カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

スペイン・アンダルシア(その3)

2013-12-26 | スペイン(アンダルシア)
スペイン・アンダルシア州セビリア県の県都セビリア(セビーリャ)にやってきた。アルカサルの城門を抜けたトリウンフォ広場(Plaza del Triunfo)奥に目的地の「セビリア大聖堂」が聳えている。セビリアは、レコンキスタ以前の8世紀以降、タイファにより支配され、特にアッバード朝セビリア王国として繁栄したことから、既にこの地にモスクが存在したが、1248年にカスティーリャ王フェルナンド3世(在位:1217~1252)による征服が行われたことにより、キリスト教会として改築された。

現在の大聖堂は、セビリア大地震(1366年)で被った大きな被害を踏まえ、当時の教会参事会(1401年)が、後世の人たちが狂気の沙汰を発したと思うような巨大な聖堂を建てようと発起して1519年に完成した姿である。
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大聖堂の北側に聳える鐘楼は、モスク時代のミナレットを再利用した「ヒラルダの塔」(giralda)で、高さ95.5メートルで、アレクサンドリアの大灯台を模した四角柱となっている。1764年から欠かさず時を告げており、現在ではスペイン最古の時計と言われている。

巨大なセビリア大聖堂は、幅116メートル、奥行き76メートルがあり、スペイン・ゴシック様式の教会としては最大の建物で、世界的には、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次いで世界3番目の大きさを誇っている。
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聖堂に沿って歩いて行く。トリウンフォ広場の南側には、先ほど見学したアルカサルのライオンの門と城壁が見える。
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サン・クリストバル(Puerta de san Cristobal)の扉がある南翼廊に向かって左側にある建物から入場するようだ。
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扉を入ると右側に、チケット売り場があり、その先の改札を越えると絵画や彫刻などが並ぶ展示室がある。その展示室を過ぎ右側の通路を越えると広い空間が現れる。どうやら拝廊に近い南側廊から聖堂内に入ったようだ。

聖堂内は、建築期間が長かったこともあり、多くの建築様式が組み合わさり特異な印象を受ける。身廊の南北には2つづつ側廊が取り囲んでおり、空間のあちらこちらに礼拝堂や聖具室がある。最初に、身廊隣りの南側廊に沿って内陣方向に歩いて行くと、身廊部分に聖母の絵画が飾られた礼拝堂が見えた。
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身廊中央に立ち、礼拝堂の上部を見上げると、内陣方向に、鮮やかに輝く黄金の祭壇衝立(レタベル)が見える。
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内陣前に来ると正面は鉄柵で覆われており、その内陣の奥に高さ23メートル、長さ20メートルのキリスト教世界最大といわれる木造の黄金祭壇衝立が飾られている。祭壇中央には、銀の聖母マリアが飾られ、周りにはキリストとマリアの生涯が45場面にわたって彫刻されている。コロンブスが発見した新大陸で発掘された金銀が使われているという。仕切り格子は、16世紀初頭最高の職人と言われたハエンのバルトロメス父子とフリアール・フランシスコ・デ・サラマンカの手によるもの。
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この内陣前から振り返って拝廊側には、聖歌隊席(クワイヤ)がある。こちらもフランシスコ・デ・サラマンカの手によるもの。聖歌隊席は全部で117席あり、細かい浮彫彫刻が施されている。この聖歌隊席の正面裏側が、最初に見た礼拝堂の場所になる。
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聖歌隊席の左右には7,500本ものパイプを持つ巨大なオルガンがあり、
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更に天井を仰ぐと、白亜の複雑なリブが見て取れる。ちょうどこの場所が、聖堂の交差部にあたるようだ。
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交差部から南翼廊(袖廊)に進むと、正面にコロンブスの墓がある。4体の像により担がれているのが、1892年の米西戦争で植民地キューバを失った際に持ち帰られたコロンブスの遺骸が入っているとされる棺で、その棺をカスティーリャ、アラゴン、ナバーラ、レオンの4つの国王像が担いでいる。コロンブスはまさにスペインのヒーローなのだ。
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コロンブスの墓に向かって左隣りにある礼拝堂に入ると、正面左側に小さな扉があり、その奥が聖杯室になっている。そして聖杯室の正面を飾るのが、スペイン最大の画家フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco Jose de Goya、1746年~1828年)の「聖フスタと聖ルフィナ」である。
3世紀、セビリア出身の陶工職人、フスタとルフィナの姉妹はローマ司祭に命じられた異教礼拝のための供物制作を拒んだため殉教した。そして16世紀に発生したセビリア地震の際には、姉妹が倒れかかったヒラルダの塔を救ったとされる。
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再び側廊に戻って東隣の小さな聖具室を見ると、アンダルシアで活躍し、木の神と言われた彫刻家マルティネス・モンタニェス(Juan Martinez Montanes)(1568~1649年)の何ともリアルな磔刑像(Cristo de la Clemencia 1603年)があり、さらにその隣の小さな通路の奥には、大きな聖具室があり、ムリーリョやスルバランなどの絵画や、聖具などが展示されている。
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正面の絵画は、ペドロ・デ・カンパーニャ作の「十字架降下」で、その右側柱の前にある聖母像は先程の磔刑像の作者と同じマルティネス・モンタニェスの手による作品。この聖母像は、コーパスクリスティ祭(Corpus Christi)の行列で担がれる。更にその右側奥には、スルバランの「アビラの聖テレサ」が飾られている。聖テレサは、スペイン・ローマ・カトリック教会の神秘家で、修道院改革に尽力した人物である。

スルバランは、正式名をフランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbaran、1598年~1664年)といい、セビリア近郊のフエンテ・デ・カントスに生まれ、主にセビリアを中心に活躍した。スペイン絵画の黄金時代の画家で、作品には深い宗教的感情が表現されているのが特徴。カラヴァッジオのような明暗の劇的な対比を見せた作品も多い。
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そして、南東隅にある部屋は、参事会室(サーラ・カピトラル)で、プラテレスク様式で造られた見事な天井には、ムリーリョの「無原罪の御宿り」が飾られている。ムリーリョは、正式名をバルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolome Esteban Murillo)(1617年~1682年)といい、セビリア生まれの17世紀スペイン絵画の黄金期を代表する画家である。柔らかく繊細で明るい色調を用い圧倒的な人気を得た。
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後陣の中央にあるのが白亜のドームが美しい王室礼拝堂(この日は鉄柵で覆われ入ることができなかった。)で、その左隣にはサン・ペドロ礼拝堂がある。こちらには、スルバランが描いた祭壇衝立があり、中央上部の絵が、「無原罪の御宿り」である。
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北東隅からは、ヒラルダの塔に上ることができる。教会塔の多くは階段を上って行くが、この塔は、イスラム時代、騎馬のまま上れるように設計されたため、現在もなだらかなスロープになっている。70メートルの高さの展望台からは、市内が一望できなんとも気持ちが良い。南側を眺めると、先ほどまで見学していたアルカサルが見え、その奥にセビリア大学やスペイン広場も見える。
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西側を眺めてみる。グアダルキビル川(アルフォンソ13世運河)沿いにある18世紀に建てられたマエストランサ闘牛場が見える。闘牛場の川を挟んだ対岸側が、昨夜泊まったレジデンス(Residence Pierre et Vacances Sevilla)の辺りだ。右側の高層ビルは、運河沿いのトリアナ(Triana)地区で、再開発が進んでおり40階建てのタワーを建設しているという。
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塔から降りて、聖堂内の最北側廊を西に拝廊近くまで歩いて行くとサン・アントニオ礼拝堂があり、ここにムリーニョの「サン・アントニオ・デ・パドヴァの幻想」が飾られている。この絵は、1874年にサン・アントニオの部分が盗難にあったが、1年後にニューヨークで発見され無事戻ってきたそうだ。
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聖堂北側のオレンジの茂る「ナランホスの中庭」に出て、北側の翼廊とヒラルダの塔を見上げてみる。イスラム時代のミナレットは、先ほど上った鐘が並ぶところまでの高さであり、その上は新たに追加されたいう。
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ナランホスの中庭の中央には八角形の噴水がある。これは、礼拝前のウドゥー(手や口などを清める)の際に使用されたものである。このナランホスの中庭とヒラルダの塔だけが、レコンキスタ以前のイスラム時代の名残をとどめている。

次に、大聖堂から約1キロメートルほど北にあるセビリア美術館(Seville Museum of Fine Arts)を見学する。美術館の前(東側)は、緑が茂る広場となっており、中央には、ムリーリョの彫像が飾られている。
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美術館へは、ムリーリョ像の右側に見えるバロック風の円柱装飾のあるファサードから入場する。
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美術館内には、サーモン・ピンク色のアーチや窓枠に囲まれた美しい中庭がある。回廊内のセビリアタイルも見事だ。この美術館は17世紀の修道院を改装したものであるという。
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では、作品を見ていこう。こちらは、スペインを代表する画家、ディエゴ・ベラスケス(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez)の「銀行家ドン・クリストバル・スアレスの肖像(Retrato de Don Cristobal Suarez de Ribera)(1620年)」。ベラスケスが風俗画や宗教画を書いていたころの作品で、彼はこの3年後にフェリペ4世の肖像画を描き、以降宮廷画家となり、国王一家を始め、多くの宮廷人を描く肖像画家としての地位を確立する。
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こちらは、17世紀にセビリアやマドリッドで活躍したグラナダ出身の画家兼彫刻家、アロンソ・カノ(Alonso CANO)の作品「フランシスコ・ボルハ(Francisco de Borja)」。フランシスコ・ボルハは、1510年、スペイン貴族ガンディア公子として生まれ、神聖ローマ皇帝カルロス5世の宮廷に仕えカタルーニャの副王も務めた。しかし妻の死を契機に財産を全て放棄しイエズス会へ入会してしまう。宗教界では、無名の巡回説教師として生きたいと望んだが、周りの人々はそれを許さなかった。その後、彼はイエズス会の総長となり、更に歴代のローマ教皇や王族のアドバイザーとなる等、修道会の指導に力を尽くした。これほどの地位にも関わらず彼自身は生涯慎ましい生活を送ったという誉れ高き聖人である。
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こちらの展示室は、光りを取り入れた美しい天井装飾に、ドーム内にはフレスコ画も見える。修道院の身廊だった場所なのだろう。この周りに展示されているのが、セビリア美術館を代表する巨匠ムリーリョの作品群である。それでは、彼の作品を見ていこう。
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中央を飾る大きな「無原罪の御宿り(inmaculada La colosal)」を中心に、その下には小さな「ナプキンの聖母(virgen de la servilleta)」が、そして、左上から、「聖アントニオと御子(san antonio con el nino)」、左中に、「聖ジョセフと御子(san jose con el nino)」、左下に、「聖フスタと聖ルフィナ(santa justay santa rufina)」、右上が、「カンタリチオの聖フェリクス(san felix de cantalicio)」、右中に、「サン・ファン・バウティスタ(San juan bautista)」、右下に、「聖レアンドロと聖ブエナヴェントゥーラ(san buenaventlray san leandro)」が展示されている。
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側面にも、ムリーリョの作品が並んでいる。
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こちらにもムリーリョの「無原罪の御宿り(1668年)」が展示されている。
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こちらは、ムリーリョの「法悦のフランチェスコ(1645~50年)」。フランチェスコは、フランシスコ会の創設者で悔悛と神の国を説いた中世イタリアにおける最も著名な聖人の一人である。この絵は、1224年、彼が42歳の時、ラヴェルナ山中において六翼の天使から聖痕を受けたとされる場面で、両手を広げ、魂の平和と歓びを体験した瞬間の表情を神々しく描いている。
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ムリーリョの「ドロローサ(dolorosa)(1655年)」。ドロローサとは、ラテン語で苦難を表す。この絵は、十字架を担がされたキリストがゴルゴタの丘へと連れて行かれる最後の歩みを見つめる聖母を表しているのだろう。暗闇の中でキリストの光に照らされる聖母の悲しみの表情が印象的である。
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ムリーリョの「聖アウグスティヌスと聖母子(San Agustin con la Virgen y el Nino(1664)」。アウグスティヌスは、北アフリカのヌミディアの出身で、4世紀のローマ帝国に生き、当時勃興しつつあったキリスト教の礎石を築いた初期キリスト教最大の教父である。アウグスティヌスが持つ赤い塊は、燃える心臓で神への愛を象徴しているそうだ。
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続いて、スルバランの作品を見ていこう。こちらは、「聖トマス・アクィナス(Apoteosis de Santo Tomas de Aquino(1631))」。トマス・アクィナスは、13世紀シチリア出身でドミニコ会士。カトリック教会が認定する教会博士35人のうちの1人で、スコラ学派の大家でもある。この絵では、中央に本を持ちペンを振りかざし熱弁するトマスが描かれているが、パリ大学教授時代、諸派との神学論争を繰り広げた時の様子であろうか。記録によると、彼は非常に親しみやすい人柄で、議論においても逆上したりすることなく常に冷静で、論争者たちもその人柄にほれこむほどであったという。
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こちらは、スルバランの「聖ルイス・ベルトラン(San luis Beltran)(1636~1638年)」。聖ルイス・ベルトランは、16世紀スペイン・バレンシアに生まれのドミニコ会の修道士。ラテン・アメリカで布教活動を行い、多くの民族の人々を改心させた。
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正面に向かって左側は「聖ウーゴと食卓の奇跡(San Hugo en el refectorio de los Cartujos)(1630~1635年)」で、中央の青いマントを広げた聖母の絵は、「カルトゥーハの聖母(Virgen de las Cuevas)(1655年)」という。この絵は、美術館すぐ西に流れるグアダルキビル川(アルフォンソ13世運河)沿いのカルトゥーハ島(isla de la Cartuja)にあるカルトジオ会系の修道院サンタ・マリア・デ・ラス・クエバスのために描かれた。なお、この修道院は、1401年創設でコロンブスが航海案を練った場所としても知られ、1992年には、セビリア万博の中心会場となった。
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中世の服装をまとった女性の全身像が描かれた絵が8点展示されている。こちらは、そのうちの2点。これらの絵はセビリア市内のやや北部に位置するシンコ・ジャガス病院(Hospital de las Cinco Llagas)(1500年設立)のために描かれた。風俗画かと思ったが、タイトルは、「聖マリーナ(Santa Marina)(1650年)」「聖イネス(Santa Ines)(1650年)」とあり、聖女が描かれていることがわかる。聖イネスの名前はラテン語で子羊を意味するため、子羊を抱いた姿を描いたのだろう。しかし、聖マリーナの深い眼差しは何を意味するのだろう。アトリビュートもよくわからない。。
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フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco Jose de Goya)の「Retrato del canonigo D.Jose Duaso(1824年)」。ゴヤはベラスケスとともに、スペイン最大の画家で宮廷画家として重きをなした。
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フェデリコ・デ・マドラーソ(Federico de Madrazo)の「アンソアテギ氏の肖像(Retrato del senor Ansoategui)(1842年)」。マドラーソは、ゴヤ以降のスペイン・ロマン主義の肖像画家で、18歳でサン・フェルナンド王立美術アカデミーの準会員に推挙され、その後は宮廷画家として活躍しスペイン女王イザベル2世の肖像画を制作した。洗練された優美な肖像表現の中に、対象の個性を気品高く描写しスペインを代表する肖像画家として君臨した。
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この日は館内の見学者も少なく2時間たっぷり鑑賞できた。

その後、美術館を出て南に10分ほど歩いたサン・パブロ通り沿いに人気の高級生ハム(イベリコ豚)のお店、フローレス(Federico Flores)に寄る。生ハム・バーもあるので、小サイズの盛り合わせを頼んでテーブルで美味しくいただいた。持ち帰りも可能で、その場でスライスして、すぐに真空パックにしてくれるので土産にもお勧め。ワインとの相性も抜群で、噛みしめると味がしっかりして美味しいが、やや塩分が強い。。
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セビリア最後の夜の食事はミシュラン一つ星「レストラン・アバンタル」(abantal)でいただく。アバンタルは、セビリア大聖堂から直線距離で東に1キロほど行った住宅が立ち並ぶ一角で、団地風の建物に1階にある。
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店内は、明るく都会的な雰囲気で、テーブルがゆったり配置され、隣卓とも離れており落ち着ける。メニューは、7品(62.70eur)と9品(79.20eur)2つのテイスティングメニューがあり、7品を選択した。
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ファーストドリンクとして、白ワインをグラスで頼む。しばらくすると、ワンスプーンを含め3品の人参を使ったアミューズブーシュが運ばれてくる。次に濃いめのガスパチョをいただく。
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続いて生牡蠣の一品で、カリフラワーのソースに、松の実とオイルがかかっている。これは美味しくワインとも良く合う。
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次に冷製スープが出て、
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こちらは、鴨肉だったかな。。ここで赤ワイン、コリンボ(Corimbo)をいただく。コリンボは、リオハ・アルタ地区のトップワイナリーのロダがリベラ・デル・ドゥエロで立ち上げたエレガントでアロマを大切にしたワインである。
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メインの魚は太刀魚で、旬の時期でもあり脂も乗っており素晴らしい。やや酸味のあるソースとの相性も良くあっている。
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こちらは、イベリコ豚の肩肉で、グレープフルーツ風味の甘辛いソース味がかかっている。
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お腹も一杯になり睡魔が襲ってきた。。
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デザートは、マンゴー・カネロニの中にチーズ、ホワイトチョコムース、レモングラッセが詰め込まれた一品。最後にエスプレッソをいただいて終了した。
個人的には最後のカネロニのグニョグニョした食感はやや苦手だった。とは言え、さすがに星付で品数も一品一品のバランスもちょうどよかった。スタッフの対応も堅苦しくなく料理もスムーズに出て非常に満足だった。
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翌朝、空を見上げると、雲って雨が降りそうな天気である。午前8時半にレジデンスを出発し、グアダルキビル川に架かるサン・テルモ橋を渡ると、左側に正十二角形の塔が見える。この塔は黄金の塔(Orre del Oro)といい、もともと13世紀初頭に対岸にあった塔との間に鎖をかけて進入船を検問する目的で建てられた。かつて塔の上部は金色の陶器煉瓦で装飾されていたという。現在は海洋博物館として公開されている。
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次にコルドバ(Cordoba)に向かう。
(2013.12.26~27)
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