私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

2005/12/31

2005-12-31 20:08:36 | 独り言

今年、いいことばかりじゃなかったけれど

あなたに出会うことが出来た

あなたの優しさに気が付くことが出来た

今の状態は、私にとって必要だった

だから、今は、静かに見つめていよう

 

おごることなく、おごそかな気持ちで

感謝することを忘れずにいよう

本当にありがとう

 

ここで知り合った方々

見守ってくださった方々

あなたがいてくれたから

辛くても、逃げ出すことなく、ここにいられる

本当にありがとう

 

来年は、輝く年であることを祈りながら

静かに、年を終えよう

新しい年とともに

皆の元に幸せが訪れますように


恋愛依存症

2005-12-31 16:22:08 | 私のこと
私の今までの恋愛が依存によるものであったのなら、セックスもしくは抱きしめられている時だけ、水の中から出て、息をしていたのだろう。
私は、普通にデートすることよりも二人きりでいることを好んだ。
付き合っても、キスすらしようとしない男の人には魅力を感じていなかった。
好きになって気持ちが盛り上がっても、何かのきっかけに急に冷めた。

でも、旦那にセックスを求める気持ちはあまりなかった。
セックスしても満たされた気持ちになることは、あまりなかった。
私は、旦那と生活しながらも、寂しくて溜まらなかった。

そして、ある時から、旦那とのセックスが苦痛になった。
性欲があれば、義務的に果たすことは出来たが、そうでない限り、拒み続けた。
今思うと、他の男性を好きになってからかもしれない。
その頃から、私は太り始めた。
太っていることで、誰かに抱かれることから歯止めをかけることが出来た。
独身時代、すぐに流される自分に歯止めをかけるため、体毛の処理をせずにいた。

誰かに抱かれる状況ばかり訪れる自分自身のことを隙があるからだと責めた。
セックスは好きな人しか出来なかったけれど、キスされたり、抱きしめられることはしょっちゅうだった。
そのくせ、予期しない場所で被害に遭うと泣き出してしまうほどだった。
キスをされるだけで腰が抜けそうになるほど、ドキドキして動けなくなることがあった。
このときめきを感じた相手からは離れられなくなっていた。

旦那には、最初から何も感じなかった。
子どもがだだをこねるようにセックスをしたがった。必死に抵抗していた私は根負けした。
私とそうなったことを子どものように喜ぶ旦那を見て、愛される方が幸せになれるのだと信じて疑わなかった。
結婚相手は、親が気に入る人でなければいけないと思っていた。

でも、結婚して、長女が生まれてしばらくするまでは、旦那を選んで良かったと心から思っていた。
自分を愛し、子どもを愛している姿を見て、私の選択は、間違いなかったと思っていた。
足りないところは、たくさんあったけれど、足りないところよりも、満たされる部分のほうが多かったのだ。

旦那が、女遊びをしているのを知った時、私は嫉妬よりもずるいと思った。
私は、誰かに抱かれたい気持を、必死で抑えているのに、何故、自分だけがそんな事をするのか?
そういう思いのほうが強かった。
でも、その誰かは、旦那ではだめだった。
旦那では、満たされなかった。
私が、セックスに求めるものと、旦那がセックスに求めるものは違っていた。
旦那にとって、セックスは性欲のはけ口でしかなかった。
私は、それよりも寄り添いあう事を求めた。
でも、そういったことは一度も無かった。
行為が終われば、さっさと身支度して眠りにつく、旦那を隣に、私は寂しくて寂しくて仕方なかった。

どうすれば寂しさから抜け出す事が出来るのか、わからなかった。
仕事をしていた時は、本屋で、今の生活になってからは、インターネットでいつも何かを捜し求めていた。
探しているものが、何なのかは判らないまま、さまよい続けた。
沢山の本を買い込み、ネット検索に多くの時間を費やした。
でも、探しているものは、見つからなかった。
寂しさを埋めるものは、何も無かった。

ずっと自分のことを、生まれ持って淫乱なのだと思っていた。
でも、それが依存というのなら、少し救われる。
私は、そうしている間は、とても幸せで満たされていたから。
今の状態から、抜け出す事が出来たら、こんな不安定な心の状態は消えてしまうのだろうか?

亡くしたもの

2005-12-29 11:56:08 | 独り言

結婚して、環境が変わって失くしたと思っていた

友達は変わらぬ姿でいてくれていて

遠く離れてしまったと思っていたのに

本当は、こんなに近くにいてくれた

 

いつでも傍に居てくれたのに

手を伸ばせば届いていたはずなのに

そんなことも気が付けずにいた

 

子どもがいるから

旦那が協力してくれないからと

自分の心に言い訳して

心を閉ざしていたのは私

近づこうとしなかったのは私

 

忙しさに 心を亡くしていたのも私

忙しいという字は心を亡くす

そう書くことを教えてくださった人が居て

 

 少しずつ 私の心は慎ましく変わることを祈っている

心は 生まれたまんまの真の姿であるように

 

気付かせてくれて ありがとう

あなたがいたから 今の私がいることに

ありがとう


再会

2005-12-29 09:57:33 | 日々つれづれ
記事が、前後してしまうのだけれど、27日は、元職場で一緒だった男性二人と、食事に出かけました。
一人は、別居した時に、男性の立場としての意見を聞けたらと思って電話をしていました。
結局、その時に逢わずじまいになってしまっていたので、食事に行こうと誘いました。
一回り年上で、遊んでいるタイプで、でも信用できる人で・・・・
仕事していた時は、月に数回、二人で車で一日中一緒に居ました。
現場での仕事だったので、作業着だったのですが、おいしい店を見つけては、ランチに行ったり、時間が余ると、私を横に平気で昼寝したり・・・・

もう一人の人は、私が結婚して初めて好きになった人でした。
次女を出産して、復帰してすぐにその職場に転勤になり、結構大変だったのですが、支えてくれた人でした。
自らも、二人の子どもを持ち、深夜も働いていた奥さんと二人で子育てしていました。
一緒に、マラソンをしたり、野球をしたりする話を聞き、羨ましく思ったりしました。
その人の転勤が決まった時、二人きりの部屋で、書類を整理しながら、思わず泣いてしまいました。
私にとっても、びっくりで、私ってこんなにこの人のこと好きだったんだって気が付いたくらいです。
部屋を出た後、みんなの前で、
「○さんが異動しちゃうから、不安で思わず泣いちゃったよ。」
なんて言ってごまかして・・・・・

その後の送別会の飲みの席では、いつも隣に座って、一緒に3キロくらいの道のりを歩いて帰っていました。
少しでも、一緒に居たかった。もしかしたら同じ気持ちでいてくれるのかな。
そんな風に、思ってみたりしたけれど、このままの関係が一番いいななんて思っていました。
これ以上、近づきすぎてしまったら、何かを壊すことになるなと思いました。
この関係なら、ずっとこのままでいられる、そう思いました。

その人は、かっこよくて、人当たりも良くて、笑わせ上手で、男女問わず、好かれていて・・・・・
私の中では、非の打ち所のない人でした。
でも、いつも自分を責めているような人でした。
それを知ったのは、好きだと気が付いてからなのですが・・・・・
結局は、同じような人を好きになってしまうのでしょうね。

仕事を辞めてからも、昼に食事に行ったり、メールをしたりしていました。
でも、ある日突然、メールが届かなくなり、電話が変わっていました。
連絡もないし、ここまでなのかなぁ、迷惑だったのかなぁと思っていました。
でも、やっぱり逢ってみたかった。
自分の過去一緒に過ごした人と、逢って話すことは、過去の自分にも気付くことが出来るし、まだ少し、想いも残っていたのかもしれません。
食事に行こうと誘った人に、好きだった人も誘ってくれるように頼みました。

自分から、こんな風に誘うことは、今までになくて、
「誘ってくれて嬉しかったよ。ありがとね。」と二人に言われて、私も嬉しかったです。
「変わらないね。っていうか、前よりも華やかになっているし。」
「痩せたよね。」
それまでは、自分を着飾ることもせず、すっぴんに口紅だけで仕事をしていて、私が変わったことを気が付いてくれて、嬉しかったです。

携帯電話が変わったことは、水の中に落としてしまって、データが消えたのだと教えてくれました。
新しい番号も、アドレスも交換できました。
自分で、勝手に想像して、傷付いていた私。馬鹿みたいじゃんって思いました。
相手の行動を、想像してもいいことなんて何もないことを学習できました。

実はねって、今の状況を話したときに、男としての立場を聞かせてもらいました。
二人とも、夫婦で仕事していて、子どももいて・・・・・
結構、奥さんが何を言っても、受け止めてあげていて、子どもの成長のことも考えていて・・・・・
今まで旦那の話をした時に、女友達は、男の立場を理解するような発言が多かったのに比べて、自分だったらそういうことは思わないししないと言われました。
別居して、旦那の話をした男性は、みんな旦那の行動を否定して、女性は、ある程度擁護する、なんだか面白いなって思いました。

結構、遊んでいると思っていたのに、家族に対する想いはとても強くて、旦那のことを考えると悲しくなりました。
想いはあるのに表現できないのか、そういう想いが生まれて来ないのかは定かではないのですが・・・・
二人とも、私の仕事も評価してくれました。
カウンセリングの先生もそうだったのですが、旦那は、まったくと言っていいほど、興味を示してくれず、掲載されている本すら見てくれることはありませんでした。
旦那は、私から評価されることは求めても、私を評価してくれることは一切なかったのです。

旦那の話をしながらも、色んなことで、盛り上がり大笑いしました。
久しぶりにこんなに笑ったなぁと思いました。
「今年の忘年会の中で、一番楽しかったよ。ねこさんがいる頃が一番良かったよ。今は、職場の交流もないし、こんな話をして、笑うこともなくなったよ。いい時に辞めたね~。」
そんな風に言ってもらえること嬉しかったです。

下ネタ満載の話が始まってしまい、
「私は、どこでもそうなのよね。二人とも私のこと、女性として見ていないでしょ!」
Sさんに言った言葉を、もう一度言う羽目になりました。
「まぁ、受け止めてくれる人も、必要ということで・・・・」
同じような回答をされて、私って受け止めてくれる人なんだなぁって、改めて自分のことに気が付いたりして・・・・・

翌朝、二人からメールをいただきました。
「・・・誘っていただきありがとうございました。・・・色々とあるとは思いますがなるようにしかならないので・・・・・」
「ねこさんの笑い顔も見れて、なんかうれしい気分でした。また、いつでも声を掛けてね。いろいろあった時に、応援できなくてごめんね・・・・」
こんな風に、言ってくれる人たちが回りにいることを改めて気が付きました。
一人で殻にこもって、一人で傷付いていたこと。
ちゃんと目を開けて、周りを見渡せば、暖かい人たちに囲まれていて・・・・
それに気が付かなかったのも私なんだなって。

それまでは、逢いたいと思っても、何かと自分に理由をつけて、誘えなかった私。
でも、なんだ、簡単なことだった。
逢いたいと思えば、連絡を待たないで、自分から連絡すればいいし、頼りたいと思えば、頼ればいい。
こんな簡単なことが、出来ないでいたんだ。
それに気が付いたこと、大きな収穫でした。

夜遊び

2005-12-29 03:28:08 | 日々つれづれ
今日は、久しぶりに夜遊びをしてきました。
10月の終わりに、偶然再会した友達ともう一人の友達に会いました。
結婚する前は、3人でよく飲みに出かけていたのですが、結婚してから夜会うのは初めてです。
昼間は、ランチをするくらいで、もう何年も話したこともなく、二人は仕事をしていて夜も遅く、電話で話すこともなくなって、会うことはもうないかもしれないと思っていました。

旦那に愚痴をこぼすと、
「そんなことわしに言わなくても、相談する友達もいないのか!!」
と怒られていました。
結婚前、何かあるたびに、二人に頼っていた私。
「尾崎豊が死んだ時も、泣きながら電話してきたよね。」
なんて言われてしまいました。
私は、覚えていないんですけど・・・・
なかなか会うことも出来ず、二人にすがりつくこともなくなっていました。

でも、会えばあの頃のままで、もう友達には戻れないのかもしれないと思っていたのに、いつも会っているかのように話も出来て嬉しかったです。
明るく振舞っていたつもりなのに、10月に会った時、何かあった顔をしていたと言われてしまいました。
「ねこは、なんかいつも寂しそうな顔をしていて、出会ったときも、そんな顔していたよ・・・・」
ずっと私の恋愛を見守ってくれていた二人、何もかもお見通しだったみたいです。
頼りたかったのに、頼れなかったことを話すと、
「馬鹿だね~。なんでそんな風に思っちゃうの?私達を信じていないって言うこと?」
って怒られてしまいました。

考えてみれば、そうなんですよね。
友達のことは好きでたまらないんだけれど、相手が自分のことを好きかどうか自信がない。
でも、それは相手にとっては信じられていないことになってしまうんですよね。
今までも、そんな風に自分から線を引いていたのかなと思ってしまいました。

今までとは違って、自分の生き方をしっかり持っていて、何も考えずに過ごした私とは違って大人だなぁなんて感心してしまったり・・・・・
それぞれが辛い時期を乗り越えたこともあって、今までとは違った会話が出来て楽しかったです。
何も隠さずに話せる間柄なので、自分の気持ちを素直に話して、受け止めてもらいました。
それもまた、心地よかったです。
友達に、
「私達は、一種のアルコール依存症だけど、ねこはアルコールが飲めないからそんな風に男に依存してしまうのよ。アルコールに依存出来れば良かったのにね~」
なんて言われてしまいました。

「ねこは、結局、真面目なんだよね~。なんでも一生懸命になり過ぎるのよ。もっと自分がしたいようにすればいいじゃん。」
とも言われました。
自分で自分のことは真面目だと思えなくて、男にだらしなくて、いい加減で、意志が弱くてなんて思っているのに、勤めをしていた時も、よく言われて、理解できないでいました。
結局のところ、自分で自分を縛っている部分、多かったのでしょうね。

一人は、そのまま帰ってしまったのですが、もう一人の友達にクラブに連れて行ってもらいました。
そういったところはもちろん初めてで・・・・・
その友達は、離婚した当初、週末になるとそこに訪れ、寂しさを埋めるために男遊びをしていたことを教えてくれました。
もちろん私にそれを勧めるためではなく、行ったことのない私に社会見学で連れて行ってくれたのですが・・・・

途中、私のことを心配しながらも友達は用事が出来て帰ることになり、男の人とずっと話をしていた私を心配したのか戻ってきてくれたり、メールや電話をくれたり・・・・
いつも飲まないアルコールなのに、カクテル5杯も飲んでいたし、以前の自分と重ね合わせてしまったのでしょう。

私は、その男の人と、踊ったり話したり、ずっと一緒に話していました。
男と女の会話になってしまったのですが、何故か子どもの頃からの癖に共通点があり、それで盛り上がってしまいました。
そんな話を、他人にするのも初めてで、ここでその話を出来たこと、なんだかすごいなぁと思ってしまいました。
踊りながら手を繋いだり、抱き合ったりしていたので、盛り上がりついでに、そのまま流されてしまってもいいかなぁなんて思ったりもしたのですが、結局は、そんな気持ちも起こらず、通りまで出て別れました。

カウンセリングでラブ・アディクションを指摘されてしまったのですが、なんだかそういう気持ちは起こらないようでした。
結婚してからも、旦那以外の人に抱かれたい、すがりたい気持ちはずっとあって、それは、無理に自分の感情を押さえつけていました。
たぶん”彼”に会った時も自制心が強く、罪悪感ばかり残ってしまいました。
東京でSさんに会った時、自分に正直に行動して、セックスすることが自分を満たすのではないことに気が付いたせいもあるのでしょうか?
寂しさはずっと付きまとっているのに、今日知り合った男性に、それを埋めて欲しいと思う気持ちにはなれませんでした。

抱かれたいとか、満たして欲しいという気持ちは、好きな人にだけ生まれてきて、結局、そうではない人に対して、依存するということはないのだなと思いました。
結局のところ、罪悪感を持たずに行動したことで、自分の本当の気持ちが見えてきたと言うか・・・・・
カウンセリングで、説明していただいて、よくわからない部分が少しわかってきたように思います。

カウンセリング11

2005-12-28 17:21:51 | カウンセリング
今日は、今までの恋愛について、話をしてみました。
これまでの恋愛は、男の人が、普段の生活で見せることのない弱い部分や、ダメな部分を見せてくれることに、満たされた思いになっていたこと。
セックスに、肉体的な結びつきを求めるのではなくて、精神的な結びつきを求めていたことを話しました。
私の場合、男の人との関係で、必要としていたのは、抱きしめられることと、精神的な結びつきで、他には何も求めようとしていなかった気がします。

旦那は、自分の弱さとかを全く見せない人で、私が満たされていないとずっと感じていたのは、そこだったのかもしれません。
こうなると、ますます判らなくなってしまうのは、旦那との関係が健全な男女の関係で、これまでの関係が、不健全だったのではないかという気持ちになってくるのと、それでも、満たされていない思いを抱くのであれば、今までの方が満たされていていいのではないかと思ってみたりします。

感情のアップダウンが激しいことと、東京で私のテンションが頂点にあったことを指摘されました。
それとラブ・アディクションについての指摘も受けました。
私が自分自身を見直し始めたときに、一番気になったのは、この恋愛依存症です。
男の人にすがりたくなる自分というのは、ずっと意識していて、それがどうしてなのか判らないままでした。

私にとってすがりたい相手というのは、誰でもいいのではなくて、複数でもなくて、その時に一番頼ることの出来る一人の人なのかもしれません。

自分の恋愛というものが、母との関係に似ているような気がします。
たぶん私は、母を支えなければいけないと思っていて、母が私に弱い部分を見せることを受け止めていたんだと思います。
そうすることで愛されていることを感じていたんではないかなと思います。
母を好きだという気持ちや、抱きしめられたいという気持ちを持ちながらも告げることが出来ずにいた。

でも、それで何が悪いんだという思いもあります。
そうするしかなかったし、それはそれで不幸だとは思っていなかった。
それで小さな幸せを感じていたのであれば、不満に思うことよりも、気持ちが楽であったのではないかと・・・・・

年末、少しだけ両親と過ごすのが辛いです。
親に対して、様々な感情を持ってしまっていることに罪悪感というか、後ろめたさを感じます。
もう、いいじゃないっていう気持ちもあります。
だけど、カウンセリングを受け始めて、自分の中で変われたこともたくさんあって、その変化は、私の中でとても楽な気持ちにさせてくれることばかりでした。
無用な苛立ちが消え、落ち着いた気持ちになることが出来るようになったし、自分を縛ることから少しずつですが、解放されたように思います。
そして、自分の心の変化を、楽しむ余裕も出来てきました。

まだまだ楽になれるのなら、楽になってもいいかなと思います。
なので、辛いけれど、もう少し自分と向かい合ってみようと思います。

ルーツ

2005-12-27 14:41:30 | 私のこと
私は、祖母が大好きだった。
祖母に可愛がられた記憶も、祖母に何かしてもらった記憶も何もない。
「わかば」という煙草を吸い、あの時代に生きた女性にしては自立の出来た人だと思った。
行きたい時に行きたいところへ出掛け、叔父や叔母の家を転々とした。
我が家にも、予定もなく来て、予定もなく帰っていくので、皆が振り回されていた。
だけど、何故か憎めなかった。
それよりも、自分に似ている。ずっと、そう思っていた。

短大の時のスピーチで祖母のことを話題にした。
極度の上がり症で、スピーチなんてとんでもなかったのだけれど、その時だけは、落ち着いて話すことが出来た。
その頃、祖母が遊びに来たのが最後になる。
「もう最後だ。」と言いながら、何度も遊びに来ていた。
知らない街なのに、ふらふらと買い物に出掛け、皆のものを買ってくる。
「出歩かないで。」母はそう言ったのだけれど、
「口と金があれば、どこにだって行ける。」祖母は、そう言い放った。

結局、祖母は、その後入院して、そのまま病院生活となった。
最後に、会った祖母は、私のことも判らず、私の持っていったお饅頭を「おいしそうだ」と言って食べた。
私の結婚式にも呼ぶことが出来ず、長女が産まれ、1ヵ月後に帰らぬ人となった。
産後で私は、お別れの挨拶すら出来ないままだった。
「死んだら、川に流してくれ。」祖母の言うとおり、遺灰を少し流してあげたかった。

母から聞く祖母は、祖父に振り回され苦労した人だった。
女学校の時の旅行で、他の人は草履を履いていて、自分だけは編み上げの靴を履いていて、靴を脱ぐのに時間が掛かって困った、そう話していた。
私の母よりも、開放的で、自由に生きていた。
お花を習い、踊りを習い、友達と旅行に出かけていた。
私が、小さい時に、祖父は亡くなったので、その後そうなったのかもしれないが・・・・

家の二階には、黒い足踏みミシンが置いてあって、箪笥には外国人の写真が飾ってあった。
綺麗なガラスの食器が並ぶ、食器棚。
そして祖父の残した、時計や指輪。
私が、生まれた年には、クリスマスツリーを買ってくれ、明治生まれなのに、ハイカラだったのだろう。

私の中には、祖母の
「口と金があれば、どこにだって行ける。」という言葉が生きていて、
一人でどこにでも行ける。
ポジティブな言葉は、時を経ても助けてくれる。
海外でも、物怖じすることなく、カバン一つで出掛けることが出来るだろう。

あの黒い素敵なミシンが、今の母を作り、私を作った。
クリスマスを愛する心は、子ども達に引き継がれている。
そんな風に、たくさんの物を貰った。
祖母にはお別れを言えなかったけれど、今も、私の心の中に、祖母は在る。
いいものは、ちゃんと引き継いでいこう、流れに逆らうことなく・・・・


年末

2005-12-27 00:33:15 | 日々つれづれ
年末の掃除もしなくちゃいけないけれど、
年賀状も書かなくちゃいけないけれど、
溜まりに溜まった領収書の整理もしなくちゃいけないけれど
どれも手付かずのまま。

毎年、子どもの写真で年賀状を書いていたけれど、
旦那の名前を連ねるのは、ちょっとつらい。
別居中ということで、年賀状も自粛しようかと思ってみたけれど
仕事関係の年賀状も出さなくちゃいけないので、そうもいかない。

明日は、保育園のもちつきの手伝いに声を掛けられていて、
長男もいないし、一度は断ったのだけれど
友達に、いないと寂しいからと言ってもらって、嬉しくて
結局、参加することになってしまった。

子供たちがいないことをいいことに、
テーブルの上は、仕事道具を散らかして、
食事もまとめて作って、
好きなことしている。

今まで夜も食事なんて行けなかったから、
色んな友達に電話を掛けて、誘っている。
今までだったら、自分から誘うことなんてまずなかったのに。
明日は、元同僚の素敵な男性二人と食事に行く。
明後日は、高校時代の友達と食事に行く。
こんなことは、勤めを辞めてから、ほんの数回だった。

少し、堕ち気味なので、一人でいることは結構つらい。
そんな気分から抜け出すこと出来ずに、
ついブログにすがっているかも。

でも、それでもいいことにしよう。
そんな時間もきっと私にとって大切なはず。
洗濯物を干して、仕事の続きを少ししよう。
今年は長い春休み。
大切なことから済ませておこう。

2005-12-26 02:12:41 | 私のこと
どうも、ハイテンションを味わった後は、必ず堕ちるみたい。
新しく気が付いたここと、今まで思っていたことの歪みがそうさせるのかもしれない。
自分のことが、自分でわからなくなってしまう。
それに対する迷い。

10代の恋愛は、いい恋愛ではないと思っていたけれど、相手に求めない分、与えられた時にとても嬉しかった。
相手に期待しない分、とても楽だったような気がしていた。
実際のところ、どうだったのだろう。
なんだか、判らなくなってしまった。

大きな通りに出てこられたと、安心したと思ったら、また道に迷ってしまった。
その繰り返し。
いつになったら、辿り付けるのかな。
本当の自分の気持ちに・・・・・

2005-12-26 00:13:08 | 独り言

私が求めていたものはなんだろう

ほんの小さな幸せ

そっと誰かに寄り添い

心を通わせる そんな温もり

それを感じていたかった

 

いつも真っ直ぐに人を好きになることしか出来なかった

駆け引きなんて出来ずにいた

ただひたむきに誰かを愛していた

例え 愛されなくても

愛していたい そんな風に思っていた

一緒にいるひとときがあればいい そう思っていた

 

いつからなんだろう

愛することに見返りを求めるようになったのは

与えることを忘れてしまったのは

 

あの頃の私

切ないくらいに けなげだったけれど

今より もっと幸せを感じていた

辛かったけれど 

二人で過ごす時間が 私を支えていた

私を暖かくしてくれていた

 

いつからなんだろう

そんな幸せを感じなくなってしまったのは

傲慢になってしまったのは


カウンセリング10

2005-12-25 19:44:58 | カウンセリング
記念すべき10回目は、直接受けてきました。
待っている間は、とても緊張してしまいました。
Sさんと会うときには、ほとんどドキドキなんてしなかったのに、こっちのほうがドキドキしてしまいました。
どうしても自分の知っている声の似ている人を想像してしまうので、顔の印象は違っていた(想像していたよりも、素敵な先生でした。)のですが、電話と同じで優しい先生でした。

声を聴いたとたん、緊張感は無くなってしまったのですが、落ち着きがなかったのか、メディテーションを勧められました。
ある程度は、リラックス出来たものの、東京に来るまでと来てからの心の動きがあったので、どちらかというとハイテンション気味だったし、人前でなかなか心の中を吐き出すことがどうしても出来ませんでした。
インナーチャイルドの話になったのですが、先生と向き合って話すことがあまり出来ませんでした。
マイナスの心情を、マイナスのまま話すことに慣れていないというか、今までもこうやってずっと、悲しみを明るく話していたんだなぁと思いました。
電話では、泣けるのだけれど、電話では、話せるのだけれど、ブログでは書けるのだけれど、目の前にして、心を開くことが出来なかったかなと思います。
泣くことを想定していたのに、実際は泣けませんでした。

もし時間が合ったら話しておきたいなと思っていたことがあって、それは電話ではなく会った時に、話そうと思っていたことが話題になり、自分の気持ちを伝えることが出来たこと、良かったなと思っています。
直接のカウンセリングは初めてで、戸惑うことも多く、電話のように話すことは出来ませんでしたが、直接話すことで、安心感を得ることが出来ました。
次の電話では、もっと心を開いて、話すことが出来たらいいなと思っています。

東京3

2005-12-25 03:43:14 | 日々つれづれ
結局、セックスはしていません。
そうなってもおかしくない、むしろそうなる方が自然だったのだけれど、そうすることよりも、そうする時間よりも、話をしていたいという気持ちが強くて、結局ずっとベットの上で話をしていました。
もし、私が、罪悪感を感じていたのなら、やっぱりセックスをしなかっただろうけれど、そうしたいのに我慢したという思いに、今後は捕らわれていたと思います。
でも、罪悪感を取り払ったおかげで、したいと思えば出来たし、しなかったのは私が、それを選ばなかったからだと思えました。
そう思えることは、とても私にとって楽でした。
Sさんが、そうしなかったのもまた、同じ想いだったのだろうなって考えられる私がいました。
以前ならきっと、自分に魅力がないからだとか、そんな風に思ってしまうでしょうが・・・・・・・

自分のことが好きで好きでたまらなくて、自分が一番と思って生きてきたのに、挫折して、すべて失った時に、自分の愚かさや小ささに気が付いた。
でも、それでもいいじゃないか、つまらない所も含めて自分のことを好きになったことを話してくれました。
そのきっかけは、お母さんの「なんとかなるよ」って言葉と自己啓発セミナーだったこと。
そして、生善説について話してくれました。
「例えば、喫茶店で、ウエイトレスが水をドンと音を立てて置かれた時に、なんでこんなことをされるのだろうと思うか、何か嫌なことがあったのかなぁ、怒られたのかなぁって思うのか?自分にも相手にもいいように考えるのが生善説なんだよ。人は皆いい人で、何かがあったからそういう行動を取ってしまったっていうように考えると楽になれる。」
自分は、そうやって今までも生きてきたことに気が付いたこと、そして、それを意識していったことを話してくれました。
「厳しいおやじで、殴られて鼻が曲がって、ずっとぐすんぐすんいっているんだけれど、そのおかげで甘い歌声が出せたって思えたりしてね。」
そんな風に、傷付きながらも乗り越えてきたSさんのことをすごいなぁと思うと共に、抱きしめてあげたいような、頭を撫でてあげたいようなそんな気持ちになりました。
私は、今までも、セックスするよりも、その後にポロッと男の人が見せてくれる弱さとか本音の部分を聞かせてくれるのが好きだったなぁということを思い出しました。
私がずっと求めていたのは、体の結びつきではなくて、心の結びつきだったのかもしれないなぁと気が付きました。

「あの頃があったから、今こうして色んな話が出来るのかもしれないね。」
Sさんの言葉に、こういう時間が持てたのは、17歳の私がくれたプレゼントのような気持ちになりました。
帰り間際、
「あの頃、Sさんのこと大好きだったよ。でもね、好きって言えなかった。
今までもずっとね、好きな人に好きって言えなくて。
もし、今日会えたら、ちゃんと気持ちを伝えようと思ってた。
今日、会えて本当に良かった。
『あーこんな人を好きだったんだ』って言うんじゃなくて『この人を好きで良かった』って思えるよ。ありがとう。」
って正直な自分の気持ちを伝えました。
「ありがとう。最高の褒め言葉だねって。」
そしてSさんは帰っていきました。

一人、取り残された私は、寂しかったんだけれど、一緒に居た余韻を楽しむことが出来る自分がいることに気が付きました。
今までだったら、身が引きちぎられるような寂しさを感じてしまっていただろうなと思いました。
これが、斉藤先生の本に出てくる「耐えがたい寂しさ」と「大人の寂しさ」の違いなんだなって思いました。
「耐えがたい寂しさ」は赤ちゃんがおっぱいを与えられないような寂しさだと言われているのだけれど、そのおっぱいを与えていないのは、他の誰かではなくて自分なんだなと気が付きました。

今までは、自分に素直になれなかった部分や縛っている部分があって、自分が思うように行動が出来なかったことに未練が残り、寂しさを感じていたのだなって思いました。
素直に行動することによって、別れた後も、充実感を味わうことが出来、「大人の寂しさ」を楽しむことが出来るのだなって気が付きました。
今まで、私が持っていた抱きしめられたいという思いや寂しい気持ちが、何故消えないのか、抱きしめられても、なお満たされない思いでいっぱいなのか、判らなかったのだけれど、ようやく知ることが出来ました。

Sさんとこんな風に会ってなかったら、ずっとそのことに気が付かなかっただろうし、こうやって再会できたこと、そして罪悪感を持たずに素直に行動したこと、本当に良かったなぁと思いました。
それを気付かせてくれるような、相手を選んだこと。
17歳の私に感謝です。
17歳の私がいたから、気が付くことが出来ました。ありがとう。

20年前、Sさんが歌ってくれた出来立ての歌、曲名は「X'mas song」。
そして、その曲は、クリスマス前のコンサートで歌われたことを思い出しました。
その時の嬉しかったことも・・・・・
なんだか、こうやってSさんと会ったのもクリスマス前で・・・・・
無意識なんだけれども、Sさんの歌ってくれた歌を思い出しながら、眠りに着いたのでした。

東京2

2005-12-25 03:00:54 | 日々つれづれ
20年ぶりだったのに、車から顔を出してくれるだけで、その人だとわかりました。
そして、戸惑うこともなく、車に乗り込んだとたん、私は17歳に戻っていました。
今、考えればとても不思議なんだけど、最初にその人(ここからはSさんということで)にメールをもらったのは3月の終わりで、5月からダイエットして、秋に髪を切って、結局は17歳の私と同じ体型、いや体重ですね、髪型になっていたんです。
偶然なのかもしれないけれど、Sさんに逢うために17歳の私に戻る準備をしていたのかなって思ってしまいました。

自分から伝えるつもりだったのに、
「ねこちゃん、あの頃俺のこと好きだった?」と先に聞かれてしまいました。
私は、自分の思いを伝えることもなく、他に好きな人がいるふりをしていました。
今思えば、おかしいのだけれど、初めての人と結ばれなければいけないという思いがあって、ずっと離れられなかったのかもしれないなと思います。
なので、他の人を好きになっても、その人のことを好きでいなければならないという思っていたのかもしれません。
Sさんにとっても、私の気持ちが半信半疑の状態だったのかもしれません。

私「うん。でもSさん、女の子いっぱいいたじゃない。」
Sさん「でも、俺は自分が一番大事だから、嘘はつかなかったよ。自分に正直に行動していた。」
私「でも、遊ばれたかなぁって思っていた。」
Sさん「それは違うよ。仕方ないこともあったし。」
私「○ちゃんもいたしね。」
(○ちゃんは、Sさんと付き合っていた人です。)
Sさん「○ちゃんとも、そのままになったから・・・・。東京に出てしまったし、仕方なかっんだよ。それにAに怒られてしまったしね。」
(Aさんは、Sさんのバンドのメンバーで、当時その人から私は楽器を習っていました。)
私「生徒に手出すなって?でも、Sさんって女の子に好きだとか、大切だとかちゃんと言った事なんてないでしょう。」
Sさん「でも、歌でその思いを伝えてたから・・・・」
二人爆笑

20年間の時を埋めるかのように、Sさんは話をしてくれました。
何かを作るということで、共通している私達は、その苦悩について話して、好きでやっているうちが一番いいよね。
だんだんそれが、自分のやりたいこととかけ離れていったこと、話をしてくれました。
でも、Sさんは、その頃に未練はないようで、きっぱりと断ち切って、今の仕事をしていて・・・・・
そのサバサバしたところを見習いたいなぁと思いました。

Sさんはレインボーブリッジに連れて行ってくれようとしていたのだけれど、途中に東京タワーが見えてきて、東京タワーがみたいって言って、東京タワーに行きました。
ライトアップされたツリーは、テレビなんかで見るよりもとても幻想的で、綺麗だったのです。
高所恐怖症なのだけれど、高いところから街を見るのは大好きで、パラグライダーに乗ってみたいと思うぐらいです。(とても、矛盾しているのですが)
囲まれた空間では、真下を見ても平気で、むしろSさんの方が、怖がっていたりして・・・・・
街の灯りを見ているととても暖かい気持ちになります。これは、子どもの時からそうでした。

私「なんかアベックばかりじゃない?」
Sさん「俺らも、アベックじゃん。腕なんか組んでみる?」
そこで、素直に手を出せる私がいました。
いつもなら、ここで必要以上にドキドキしていたなぁと思いました。
そのドキドキは、罪悪感から生まれて来たのかもしれません。
悪いことをしている緊張感からくる、ドキドキ。好きだから、ドキドキするのではなくて。
その時は、ドキドキではなくて、嬉しいとか楽しいとか、そんな気持ち。

東京タワーから降りて、ホテルまで送ってもらうことになりました。
もう少し、コーヒーでも飲みながら話したいねと近くを回ったのだけれど、23時を回っていて、開いている所も見当たらず・・・・・
私も、もう少し話していたいのと、あの時の自分の気持ちを素直に話したいと思っていたので、思い切ってホテルに誘いました。
ホテルに誘うことは、それなりの覚悟がいったのですが・・・・・・
でも、あくまでも17歳の私を、取り戻したい気持ちが大きかったです。

ソファーに座って、缶コーヒーを飲みながら、話をしました。
一時は、頂点を上り詰めたSさんは、バブルの崩壊と共に、事務所がつぶれ、企画されていた仕事のスポンサーが下りてしまい、すべてを失ってしまったことを話してくれました。
でも、音楽から離れられなくて、パソコンを使って配信してみたくて、今度はパソコンを勉強したこと。
ギター少年が必死にギターを練習していたのが、パソコンになっただけなんだけどねと笑っていました。
でも結局、それで第二の人生を自分で切り開いて、会社まで持っていて、なんだかすごい人だなぁと思いました。

「ねこちゃんの目って、昔から色っぽいよね。好きだったよこの目。
鼻筋も通ってて綺麗だった。でも、あの頃よりもいいよ。」っていっぱい褒めてくれました。
私は、鼻にコンプレックスを持っていて、好きではなかったのにそんな風にいってくれて嬉しかったです。
子どもの時のチック症状は、鼻がピクピクと動いてしまっていて、動くたびに母に、
「鼻に筋肉がついて大きくなるよ。」なんて脅されていて、それでも止まらなくて。
ある時、デパートで、エスカレーターですれ違った女の子が私の顔を見て笑って
「今の知り合い?ねこみて笑っていたよ。」って母に言われて、
鼻が動いているのを見て笑われたんだって、笑われるような顔なんだって傷付いてしまって・・・・・

「そうそう、足も綺麗だよね。足も好きだった。」
ロングブーツ履いていて、足は見えないのだけれどそんな風に、覚えていてくれたこと嬉しかった。
私の足は細くてガリガリで、やっぱり母に
「病気みたいな足よね。拒食症の人の足みたい。じっとしてばかりで動かないから細くなるのよ。」と言われていて。
ずっと太りたいと思っていました。

17歳の時に、言ってくれていたら、もっと幸せだったかもしれないなぁなんて思いました。
今は、そこまでコンプレックスに思っていないというか、気にしなくなったのだけれど、当時は、自分の容姿が大嫌いだったから。

Sさんは、30歳過ぎて、自分が足フェチだっていうことに気が付いたって、笑えるような話をしてくれて
「私、いつもこんな話を聞かされるんだけれど、女性と思われていないのかなぁ。」と聞いてみました。
私は、こんな話って、普通は男同士がするのであって、女がいる時に話すことではないでしょうっていう話を、付き合っている人しない人にかかわらずよくされます。
私だからいいけれど、他の人の前で話したら、セクハラだからね!!ってよく言っていました。
「違うよ。この子だったら、話しても大丈夫だって安心できるからなんじゃない。」
そう言ってくれました。

Sさん「あの時、一緒にお風呂に入ったよね。」
私「覚えていないよ。」
Sさん「女の子とお風呂に入ったの初めてだったのかなぁ・・・・なんかすごく覚えているよ。
二人でケラケラ笑いながらとっても楽しくて、楽しかったから覚えているのかなぁ。
ねこちゃんってあの頃からポジティブに生きていたよね。」

あの頃の私は、必死に明るく振舞っていて・・・・
ホテルに行った経緯も、思い出しました。
野外ライブにバンドのメンバーと仲間達とで出かけた帰り、船の形をしたラブホテルがあって、他の子と、あそこに行ってみたいなんてはしゃいでいて・・・・
結局、あそこにはいつ行く?みたいな話になって、遊園地に行くような感覚で行ったのだったなぁ・・・・・

今まで、自分に対して否定的だった思いを、Sさんは肯定に置き換えてくれました。
私のことなんか覚えていないと思っていたのに、細かいことまで覚えていてくれたこととても嬉しかったです。
Sさんの心の中に、20年間いることが出来たこと、それがわかっただけでも幸せな気持ちでした。
あの頃の私は、記憶の中で暗いイメージしかなかったのだけれど、そうではなくてそれなりに楽しんでいたのかもしてないなと思えてきました。

東京1

2005-12-25 01:42:31 | 日々つれづれ
無事、東京から帰ってきました。
心の動きを中心に書いてみようかなと思います。

22日、長男の添い寝に失敗し寝込んでしまい、朝4時に目覚め、窓から外を見ると、雪が積もっていました。
そこまでは、想定内だったのですが・・・・・
上二人を、学校に送り出し、予定よりも早めに長男を保育園に連れて行き、その足で出発。
先生と友達から、途中のバスが動いていないことを教えてもらいました。
そのバスが、動かないことを考えていなかったので、焦りました。
でも、焦りながらも、パニックになってしまうのではなくて、あくまでも冷静に、どうすればいいのか考えることが出来ました。

でも今度は、いつもいる流しのタクシーがいないのです。
天候で、タクシーが拾えなくなることをすっかり忘れていました。
家で仕事をしているので、よほどのことがないと、そんな目には合わなかったのです。
駅とは反対方向に向かって歩いたものの、つかまらず。
結局、駅までのバスが走っているのを見つけ、バス停まで引き返すことにしました。
そうすると、横道からの空車発見!!
バス停は人があふれ、積み残された人がたくさんいて、こんな時にも私はついているかもしれないと思いました。

実際のところ、わざわざ東京行きの日に、雪が降ること自体ついていないのだけれど、そこを悔やんだり悲しんだりすることがなく、むしろついていると思える自分が嬉しかったりしました。
以前なら、なんで私はこんなにもついていないのだろうなんて気持ちになっていたと思うので・・・・・

というもののタクシーに乗ってからも、通り道に車がスリップして突っ込んでいて通行止めになっていたり、前の車が、坂道でチェーンをはめ始めたり、その後タクシーもスリップして動かなくなったり・・・・・
でも、今までみたいにイライラすることもなく、呑気に構えることが出来て・・・・
ここまで自分の心が穏やかになってしまったのは、とても不思議だったりするのだけれど、これがどうしてなのかは、上手く説明が出来ません。
心のどこか違う部分で、私が変わり始めたせいなのだろうなと思います。

雪で行程がずいぶん変わってしまったのだけれど、せっかくだから雪景色を楽しもうと思える私がいて、結局、道中知り合った、母くらいの年齢の女性とずっと東京まで過ごしました。
今までだったら、一人で過ごす方が楽だなって思っていたのに、一緒に食事したり、お土産を買ったりと楽しめて、ちょっとしたことで相手を待たせたりしてのだけれど、相手を待たせることも苦痛に感じなくて、待たせても罪悪感を感じることをしないで、お礼を言えばいいのだなぁって気づける私がいて・・・・

その女性の生き方を聞いていると、とても羨ましかったです。
クリスマスのイルミネーションが見たいからという理由で東京に出かけ、花粉の飛び交う時期には、それから逃れるために北海道で2ヶ月暮らしているそうです。
そして夫婦でも、海外旅行を楽しんでいるそうです。
お互いが、お互いを認め合っているから出来ることなんだろうなと思いました。
子ども達が大きくなった後、そんな風に生活できたらいいなぁなんて思ったのでした。

一つ、気になったこと。
怖くてたまらなかった長いエスカレーターに、平気で乗れたこと。
いつもなら手すりをしっかり持って、泣き出してしまいそうなのに大丈夫でした。
隣に誰もいないことがそうさせるのか、何かがあって怖くなくなったのかわかりません。
今度、機会があれば、もう一度確かめてみたいと思います。

東京に着いて、先に買い物を済ませ、ホテルに向かい、着込みすぎていたので着替えていたら、すっかり時間が遅くなってしまいました。
忘年会場まで、その時間に間に合うのかどうかも不安になったのですが、最善の交通手段を考え、無用に焦ることも戸惑うこともなく、的確に行動することが出来て、時間内に間に合いました。

会場に着くと、200名を超える大きなパーティーであることを知り、果たしてこの中で知っている人を見つけることが出来るのか、不安ではあったものの、知り合いに出逢い、再会を喜びました。
そうしているうちに、つい最近、一緒に仕事をした人にも出会うことが出来、楽しい時間を過ごしました。
この仕事をしていなければ、全国各地に、知り合いが出来るなんてことなかっただろうし、色んな年代の、違った生き方の人と話すこともなかっただろうし、今、自分の置かれている状況を喜ぶことが出来ました。

東京に着いて、パーティー会場の地名とホテルの地名を20年前好きだった人にメールを送っていました。
会えれば嬉しいけれど、会えなくても仕方ないし、もし会うことが出来るのなら、思うままに行動しようと思っていました。
私の住んでいるところとは離れているし、何かあったとしても、離れられなくなることはないだろうし、傷付くようなことがあっても、二日後にカウンセリングを受けるのだし・・・・
罪悪感で縛ることはせずに、心の中の私に、どうしたいのかちゃんと聞いて行動できたらいいなぁと思っていました。

パーティーの終わる時間は、以前知らせていただけだったのに、ちゃんと覚えていてくれていて、終わる前に、近くに来ているからとメールが来ました。
自分の居る場所も、上手く説明できなかったのだけれど、ちゃんと逢うことが出来ました。