風の声

想いつくまま

「江の川鮭の会」が稚魚を放流!

2022年03月07日 | 日記

「環境NPO江の川鮭の会」が鮭稚魚を放流する。

安芸高田市高宮町の川根で6日9AMから、春一番を思わせる強風のなかのイベントスタート。コロナ蔓延防止のためイベントは放流のみが行われ一般参加は取りやめられた。

「江の川鮭の会」は、1994年の100年に1度といわれた、大干ばつで、痩せ細った江の川を嘆き、仲間に呼びかけて設立した環境団体。

「この川に人格があるなら、何と嘆くだろうか。私たち人間にどう訴えるだろうか」。それが江の川の「復権」を誓った「江の川鮭の会」の結成だった。川にも人格があるとして「江の川の復権」をめざすという全国初の環境運動となった。

大海を4年間も長旅をして、生まれ故郷の江の川に帰ってくる鮭の奇跡の生命力を運動のシンボルに。

後に、環境NPOとして登録し、鮭の稚魚の放流、古来より鮭を神とするアイヌ文化との交流や、学校教育の総合学習としての環境教育への支援、江の川のモニタリング活動など幅広い活動を28年間続けている。

会員参加のみでオープニングです。


「江の川鮭の会」の会員による河川清掃が放流前に行われた。


放流される稚魚は27,000匹。ここの会場のほかにも三次市内など4か所でも放流が行われる。鮭の卵の確保は東北の漁業関係者の協力で実現することができた。




孵化した稚魚を、江の川鮭の会と(有)川根水産が5センチほどの稚魚に育てた。この小さな鮭の子どもたちが江の川を河口まで下り、4年間の数万キロの大海の旅を終えて、再びこの江の川に帰ってくる。
故郷の川をどうやって探り当てるのかは、いまだわからない。ただ、河口に近ずくと、深く潜ったり海面近くに浮かんだりの不思議な泳ぎを繰り返す。その後に川を登り始めるようだ。まるで故郷の川の景色を眺めて確認するかのような泳ぎをする鮭たちだ。

4年の長旅を終え、「いのち」を繋ぐために傷つきながら激流を登り上流域の産卵場所を探し床掘りをする鮭。産卵後、母親の鮭は何も食べずに1週間くらい、命が尽きるまで「我が子」の卵を天敵から守る。


一斉に鮭の稚魚を江の川の支流、清流ながせ川に放流する。


この稚魚たちが帰ってくるまで河川環境がダメージを受ければ、再び鮭この川を登ってくることはできない。戦後、日本の各地の川で遡上する鮭が激減し、やがて、鮭の帰ってこない川になってしまったのは、高度経済成長期に川の環境を汚染し大きく変えてしまたことが一因だとされている。


「帰ってこい!帰っておいで」稚魚たちに声をかけながらの放流は続いた。
幼い鮭たちよ、「帰ってこい!」その命を繋げ。


放流の前、江の川鮭の会理事長の延命寺住職によって、鮭や魚たちの供養も行われた。かつては江の川水系の各地で漁期の前やお盆の前に「魚供養」が行われていた。



今にして思えば、1994年のあの大干ばつこそが、気候変動と温暖化という、地球からの人類への警鐘だった。今、私たちは2030年に向け、人類の生存をかけた帰路に立っている。その選択を迫られている。

それは、「地球の危機」などではない。この星の危機などとごまかしてはいけない。地球はしたたかで、人類が滅べば、何千年何万年の営みの中で、元の青い星の輝きを取り戻す。

温暖化は地球の危機などじゃなく「人類の危機」だ。
このまま人が住めない星にするのか、持続可能な星としてくらすかの選択は、私たち人類の英知にかかっている。

SDGSの世界的な大きな潮流に乗り遅れている日本。それは先頭に立ってこの国を導くべき政治が劣化してるのもひとつの原因。だが、私たち一人ひとりに地球がその選択を問いかけている。

「具体的な行動」で示さないと、間に合わない。













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