私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

こんな女性になれたらいいな

2005-11-13 23:10:13 | 日々つれづれ
子どものダンスサークルで、中学校時代の友達に再会し、よく話をする。
彼女の生き様は、私にとって壮絶である。

高校2年生で、妊娠、結婚、第1子出産。そして離婚。
その後再婚、第2子出産、離婚。
ここまでは、私が結婚するまでの話だった。
クラス会をしたいという電話で彼女から話を聞いた。

そして、偶然に出会い、2人の子連れの男性と一緒に暮らし、第3子がいることを知った。
そして、昨年、その男性と入籍をした。
第3子は二人の子どもでありながら、その子どもが9歳になるまで、ずっと籍を入れなかったようだ。

もうすぐ二十歳になる長男は、お母さんである彼女と、第3子の妹と一緒にダンスにやってくる。
「お母さんが17の時の子どもなんよ」と平気で話す。
連れ子である女の子も、時々ダンスを教えに来ていた。
よく笑い礼儀正しく、これまた彼女と仲がいい。
私が、彼女と同級生だと言うことを紹介されると、嬉しそうに色々話してくれた。

この夏、15歳の第2子が、子どもを産んだ。
去年、「ぐれぐれでね、学校も行かなくて困ってるのよ。それなのにダンスには出かけるし・・・・・・」
彼女は苦笑しながら話してくれた。
「夜、心配で眠れなくてね・・・・・」
彼女は、孫の誕生を、とても喜び、嬉しそうに教えてくれた。
そしてあちこちに連れまわっていた。

そして先日、
「もう一人、欲しいなぁと思うのよ。大変だったけど、子育てしているときが一番楽しかった。それにパパとの子どもは一人しかいないし・・・・・・」
そう彼女は、話してくれた。

今は、旦那さんの仕事を手伝いながら、花を生ける仕事もしていると言う。
彼女の過去を振り返った時、私の想像を絶するほどの困難がたくさんあったように思う。
それなのに
「子育てしてるときが一番楽しかった」
彼女の言葉に、とても元気が沸いてきた。
かっこいいな、素敵だな。そう思った。
彼女は、スタイルもよく、見た目も素敵だ。
まさか5人の子供がいて、孫がいるようにはとても見えない。

どんな風に生きてきたかではなくて、今をどう生きているかが一番大事なんだな。
本当にそう思った。
彼女のようになれたらな。そう思った。

愛の形

2005-11-13 17:07:33 | 私のこと
marca-miaさんからいただいたコメントによって、私の心が、引き出されたので、ここに転記させていただいて考えてみたいと思います。

「ねこさんは、ご主人が変わってくれないから愛せないのですか...?愛しているから変わってほしいのですか...?愛していないけど、変わってくれたら一緒に居られるという気持ちなのですか...?」

私は、旦那のことを愛しているのか、わかりません。
私が愛だと思っていたものは違っていたような気がします。
何かに「別居した人がどうしているだろうと心配するのは愛で、やり直したいという気持ちは愛ではない」と書かれていました。
もしそうだとすると、私の中には、旦那に対する愛が、存在しているのかもしれません。

marca-miaさんのコメント
「お子さんたちのために、無理してご主人を愛する必要はないですよ。愛は能動的なものだと私は思います。愛したいから、愛するのではないでしょうか。または、愛さずにいられないから、愛するのでは...?
ねこさんの文章の中で「愛するべき理由」...と、「愛」に「...するべき」をつけている気持ちが私には分からなくて...詰問に感じたらごめんなさい。夫婦間の亀裂をはっきりと感じられるまでの間、ねこさんはご主人を「愛するべき」と思って愛していたのでしょうか...?何だかそんなのって、悲しいです。」

そうですね。指摘されるまで気が付かなかったのですが、私は旦那のことを愛するべきなんだと思っていました。
だんだん薄れていく旦那への愛情を不安に思いながら、愛するべきなんだと縛り付けていたのかもしれません。
そして私の思うように、愛せないことを旦那のせいにしたかったのかもしれません。

短大の時に、親離れできない子どもの感情についてこう聞いたことがあります。
「キャラクターの鉛筆が欲しかったのに、普通の鉛筆を買ってきたお母さんに対して、『キャラクター鉛筆が欲しい!!』とキャラクター鉛筆が買ってもらえるまで親から離れられなくなる。最初から、欲しかった鉛筆を貰うことが出来た子供は、安心して親から離れていられる」

これと同じだったのかも知れません。
私の思う通りの行動をしてくれない旦那に、それをしてもらおうとしがみつく。
もし要求が通れば、安心するが、また違う要求をしてしまう。
要求が通らないと、なんとかそれをしてもらおうと思う。
そして、自分の思う通りの行動、最初のうちは、約束を守るとか時間を守るとかそういったことだったと思いますが、それを守ってくれない旦那のことを、私を愛していないからだと思い、時間や約束を守ることに対してしがみつく。

それは、私と旦那の価値観が違うために、そうなってしまうということを考えることも無く、過ごしてきたのだと思います。

marca-miaさんのコメント
「私がねこさんのブログを読んでいて、ちょっと不安になってしまうのは、ねこさんがご主人とのやりとりの中で感じた不快感や、傷つけられたという気持ちを「愛している・愛していない」という気持ちと混同してしまわないかということです。」

まったく、その通りです。そんな風に思っていました。
旦那の行動を想像して、愛されていないからなんだと思っていました。
それでも、愛されているという形が欲しくて、何度も要求を変えていたように思います。
旦那は、はりねずみのように鋭いとげを持っているかのようで、私がいくら気持ちをぶつけても、とげよりも先には、近づくことを許してはくれませんでした。
私は、そのとげで傷だらけになりながらも、何度も何度も、ぶつかっていき、仕舞いには、その傷の痛みさえも気付かなくなってしまっていたように思います。

旦那が、私の思う通りに動いてくれないことを、私が悪いんだというように捉え、自分を責め、旦那を責める。
その繰り返しでした。
そして、旦那は次々に、私を傷つけるような行動を取っていく。
でも、何とか受け止めてもらおうという思いから、好きな鉛筆を買ってもらえていない子どものように旦那にしがみつく。

昨日のようなことがあって、今までの私だったら、満たされない思いが、また違った要求に繋がっていたと思います。
例えば、ポストに入れたビデオカメラを玄関先まで持ってきて欲しいとか......イライラと旦那に対する欲求不満が渦を巻いていたと思います。
昨日は、ビデオカメラを下まで取りにいき、間に合ったことで安堵感を得ることが出来ました。
冷たい空気に触れたのが良かったのか、旦那が上まで持ってきてくれなかったのは、旦那が思いやりに欠けるからだと思えたのです。
持ってきてくれないこと=愛されていないと考えなかったのは、一歩前進できているのかなと、自分自身を認めてやろうと思います。

まだまだ、胸の苦しさは継続中です。
この胸の苦しさがあると気分がふさいでしまいます。
何が、どんな形で、詰まっているのでしょう?
今までは、そんなことにも気が付かなかったのですね。

これまでの私の愛だと思っていたものは、単なる旦那への執着心でした。
今更ながら、愛というものについて考えないといけませんね。

marca-miaさん、私に色んなことを気付かせてくださってありがとうございます。
いろんな方とコメントでやり取りする中で、すっと心に引っかかっていた何かがするすると解けてしまうことが度々あります。
その度に、見守ってくれる誰かがいることの暖かさや心強さを感じずにはいられません。
ネットというバーチャル的な社会かもしれませんが、私はとても救われています。
本当にありがとうございます。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

ビデオカメラ2

2005-11-13 01:14:03 | 私が離婚を決めた理由
またまた、フリーズしてしまいました.........


せっかく取れた、みぞおちの何かが、また詰まっていてとても苦しい。
取れるまでは、その存在にすら気が付いていなかったのに、一度取れると、こんなにも苦しかったのかと驚く。

そしてふと思い出した。
先日の斎藤先生の講演会の中での摂食障害の女性とのやり取りを。
その中で、先生は治す方法について、
「普段と違うことがある日(ユニークディ)に、吐くことを我慢してみる。もしその日に吐かなかったら、ユニークディに起こったユニークイベントと考える。
次の日も、ユニークディと同じ気持ちになって、同じように過ごしてみる。
7日も止めてしまったら、どんよりとした気分になってしまうだろう。
3ヶ月止める事が出来たら、吐いてみるのも良いだろう。
そうすると吐くことがどんなに辛いことか気が付くだろう」
と話された。

初めは、寂しさで揺れ動き、落ち込んだ。
今、旦那と離れて暮らし始めて3ヶ月ちょっと。
私が旦那に依存していたのなら、この摂食障害の話と同じなのではないか?

メールのやり取りを転記してみる。自分が打ったものとはいえかなり感情的で攻撃的だ。

私「ビデオカメラ返してください」

私「ビデオカメラ返してください」

旦那「明日いりますか?」

私「いる。何故持ち出すの?信じられない。」

私「泥棒!何故勝手に持ち出すの?」

旦那「締め出される前に使ったの。なんで泥棒なんですか?あなたのものなんですか?今晩中にポストに入れときます」

ここまでの私の心情は書いた。
旦那にしてみれば、ビデオのことはすっかり忘れていたのに、泥棒を意識的に使ってしまった私に対して、腹を立てているようだ。

私「充電はどうするつもり?充電しないと使えないよ。意味ないじゃない。
運動会などあって、いることぐらい判るでしょう。
少なくくとも、あなたのものではないよ。
子どもを撮る気も、見る気もなかったあなたのものじゃないよ。
子どものための物だと思うよ。
しかも、私の撮ったテープは少なくとも泥棒だ。」

旦那のメールに対して、忠実に答えを書いてると思う。

私「ビデオテープも大切だから、ちゃんと返してね。」

旦那「意味がわからん。予定も教えてくれないくせに勝手なことばかりいわないで下さい。あなたの言い分が理解できません。家から締め出して子供にも逢わさず電話にもでようとしない。全く話し合いをしようとしない。あまりにも自分勝手で自己中心的ではないですか。こちらは話し合いたいし非もみとめているのに」

意味がわからんというのがこちらも意味がわからない。
私としては、少なくとも一度も自分から使ったことの無いビデオカメラを断りも無く、持ち去り、必要性があることも気が付かないで、今まで返してくれなかったことに対して腹を立てている。
旦那としては、家のものを持ち出して何が悪い。話をしないから、行事もわからず返さずにいたんだ。自分が悪いのではなく、話をしない私が悪いのだと言いたいのであろう。

旦那「テープはまた返します。たちまちビデオと充電器を1時までに入れときます。よろしくお願いします」

これは、旦那の私に対する、精一杯の誠意だろう。

私「充電は?テープがないと録画できないんですけど?テープと充電お願いします。私のためではなく、子どものためです。1時に入れられてもどうしようもないので、明日7時までに両方をお願いします。少なくとも、予定を言わなくても、あなたが持ち出した後、運動会がありましたよ。あなたも見たのではないですか?」

夜1時までということは、その時12時だったので、一時間も待ち続け、寒い中を1階の集合ポストまで取りに行かなくてはならないのか?
わざわざ着替え、その間に、長男が起きるかもしれないのに(しょっちゅう起きる)充電したい時に、出来なかったのは、あなたのせいだから、あなたがビデオカメラが撮れる状態にしておくべきだ。
私の思いをもう一度告げるが、旦那への回答は無い。

旦那「 勝手なこといわないで。テープはかうけども充電はできません。なんとかしてください。明日は何があるんですか?教えてください。子供は私に帰ってきてほしいと思っていませんか?子供のためにはふたりがいいと思うのですが。今の状態は子供のためになるんですか?あなたのためじゃないんですか?」

旦那にとっては、急にいると言っておいて、そんなこと今更出来るはず無いだろう。
旦那は、私が答えなかったことに対して、もう一度思いを告げる。

私「じゃあ、今すぐ玄関の前の牛乳箱に入れて置いてください。
テープはコンビニにもあるでしょう。
ポストまでは取りにいけません。
テープは、私が撮った物です。
それに続きが撮りたいと思うのは勝手ですか?
どちらが身勝手なのか、よく考えてみてください。
ビデオカメラが無いことには、今日気が付きました。
運動会は父にビデオ任せたし........
購入してから一度たりとも家族のために自分から使おうともしなかったあなたが
まさかビデオを持ち出しているなんてこと夢にも思わなかったから。
家族は撮ろうとは思わなくても、他では勝手に持ち出してまで撮りたいものがあったんですね。」

再度、自分の思いを告げる(しつこいかも......)厭味まで言ってしまった。
そして自分の都合のいいように相手に行動させようとしている。

旦那「ポストに入れときました。起きてるようだからだしてください」

旦那「悪いけどメールが来る前にポストに入れました。見てください。テープも買ってます。」

寒いのを我慢して、取りに行ってみた。
そこで、待ち構えられていたらどうしようと思った。
ビデオカメラと充電器があった。おまけに充電は切れていない。
テープは、車が動いていないところを見ると、わざわざ購入したのではなく、買ってあったものらしい。


何度読み直しても、私のほうが怒り、取り乱している。
そして、旦那は、私の怒りの理由に気が付いていない。
そんな風にして、すれ違ってばかりいたのだろう。
こんな会話では、私も旦那もむくわれない。

私はパソコンでメールを打ち、旦那は携帯でメールを打つ。
時間が掛かる分、旦那のほうが冷静だ。
直接、電話で話していたのなら、怒鳴り飛ばされていたであろう。
その場で話していたのなら、ビデオカメラは返してもらえず、壊されていただろう。

私は、どうだっただろうか?
変わらないだろう。同じことを何度も何度も旦那が答えてくれるまで、いい続けたであろう。
私の怒りは、ビデオが手元に無いことではなくて、
旦那が持っていったことに気が付くまで、2時間も探してしまったこと。
断りも無く、勝手に持っていったこと。
それと今までビデオを撮ってくれなかったことにあるのだから。
私がカメラとビデオカメラ2台使っていようと、妹がカメラマンを引き受けようと、旦那は我冠せずにいたということが私の怒りの原因なのだから。
いくらビデオカメラが、戻ってきたところで、私の心は静まらない。
静まらないどころか、伝わらないことで怒りは増幅してしまうのだ。

もし、謝ってくれたら、どうだろう。
たぶん、私はいいよって言うだろう。怒りも収まるだろう。
私の怒りを認めてくれないこと、それが一番の怒りの理由だろう。
でも、私は自分の怒りを直接伝えては無い。

もしこれが子どもに対してだったどうやって会話をしただろうか?
数日後に必要で、余裕があったらどうだっただろう?

「ビデオカメラ持っていった?」
「勝手に持っていかないでよね。2時間も探したんだからね。」
「何に使ったの?」

ちゃんと聞けるのではないか?

明日までに、充電しておかなければならないことで、追い込まれ、
探しても見つからないことで焦り、子どもを寝かしつけることが出来ないことで自分を責め、
もしかしたら、旦那が子どものビデオが欲しくて取ったのかもしれないという想像で、さらに怒りを増したのではないか?
自分で自分を追い込んでしまっている。

少し、私が成長したのは、怒りの理由がわかったこと。
そして、ビデオを手にした時、私の心は静まったこと。