カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

スペイン・アンダルシア(その2)

2013-12-25 | スペイン(アンダルシア)
マラガ(Malaga)は、スペイン・アンダルシア州マラガ県の県都で、グアダルメディナ川の河口に位置している。フェニキア人によって築かれ、後にローマ帝国やイスラム諸国などに支配された。地中海に面した港湾都市で、リゾート地コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の玄関口でもある。

マラガ市内にあるヒブラルファロ山(標高130メートル)に「ヒブラルファロ城」(Castllo De Gibralfaro)があり、その東隣のパラドール( マラガ ヒブラルファロ)(Parador de Malaga Gibralfaro)の敷地内にある展望台から、西側となるマラガ中心部を見下ろしている。
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左側がマラガ港で、右隣にマラガ公園とパルケ通りが東西に走っている。更に右隣が、ペドロ ルイス アロンソ庭園で、宮殿を思わせる「マラガ市庁舎」(1919年築、ネオバロック様式)、先隣りに「マラガ大学」、更にその先隣りに、水色の屋上の「マラガ美術館」が立ち並んでいる。そして、右隣の丘の上に「アルカサバ(マラガ砦)」が僅かに見え、前方に見える鐘楼が旧市街に建つ「マラガの大聖堂」になる。

少し東側に場所を移動して、南側を覗き込むと、眼下に「マラゲータ闘牛場」(1874年築)が見え、海岸線との間には、高層ビルが立ち並んでいる。眺望を期待して、山の上に来たが、雨が降り続いているため、眺めは今一つである。。多少視界が明るくなってきているようだが、時間の関係もあるので市内中心部を散策することにする。
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ここは、マラガ旧市街のやや北側にある「メルセー広場」(公園)で、ヒブラルファロ山の西の麓に位置している。北側の歩行者通りからは、公園中央に、フェルナンド7世の絶対王政に反対して立ち上がったトリホス伯爵(1791~1831)と彼の48人の仲間(サンアンドレスのビーチで処刑、1831年12月11日)への敬意を示すオベリスクが飾られている。そして、その先、左側に見える鐘楼は「サンティアゴ・アポストル教会」(1490年築)で、パブロ・ピカソが洗礼を受けた教会として知られている。


そのパブロ・ピカソの生家が、歩行者通り沿いに立ち並ぶ建物の西角にある。ピカソは1881年、このマラガの地で生まれ10歳まで過ごしている。生家の建物は、1988年から「ピカソ生誕地博物館」として開館しており、ピカソ作品を始め、ピカソと交流のあった芸術家や、現代の画家や芸術家による絵画と彫刻のコレクションなどが収められている。


建物入口には、生家を証明するプレートが掲げられ、彼の遊び場でもあったメルセー広場内には、ベンチに座るピカソの銅像が設置され撮影のスポットになっている。この時間、朝から降り続いた雨はようやく止んだ。


そのメルセー広場から南の旧市街に伸びる路地(グラナダ通り)を100メートルほど歩き、左折した左側に「ピカソ美術館」がある。ここには彼の絵画はもちろん彫刻や陶器など未公開作品を含む約200点が常設されている。主な作品には最初の妻オルガを描いた「マンティーリャをはおったオルガ」、息子パウロを描いた「白い帽子をかぶったパウロ」や自殺した友人の肖像画「亡きカサヘマス」などがある。


更に路地を南に進むと、パラドールの展望台から見えた「マラガ大聖堂」( エンカルナシオン大聖堂 ※キリストの受肉・化身の意味)の鐘楼が現れる。
こちらは、メインファサード左側に聳える北塔で、高さ84メートルあり、それぞれ異なるアーケードとバルコニーを持つ4層から形成されている。3層目に14の鐘があり、八角形の4層目には時計が飾られ、頂部はドームを戴冠している。
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路地は、大聖堂の北袖廊前で行き止まり、左右への丁字路となっている。北袖廊に向かって左側は、カテドラル庭園で、右側は、北袖廊脇に直結する「サグラリオ教会」で、もともとは、モスクのミナレットがあった。

「マラガ大聖堂」は、カトリック両王の命により1528年からゴシック様式で建設が開始され、その後、ルネサンス、バロックなどさまざまな様式が混在し、1782年まで工事が続けられた。しかし、工事は、財政難のため中止となり、メインファサードと南塔は中央身廊と同じ高さのまま、未完成で終了している。このため、北塔だけのラ・マンキータ(片腕の貴婦人)とも呼ばれている。
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北袖廊にあるポータルは「鎖の門」(南袖廊ポータルは太陽の門)と呼ばれ、大きなアーチがあるポーチで覆われている。左右に極太の円柱を配し、上部はアーチ型のバルコニー付き窓や、コリント式の装飾柱など、華麗で繊細なバロック様式で装飾され、上に行くほど一層豪華に装飾が施されている。ホセ・デ・バダにより設計されている。

扉口を入ると、中央交差部の下には会衆席があり、多くの参拝者が集まっていた。向かい側の南袖廊のステンドグラスからの光とシャンデリアの光とで眩いくらいに輝いている。大聖堂は長方形の間取りで、広い中央身廊と左右の計3つの身廊から構成され、天井はすべて同じ高さの41.79メートルである。
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左側が主祭壇で周歩廊がある。右側の中央身廊には聖歌隊席があり、背後に42人の聖人の浮彫や様々なモチーフが施された突出したコーニスで豪華に装飾されている。礼拝堂は、全部で17あり、中でも「ロス カイドス礼拝堂」のペドオ・デ・メナ作「悲しみの聖母マリア」が見どころとして知られているが、クリスマスミサの最中で、見学することはできなかった。

聖堂の北袖廊前から東に向かう路地を200メートルほど進むと「マラガ美術館」前で、左側は「アドゥアナ広場」となる。広場の東端に小さな観光案内所(小屋)があり、その横に " Alcazaba、Teatro Romano " と書かれた案内看板と上り階段がある。


階段に上らずに、アドゥアナ広場を北側(左側)に少し歩くと、右側が開け、斜面を利用したローマ劇場の遺構(1世紀)と、丘の上にアルカサバ(マラガ砦)が一望できる。アルカサバは、丘の頂部の形状に合わせた細長い凧形の城壁を持つ砦で、対称軸が200メートルほどの長さがある。丘には、古くはフェニキアの要塞や古代ローマ時代の建造物があったが、現在のアルカサバは、11世紀初頭にイスラム王朝により築かれ、改築、改変を繰り返し、14世紀、ナスル朝(グラナダ王国)時代に、二重城壁へ、更に城壁左端から北東方面の「ヒブラルファロ城」との間に階段廊下が築かれ、複合要塞となっている。
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アルカサバは、スペインで保存状態の良い一つで、城壁内には、幾何学模様の美しいイスラム宮殿の一部と庭園の跡が残されている。なお、丘の向かい側は、ペドロ・ルイス・ アロンソ庭園、パルケ通り、マラガ公園と続く海岸エリアが一望できる。

旧市街を1時間ほど散策した後、海岸沿いのパシフィコ通りを南西方面に4キロメールほど進んだ海岸ビーチからマラガ市内を眺めてみる。遠くに見える峰々は、テハダ山脈、アルミハラ山脈などで、山脈を越えたところがグラナダ市になる。そして山脈の手前に見える小さな緑がヒブラルファロ山になる。マラガは小さい街だが、海岸リゾート地ならではのおしゃれな雰囲気もあり、機会があれば、宿泊してゆっくり過ごしてみたい。
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マラガから海岸沿いに30キロメートルほど西南に進み4キロメートルほど北上した山中に、イスラム風の白い住宅が立ち並ぶ「ミハス」(Mijas)(マラガ県)がある。熱を撃退するために塗られた石灰で統一された村で、アンダルシア地方では、19ほどが存在し、中でもミハスが、中心的な存在として、有数の観光地となっている。こちらは、ピルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の南にある洞窟寺院「ラ・ペーニャ聖母礼拝堂」の広場から見た風景である。
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ピルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の西側には小さな郷土資料館があり、そこからミハスで一番美しい通りと言われるサン・セバスチャン通りが高台に向かって伸びている。坂を上って通りを振り返るが、人通りも少なく閑散としている。この通りはお土産屋なども多いが、本日は休みが多い。
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階段を上ると、マラガ村の外周道路(A387号線)に出る。直線距離で約7キロメートル先の地中海もここからは良く見渡せる。
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道路沿いには展望台があり、ゆっくりミハス村を一望することができる。。中央やや右寄りの教会鐘楼の手前に見える白い楕円形の建物は、1900年に造られた闘牛場である。
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再びサン・セバスチャン通りを下って右側(南)の通りを進むと、展望台から見えた闘牛場の広場に出た。場内には入れないようだが、ショップは開いていた。
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すぐ先の、コンスティトゥシオン広場には、お土産屋さんやレストランやバルなどがあるが、こちらも閉まっているようだ。広場中心の噴水横にはクリスマスツリーが寂しそうに飾られていた。


先の階段を上ると、レストラン(アルカサバ)に展望台があり、地中海が見える。さすがにミハスの代表的なレストランは営業しており食事をしている人たちが見える。見晴も良くこのレストランで食事をするのは気持ちが良さそうだ。合計1時間ほど散策して、ミハス村を後にし、次に北西に直線距離で60キロメートル離れたロンダ(Ronda)に向かう。
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ロンダは、アンダルシア州、マラガ県の都市で、海抜739メートルの岩だらけの台地の上にある。街は東西に流れるグアダレビン川によって南北2つに分断されている。この2つの市街を繋いでいるのが、18世紀に造られたヌエボ橋である。かつての市庁舎を改装したパラオール・デ・ロンダ(Parador de Ronda)からそのヌエボ橋を眺めている。橋脚は深い渓谷の下部から、煉瓦を積み重ねて造られているようだ。橋脚の高さは100メートルで、下部は牢獄として使われたこともあったという。この渓谷に架かる石造りの橋の向こうがロンダの旧市街になる。
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ヌエボ橋を渡って対岸の旧市街側からパラドールを眺めてみる。パラドールの左側(西)が断崖絶壁になっているのがわかる。突然、雨風が酷くなり、渓谷からも強風が吹き上げてきて飛ばされそうだ。。


とは言え、身を乗り出して谷底を覗き込むと、グアダレビン川が見えた。


時刻は18時を過ぎた。日も暮れ雨風も酷く寒くなってきたので、旧市街の中心にある、サンタ・マリア・ラ・マヨール教会の外観だけ見て出発することにした。教会は15~16世紀に建てられ、鐘楼はムデハル様式を改装したものという。


ロンダから180キロメートル北西、アダルシアの州都、セビリア(Sevilla)に到着したのは、20時半頃である。今夜は、市内を流れるグアダルキビル川(アルフォンソ13世運河)の西側、パヘス・デル・コロ通り(Calle Pages del Corro)沿いにあるレジデンス(Residence Pierre et Vacances Sevilla)に宿泊する。ここは、部屋にキッチンのあるダイニングルームがあるので、自炊が可能である。しかし、時間も遅くなり、急ぎチェックインして、外食に向かう。


レジデンスから近くのイザベル二世橋(Puente de Isabel II )を越え300メートル進み、交差点を右折し、北西に伸びるサラゴサ通りを250メートルほど行ったフエバ広場のそばにあるリストランテ・カサ・クエスタ(Restaurante Casa Cuesta)で食事をする。


店内は、スタッフのいるカウンターが奥にあり、手前のフロアーからやや高めの位置にテーブル席がある。天井も高く開放的な空間となっている。アサリとポークをいただいた。
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すっかり、お腹も一杯になり、再びサラゴサ通りを歩く。時刻は午後11時を過ぎたが、通りのバルでは、多くのお客さんで盛り上がっている。レジデンスまで1.5キロメートルほどなので、歩いて帰った。


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翌朝。今日は一日、セビリア市内を見学する予定だ。外に出てみると、空は晴れ渡り、市内観光には絶好のコンディションだ。グラナダで調達した朝食を食べてレジデンスを出発した。

最初にセビリア中心部からやや南寄りに位置する「スペイン広場(Plaza de Espana)」から見学する。スペイン広場は、マリア・ルイサ公園(Parque de Maria Luisa)の一角にある。広大な公園は、元は近くのサン・テルモ宮の庭園だったが、1914年に一般市民に解放され、その後、1929年開催の「イベロ・アメリカ博覧会」の会場となったところ。こちらの両翼が半円形に延びる回廊を持つ美しい建物は、博覧会のパビリオン(スペイン館)として造られた。
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この建物は、建築家アニバル・ゴンサレスの手によるもので、広場を囲む半円形の下には、スペイン各地の様子や歴史的場面を描写した58もの壁面タイル絵のベンチが置かれている。
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美しい建物は映画のロケ地として何度が利用されている。「アラビアのロレンス(1962年英)」では、ロレンスがアラブ軍によるアカバ陥落をイギリス陸軍に告げるため、部下のアラブ人少年と共に、シナイ砂漠を横断して辿り着く陸軍司令部のあるカイロのホテルとして使われた。また、最近では、「スター・ウォーズ エピソードⅡ/クローンの攻撃(2002年)」で、パドメとアナキンが 惑星ナブーに着いた直後のシーンで使われた。
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宇宙船は、噴水のある広場中央近くに到着し、2人はR2D2を伴い、前方の美しいタイルで装飾された欄干のあるアーチ橋を渡り、宮殿の回廊を歩いて、新女王のジャミラとの謁見会場に向かう。

次は、アルカサルの見学に行くことにする。地図を見るとセビリア大学を挟んで、直線距離で北に700メートルほどである。もちろん直線で進めないが、歩いて行けそうだ。まず、スペイン広場の建物に向かって左側からマリア・ルイサ公園を抜けて大通りに進む。
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公園を出ると、前方に交通量の多いロータリーが見え、その奥に見える幅広の2階建てのセビリア大学の建物が見える。大学内を突っ切ることもできないので、セビリア大学の外周道路を時計回りと逆に迂回して行く。
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ここは、大学の東門のようだがゲートが置かれており学内には入れない。
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セビリア大学の北側に回り込み、通りに沿って西に進むと、軌道があり、しばらくすると撮影のタイミングが良く、前方から路面電車が現れた。


大学の北門は開いており、観光客らしき人々が大学の敷地内に入って行くので、一緒に入ってみる。セビリア大学の創立は1505年だが、この建物は王立タバコ工場として、1728年に着工し約40年の歳月をかけて建てられた、当時世界最大の規模を誇ったという。そして、タバコの生産は、20世紀半ばまで、200年にわたって稼働し続けた。その後はセビリア大学の本部として使われている。建物内にはスペインらしく美しいパティオが見られた。
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さて、再び、通りに戻り、西に向かうと大学の隣にホテル(アルフォンソ・トレッセ)が建っている。このホテルは、1929年の開業式にスペイン国王アルフォンソ13世も列席したセビリアでは最も格式のあるホテルである。引き続き、先に進む。ホテルの先からは通りが北向きにカーブしているようだ。
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すぐ右側にアルカサル(Reales Alcazares)の表示がある通りが現れ、奥に城壁が見えている。どうやらそろそろ到着のようだ。路地に入り、さらに右折して進むと、道は枡形になっている。左折すると、視界が広がり正面に、セビリア大聖堂が見えた。
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そして、振り返った左側が目的地のアルカサルの入口、ライオンの門(Puerta del Leon)である。時計をみると、時刻は11時8分。スペイン広場から約30分かかった計算だ。
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このセビリアの地は、11世紀、後ウマイヤ朝崩壊後にタイファの一国アッバード朝が首都としセビリア王国と呼ばれた。周辺諸国の中では最も繁栄したが、1248年にカスティーリャ王フェルナンド3世(在位:1217年~1252年)に征服され、以降はカスティーリャ王国の主要都市として発展した。


かつて、ムーア人の王や高官たちが住んでいたアルカサルは、14世紀後半、カスティーリャ王ペドロ1世(在位:1350年~1369年)の命により、イスラム時代の宮殿の跡地にグラナダのイスラム職人を雇い、アルハンブラ宮殿を意識したムデハル様式で改築・増築を進めた。彼はかなりのイスラムかぶれだったようで、宮殿内では、イスラムの服装を身にまといアラビア語の使用を強要したという。ライオンの門を入ると、広場になっている。観光客の奥に見えるのが、アルカサルのファサードになる。
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こちらは、天井をガラス張りにして自然光を取り入れたパティオ、人形の中庭(Patio de las Munecas)と呼ばれている。アーチの装飾は、超絶技巧と言っても良いほどに精密な浮彫である。
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連続する馬蹄形のアーチの向こうに多くの観光客が集まっている。
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その見事に装飾された馬蹄形アーチの向こうにアルカサルの中では最も贅を尽くしたとされる「大使の間(Salon de Embajadores)」が現れる。壁面には、アラベスクの蔓草模様や帯状装飾などで隙間なく埋め尽くされている。
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視線をそのまま天井に移すと、こちらも見事な木製(ヒマラヤ杉)の円形天井が現れる。天井の円形部分には、濃い金色に繊細な装飾が施され、周りの鮮やかな金の色彩と対比して眩いばかりの光を放っている。言葉を失うほどの美しさである。。天井のアップ画像を良く見ると、カスティーリャ・レオン王国時代のカスティーリャの城を表す紋章と、レオンのライオンを表す紋章とが、それぞれ配置されているのが分かる。
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「大使の間」の東隣には「乙女の中庭(Patio de las Doncellas)」と名付けられたパティオがある。アルハンブラ宮殿の「大使の間」を出るとアラヤネスの中庭が現れる造りに良く似ており、そのアルハンブラの美を超えようとする姿勢が感じられる。周りの建物は、1369年から10年の歳月をかけて造られた。アーチ下面の連続する突起状の装飾はムカルナス装飾を発展させた装飾表現なのだろう。アーチを支える白い大理石の円柱を対に配置(52本)することで、威圧感を軽減させている。とは言え、それでも少し重いかな。。2階部分は、16世紀にカルロス5世が完成させたという。
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アルカサル内には、多くの庭園があり、緑で溢れている。


左右に階段の上には多くの人が集まっている。左側の黄色い建物はカルロス5世の部屋である。
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このあたりはマーキュリーの庭と名付けられている。階段を上ると、水場があり、中央にマーキュリー像(ローマ神話に登場する神)が飾られている。水場の奥に見える建物は、イスラム時代の城壁を改造した建物でアーチ内にはギリシア、ローマ時代の神話の世界が描かれている。
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こちらは、カルロス5世の私室で、上部には、16世紀~18世紀にかけて製造されたフランドルのタペストリーが飾られている。また、壁には見事な彩色タイル(アスレホ)が飾られている。
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2時間ほど見学し、午後1時20分になったので、城門を抜けてアルカサルを後にした。次に「セビリア大聖堂」に向かう。

(2013.12.25~26)

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