという意味が良くわからないのです。
金銭的な問題ならともかく、一人で3人を育てる大変さはわかりません。
長男の妊娠中から、3歳になるまで、私は一人で子育てしていました。
長男が数ヶ月の時、私は食中毒になり、抱っこしたまま点滴を受けたこともありました。
腹痛でうずくまっていても、「仮病だ」とまたがれ放置され、妹に助けを求めたこともありました。
怒鳴られ、暴力をふるわれる暮らしよりも、子どもが大きくなった今の方がよっぽど楽だし、幸せです。
一緒に居た頃は、何故自分ばかりと思っていたのに、一人だと自分でして当たり前と思えるから行動するのも楽になりました。

私が勤めている間は、まだ協力的な夫でした。
でも、それは私のため、子どものためではなく、自分の世間体のためだったのかなと思います。
職場結婚で、なおかつ私のほうが顔が広く、世間では妻の方が夫の付属のように言われることが多いかもしれませんが、その逆でした。
職場では、旦那は、ねこの夫として見られていたのです。
良き夫、良き父親を演ずることが、自分の職場での評価にも繋がると思ったのでしょう。

しかも、私が勤めている時には、給料の額もほとんど変わらず、階級的にも私のほうが上でした。
たくさんの人を知り、人間関係を築いていました。

私が、仕事を辞めたとたん、家庭放棄した状態になり、それを責めると、
「誰が食わしてやってるのか?」
「お前は、家に居るんだから、お前がすればいい。」
「わしが一番えらいんじゃ。」
そんな風に言うようになりました。

私が、自分のHPの中で、家族のことを書くのも極端に嫌いました。
職場の人たちが見て、それで色々言ってくるからやめろと・・・
「今度書いたら、パソコンをこわしてやる・・・」とも・・・


先生「それに対して、どうしたの?」

私「私も、人から色々言われるの好きじゃないから、そうかなと思ってやめた。」

先生「もし、今だったら、どうする?」

私「ごめんね。って言いながら続ける。」

先生「どうして謝るの?」

私「だって、自分は悪くないと思っていても、相手に嫌な思いをさせたのなら、謝らないといけないと思って・・・」

先生「自分が悪くないと思っているのなら、謝らなくていいよ。
   だって、嫌な思いをしているのは、相手の問題でしょ。」

・・・カウンセラーには言えませんでしたが、今まで、子ども達にも、
「いくら悪くないと思っても、相手は辛い思いをしたんだから謝りなさい」って言っていたのですが・・・・


長くなったので、分けて書きます。


ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング62

2007-01-24 16:17:52 | カウンセリング
今日のカウンセリングでは、整理したい部分がたくさんあったので、初めて、あらかじめ何を話すのか計画を立てていました。

最初は、恐怖心のこと。
直接旦那の存在が怖いのではなくて、自分は必要のない人間だとか、消えたいとか、死にたいとかそんな感情に陥ってしまうのが怖いのだと話しました。
そして、斎藤先生に、妄想は発育すると言われたこと、少しずつ会ったらどうかと言われたことも話していきました。

そんな感情に陥ることはないと思うよ。
今のねこさんなら大丈夫だよ。
いくら同じ事を言われても、そんな風にならないよ。
斎藤先生は、よく見ていて、大丈夫ではない人に対してそんなことは言わないよと言われました。

でも、今はそういう関係性から離れていたいこと、今後は自分を傷付けるような関係性に近づきたくないと思っていることを話しました。


それと、ここ1ヶ月に起こった出来事、それにより感じた出来事を話していきました。
カウンセラーとの関係性が、いつか終わってしまうのだと感じて怖いと話せ、それを受け止めてもらってから、色んな出来事があったこと。
今までとは違った関係性が、男性と持てていること。
「変わったね、男とか女じゃなくて対等な関係が築けているね。」と言われました。

そして怖いと感じていたカウンセラーとの関係も、例え終わりがある関係でも、縁があれば、何かに繋がるだろうという思いに変わり始めたこと。
カウンセラーに何を話しても大丈夫だという安心感を持てるようになったことを話しました。
形のある関係しか信じることが出来ず、目に見えない関係を否定してしまっていたけれど、本当は、その関係の方が大切で温かいものだったんだなと思います。

教会に行ったこと。
CDを送ってもらって、素敵な音楽に出会えたこと。
本を紹介してもらって、足りない自分にOKが出せたこと。
同じような体験をしている女性に出会えたこと。
それらすべては、人を介していて、色んな人に支えられている自分に気が付くことが出来て・・・

今までは、ただ一人の一つだけの愛情を求めてしまっていたけれど、愛情というのは、色んな人に与えて、与えられているものだと、ようやく感じることが出来たことを話しました。
自分だけを愛して欲しい。
もう、そんな愛情はなくてもいいかなと思いました。


嫉妬という感情についても話していきました。
「羨ましい」という感情があっても「妬み」という感情がないこと。
それを持たないから、他人の「妬み」という感情が理解できなかったり、「妬み」という感情が自分に向けられていても、なんで自分なんかを妬むんだろうと思ってしまうこと。
それが余計に相手を腹立たせるのだと、カウンセラーも話してくださいました。

私は、自分にないものをみんなが持っているような気がして、必死にそれを手に入れようと頑張って、でも頑張っている姿を見せたくなくて、水鳥みたいに、涼しい顔して、水面下で必死になっていて・・・
でも他の人から見たら、簡単に手にしているように見えたのかもしれないと話しました。

たぶん妹も、私が嫉妬の感情を持つこともなく、自分の姿に苦しんでいるでもなく、当たり前のようにしている私を見て、私だけが色んなものを与えられていて、自分は何一つ与えられていない気持ちになっていたのかもしれません。

私は、妹が生まれてから記憶のない2年間で、もしかしたら一生分の嫉妬という感情にもがき苦しんでいたのかもしれないけれど、嫉妬の対象である人に対して、嫉妬を持つこともなく、敬い尊重が出来ることは、ありがたいことなんだなと思います。
ねこさんのそういうところは、神様から与えられたものかもしれないねと言われました。


今まで、自分で感じることの出来なかったことを感じ、気付けなかったことに気付き、少しずつだけど変わり始めた自分を感じることが出来ること。
それが一番の進歩なのかなと思います。

来週から、何もなければ少しずつ、生育暦を語っていきたいなと思います。
まだまだ吐き出しきれていない部分もあるのかもしれません。
仕事をする上で、背負ってしまった傷や、世の中の不条理を少しずつ整理出来たらいいなと思っています。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


ワークショップ

2007-01-21 19:34:51 | カウンセリング
斎藤学先生のワークショップに参加してきました。
私は、旦那に対して怖いという感情がだんだん強くなっていくこと。
そして怖いという感情は、旦那に対してなのか、自分自身が旦那と接することによって色んな感情を引き出されてしまうのが怖いのか、わからないと話しました。
接触がある度に怯えてしまい、動かなくなってしまうので何とかしたいと話しました。

私の持つ恐怖は、根拠のない妄想で、放って置くと発育するものだと言われました。
それを断ち切るためには、それに慣らしていく必要があること、つまり、公共の場で逢うことが一番いいと言われました。
それを繰り返すことで、恐怖というものが薄れていく。
そういう行動療法的なものが必要だと言われました。

多少の問題があるにせよ、私が今までどおり生活が出来ているということに対して、もう一度関係を作っていくのが一番いいと言われました。
離婚するメリットとデメリットを考えた時に、メリットがある方が選択肢が多いのだと言われました。
選択肢が多い方が生きていきやすいのだと・・・
私の場合、収入の問題、子どもの問題を考えると、結婚を続ける方が、選択肢が増えることになるそうです。

逢って話をすることを考えただけで、怖いという感情が噴出してしまいます。
今までは、自分の気持ちの整理が出来ていけば、旦那への怖いという感情も薄らいでいくのではないかと考えていたのに、いくら気持ちは楽になっても、身体的には楽にはならない。

旦那だけではなく、それに関する人や場所すらも今まで以上に、避け始めています。
今までは、旦那を夢見て恐怖を感じていたのに、旦那の上司がいて、それを避けてしまうという夢を見るようになってしまいました。
パキシルは有効であるだろうという見解でした。

人は2歳くらいまでに、人間関係の辞書を作るそうです。
誰かがこういう行動を取った時には、こういう意味だというような自分なりの解釈をつけるようになるそうです。

そして怒りは、飼いならすことによってコントロール出来るようになると言われました。
自分がいい人だとは思わないこと、そして自分の中にある悪意や怒りを出してみるといいそうです。
例えば、一番憎い人を想像の中で殺してみる。
年賀状を見ながら、腹が立つ人に、出さない怒りをぶつけた手紙を書くなど、自分の中にある怒りを見つめることで、コントロール出来るようになるのだと言われました。

自分の中の怒りがコントロール出来ない人は、人から大切なものを貰っていない。
自分だけに向いてくれる人を持つことが必要だと言われました。
自分のすべてを受け入れてもらえる体験をしなければいけない。
女性であれば、男性のカウンセラーについてもらうのが良いと言われました。
そして、相手に全面的に受け入れてもらうということは、自分が相手を全面的に受け入れることだと言われました。

ここ1ヶ月、自分の中がとても楽になり、カウンセラーからも認めてもらえたのは、私がカウンセラーに対する不安が消えたことにも関連していると思っています。
それまでは、カウンセラーに対して、見捨てられ不安が消えず、心のどこかで関係性が危ういものだと思っていました。
でも、カウンセラーを信じられると思えた時から、少しずつ動き始めたように思います。

今朝、私の中で一つ整理できたことがあります。
私の恋愛は、母と妹と私の関係そのものでした。
私は、妹が生まれた時のトラウマを、ずっと恋愛で再現し続けていたのです。
そして、私は自分は愛されるべき存在ではないと思ってしまっていました。
妹を嫉妬することは、記憶がないのでわからないのですが、私にとって母から愛されないという誤ったメッセージを受け取ってしまったのでしょう。
「あんたが妹を欲しがったんでしょ。」ずっと言われ続けた言葉は、私の嫉妬の感情を抑圧していたのかもしれません。

斎藤先生の言葉を借りれば、私にとって、嫉妬心を表現すると愛されないという辞書が出来てしまっていたのです。
でも、私はこれでいいと思います。
嫉妬心に苦しむよりも、相手のことを尊重出来る方がいいなと思います。
今は、私の中で、嫉妬心を表現すると愛されないという意味づけは必要なくなったからです。

嫉妬心がある時には、それを押し殺す必要もないし、でも、嫉妬心がないからといって、それを考える必要もない。
過去の私は、嫉妬心を抑える必要はあったかもしれないけれど、私は、知らないうちに誰もが苦しむ嫉妬心というものを処理する能力を身に着けているのかもしれません。

先日、失恋したと書きましたが、それでも相手の感情には嘘がなかったのだと信じることが出来ます。
愛情というものは、一人にだけ注がれるものではなく、色んな人、例えば、友人や子どもや親などに注がれるものだと感じることが出来るようになったからです。

私は、母の愛情が妹だけに注がれているものと間違った認識をしてしまったことから、逆に、自分だけを愛して欲しい。
自分以外にも愛情を注ぐのは自分を愛していないからだと思ってしまうようになったのでしょう。

でも、私は色んな人からの愛情を感じることができるようになりました。
愛情は形ではないことを知ることが出来ました。
かつて、愛の形としてセックスを求め、結婚を求めていたような気がします。
セックスがなくても、自分一人を相手が見つめないにしても、愛はあるのだと、私はたくさんの愛を色んな人から貰って、生きているのだと感じています。
そして、本当の愛情は形なんかではなく、育んでいくものだと思えるようになりました。

旦那に対して、怖いという感情と裏腹に、私は一つの期待も持っています。
旦那がカウンセリングを受け、旦那自身が、私と同様、回復の道を歩み、自分の中の衝動性に気が付いてくれることです。
夫婦で、それが出来るのであれば、修復も可能なのではないかと思います。
ただ、それをしてくれたからと言って、修復できると約束出来るものではないかなと思います。

二人きりで、逢うことはまだ不可能ですが、その提案をすることから始めればいいのかもしれないと、このブログを書きながら、ふと思いました。
今まで、何度もカウンセラーから進められながら、受け入れることが出来ませんでしたが、もう一度、考えてみようと思います。


ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング61

2007-01-18 01:34:37 | カウンセリング
長男が喘息っぽい咳をしていたので、朝、診察券を出しに病院に行きました。
帰り、駐輪場に自転車を入れようとすると、玄関から出てくる人影が旦那に見えてしまいました。
慌てて、駐輪場に自転車を入れて隠れようとしたものの、旦那は自転車に乗るから駐輪場に来るんだと思い、足がすくんで動けなくなってしまいました。
駐輪場に入ってきた人を見ると、違う人で、私はへなへなとそこに座り込んでしまいそうになりました。

しばらくは動悸も治まらず、足もふらつき、呼吸するのもやっとの状態で、家に帰ってすぐ安定剤を服用しました。
長男を病院に連れて行き、帰ってすぐカウンセリングでした。
そんな中でのカウンセリングなので、話した内容すべてを、覚えていません。

ただ、そういった身体の状態であっても、気持ちが安定してきたことを話しました。
クリスマスに教会に行ってから、そういう状態になってしまう自分を許し、受け入れられるようになったことを話しました。
この1ヶ月のうちに、様々なことがあり、それらすべてが私を助けてくれている、そんな風に思えています。
「赦された」と感じてからは、自分で自分を咎めそうになった時に、「赦す」という言葉を思い浮かべると楽になれたことを話しました。

日曜日に行った教会でいただいたその日のお話の解説文の中に
「神は恵みの神であると同時に、試みを与えたもう神でもあります」と書かれています。
試練を与えることで、人間としての絶望に追い込まれ、自分自身の罪を悔い改めることが出来るのです。
人は自分に力があると思っている内は、決して神に頼ろうとはしません。
自分には出来る、力があると思っている内は、決して自分を超えることが出来ず、その中に囚われてしまいます。
人はどうして変わることが出来ないか、と言うと、罪を持つ自分に絶望していないからです。
神からの試み、苦難はそうした乗り越える事の出来ない自分を突き抜けさせてくれるのです。
しかし、その試練、苦難の中に神を見出すことが出来なければ、単に挫折と痛みに終わってしまいます。
苦難、試練は単にそれと戦うだけのものではなく、その中に座してよくそれを見つめると、その中に、主が居られる事に気が付く・・・

私は、それを体感したような気がします。
私が自分に気が付くために、神様から与えてられたものとして、受け止めることが出来るようになったと思います。

カウンセラーから、それがステップの1なんだと言われました。
自分の力ではどうしようもない、自分は自分に対して無力だと知ること、自分の苦しさを認めること・・・
頭でも、気持ちの上でもそうなんだと思いながら、最後のところで、まだ手放すことが出来なかったのだなと思います。
動かなくなった身体は、私にそれを教えてくれたように思います。

”しかし、その試練、苦難の中に神を見出すことが出来なければ、単に挫折と痛みに終わってしまいます”と牧師さんの話にあるように、二者関係に囚われていると出てくる感情は良くないけれど、神が何を学べと言っているんだろうと考えることによって、その人を恨まなくなるし、何を認知するかという癖みたいなものを考えられるようになると言われました。

私がブログを始めた頃は、自分の辛さを誰かに認めてもらいたかったんだなと思います。
自分の中では、自分の辛さを認めることが出来ず、誰かに自分を被害者だと、旦那が加害者だと認めて欲しいと思っていたんだと思います。
でも、他人と比較し、自分がされたことはたいしたことではないとか考え、自分を認めることが出来ませんでした。
今は、旦那が何をしたか、誰がどのように感じるかではなくて、今の状態が辛いこと、それくらい旦那に追い詰められたんだと自分自身で認められるようになったように思います。
誰が、なんと言おうと、私が苦しいのも確かだし、身体に症状が出ているのも確かで、自分が辛いんだということ、そしてそれは自分ではどうにもならないんだということ、そう思ってもいいんだと赦された気持ちになれたこと。
旦那に対しては、恨みの気持ちではなく、旦那との関係があったから私は多くのことを学べたんだと思っています。
ただ、それでも苦しいものは苦しいで切り離して考えることが出来るようになったように思います。

感情の変化のプロセスが大切なんだよ。
ブログやmixiの日記には、その変化がきちんと残されていて、ねこさんの大切な資料になるねって言われました。


私の中で、今後自分がDVの被害者(被害者意識を持つのは嫌なのですが、自分の苦しさを説明する言葉としてDVの被害者という言葉を使っていくこととなると思います)として何が出来るか・・・
具体的な想いが少しずつ出来上がっているように思います。

一つは、その苦しさを持った人達の分かち合いの場所の提供。
ミーティングやHPなどを作っていけたらいいと思います。
そしてもう一つ、DV加害者の更生プログラム、虐待する親に対するプログラムの導入を自治体に呼びかけることが出来たらいいなと思っています。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング60

2007-01-10 14:23:36 | カウンセリング
今日のカウンセリングでは、最初に、昨日の出来事を話していきました。
今朝は、起きられなくなってしまって、8時に目覚めて慌てて、子ども達を起こし学校へ送り出したこと、子ども達が出掛けてしまうと力が抜けてしまったことを話しました。
HPのBBSの書き込みやブログのコメントの内容を話すと、旦那だと思ってもいいんじゃないのと言われました。
でも、話しているうちに、負けないっていう気持ちが込み上げてきて、少し楽な気分になりました。

そして一年前のお正月とは違って、両親に対する感情が変わってきたことを話しました。
父も母も自分の求める理想の親になろうとしていたこと、理想の家族を作り上げようとしていたこと。
それを追うのに一生懸命で、その家族に、子ども達を当てはめることに懸命で、本当の私の姿を見ていなかったのかもしれないと思いました。

でも、私の中では、仕方なかったんだと思えるようになりました。
アルコール依存症の祖父がいて、争いが耐えなかった家庭に育ち、一番貧しい思いをした母。
兄姉をいつもうらやましく感じていた母。
幼い頃に、やけどを負い、入院生活を繰り返し、障害のある妹を持ち、自分で道を切り開いていった父。

母は、自分の欲しかったものを自分の子どもに与えようと一生懸命だったし、そんな風にしか生きられなかったのかもしれないと思います。
また父も、自分がしてきたことを子どもに求めていたのかもしれません。

そんな家庭で育ったデメリットとメリットを話していきました。
甘えることを許されず、何でも出来て当たり前、頑張って当たり前でした。
いつまで経っても、充足感を得ることが出来ませんでした。
その反面、礼儀正しいとか、世間的に認められることも多かったように思います。

外枠はしっかり出来ているのに、内側が不安定でよりどころがないと言われました。
表向きの姿は、責任感も行動力もあって常識もあって・・・
でも、内面的にはとても脆く、危うかったように思います。

妹との関係についても、もう一度話していきました。
妹との関係が壊れてしまった時、なんとかしなくてはいけないという思いが強かったけれど、今は、仕方ないかなと思えること。
過去の母と妹の姿が重なって見えること、でもそれは、私の問題ではなくて、妹の問題だと思うこと。
距離を置いて付き合ってもいいかなと思えることを話しました。

仲良くやっていくことが一番なのかもしれないけれど、無理に合わせる必要も、歩み寄る必要もないかなと、適度な距離を持つことも大切なのかなと思います。

あまり時間がなかったのですが、自己開示についても聞いてみました。
自分の体験を、語る上で、ACだということで両親を虐待する親、DVの被害者ということで、旦那をDVの加害者だということになってしまうのではないか?という葛藤を持っています。
私は両親に対して恨みの感情があるわけでもないし、旦那に対して、世間的に訴えてやろうという気持ちもありません。

旦那と私の間には、DVを引き起こしてしまう関係性があったのではないかと考えています。
旦那を一方的に非難したいわけでも、社会的な地位を奪いたいわけでもない。
もしかしたら、私とは違う人であったら、旦那からDVを引き出すこともなかったかもしれないと思っています。
むちゃくちゃに暴力を振るうわけでもない。
だからといって、旦那を受け入れる気持ちはありませんが・・・
私は、旦那と出会うことで、自分の問題に気がつくことが出来た。
だから、生活が無駄であったとも思いません。

でも、苦しさや辛さは、実際にここにあるもので、それを伝えていくことは続けたいと思います。
そうすることで、私は私を救っていくのだと思っています。
でも、そうした際、両親や、旦那を非難することにならないだろうか・・・?

最初は、安全が確保された場所で仲間と語りあうことだと言われました。
伝わらない場所もあること、自分を守っていく方法を考えることも必要になっていくのかなと思います。

公の場で活動する気持ちは持てませんが、自分が今まで調べたことなどをまとめたり、交流の場作りのようなHPを作ることが出来たらいいなと思っています。
今まで、点でしか発信できなかったことを、形を変えて発信していければいいなと思います。



カウンセラーに
「素敵になったね」ってお褒めの言葉をいただきました。

「電話だから言えるんでしょ~。
 実際に目の前にしたら、きっと言えないよ・・・」
と思わず返してしまいました。
白髪も増えたし、太ったし・・・・なんてことを考えてしまいました。
でも、最後には素直にありがとうをいいましたが、未だに褒め言葉は苦手です。

「ちなみに前はどうだったの?」と尋ねると

「病的だった。
 今は、真昼の太陽の下に飛ぶ蝶だとしたら、蛾だった。
 まぁ、その時には言えなかったけどね。」ですって・・・

喜んでいいのか、悪いのか・・・・
でも、きっとこういうやり取りが出来るようになったことは、進歩なのかなと思います。
褒め言葉も、以前なら依存につながったと思うし、対等なやり取りも少しずつ増えてきたのかなと感じています。
果たして電話ではなく、実際に対面した時に、どういう言葉をいただけるのか?
楽しみです。
やっぱり蛾だったって言われないようにしなくちゃ・・・



ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


カウンセリング59&ミーティング13 1

2006-12-27 00:37:10 | カウンセリング
25日はミーティング、26日はカウンセリングでした。
色々な事があったので、長い記事になりそうです。
ミーティングやカウンセリングで話した出来事を中心に書いていこうと思います。

先週、旦那との接触をきっかけに堕ちてしまいました。
堕ちてしまうと、自己肯定感もなくなって、元の自分に戻ってしまいます。
その中で、昨年のクリスマスのことを思い出していました。
そして、昨年の同じ頃に書いたブログを読み直してみました。
そうしているうちに変わっていない自分と思ってしまっていたけれど、変わっている自分の姿に気がつきました。

一つ目は、昨年、デパートでの催事で知り合った方と食事をしたことをきっかけに、私は人と係わることに対して抵抗がなくなりました。
それまでは、休憩時間くらいは一人で過ごしたいという思いが強かったのに、彼女との出逢いをきっかけに、誰かと過ごすことの楽しさを知りました。
彼女が書かれているブログでは、いつも素敵な詩が綴ってあり、今でも私の心を救い上げてくれます。
今年の催事では、何の抵抗もなく自分から、食事に行こうと誘えるようになっていました。
誰かと過ごすことも、一人の時間と同じくらいに大切に思えるようになったのです。

二つ目は、昨年の今頃、恋愛依存バリバリでした。
特に、過去の自分を取り戻したいような気持ちでいました。
今も、相変わらず誰かにすがりつきたい気持ちはありますが、昨年のようにはならないなと思います。

三つ目は、旦那のことで堕ちてしまう自分が嫌だったのですが、ようやく自分の問題と向かい合えるようになったのかなと思いました。
恋愛依存をしてみたり、Kさんに対して共依存的になってしまったり、妹との問題にはまってしまったり、自分の問題をすり違えていて、ようやく自分の持っている問題に戻ってこれたのかもしれないなと思いました。
自分と向き合う以前なら、何も気が付かないまま恋愛依存に走ってしまったりしていたのでしょうが、それにも気が付くことが出来て、嫌な自分の姿をたくさん見てしまったけれど、今まで無意識に行動していた部分に気が付くことが出来たのかなと思いました。

そうやって変われている自分に気が付くと、少し気持ちが楽になりました。
仕事で作ったクリスマスカードを、一日迷って、カウンセラーに送りました。
こんなものを送ったら迷惑かもしれない。
いつまでも、カウンセラーに依存しているのかもしれない。
そんな風に考えてしまいました。
でも、思い切って送った瞬間、ふっと力が抜けました。


クリスマスイブ。
いつもなら、クリスマスはこうやって過ごさなければならないみたいなものが自分の中にあって、ケーキも作らなければいけないとか考えてしまって、作れない自分を責めてしまったり・・・
買ってもおいしそうなケーキは予約でいっぱいで残ったものを買わなければいけなかったり、それで自分を責める形になったり・・・
今年は、初めてケーキをあらかじめ予約することが出来ました。
そして、クリスマスの料理も、近くで炭火で焼いているお店の前を通りかかり、長女とおいしそうよねぇと言いながら、出来合いのものを購入しました。

自分で無理をしながら準備した時は、それを喜んでくれない家族に対して怒りの気持ちが沸いてきていました。
逆に、作らなければいけないと思いながらも、出来合いのものを買った時に、手抜き料理だと言われると同じように怒りが沸いていました。
でも、長女に同じように、手抜きだと言われても、笑っておいしいねぇと話せる私がいました。
自分が作りたければ作ればいいし、買いたいと思えば買えばいい。
自分を中心に物事を捉え、行動できると、人がなんと言おう気にならないんだなと思いました。

初めてクリスマスイブを教会で過ごしました。
当初、教会で過ごすことは考えてもいませんでした。
以前、AAのミーティングに参加した際、知り合いの写真展がきっかけで導かれるように教会に行きました。
その写真展がきっかけで、長男の七五三の写真を撮っていただいて、その写真が仕上がったという連絡をメールでやり取りした際に、その方から教会に行くという話を伺いました。
AAのミーティングの教会とは違って、私が通っていた小学校のすぐ隣の教会でした。
私は、独身時代、その教会でクリスマスを過ごしてみたいと思っていたことを思い出し、どうしても行ってみたくなりました。
でも、結構夜も遅いし、3人の子供を連れて行かなくてはいけないしと迷ったのですが、次女も行ってみたいと賛成してくれ、行ってみようかなと思い始めました。

買い物の帰り、ポストを覗くと、郵便が届いていました。
先日のデパートの催事の際、出展者の方がフランスで買い付けされたアンティークのロザリオを身につけられていて、今までも何度もめにしていたのに、今回どうしても欲しくなって、海外のオークションで購入しました。
クリスチャンでもないのに、ロザリオを身につけ、教会に行くのはおこがましい気もしたのですが、偶然にも届いたこと、何か導かれているような気がして、身に付け教会に出掛けました。

パイプオルガンや大好きなハンドベルの演奏、そしてキャンドルの灯りにとても癒された気持ちになりました。
そして牧師さんの話がありました。
その牧師さんは、色んな出来事があって刑務所で教戒師になりたいと思われていた時に、偶然にもその話があって、40年間教戒師をなさっていたそうです。
殺人などの罪を犯し無期懲役の人たちに「あなたの罪を赦します。」と言うのが仕事だったんだと言われました。
どんな極悪人も、「赦す」と言ったとたん変わるのだと言われました。
でも、ある時、もし自分の妻や子どもが殺されたとしたら同じように赦しますと言う事が出来るのだろうかと悩まれたそうです。
最終的に出した結論は、赦すということだったそうです。

その話を伺いながら、私は、自分がつらい目にあっても、最終的には相手を許してきたかもしれない。
前回のカウンセリングで、カウンセラーに変なのって言われたけれど、でも、私は相手を許したいと思った。
でも、それは、本当に相手を許したいと思ったのか、許さなければいけないと思ったのか、自分が悪いのだと自分をさげずんでしまったのか、よくわからない。
でも、自分のことは一度も、許そうと思ったことがないなと思いました。

「私はあなたを赦します。」
牧師さんの強く優しい言葉に、私は自分が赦された気持ちになりました。
涙が知らず知らずの間に、ボロボロとこぼれてしまいました。
いつの間にか握り締めていた十字架が、手の中でとても暖かく感じました。
今まで、入っていた力がすっと抜けていくのを感じました。
初めて、自分を許そうという気持ちになりました。

今まで『ハイヤーパワーにゆだねる』ということがどうしても出来ませんでした。
「辛い時は、手放してお任せするんだよ」そう言われても、頭ではわかっても感覚的に感じることが出来ずにいました。
でも私の中で、その時初めてはっきりとした神様の存在を感じることが出来ました。
不思議な感覚でした。

カウンセリング59&ミーティング13 2


ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル