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Vol.31 吉田松陰

2013年10月16日 | 歴史

 吉田松陰を取り上げてみたい。正直彼は難しい

 若いころ司馬遼太郎氏の「世に棲む日日」を読んだ。熱くなった私は長男の名前を高杉の「晋作」と付けようとして、親戚中から猛反対を受け、頓挫した。

 山口に帰って再度読み返したが、やはり難しい。司馬氏45才、1969年の作品だが、血気盛んな頃で、筆もまだ躍動感の有る年齢だ。氏も別の書で「長州は難しい」と記している。

 松蔭に関するドラマも見、NHK-BS歴史館も見た。萩の松下村塾にも行った。しかし世に伝わる松陰像とは少し違うような気がする。

 なにしろ彼は1830年に生まれ、1859年に没した。わずか29年間の命である。教科書等に載っている、あの老け顔にみんな惑わされている。

 この老け顔に惑わされる吉田松蔭

 ちなみに高杉晋作は1839年~67年の28年間の人生だ。逆算すると松蔭が死んだ時、晋作は20才の若者だ。

 もう一つ惑わされている物がある。前回Vol.29の岡田英弘氏も言っているが、大半の人が日本史と世界史を別々に学んでいることだ。日本の出来事を世界との関連で捉えていない。

 幕末は欧米の植民地政策に対する抵抗のドラマだ。中国は抵抗して負け、韓国は抵抗すらしていない。日本の目の前に欧米の軍艦が出没して、植民地化を狙っていた。

 そのことに薩長土肥に代表される西側の雄藩は気付いているが、徳川幕府は気付いていないか、抵抗する力をすでに失っている。

 吉田松陰は若くして誰よりも早く、このことに気付いていた。結果として、その考えはさらに若い長州藩士に受け継がれた、と私は彼を理解する。

 この幕末の欧米に対する危機感が明治維新を経て日清、日露、大戦へと繋がって行き、舞台は世界へと広がっていった。歴史はこのように見ないと面白くない。

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