私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

ゆるすということ

2007-03-09 23:57:47 | 本箱
今年の私のテーマは「赦し」です。
少しずつ色んなこと、そして自分の心を解放する事が出来たらいいなぁと思っています。
たくさんのこだわりをまだまだ持ち続けています。
時に、こだわりは大切な個性なのかもしれません。
でも、自分を苦しめるだけのものは、手放していけたらなと思っています。

クリスマスの教会でのキャンドルサービスで、牧師さんの
「私はあなたを赦します。」という力強い言葉に、私は神に赦された気持ちになり、本当の意味での神様の存在を感じることが出来るようになりました。
ただ、私は、神様を信じるということは、宗教にこだわる必要はないのだと思っています。
神様は、たぶん、どの宗教でも同じなのだと、ただ伝え方、それぞれの受け取り方が違うだけであって、同じ存在なのだと思っています。
そんな大きな意味での神様の存在を感じ、そして、今、自分の人生をゆだねられる気持ちになりました。

自分自身を霊的な存在と捉え、魂の成長の場として、色んな経験をすることを与えられているのだと、すべて身をゆだねて、漂っていればいいのだと、あたふたすることも苦しむことも悲しむことも、すべては自分の成長のために与えられているものなのだと、そう受け止めることが出来るようになりました。

とはいえ、まだまだ悲しみや怒りや苦しみに翻弄されます。
でも、ゆっくりと物事が起こった意味を、何を学ぶべきなのか、考えようと思えるようになりました。
人との出会い、本との出会い・・・・
それぞれが与えてくれるメッセージをしっかりと受け止めていけたらいいなと思っています。



「ゆるすということ」

ゆるすことは
幸せになるための処方箋
ゆるさないことは
苦しむための処方箋

苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて
「ゆるさない」
という種が
宿っていないだろうか?

復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し
免疫が低下することは
まちがいない

当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる

ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を
見逃すことではない

ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわりつづけるのをやめること

ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流しつづけるのをやめること

ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
いまこの瞬間に
百パーセント生き 
百パーセント愛すること

ゆるしとは
怒りからの解放であり
攻撃的な思いにさよならすること

ゆるしとは
誰に対しても
愛を拒まないこと

ゆるしとは
ゆるさないという思いから生じた
心の空洞を癒すこと

ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人のなかに
神の光を見ること

ゆるしとは、相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯したまちがいのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである

最も深い意味でのゆるしとは
愛で満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと

ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくはまちがっている考えを
ゆるすこと

いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに
ただゆるすこと

ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人と一体にし
すべての人を神と一体にする

ゆるすのに
早すぎることはない
遅すぎることもない

ゆるすにはどれだけの時間が
必要だろうか?

それはあなたの価値観しだい

絶対にムリだと信じるなら
絶対に起こらない

半年かかると信じるなら
半年かかる

一秒ですむと信じるなら
一秒ですむ

私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを



「ゆるすということ」ジュラルド・G・ジャンポルスキー著 サンマーク出版より




ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


足りないものを求めて

2007-01-18 10:52:55 | 本箱
なんだかずっと私は、何かわからないものを探し求めていた気がします。
時には、本屋をぐるぐると回り、時には、ネットで検索を続け・・・
でも何かを探し求めている自分には気が付いていても、何を探しているのか良くわかりませんでした。

たぶんそれは、無意識のうちに、自分の中にある空洞や、足りない部分を必死に埋めようとしていたのではないかと思います。

時に、誰かの愛情で
時に、セックスで
時に、必死に頑張ることで
時に、無我夢中になることで

時に、食べることで
時に、買うことで
時に、怒ることで
時に、活字によって

そして時に、共感することで・・・


足りない何かを求めることは、私に必要なことでした。
心の空洞を何かで満たそうと思うのは、大切なことでした。


mixiで知り合った方に本を紹介していただきました。
ぼくを探しに」シルヴァスタイン作 倉橋由美子訳 講談社

この本を読んで、初めて足りない自分を認めることが出来たような気がします。
足りないから、それを求め続けていたから、手にすることの出来た、キラキラと輝くものを私はたくさん持っているような気がしました。

そう考えると、足りないことも悪いことではないと・・・
足りないことも素敵なのではないかと・・・
足りない自分を、満足して受け止めることが出来たのです。

この本を通して、初めて自分との分かち合いが出来たように思います。

本を紹介してくださった方
その方と知り合うまでの経緯
そしてこの本を読むタイミング・・・

すべてにおいて、与えられているんだなと感じます。
たぶん、その一つが早くても遅くても、
私の心に響かなかったかもしれないから・・・

たくさんのありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。


ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


ありのままの自分でいるということ

2007-01-06 01:08:04 | 本箱
久しぶりに本の紹介です。
ずっと本を読んでいなかったわけではなく、むしろハイペースで本を読んでいる気がします。
それくらい教科書も読めるといいのですが、どうも教科書の類は苦手です。
どこが違うんでしょうね。

年末、長男とフラフラっと入った本屋で見つけて手に取りました。
男と女の心が底まで見える心理学」B・アンジェリス著 加藤諦三訳 三笠書房
私の今までの恋愛が手に取るようにわかってしまいました。

その中に心理テストがあったのですが、結果は散々でした。
男性と対等な関係が築けないということが実証されてしまいました。
もっともいけないパターンに見事当てはまってしまっています。
自分の恋愛での行動が、この本の中にすべて書き記されていました。
著者自身の体験に基づくものとされ、感情が手に取るようにわかり、その感情はまさしく私自身のものでした。

これまで読んだ恋愛依存などの本は、どちらかというと論述的に、学術的に書かれていたのですが、具体的な例を挙げて書かれており、それに対する対処方法も書かれているので、自分自身の依存性(共依存や恋愛依存等)を見つけやすく、そして相手とどう係わっていけばいいのかが具体的に書かれているため、実際にどのように対処なり、関係を作っていけばいいのか、行動に移しやすいと思います。
良い会話と悪い会話の例も書かれていたりして、実際の生活にも生かしやすいのではと思います。

また、男女間における考え方の違いなど、書かれていて、なるほどなぁと感じることが多かったです。
男女間の違いによる意見の食い違いなど、女性の立場であれば、男性側の考えることがなかなか理解出来なかったりするのですが、そういうことだったのねと思うこともたくさんありました。
またセックスについての考え方の違いも書かれており、セックスレスの対処方法も参考になるのではないかと思います。

夫婦でこの本を読み、お互いの理解を高めるのにも有効な本ではないかなと思います。
私の場合、破綻する前に、この本に出会っていたとしても、一緒に本を読んで、歩み寄ろうというような姿勢は旦那にはなかったと思います。
もし、私が男性と対等な関係を築くことの出来る女性であったとすれば、旦那と結婚することはなかっただろうし、もし結婚したとしても、早い時期に相手を間違えたことに気がつけたのではないかと思います。
その上で、どうするのかをしっかりと見極めて行動が出来たのではないかと思います。

自分自身が、ボロボロに傷ついて、ようやく逃げられたのではなく、一緒にいるのなら自分が傷つかない方法を選ぶことも可能だったのかもしれません。
いずれにしろ、自分が自分を愛せないと、誰かを愛することは、そして対等な関係を築くことは難しいということです。

「私」が「私だから」という理由だけで、男性が「私」と一緒にいたいと思ってくれるなんて信じられなかった。それで、その女の子は必死で、男性の目に自分がとても利用価値のある女に見えるように努力した。そうすれば、彼は「彼女が必要だ。彼女なしでは生きていけない」と思うにちがいないと考えたからだ。

私は、この文章を見て、まさしくそうだと思いました。
そのままの自分では誰からも愛されないのだとずっと思い込んでいました。
今もなお、どうしてもそう思ってしまうのです。
ありのままの自分でいられること、そしてそれを相手も受け止めてくれること。
そうやって少しずつ、実社会の中で体験して、誤った自分の認識を変えていかなければいけないのかなと思います。

でも、それはすごく怖い。
ありのままの自分でいて、受け止めてもらえると心地良いかもしれないけれど、今まではそうではなかったし、むしろそのままの自分でいることは許されなかったのかもしれません。
ありのままの自分でいることは、見捨てられ不安を引き起こすのです。

まずは、自分自身が自分にOKを出すこと。
ありのままの自分でいることを許すこと。
そこからのスタートなのかなと思います。



ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル



恋愛中毒

2006-09-04 17:42:38 | 本箱
久しぶりに小説を読んだ。
最近、集中力が欠如していると思っていたけど、引き込まれるように一気に読み上げた。
主人公の女性と、自分の姿が重なった。
必要以上に、相手を好きになってしまい、感情を止めることが出来なくなる。
生活の全てが、相手に注ぎ込まれていく。
主人公の女性は、ストーカー化していき、罪を犯してしまう。

行動を移してしまうことはなかったけれど、彼女の想いに共感した。
そんな彼女から、少しずつ離れていく男性。
ネットで知り合った男性とのことと重なった。
mixiでこの本のレビューを検索してみた。
「重い」とか「共感できない」「恐い」という言葉が予想以上に書かれていた。

人を好きになると誰でもこんな感情が湧くのだと思っていた。
誰しもが、共感できるような恋だと思った。
でも、違っていたみたいだった。
主人公の子供の頃の話が書かれていて、過干渉気味の母親に自分の母親の姿が重なった。

「もしも・・・あの時・・・」
そんな風に、過去ばかりを振り返る主人公。
「過去に”もしも”を持ち込むな」という相手の男性。
あの時、こうしていれば上手くいっていたかもしれない・・・
そんな風に考えるのは、私も同じ。
自分の意思で、きちんと選択していたなら、自分の行動に責任を持っていたなら、過去を翻す考えなんて持たずに、歩いてきた道のりに自信を持って生きているのであろうか?

 決めたはずのことを私は破った。
 諦めると決めたことを、ちゃんと諦めるように。二度と会わないと決めた人とは、本当に二度と会わないでいるように。
 私が私を裏切ることがないように。他人を愛するくらいなら自分自身を愛するように。かつてそう強く決心したはずだったのに私は同じ過ちを繰り返した。


自分で決めた結末なのに、また揺れ始めている私。
ネットで知り合った相手に、メールを送って一週間。
まだ、私からのメールを相手は見ていない。
その後、他の男性からメールを貰って、メッセに誘われ、電話でも話した。
でも、私が好きだと思ったのは、単なるKさんとの関係の代わりを求めたのではなく、好きになるいくつかの理由があったことを知った。
誰でも良かったわけではなく、相手の色んな面を見て、それで好きになったことに改めて気がつく。

あの時、私が自分の気持ちを抑えていれば、上手くいったのではないか、私が依存的にならなければ・・・そんな風に考え始める。
「今までありがとう。楽しかった。」そんなメールを送り、自ら連絡を絶ちながら、僅かな連絡方法を残し、相手からの連絡を待ってるのかもしれない。
自分で決めたことなのに、まだ揺れている。

今日は、Kさんからもメールが届いた。
自分の気持ちが落ち着くまでは、自分からはメールをせず、返信しかしないと心に決めていた。
だからKさんからのメールは、嬉しかった。
でも、Kさんにすがりつきたいとは思わない。
どうしてKさんにだけは、こんなに冷静に自分の気持ちを保っていられるのだろう。
私が、すがりつけば、間違いなく手を差し伸べ、抱きしめてくれるだろうに。

あんなにネットで知り合った相手には、すがりつきたいと思ったのに、それが恋なのか依存なのか、わからないまま、それでも手放したくないと執着してしまったのに・・・
私が本当に求めているものは、なんなのだろう。
どうすれば、対等な関係が保てるのだろう。
「Kさんに対する気持ちをそのまま自分に持てばいいのに・・・」
そんな風にカウンセラーに言われたけど、それがどういうものなのかピンと来ない。

「Kさんへの想いは、アカデミー賞の映画みたいなのに、何で寅さんみたいになっちゃうの?」
カウンセラーに、こうも言われた。
本当、同じような恋愛を繰り返して、自分でも学習しろよと突っ込みを入れたくなるのに・・・
ここから抜け出すことが出来ない。

恋愛中毒」山本文緒著 角川文庫


ポチッと押していただけると嬉しいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル


過去の想い

2006-05-07 23:08:04 | 本箱
身の回りの片づけが出来なくなっている。
仕事の荷物やらの段ボール箱が使わない部屋に散乱し、読み終わった本も、整理できずにいる。
そんな中で、ふと目に付いた本を少し読んでみた。

 それは不意にやってくる。
 たとえばラッシュの朝、駅の階段をたくさんの人と同じ足取りで歩いている時。仕事の手があいて、窓から午後のオフィス街をぼんやりと眺めている時。居間からの家族の笑い声を、ひとり部屋で聞いている時。ベットの中で目を閉じた瞬間。何も予定がない休日の午後。それは何の前触れもなくやって来て、志織の胸を締めつける。
 最初は皮膚の内側がひりひりするような感じがある。そして、暗い洞窟の前に立った時のような不安が忍び寄る。ああ、また来たと思う。消えて欲しいと願っても、暗闇はどんどん近づいてきて、やがて志織を包み込む。
 志織は諦めにも似た気持ちで身体を丸め、両手で自分を抱き締める。それが何なのか、よくわからない。寂しさのようにも刹那のようにも、後悔のようにも感じる。けれどもやっぱりよくわからない。わからないまま泣きたくなってしまう。そして気がつくと、本当に泣いている。
 それを孤独と呼んだら、誰かに笑われてしまうだろうか。


そんな書き出しの本に、思わず続きを読まずにはいられなくなった。
そう、この感じ。
私は、こんな風にふと寂しくなる。切なくなる。
同じだ・・・・・

平成10年8月25日初版発行と書かれたこの小説。
8年前、真っ直ぐに家に帰れなくなり、本屋を彷徨っていた頃に購入した本だ。
あの時も、たぶん同じ気持ちでこの本を手にしたのだろう。

主人公の悲しみや苦しみに共感しながら、自分の心の苦しみを表現できないもどかしさを、本を読むことで癒して、いや癒そうとしていたんではないかと思う。
この苦しみの中にいるのは、私一人ではないと、そう思いたかったのかもしれない。

 そう、そんなことは志織だって百も承知している。人は確かに変わるのだ。それは今まで何度も何度も自分に言い聞かせていた。なのに割り切れないのだった。胸の中にはどうしても解けないパズルのようなもどかしさがくすぶり続けている。こんな自分はやはり子供なのだろうか。みんなはちゃんとそれを理解し納得できる大人になって、志織だけがおいてきぼりをくってしまったのだろうか。

「顔のお化粧は落とせるけど、この中(胸の中)のお化粧は落とせない。どんどん厚化粧になって、いつか自分でも、素顔の自分が見えなくなってしまう。そう、私も自分が見えないの。・・・・」


あの頃、主人公の志織と同じ気持ちで過ごしていた。
大人になりきれない自分が、ひとりそこから取り残されたような気持ちをいつも抱いていた。
そして、そんな戸惑いから、化粧をすることも出来ずにいた。
偽りの姿を演じているような気がして、心苦しかった。

私と同じだと共感しながら、それでもなおかつひたむきに生き続ける主人公に、私は心惹かれていたのだなと思う。
そして、自分もそうありたいと願っていたのではないかと思う。
8年前、私はそう願いながら、苦しみの中で、前向きに生きようとしていたのだ。

そんな想いを抱かせてくれる本を求めて、私は彷徨っていたのかもしれない。
私は、私で居たいと、必死に生きてきた、私の姿が、その本の中に見えてきた。
あの頃、何故真っ直ぐ帰れないのか、子供が待っているというのに、少しでも早く帰ったほうが楽なのに、どうしても帰ることが出来なかった私が、見えてきた。
自分の存在を消してしまいたくて、それでもなおかつ生きようと必死だったのではないかと・・・・・

むさぼるように読んだ本も、私の中に、生き続けている。
文章や内容を覚えてはいないけれど、あの時共感し、感じたことは心の中に残っている。
そう思う。

「不幸はあるのよ。それは現実として存在しているの。でも、幸福はないの。ないっていうのはね、つまり、幸福かどうかっていうのは現象じゃないってこと。どんなことでもいい、それを幸福だと感じられるかどうかで決まるの。・・・・・・」

本の中の言葉に、共感し、ストンと落ちる。
幸せを感じるられるようになりたい。
本を読んだあの時も、願っていたのではないか、そう思う。


サマー・バレンタイン」唯川恵 幻冬舎文庫より抜粋


ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ メンタルヘルスジャンル   人気blogランキングへ 恋愛・結婚(離婚)ジャンル

私の本箱

2006-04-17 15:49:09 | 本箱
しばらく更新していなかった本箱を更新しました。
まだまだ、読んでいると思うのですが、取り合えず参考になりそうな本を掲載しました。


別居してから読んだ本
ぜったい離婚!から素敵な夫婦三昧 金盛浦子 佼成出版社
妻には、言えない...。 吉村和久 主婦の友社
夫の恋を許せますか? 武石晃一 河出書房新社
恋愛依存症 伊東明 KKベストセラーズ
スピリチュアル生活12ヶ月 江原啓之 三笠書房
一週間で女を磨く本 浅野裕子 三笠書房
子どもが育つ魔法の言葉 for the Heart ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫
心のうちの子供を癒す 斎藤学 ヘルスワークス協会
斎藤学講演集Ⅰ家族のなかの女・男・子ども ヘルスワークス協会
男の勘違い 斎藤学 毎日新聞社
「家族」という名の孤独 斎藤学 講談社+α文庫
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
斎藤学講演集Ⅱ心の内の子どもと出会う ヘルスワークス協会
斎藤学講演集Ⅲ心の傷の癒しと成長 ヘルスワークス協会
子どもを生きればおとなになれる クラウディア・ブラック アスク・ヒューマン・ケア
アダルト・チルドレン癒しのワークブック 西尾和美 学陽書房
がんばっていても不安なあなたへ アン・W・スミス ヘルスワークス協会
なぜいつもあなたの恋愛はうまくいかないのか ジャネットG・ウォイテイツ 学陽書房
「笑顔」と「ありがとう」の魔法 野坂礼子 PHP研究所
家族依存症 斎藤学 新潮文庫
夜の果物、金の菓子 山川健一 幻冬舎
少年A 矯正2500日全記録 草薙厚子 文春文庫
色の暗号 泉智子 だいわ文庫

読み直した本(1998年頃購入)
アダルト・チルドレンと癒し 西尾和美 学陽文庫
アダルト・チルドレンと家族 斎藤学 学陽文庫
アダルト・チルドレン 自信はないけど、生きていく 西山明 集英社
アダルトチルドレン・マザー 橘由子 学陽文庫
親から自分をとり戻すための本 マーガレット・ラインホルド 朝日文庫

4月17日更新

ワーキングマザーだった頃

2006-01-13 21:35:52 | 本箱
ワーキングマザーと子どもたち 久田恵 ちくま文庫

今日は、この本を読み直して見ました。
ちょうど、次女を出産し、職場復帰した頃に出た本です。
当時は、新刊文庫をすべてチェックし、好きな作家の本と、目に付いた本はすべて購入していました。
この本には、働く母親と子どもとのちょっとした出来事が描かれています。
当時は、子どもの立場になって読んでしまって、子どもに寂しい思いをさせている自分を責めてしまいました。

働いているから、育児休暇期間は、しっかり子どもと過ごそうとか、絶対母乳で育てようとか、出産前から決めていたことがたくさんありました。
本もたくさん読んでやりました。
保育園に入れて、触れ合う機会がないからと、子どもとの時間もたくさん取るようにしてきたし、今思えば、時間のある現在よりも、あの頃の方がずっと子どもと向き合う時間は長かったように思います。

今日、読み直して、私は号泣してしまいました。
こんな風に、私は必死に、一生懸命子育てしてきたんだなと・・・・・・
たくさんの辛い思いをしながら、ぎりぎりのところで踏ん張ってきたではないか・・・
本の中の、頑張ってるお母さんの姿と、過去の自分の姿が重なりました。
あの時には、共感することの出来なかったお母さんの姿に、涙がこぼれました。



ある寒い日の夕方、私はいつものように職場から官舎へ帰り、自転車に乗って保育園に向かおうとしました。
よその家からは、晩ご飯の匂いがしてきました。
「えっ。今から、お迎え?」
同じ年頃の子どもを抱えた、お母さんに声をかけられました。

その何気ない言葉に、私は傷付いてしまいました。
私は、
「こんな時間まで、子どもを預けているの?かわいそうに・・・・」
そんな風に取ってしまったのです。
暗いし、寒いし、寂しい。
自転車に乗って、保育園に向かいながら、いったい私は何をやっているのだろう。
そんな思いになってしまい、涙が止まりませんでした。

保育園に向かうと、満面の笑みで迎えてくれた長女と次女。
後部席に乗せた長女は、私の背に抱きつき、前座席に乗せた次女は、私の手を触りました。
途端に私の寂しさは吹き飛んでしまいました。
3人で歌を歌いながらの帰り道。一時の幸せでした。
ちょっとしたスロープが途中あって、二人を乗せて走るのはちょっと苦しかったのですが、
「ねぇ、頑張れって応援してくれる?」子ども達に声をかけました。
「頑張れ!頑張れ!」長女は一生懸命声をかけてくれました。
まだ、言葉を話せない次女も、応援しているかのように声をかけてくれました。
それだけで、暖かい気持ちになりました。
それだけで、明日からも頑張っていけそうな気持ちになりました。

あの頃、本当に必死でした。
でも、そんなささやかな出来事に、幸せを感じていた。
なんだか、そんなことを思い出しました。

2005-11-28 23:44:15 | 本箱
今、1冊の本を繰り返し読んでいます。
「子どもを生きればおとなになれる」 クラウディア・ブラック著 アスク・ヒューマン・ケア
子ども時代の喪失から、回復までのステップが書かれています。
いわばACから回復するための方法が、詳しく書かれています。
たくさんの事例に基づき、ステップによって、どのようなことを書き出せばいいのかわかるようになっています。

でも最初に、この本を読んだ時、流れはわかったのですが、自分自身の問題点についてわかりませんでした。
どのように進めればいいのか、本があっても、そこにたどり着くことが出来ませんでした。
少しずつ、本に沿って自分の気持ちを書き出していけたらと思っていたのですが、なかなか出来ずにいました。

6年~8年前、多くの本を読みながら、実際に自分のこととして結びつけることが出来なかったように、なかなか自分の感情にたどり着けないのです。
ここに書き出すことによって、カウンセリングを受けることによって、少しずつですが、本の内容が、わかるようになりました。
実際に経験できないことを理解するのは、とても難しいことです。
でも、本の内容が少しずつ理解でき、それに沿って答えが導かれるようになったのを感じ始めています。

自分と向き合うというのは、思っていたよりずっと苦しくて、辛いです。
遠い昔に過ぎてしまった出来事なのに、核心に触れるにつれて、悲しみが襲ってきます。
本当に、身が裂ける思いです。
今までにない心の痛みに、戸惑っています。
でも、本を読んでいると、今まで自分の行動で気になっていた部分の理由もわかってきます。

心の奥深くに、潜んでいた感情が、こんなにも私の心を動かし、行動させていたのかと思うと、ちょっと不思議な気持ちがします。
少しずつ、前に進めている、そう感じるだけで、嬉しい気持ちにもなります。
まだまだ、前途多難です。
ここでいただくコメントの対話の中で、光が見えてきたり・・・・・
もし、何か気付くこと、感じることがあったら、お気軽にコメントください。
それによって、少し前進できるかもしれません。
よろしくお願いします。

寂しいという感情

2005-11-19 23:16:21 | 本箱
先日のカウンセリングで、寂しいという感情について話をしたのをきっかけに、1冊の本を購入してみました。
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
副題は、「寂しくて、退屈な人たちへ」
寂しい気持ちについて、より詳しく書いてありました。
この本を読んでいると、今までの自分の姿が、すべてここに書いてあるようでした。
ここまで、すべて書かれてしまっていると、何かしら見えない力に操られていたようで、おかしく思えてきます。
私が、抱きしめられたいと思っていたことも、寂しさがいつも付きまとっていたことも、人間関係で上手く行かなかったことも、旦那との関係も、すべて原因は一つだったんだなって思います。

自分のことを否定してしまう自分、自分のことを好きになれない自分、どうしてそうなってしまったかを考える時、私が親である以上、避けては通れない問題だったなと思います。
旦那と別れて暮らしたいと思った欲求は、とても正しかったなと思います。
子どもを巻き込んでしまったことに対する嫌悪感が付きまとっていたけれど、あのまま、自分の感情を抑えて暮らしていくよりも、今、私が変わろうとしていることは、きっと子ども達の将来にも係わっていく大切なことなんだなと思います。

母が、今の生活を楽しんでいる状況を見て、安心できる私がいるように、これから先、私が変わっていくことによって、同じように安心して暮らせる子ども達がいると思います。
私が負って来た傷を、子ども達が負わなくても済むように、子ども達が自分のことを愛し、認めることが出来るように、今の私があるのではないかなと思います。

今の状況は、私にとって決して楽ではないけれど、今まで不安に思いながらも解くことが出来なかった思いが、少しずつほぐれ始めていくのを見ていると、とても愛しい気持ちになります。
今まで、本を読んだり色々してきても、解くことが出来なかったのは、自分自身が変わろうという気持ちではなく、受身の気持ちでいたこと。
ただ、そうした努力は決して無駄ではなく、こうやって自分自身と向き合ったときに、自分の持っている知識などが役に立っていること。

知らず知らずのうちに、このブログに、自分の思いを吐き出して、カウンセリングを受けるようになったり、ここで同じような状況に陥っている人と交流を持ったり、自分が回復に向かう道を作ろうとしていたんだなと思います。

10月29日~30日(カウンセリング効果?)に様々な出来事が重なってしまったのですが、ここに書いていないもう一つ、私にとってプラスになった出来事があったことにも気が付きました。
29日、偶然、高校時代からの友人に出会いました。いつも彼女に相談を聞いてもらっていたのだけれど、ある出来事がきっかけで音信普通になっていました。年賀状を交換するものの、9年近く逢っていませんでした。
逢えた時、とても嬉しくて、私は思わず、彼女に抱きついてしまったのです。
こういう行動を、私は取ったことがなかったのだけれど、彼女もまた、抱きしめてくれました。

思わず取ってしまった行動なんだけれど、今思えば、これも私の心を癒す、大きな一つの出来事だったのかもしれないなと思います。
変わろうと努力している自分を、何かしら、暖かい力が一緒になって動かしてくれている、そんな気持ちです。
まだまだ、私の心は未熟だから、大きく揺れることもあると思います。
でも、その力に、身をゆだねて、自分の力も信じてみたいと思います。

失笑

2005-11-08 17:43:51 | 本箱
先週、カウンセリングの時に薦めていただいた「男の勘違い」斎藤学著を、昨日、一気に読み上げた。
帯についている「自分が何をしていたって女は待ってくれるはず」の言葉に、笑わずにいられなかった。

本の中で、著者はそんな男のことを「子どもの男」と呼んでいる。
そして”まず自分こそ保護されるべきだと彼らは思っているので、女は、自分を何よりも大切に思ってくれているはずと考え、女性を母親にしてしまうから女のほうは堪らない。
「やめてよ、私、あなたのママじゃないのよ」などと言っているうちに鉄拳の嵐を浴びることになる。”

まさしくこれは、我が家の図式だった。
三人の子供がいながら、自分の気の向くままに生活する旦那に、
「私は、あんたのお母さんじゃないよ。そんなに好き勝手したいなら実家で暮らせば!」と言い放ち、その反撃を浴びていた。
そして、それが何度も繰り返される。
たまに旦那が反省の色を示す、うなだれる姿を見て、何故だか「かわいい」と思ってしまい、許してしまうのだった。
”この「甘えさせ体質」が結局は女性の幸せを危険にさらすのである”
こう書かれていて、もう笑うしかなかった。

母と娘の関係として
”「不幸な母」タイプの母を持った娘”について書かれてあり”母親自身は自分は不幸だと心から思っているわけではないが、誰かに依存したくて、愚痴の垂れ流しをしてしまう。”
私自身、この娘役に当たりそうだと思った。そのせいで、父のことを心のどこかで嫌っていた。そして、母が時折見せる「父への尊敬の念」にこの間まで混乱していた。
ある時、母が言ったことがある。
「自分で何でもできるのに、誰かがいると頼ってしまうから愚痴が出る」と。
まさしくその通りだ。
悪いことをすることは、母を悲しませる。何かにつけ、そんな気持ちでいた。
そして、なお悪いことに、私もまた、この「不幸な母」を演じつつあった。

そして”家父長制的な男性優位な家風が保たれている中で育った長男や一人息子などの場合に母が果たす「家父長ドラマ」の演出者としての役割”について書いてあり、”男児の地位は同胞たちから区別され、食事の質から進学する学校の選択にまで及ぶ”
旦那の父親は、旦那に「家長になるのだから、しっかりすべきだ」と言うような事を言っていた。
そして食卓において、旦那は平然と、おばあちゃんや妹の皿から、欲しいものを奪い、母親はそれを容認していた。
わざわざ養子までとって守ってきた「100年も続く仏壇のある家」とされ、お腹の中の子が男であると知った時、私は長男を産んでしまう前に離婚してしまおうと考えたのだった。

”結婚した男達の多くは妻たちが必要としているものを勘違いしていると思う。妻たちは夫に望まれ関心をもたれていると感じられるという極めてささやかな幸せを確認したいだけなのではないか”
まさしくその通りだった。私は、旦那にそれを求め、もがき続けていた。伝わらぬ思いに苛立ちを感じながら.......

今日、仕事に行く道すがら、著者のいう「子どもの男」に職場でも振り回されていたことに気が付き唖然とした。
そして私は職場でも「かあちゃん」を演じていた。
病気で休んでいる人には、過剰な労力を使って、いかに休みが有効的に使えるか、いかに給料が出るようにするかを考え、道を外れそうになるものに叱咤をした。
そして、過剰なまでに、道から外れることを嫌い、理論や常識で何事も片付けようとした私のことを「子どもの男」は気にくわず、権力によって除外したのだった。
職場でも、家庭でもこの「子どもの男」に振り回され、悩んでいる私に気が付き、
自転車で走りながら、声を出して笑ってしまった。
もう、笑うしかなかった。どうやったら「子どもの男」から逃げることができるのだろうか?