私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

私の存在する理由

2007-02-27 23:51:09 | 日々つれづれ
こんなに長い間綴らなかったのは初めてです。
どうしてこんなになってしまったんだろうと思うくらいに、身体が動きませんでした。
少し何かをすると疲労感でいっぱいになる。
このままの状態だったらどうしようという気持ちもありながら、感情さえも鈍磨しているという感じでした。

その間、溜まっていたビデオを見たり、ネットでドラマを見たり、本を読んだりして過ごしました。
その中には、たくさんのメッセージが詰まっていました。
身体とは裏腹に、精神面ではスピリチュアルな方向に導かれているような気がしました。
動かない身体と、鈍磨した感情の中で、自分の存在について考えました。
私がこの世に生まれた意味を、20年前、高校時代に答えを出すことが出来なかった問いに対して、もう一度考えました。

「前世療法」ブライアン・L・ワイス 山川絋矢・亜矢子(訳)PHP文庫 に出てくる女性と自分の姿が重なりました。
この本の中で、その女性は、催眠療法によって、自分が今生に生まれてきた意味を知ることになります。
それは「信頼すること」でした。
人を信頼することを学ぶために生まれてきたのだと、催眠中の彼女は答えました。
今、信頼できるのは、カウンセリングを行っている精神科医であること。
そして、彼女の恋人に対しては、巻き込まれないようにすることは出来ますが、完全に傷付けられないようにすることが出来ないと答えました。

私にとっても同じでした。
女性として色んな体験をしたことは、もしかしたら私自身、それを生かして何かをする役割を持っているのではないかと考え始めてから、驚くほどに、周りの状況が変わっていきました。
先月、子宮頸がん検診の再々検査を受けました。
でも、わたしにとっては、もう迷いはありませんでした。
このことを体験することも、私にとっては大切な経験の一つになるはずだと思えたからです。
がんではない可能性が高かったこともあるのかもしれませんが、もしそうだとしても、私は受け止めることが出来るだろう。
そんな思いの元に検査を受けました。
ただ、そこで自分自身が、旦那のことを思い出し、怒りが沸きだすことは想定外でしたが・・・
ウィルス検査の結果は、陽性でした。
ハイリスク型のウィルスが検出され、3ヶ月に一度の検診を告げられました。
でも、揺れることはありませんでした。

旦那に対しても、彼女と同じように捉えています。
やり直せば、今までとは違う関係性を持つことは可能かもしれない。
だけど、傷付けられることには変わりないだろう。
同じように傷付くことはないとしても、この1年半の間、たくさんの温かい関係に気が付き、それを心地よいと感じているのに、自ら傷付くような関係性の中に身を投じたくない・・・そんな風に思っています。

今の私の状態は、「関係を再調整した方がいい」と斎藤先生に言われたりして、それを無意識の脅威として感じ、動けなくなってるのではないかとカウンセラーから指摘されました。
それよりも「今」を感じるために動けなくなっているのではないかと思いました。
今、どのような状態にあるのか、この動けない苦しみを感じるために、この状態をしっかり見つめるために、この時間を与えられているのかもしれないと思いました。
この状態から、私は何を学べばいいのだろう・・・考えていました。

この状態であっても、私は私を受け入れることが出来たら、何も出来なくなってしまった私を認めることが出来たら、どんなことがあっても私は私を愛することが出来るだろう。
そんな風に思いました。
そして、今まで私はどんな状況下においても、休むこともなく動き続けていた過去。
身体から出るメッセージにようやく素直に従うことが出来ているのかもしれないと思いました。
肺炎になろうと、翌日から動き回り、疲労感を感じながらも、自分自身でそれを受け止めることが出来ず、自分の意思の弱さを叱咤激励しながら、気のせいだとやり過ごしていたこと。
ぞうした自分に気づくことを与えられているのかもしれないと思いました。

仕事も思うように出来ない焦燥感の中で、私が出来るのは、自分の状況を見つめることでした。
こうやってパソコンに向かうこともままならない状況下で、ただぼんやりとした頭で、今の状況で得ることが出来るものを探していた気がします。
もう、仕事も手放す時なのかもしれない。
何もかも手放して、ゼロになる時なのかもしれない。
それでもいい・・・私は答えを出しました。

今まで充分に頑張ってきた。
辞めたければ、苦しければ、そこから離れてもいい。
それでも、私は私のことを非難せずに受け止めることが出来る。
そう思いました。

でも、昨日のカウンセリングが終わると、何かしら気持ちが上を向きました。
今日の仕事の準備も何一つ出来ていませんでした。
デザインを考えることも、そのデザインをパソコンで書き取ることも、材料の準備をすることも、それまでの私にとっては苦痛だったのです。
本当に何も出来ない状態でした。
けれど、ふと何かが沸いてきたのです。
ここ数週間の間、集中力さえもなかったのに、引き込まれていくようでした。
そして、仕事を心から楽しいと感じました。
何かが、ふっと楽になるのを感じました。
今まで、私に仕事が与えてくれていたものを、見ることが出来たのです。

私は、この仕事に支えられていたのだなと思いました。
デザインをするという仕事の中で私は、自分としっかりと会話をし、イメージを形にしていく作業の中で、私自身を表現することが出来ていたのだなと感じました。
それまでもデザインがふと沸いてくるとき、「天使が舞い降りてきた」と表現していました。
まさに、自分という身体を通して、何か表現している、そんな気持ちがはっきりと感じることが出来ました。
私の中の迷いが消えました。
焦りも消えました。
私が必要とする限り手放す必要もないのだとそう感じました。

今まで二日かかっていたはずの仕事が、一日で終わりました。
重かったはずの身体を感じることもありませんでした。
もし、この数週間が私に与えられなかったら、私は自分の身体をいつまでも過信し続けただろうし、焦りの中で仕事に追われる状況を続けていたのかもしれません。
手放すしか方法がない状況を作られたからこそ、自分が勝手に思い込んで抱え込んでいた荷物を手放すことが出来たのではないかと思います。

今、自分の中の感情があふれ出しています。
ようやく書きたいという気持ちが戻っていました。
また、少しずつ、この間にあった出来事を書き綴っていけたらいいなと思います。



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引きこもり中

2007-02-24 10:44:13 | 私のこと
コメントいただきながらお返事できなくてごめんなさい。
精神的に引きこもり中です・・・。
何もかしたくない状態です。
とはいえ、学校行事や子どものことで、結構忙しい日々なのですが・・・
自分の心と向き合うことも、ちょっと一休みしています。

色んなこともあり、カウンセリングもあり記事にしたいなと思いつつ、気力がない状態なのです。
ただ、こんな状態でも、悲観的でも、自責の念に駆られることもなく、ただだらだらと過ごしている自分を、認めていられるような気持ちでいます。

カウンセラーからも、今まで強迫に動いていたんだから、今はふわふわと漂っていればいいんじゃないと言われました。

今は、この状態を漂っていることを感じていたいと思います。
思えば、今まで、寝転んでテレビを見ていることもなかったのではないかと思います。
これまでの人生の休息をまとめてとっているんだと思っていよう、そう感じています。
ただ、この2ヶ月で、5kgも太ってしまったので、何とかしなくちゃ・・・とは思っていますが・・・

とりあえず、元気です。

思い出は宝物

2007-02-18 01:20:54 | 独り言
誰からも愛されないんだと思い込んでいた
でもね 過去はキラキラと輝いていた

変なんだけど 不思議なんだけど
今の私を支えてくれているのは 過去の私

あの頃の笑顔 決して嘘じゃなかった
悲しいこともあったけど
辛いこともあったけど
楽しいことも 嬉しいことも
いっぱいあった

思い込みのせいで 見えなくなってた
素敵な思い出さえも 消してしまうところだった
私の歩いてきた道
決して 間違ってなかった・・・



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あのね・・・

2007-02-15 00:11:09 | 独り言
少しずつ自分の心が動き出しているのがわかる

心が柔らかくなっていたり、

怒りが生まれなくなったり・・・


でもね、

寂しさだけは、埋まらないの

どうしても、寂しくて、寂しくてたまらない。


誰かがいたら、埋まるんじゃないかって

そんな風に思ってしまう。

きっと今までも、そんな風にして感じなくしてきたんだね。


何かに夢中になったり、

恋をしたり、

しがみつくことで・・・


でも、それさえも出来なくなった・・・

夢中になれる気力を奪われ、

恋することも、しがみつくことも出来なくなった・・・


お酒で寂しさを紛らわすことが出来たら、

薬で、夢中になることを取り戻すことが出来たら、

どんなに楽なんだろう。


何もかも、奪われて、

寂しさだけが、私の中に残ってしまった。

一番見たくないものを、見せ付けられてる。


どうやっても埋まらない寂しさを

受け入れることしか

選択することが出来ないように・・・


私は、今

この時を与えられているのかもしれない。

静かにこの時を見つめていよう。




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カウンセリング65

2007-02-14 16:33:53 | カウンセリング
一週間辛かったことを話しました。
精神的にはそこまで辛くないのに、身体がしんどいこと、引きこもっていたいと思うことを話していきました。

「1年半掛かって一番病んでいた膿の部分を出し始めたんだから、辛くなって当たり前だよ。
 引きこもっててもいいんだよ。
 猫だって、悪いものを食べたら、3日くらい寝込んでるよ・・・」
そう言われました。

私の中核信念として
「自分はダメだ。」
「人に迷惑をかける。」
という考え方の癖みたいなものがあって、
良き妻、良き母であることの承認を他者に求めていた。

カウンセラーとして、再構築して欲しいとも、して欲しくないとも思わない。
でも、ねこさんは再構築も出来る人だと思うよ。
男友達の一人くらいの気持ちでもいいのではないか・・・
そんな風に言われました。

友達だとしたら、付き合いたくないこと。
今までこういうタイプの人を見たことがないと思うくらい変わっていると思うこと。
他の夫婦の関係と照らし合わせても、今までの自分達の関係が変だなと思うこと。
今は、まだ向き合う気持ちになれないことを話しました。
そして、一緒にいれば、巻き込まれてしまいそうだと感じてしまうこと。
自分が元に戻ってしまって、苦しい思いをするのは嫌だと思うことを話しました。

以前のねこさんとは違うから大丈夫だよ。
そんな風に言われましたが、旦那の言葉に振り回され、傷付くのは怖いです。
振り回されるのも、傷付くと感じてしまうのも、私の中に問題があるのだとしても、その傷を癒されずに、傷口を開かれるのは嫌なのです。

カウンセラーの優しい言葉や、周りの人間関係が良くなれば良くなるほど、旦那との関係が苦痛になってしまう。
もうあの場所には、戻りたくないと感じてしまうのです。
価値観の違いから、色んなことが学べることは頭ではわかっているのですが、たまに会う友達ならまだしも、同じ屋根の下で暮らす勇気はない。
長男よりも、聞き分けもなく自分勝手な子どもが一人増えると思うとうんざりしてしまう。

旦那が何を言っても、平常心でいられるようになっても、心地悪い言葉や態度をされ続けることは、普通の感覚を持っていたとしても、やっぱり辛いのではないかなと感じるのです。



色んな方に今の状態を心配していただいて嬉しく思います。
たくさんのコメントやメールありがとうございます。
記事に出来ていないのですが、私の中で、過去が変わり始めています。
自分のことを好きになれなくて、封印してしまっていた高校時代。
最近になって色んな出会いがあって、色んなことを思い出して、キラキラと輝き始めています。

絶対に参加しないと思っていた同窓会も、そろそろ参加して、当時の仲間達と話がしたいなと思っています。
あの頃を、笑い飛ばせたり、懐かしく語ることが出来るようになったんだなと思っています。
大嫌いだったあの頃の自分、消してしまいたい過去だと思っていたのに、愛おしく、そしてとても大切な宝物に思えてきました。

こうやって、少しずつ過去が形を変えて見え始めたことは、自分を見つめ始めたことのご褒美のようにも感じられます。
過去の封印を解こうとした時に、本当に、色んな出会いが私を包んでくれました。
そして、一つ一つ、自分を取り戻せていけているような気がします。

過去があったから、与えられた、たくさんの今の出会い。
そして素敵な言葉達。
私の歩いてきた道は、間違っていなかったのかもしれないな。
きちんと歩んできたんだなと感じています。

まだまだ、辛い毎日です。
でも、この場所で、たくさんの方と知り合い、見守っていただけることも、私にとっては大切な宝物であると思っています。
本当にどうもありがとうございます。
そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。









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無題

2007-02-13 01:03:01 | 独り言
いつの頃からか思っていた。

私、ここにいてもいいの?

いても迷惑じゃないの?

自分の存在が嫌でたまらなかった。


恋をしても、してもらえるなんて思わなかった。

好きな人が傍にいてくれるだけで幸せだと思った。

愛されなくても、遊ばれていても、

傍にいてくれるだけでいいんだって思っていた。


寂しくても、寂しいなんて言えなかった。

会いたくても、会いたいなんて言えなかった。

そんなこと言ったら、嫌われてしまうと思った。

都合のいい女で十分だった。


私なんて愛されるはずなんかないんだと思ってた。

誰も一緒にいて欲しいなんて思うはずないんだと思ってた。

子どものように無邪気に私の周りにまとわりつく旦那。

そんな風にしてもらえるのは初めてだった。


私が今まで好きになっていた人みたいに、

キラキラしたものや、尊敬できるものは何も持っていなかったけど、

でも、この人だったら、私を愛してくれるのだと、

幸せにしてくれるのだと、そんな風に思った。


子どもが生まれ、私を求め泣く姿に、

私を必要としてくれるんだと嬉しかった。

この子は、私を一番必要としてくれていると嬉しかった。

いとしくて、愛しくて、たまらなかった。



でも、本当に私に必要だったのは、

誰から必要とされることでも

誰から愛されることでもなかった。

私に必要だったのは、私が私を愛すること。


ありのままの私を認めること。

自分自身を受け入れること。

ここにいてもいいんだと思うこと。

私と一番の友達になること。


頑張っても、頑張らなくても、

何かしていても、してなくても、

ありのままの姿を、受け止めること。

そして抱きしめること。





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まだまだなの・・・?

2007-02-09 12:28:04 | 私のこと
相変わらず身体が重い。
最近は、昼が過ぎると冷え始め、ホットカーペットの上にいると眠くなるという状態が続いている。
昼寝をしても、眠気は取れず、けだるいまま・・・
わずかな用事で出掛ければ身体はぐったりと動けなくなる。
何もしたくない・・・

仕事は集中できないせいもあって、ミスが続く。
明日から、大学のスクーリングに出掛けるはずだったが、申し込みの科目を間違えていて、旅費や交通費の負担も大きいため、受講を取り消した。
集中力や記憶力が低下しているから、いつもよりも慎重に物事をしているはずなのに、それでも上手く出来ていない。

でも、ふと思う。
こんな自分を受け入れることが出来たなら、もうどんな自分でも受け入れることが出来るようになるのではないかと・・・
なかなか自分自身を認められない、手放せない私に、神様はこれでもかと、どん底の状態を味合わせてくださっているのではないかと・・・
今は、静かに自分を見つめ、それを受け入れていく時期ではないか、自分と和解する時期ではないのかと・・・


先日、またHPの掲示板に書き込みがあった。
「ブログは書かないんですか??
 またパソコンが壊れたんですか??」
旦那からとは断定は出来ないが、文からすると、正月に書き込まれたものと同一人物。

これまで、5年以上、日記やブログを書き続け、掲示板も利用しているが、こういった書き込みは一度もない。
アクセス数も、昨年から三分の一に減っている。
仮に、旦那以外の誰かなら、HPやブログを更新しないから閲覧者も減っている中で、わざわざその手の書き込みをする必要性もないだろう。
私の妄想に過ぎないのかもしれないけど・・・

長女の誕生日について、春休みについてと旦那からメールが届く。
返事はしていない。
その腹いせなのか?
旦那の存在を私の中から消そうとしても、次から次へと忘れられなくさせる出来事が起こる。

それを受け入れたくない自分と、乗り越えていかなければならないと思ってしまう自分との葛藤。

今の仕事も一度手放す決心をしてもいいのかなと思ったりもする。
今の状態では、仕事が出来ない。
自分が楽しむことが出来なければ、人を楽しませることも無理なのではないかと思う。
デザインもイメージも沸いてこない。
そんな中で続けてもいいのかという迷いがある。

今の仕事を手放し、就職し、毎月決まった収入が確実にあるならば、旦那との関係をすっきりと手放したいと思うかもしれない。
いつまでも経済的に依存しているから苦しいのかもしれない。
ただ、今の身体の状態で、仕事が出来るのかは不安だ。

いつになれば私はすべてを手放し受け入れることが出来るのだろう。
まだまだだと、たくさんの課題を与え続けられるのかな・・・




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カウンセリング64

2007-02-07 14:05:19 | カウンセリング
診察台の上で感情が噴出してしまってからは、ちょっと自分の感情と向き合うことに臆病になっています。
昨日も、ミーティングに出掛けましたが、今一番辛い思いを語ることはどうしても出来ませんでした。
どれくらい自分の感情が溢れるのか、想像がつかないこともあって、触れることが出来ませんでした。
ミーティングは、私にとって安心して自分を語れる場所ではあるのですが、ミーティングから家に帰るまでの間は、私にとって安心できる場所ではありません。

それでも、ミーティングで自分の思いを語り、自宅に着くと、身体が鉛のように重くなり動けなくなりました。
今、心と身体は連動していて、心に負担が掛かると身体が動かなくなってしまいます。
これは、最近起こったことなのか、ずっと前からそうだったのに感じなかったのかは定かじゃありません。
ただ、以前のようなわけのわからない発熱や腹痛、頭痛に襲われることは少なくなったような気がします。


今日のカウンセリングでは、最初に、診察台の上で溢れてきた気持ちを語りました。
その感情はどうして生まれてきたのか?
どのような気持ちなのか?
感情を詳しく見つめていきました。

カウンセリングで先週話をしたことによって、過去の診察台での思いが蘇ったと思うこと。
恨み、憎しみは、今も旦那に支配されているから生じるものではなくて、過去の私の思いであること。
どうして私ばかりが辛い思いをしているのか、他の女性と比較して思うのではなくて、旦那に対してそう思うこと。
死ねばいいのにと思うこと。
無残な思いをして死ねばいいのにと思うことを話しました。
もし今、私が感情に任せて、旦那を殺してしまったら、やっぱり切り刻んでしまいたくなるかもしれないと思いました。

2回の流産後、どうしてもこの子を産んでやりたい、抱きたい・・・
そう思って、旦那に土下座をして、もう一人産ませてと頼んだこと。
妊娠中、長女は小学校に上がり、生活も変わり、つわりもひどく、単身赴任中に旦那に帰って欲しいと頼んだら、
「お前が欲しいと言ったんだろう。」と言われたこと。

妊娠中に、もう旦那とはやっていけない、離婚したいと思ったこと。
それを両親や妹に話したら反対されたこと。

子育ての大変さを訴えたら、
「お前は、子どもが嫌いだから、そんなことを言うのだろう
 お母さんは、お前らが邪魔なんと・・・」
そうやって子どもの前で言われたこと。

旦那にそう言われて、そんなことないと否定しながらも、子どもが可愛く思えないことも時々あって、旦那の言うとおりなのかもしれないと思ってしまったこと。

他の人に話したら、よくあることで終わってしまいそうなことだけど、それが毎日のように繰り返されると苦痛で仕方がなかったこと。
でも、それを説明してもわかってもらえないから、DVだと言っていること。
身体に受ける傷や痛みは、そんな毎日の生活に比べたら、たいしたことはないと思っていたこと。

一生懸命、夫婦として上手くやっていきたいと、積み上げても積み上げても、積み上げる端から壊されていく感じがしたこと。
働きに出ていた時には、その生活から逃れられていたけれど、仕事を辞めてからは、その生活から逃れられなくなってしまったこと。
友達はみんな働いていて、その友達と話をしたいと思っても、夜は出掛けさせてもらえなかったこと。


べき思考であること、自己否定感が強いことによって、周囲の強い主張によって巻き込まれてしまっていたのではないかと言われました。
旦那からだけではなく、両親や妹からも、私がわがままだからと言われると、私が悪いから上手くいかないんだと思ってしまっていたこと。
それは加害妄想だと言われました。

常に、自分が居なくなれば上手くいくのではないか、周りは幸せになれるのではないかと思っていて苦しかったことを話しました。
今は、これでもいいかと思えていること。
でも、今まで出来ていたことが出来なくなっていることに対して、やっぱり自分を認められないこと。

そして、それを認めてしまったら旦那と同じような人間になってしまうのではないかという恐れがあること。
約束も時間も守らず、自分が食べたい時に食べて、寝たい時に寝て、周りの人のことも気にせずにいて、私が嫌だと思っていた旦那と同じで、もしかしたら旦那はちっとも間違っていなかったのではないかという気持ちになってしまうのだと話しました。

先週の、アサーティブネスも旦那が出来ていたことばかりで、旦那が出来ていて、自分が出来ていなかったから上手くいかなかったのではないかと考えてしまうこと。
罪悪感を持たなくてもいいと言われていたけれど、本当にこの人は他人に共感する気持ちも罪悪感もないのではないかと旦那に対して思っていて、そういう風にはなりたくない思いがあるのだと話しました。

単なるわがままや自分勝手とアサーティブネスは違うよと言われました。
旦那は自分の権利ばかり主張して、それに付随する義務は果たしていなかったと思うのですが、まだまだ二分律的な思考から抜け出せずにいます。

カウンセリングが終わって2時間、それ以上感情が溢れないように、逃避してしまいました。
出来るだけ、何も噴出さないようにゲームに没頭したり、お菓子を食べ続けたり・・・
心が感じやすくなった分、今までの感情と向き合うのは苦しいです。
このまま逃げてしまいたくなります。




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流産

2007-02-06 00:41:20 | 私のこと
一つ前の記事を書いた後、忘れていた2度目の流産の記憶が鮮明に蘇った。

身体から流れ落ちる塊。
私は、トイレで思わずそれをすくい上げた。

ぶよぶよして、ただの血の塊だった。

6週目。
生理が2週間遅れたのだと思えばいい、そう思った。

「ダメだった・・・」
明るく旦那にそう告げて、家族で買い物に出掛けた。


1度目は稽留流産だった。
妊娠に気が付いたときから、すでに出血が始まっていた。

当時、1年制の専門学校に通っていて、妊娠に気が付いたときには、どうすればいいのか迷った。
園芸や福祉を勉強していたから、実習などを考えると、学校を続けられるのか不安だった。

そして、退職金は、すべてマンションの繰上げ返済と授業料に使ってしまっていたから、出産のための費用もなかった。

長女や次女の時みたいに、妊娠を素直に喜べなかった。
妊娠を告げた時、母は、
「喧嘩ばかりしてるのに、また子どもを作って信じられない。
 育てられるの?」そう言い放った。

私の不安を察知したかのように、お腹の赤ちゃんは、いつまで経っても心音を聞かせてくれることはなく、大きくもならなかった。

出血のため、安静を告げられ、甘えん坊の次女もあまり抱けなくなった。
なので、お腹に赤ちゃんがいること、弱い赤ちゃんなので、ゆっくりしていなければいけないことを告げた。

いつまでも、大きくなることはない赤ちゃんを、もうダメなんだと受け入れることが出来なかった。
つわりはだんだん強くなり、大丈夫なんだと思いたかった。
もしかしたらと、検診の日、祈るような気持ちで、検診台の上に乗った。

次回の検診で、心音が確認されなかったら、掻爬しなければいけないと告げられた。
その当日、朝から少しずつ出血が増えていった。
まるで、私に決断を促すかのようだった。

ちゃんと迎えてあげなかったから、この子は生まれて来たくなかったんだ、そう思った。
私のせいだ。
私の不安な気持ちを察したんだ、そう思った。

手術は、簡単なものだった。
前日から絶食して、昼から病院に入り、点滴で全身麻酔をかけられた。
ウォータースライダーを滑り落ちるような感覚がして、目が覚めたときには、すべてが終わっていた。
麻酔から覚め、なんともいえない嫌な気持ちに襲われた。
けだるさと寒さ。
でも、嘘のように、つわりはぴたり止まって、空腹を感じた。

病院からの帰り、モスバーガーをむさぼるように食べた。
食べながら、悲しかった。
吐き気を感じないことで、もうお腹の中にはいないことを思い知った。


お腹の赤ちゃんが死んだことを子どもに告げると、
「私が、抱っこして、抱っこしてって言ったから、赤ちゃん死んだの?」まだ3歳の次女は言った。
「違うよ。
 最初から、弱い赤ちゃんだったんよ。」私は答えた。

子どもの前で泣いたらいけない、そう思った。

ネットで調べて、子どもを流産してしまった人の集まる掲示板を見つけ、そこに気持ちを書き込んだ。
旦那も、母も、妹も、私の気持ちを受け止めてはくれなかった。

「産むなってっことだったんよ。
 いいじゃん、二人いるんだから。」妹の言葉が突き刺さった。

何日も、何日も、一人で泣いた。
いい加減にしたら・・・旦那に言われた。
本当は、一緒に悲しんで欲しかった。
辛かったねって、抱きしめて欲しかった。


今回、産むことが出来なかった赤ちゃんを、絶対に抱きたいとそう思った。
同じ子が生まれてくるのだとそう思った。
今回は、巡り合えなかったけど、必ず、逢いたいとそう思った。

だから、お医者さんからの許可が下りた、半年後、欲しいと思ってすぐ妊娠に気がついたときには嬉しかった。

でも、やっぱり同じように、出血が続いた。
同じように、心音を確認することが出来なかった。
またダメなのかもしれない・・・

子どもには告げなかった。
そして、安静にすることもなく同じようにすごした。

覚悟していたけれど、2度続けて流産したことは、私の心に重くのしかかった。
でも、私は笑っていた。
悲しんでも、受け止めてもらえないことがわかると笑っているしかなかった。

そんな私の気持ちに共感してくれたのは、同じように流産を繰り返していた女性と、掲示板の仲間だった。

本当は、一番傍にいる旦那に、辛かったねと受け止めて欲しかった。
残念だったねと抱きしめて欲しかった。
夫婦ってなんなのだろう、そう思った。


お願いだから、もう一人産ませて。
旦那に頭を下げた。
この子を、産んであげないと私はずっと、このことを考えてしまう。
生まれてこなかった子をずっと思って暮らさなければいけなくなってしまう。
この子を抱きたい。
そう思った。



この記事を書き上げるのに3日掛かってしまいました。
思い出すのが辛くて悲しくて、上手く書けませんでした。
これを書き始めてから、抱きしめられたい思いに駆られています。
夫婦の間に起こった出来事なのに、一緒に乗り越えて欲しかったのに、そんな思いが渦巻いています。
一人で耐えなければいけなかったあの時の悲しみが、そのまま私の心に蘇っています。

悲しい出来事も、辛い出来事も、一緒に乗り越えて、夫婦の絆が深まるものだと思っていました。
でも、私の身の上に起こったことで、旦那の身の上に起こった出来事ではなかったようです。

1度目の流産の後、まだまだ私の悲しみが癒えぬ時、旦那は他の女性を抱いていました。
そうやって、色んな出来事を重ねるにつれ、私達夫婦の溝はだんだんと広がっていったような気がします。






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恨み

2007-02-02 22:01:00 | 日々つれづれ
年末の子宮頸がん検診の再検査の結果を聞きに病院へ行った。
組織診の結果もⅢaという結果だったので、DNA検査を受けた。
診察台に上がりながら、生まれてきた感情は、戸惑いでも不安でもなく、旦那に対する恨みの感情だった。

長女の妊娠時の検査で、クラミジアが陽性だった。
夫婦で抗生物質を飲んだ。
次女の時は、陰性が出た。
でも、長男の時には、また陽性。
旦那がどこかで移され、私に移したとしか考えられなかった。

子宮頸がんも、今回初めて知ったのだが、ウィルス感染であるらしい。
子宮内に入ったウィルスにより、DNAが組み変わり、細胞が異形成となるらしいのだ。
この14年間、旦那以外の男性とセックスをしたことはない。
また、旦那から移されたのかもしれないと思った。
旦那は、平気な顔をして、どうして私はこんな目にばっかり合うのだろうと思った。

2度の流産。
稽留流産による子宮内掻爬手術。
3度の出産。
その苦しみを分かち合ってくれることもなかった。

診察台の上で、今までの憎しみが渦巻いていた。

ウィルスの感染経路については、まだ実証されておらず、また男性がこのウィルスにより癌になることもないらしい。
どのように体内に入り、どのような経過なのかは、まだまだ不明らしい。

旦那のせいだと断定できれば良かったのに・・・
そう思った。
私は、まだ自分の身に起こったことを誰かのせいにしたいのだろうか?
まだまだ手放せない感情が、私の心の奥底に潜んでいることを思い知らされた。




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過去の自分

2007-02-01 13:37:14 | 日々つれづれ
今、話題になっている「不二家」や「アパ」の問題。
たぶん、業界の中では慣例になっていたことが、たまたま見つかっているだけに過ぎないと思う。
勤めている人たちは、だんだんと危機意識も、罪悪感も薄れ、それが当たり前のように行われていたんじゃないかと思う。

勤めていた時、やはりそんなことがたくさんあった。
でも、私はみんなが当たり前にやっていることが苦しかった。
正しくないことはしたくないと思った。
でも、自分がやらなければ誰かがやらないといけない状況に追い込まれた時、「ノー」とはなかなか言えなかった。

「ノー」と言えば、必ず波風が立った。
だんだんと周りから人が離れていった。
上司から嫌がらせをされた。
みんなと同じように受け流すことの出来ない、自分が嫌だった。

でも、自分が感じていた問題点は、必ず事件に発展していった。
数年後に見直しが行われた。
なんで、事件が起こる前に、問題を解決することが出来ないのだろうと思った。
私が口にした時には、誰も賛同してくれないのに、事件になれば当たり前のように人が変わる。

何度も、何度も同じような壁にぶち当たった。
最後は、ボロボロに傷付き、左遷させられ、転勤先が遠くて通えないので仕事を辞めた。

仕事を辞めなくちゃいけなくなったのは、自分が他の人と同じように感じることが出来ず、受け流すことが出来ず、人との協調性が持てないからだと思った。
そのことは、仕事を辞めて、そんな状況に陥らなくなった7年経つ今でも、心にしこりを残している。

その時より、収入が多くなれば忘れられる。
評価されるようになれば忘れられる。
そう思っていたけれど、何度も何度も、前の職場の夢を見続けた。

それに追い討ちを掛けるような旦那の言葉・・・。

「お前は、人と上手く付き合えないから辞める羽目になったんだ。」
「わしが養ってやっている。」
仕事を辞めなければ、そんなことを言われることも、離婚を躊躇することもなかったんだと思った。
同期が係長になった時、もし辞めていなかったら、旦那よりも役職も上で、給料も旦那よりも多かったのに・・・
そんなことばかり考えていた。

いつまでも、元には戻れない過去の自分にしがみついていた。

旦那に対しても、正義感や曲がったことが許せなくて衝突した。
時間を守らない。
約束を守らない。
お金にルーズ。
女性関係もルーズ。
どうしても許せなかった。

仕事も、家族も、許せない性格だから、そんな風になってしまったんだと思った。
なんでも、もっと柔軟に捉えることが出来れば良かったんだと思った。


でも「ハケンの品格」を見ていて思った。
私が、いけなかったのは、そんなことじゃなかったんだ。
自分がしていることを自分で認められなかったこと。
自分が正しいと思って行動したのならば、誰がなんて言おうと気にしなくても良かったんじゃないか。
敵も多かったけれど、私を評価してくれる人も居た。
それに、私が正しかったことは、事件が起こることで実証された。
その時は、評価されなかったけれど、何年も経てお礼を言ってくれた人も居た。

自分に与えられたことを精一杯やって、間違っていることを間違っていると言い、私は、何一つ恥じることはしていない。
あの時、何にも感じることなく流されていたら、事件が起こった時に、もっともっと悲しい思いをしただろう。
もっともっと自分を恥じて責めていただろう。

自分が正しいと思うことをすればいい。
胸を張って、戸惑うことなく、信じた道を進めばいい。
過去はどんなにこだわっても変えられない。
起こってしまったことは、手放して許していこう。

私は、やっぱりこれから先も、間違ったことは許せない。
ルーズなことも許せない。
でも、すべてを認め、一から作り直すとすれば私はそれを受け入れよう。
過ちは、起きた時点で終わりではなく、起きた時点が始まりだ。
それをどう対処していくか、私はそこに目を向けていこう。

過ちが発覚した時、事件が起こってしまった時、それをどう受け止めるかは相手の自由だ。
みんなやっていることなのに・・・自分だけ見つかっちゃった・・・」とか、
「運が悪い」
「今度は、上手く隠さなくちゃ・・・」
そんな風に、思うのなら私は、許せない。
「相手に対して悪いことをしてしまった。」
「変わらなければいけない。」
「信用を取り戻せるように頑張ろう。」
そうやって変わっていくのなら、私も受け入れよう。

まだまだ、こだわっている部分はあるかもしれない。
でも、今の私はここ。



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