風の声

想いつくまま

「あの日」を語らなかった父

2024年08月06日 | 日記

8時15分
ヒロシマの空にむけ手を合わせる
被爆者だった父が
8月6日の8時15分に
やっていたことを同じように

・・・出征して被爆した弟を探し
 2日間、焦土のヒロシマを歩きまわった父

 やっと探し出した弟を背負って帰る
 「同期の兵隊はみんな死んだ・・・」
 父の背で泣きながら話したという

 1カ月、生死の境をさまよった弟
 父さえも髪がすべて抜け落ち
 歯ぐきからの出血と高熱が続いたのだと・・・

「あの日」のヒロシマの地獄図を
父は語ろうとしなかった

その父が一度だけ
8・6の平和行動に参加する私に
その前夜、言葉を絞り出すように
話してくれた「あの日」のことだった

「原爆の被害だけを言うのも違う
 ばかげた戦争をした挙句の原爆じゃけぇ」
かたくなに「被爆者手帳」を拒み続けた父だった

「どんな綺麗ごとを言おうが、戦争は人殺しじゃ」
徴兵され中国の最前線で
「人殺し」をさせられた父が
怒りと自戒で声を震わせながら
うめくように発した言葉だ













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