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Vol.14076 戦争経験の少ない米国の終戦処理

2014年04月15日 | 歴史

 4/11のVol.14074に続いて、雑誌WiLLの堤堯氏が連載する「ある編集者のオデッセイ」から紹介したい。2012年11月号では太平洋戦争終戦の「無条件降伏」は、過去に例の無いやり方で、「歴史の浅いアメリカは戦争の始末の付け方も知らなかった」と言う。

 英国チャーチルは、米国ルーズベルトの日本への無条件降伏の要求を聞いて驚き、「そんなことしていいのか?」と尋ねた。無条件降伏となれば相手はあくまで抵抗する。

WiLL2012年11月号(写真クリックで拡大)

 戦争馴れしたヨーロッパは、戦争の始末の付け方を経験的に学んでいる。国際法の父・グロチウスが欧州オランダから生まれたユエンだ。

 そもそも無条件降伏はアメリカの南北戦争(1861~1865年)で採用した。その時の死者は70万人といわれ、当時の人口2、000万人の35%が死ぬメチャクチャな内戦だ。それを第二次世界大戦の始末に持ち込んだ。

次のページに続く(同上)

 それまで国と国との戦争の始末は、もっぱら領土割譲と賠償金の額を巡って話し合われた。いわんや、その後の敗戦国の政治体制(憲法)の変更が条件になることはなかった。

 戦勝国が敗戦国のシステムを変えることは禁じ手とされ、それがそれまでの国際間の通念であり、これを力ずくで踏み破ったのがアメリカだと堤堯氏はいう。

長崎を除き物価が安い九州。やはり高い横浜、東京、さいたま(同上)

 終戦の遅れの最大原因、なによりアメリカが突きつけた「無条件降伏」だ。確かにその後のアメリカの東京裁判、GHQの占領方式を見ると尋常ではない。原子爆弾を2発も落とし、無差別爆撃で人民を皆殺しにしたやり方は、仕返しの恐怖に怯えたためである。

 日本は結局ドイツと違って「無条件」ではなく、国体護持を含むポツダムの「有条件」降伏となった。このことは、しっかりと記憶しておこう。

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