長州ファイブと言うのをご存知ですか?幕末、若き長州の5傑が英国に技術を学ぶために蜜航・留学して、帰国後それぞれが新しい明治維新の国づくりのために多大な功績を残した。井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名である。
もっとも井上聞多と伊藤俊輔は馬関戦争のため途中で帰国する。2006年に映画化されたが、私もこっちに帰って初めて知った。今年はその渡航150周年とかで、山口県のあちこちで企画展が模様されている。
わざわざ長州藩が徳川幕府に内緒で、当時は普通の、あるいは普通以下の5人を多額の金を投じて、はるか英国まで行かせることが、すごい。また普通以下の5人も結果を出したことは、見事である。
だから後世の人が150年を経た今日でも、その栄誉をたたえるのだろうが、長州藩は幕府に内緒で莫大な金を蓄えていた。と同時に徳川憎しの情念は他藩に比べてすさまじいものを持っていた。この2つが、あのような狂気とも見える倒幕運動と長州ファイブを作り上げたのだろう。
金と熱意、やはり人間、ことを成すにはこの2つが必須かも。
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これからも幕末、長州は数多く扱って行くつもりだが、ひと口に薩長土肥と言っても、藩を挙げて倒幕に走ったのは長州のみである。薩摩、土佐は国内の内政問題の延長線上で、肥前に到っては日本と藩の2重に鎖国しており、活躍するのは維新後である。
肥前と言えば、今年5月に2泊3日で佐賀県を一周した。目的は秀吉の朝鮮征伐(これもひどい言い方である)の出先機関、名護屋城と葉隠精神である。
名護屋城は今でもその城郭が残っており、遠く壱岐はもちろん、天気の良い日は対馬まで見えるそうだ。葉隠の方は有田、伊万里焼きの関係者に、朝鮮征伐の時に連れてこられた経緯と、それを守るために行った鍋島藩の行為で、充分推測できた。
博多では不思議なことに大陸朝鮮を感じなかったが、肥前は大陸の匂いが満ち満ちていた。やはり当時の朝鮮との接点は佐賀県だった。この9月末には3泊4日で鹿児島薩摩の何かを感じるために西側半週の旅をする。
このために山口県に帰って来たのだから・・・・・。私はこれまでに鹿児島、沖縄を除く、全国45都道府県を巡った。