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そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第34日 新温泉町 諸寄荘ユースへ

2009年03月17日 | 2008年日本海側の旅
5月14日(水) 晴一時雨 (「柳茶屋キャンプ場」~新温泉町 「諸寄荘ユースホステル」)



昨夜からの雨が上がり、一時テントに陽が当たるが、まだ時々名残り雨。今日の予定は諸寄(もろよせ)のユースまで、30キロ程度なので気楽である――などと思えるまでになった。足を引きずりながら九州を歩いていた頃には想像できなかったことだ。と言っても、まだ「日々旅にして、旅を栖とす」といった境地にまでは至らないが……。
朝食後、昨日の自転車青年の友人が、テントに訪ねて来たので少し話をする。彼は36歳で、冬場は杜氏として働き、それ以外の季節は自由にさすらうという生活。自転車でニュージーランド縦断やカナダの横断の経験があると言う。日本の沿岸一周、四国八十八ヶ所等も自転車で走っているとか。百名山にも挑戦中で、今年は南アルプスに行ってみたいとのことである。彼は所謂「就職氷河期」の世代だろうが、企業人間とは異なった視点からの独自のものの見方が、痛快で面白かった。こちらも、数年前に南アルプスを縦走した時の経験談などをする。
7時15分、徐々に空が晴れてくる中を出発。
キャンプ場から少し下ったところに大きな岩の歌碑がある。


有島武郎の「濱坂の遠き砂丘の中にして侘びしき我を見出でつるかな」の歌と、


与謝野晶子の「沙丘踏みさびしき夢に与かれるわれと覚えて涙流るる」の歌が刻まれている。知らなかったが、二人の間には「秘められた愛」があったとのこと。


7時25分、空は晴れて、青空の下の鳥取市街を見下ろしつつ坂道を下る。


7時35分、コンビニで牛乳、おにぎりを買い食事。
319号線を砂丘づたいに行こうと思ったが、道を間違えて10分ほどロス。結局、国道9号線の鳥取バイパスを行くことになる。しばらくは歩道がなく、しかたがないので自転車用の白線内を歩くがいやな感じである。
8時50分、覚寺トンネル(815メートル)、湯山トンネル(1000メートル)とやや長いトンネルを続けて抜ける。
9時50分、このあたりは本当に新緑が鮮やかである。「緑滴る」といった風情。


ここでも水田からは蛙の、周囲の木々からは鶯の鳴き声がしきりである。
10時、駟馳山(しちやま)峠を越え、鳥取市をあとに、


岩美町へ入る。岩美町は鳥取市との合併を拒否したらしい。    


10時10分、峠を下ってくると、ジオラマのように、眼下には大谷の畑と遠く日本海が望まれる。


薄いピンク色のウツギの花が咲いている。


10時20分~11時10分、大岩駅そばの公園で大休止。ビスケットとカロリーメイトを食べながら、テントや雨具を干す。初夏の風はさわやか、陽射しはのどか。
11時40分、新井交差点を左折して国道9号線から離れ、岩美駅を経て海の方へ向かう。今日は時間もあるので、海沿いの道をたどることにする。
12時10分、浦富(うらどめ)海岸に出て178号線の近畿自然歩道を行く。
国民宿舎いわみ荘は閉鎖されていた。
12時15分、今はシーズンオフなので牧谷海水浴場には誰もいない。途中の島々や岩と松の写真を撮りつつ歩く。海は穏やかで、青く美しい。白い砂浜が続いている。
浜辺に突き出た岩がある。


浜辺あり、岩場ありで面白そうな海水浴場。


遠浅の浜はきれい。




12時35分、隣は東浜海水浴場。こちらの浜辺もきれいだ。


弓なりの入り江が空の青さを映して紺碧に。


13時、くねくねと曲がりくねった道を上って行く。振り返ると通ってきた浜辺が足元に。空には雲が出てくる。


13時35分、鳥取県と別れ、


兵庫県新温泉町に入る。8県目なり。


「但馬漁火ライン」と名づけられた道路が海岸線に沿って続いている。曲がりくねった道は、足元に打ち寄せる波を見ながら、さらにアップダウンしつつ続く。
空模様が急変し、雨が降り出したので、ちょうどあった峠の四阿で15分ほど雨宿り。
14時05分、さらに居組(いぐみ)港方面をめざして、羊腸のごとき道を行く。


14時25分、居組港を通過。


漁港の隣は砂浜。


但馬海岸案内図。兵庫県の日本海側全図である。今日、明日と、ほぼ海に沿った道を竹野海岸までいくことにしている。


14時50分、沖に浮かぶ奇岩の群れ。自然の造形の不思議さ、そして見事さ。


透明な海水が印象的。


奇岩はさらに続く。


15時15分、下って、諸寄トンネル(418メートル)を抜けると諸寄港。目的地の宿は近い。
途中の歩道で出会った女性に、諸寄荘ユースホステルの場所を聞くと丁寧に教えてくれた。その際に、この近くにはユースが2つあって(諸寄荘ユースホステルと浜坂ユースホステル)、自分が行こうとしているのは諸寄のユースだと言って念を押したのだが、彼女は間違いないと言う。そこで、ちょっと納得しがたかったのだが、ひとまず言われたとおりに歩いて行く。
しばらく歩いていると先ほどの女性が今度は自動車で通り、間違えて教えてしまったので諸寄のユースまで車に乗せてくれると言う。歩き旅をしているからと説明してお断りしたが、彼女は間違って教えたことを気にしてか、どうしても車で送って行くから乗るようにと言う。結局断りきれず、明日ここから再び歩くことにして、ご親切に甘えることにした。自動車に乗るのは、4月9日に広島のユースに泊まった翌朝、広島駅までバスに乗って以来だ。
15時50分、車を諸寄荘ユースホステルに横づけしてもらい到着。ユースには、Bさんからの伝言のメモがあり、宿のご主人が手渡してくれた。昨晩はここに泊まり先行しているとのこと。夕食後に電話すると、今日は香住町の民宿に泊まっているという声が返ってきた。夕食のメニューは、刺身、カレイのから揚げ、天ぷら、イカの煮付け、香の物とリッチだ。「諸寄」という名前は、きっと、在りとあらゆる諸々の海の幸が寄せてくる豊かな浜、という意味だろうと思った。

(本日の到達地点――兵庫県に入る)


経費  4,330円      累計  127,571円
歩数  47,732歩    累計  1,559,779歩
距離  31km       累計  1,008km(1,000キロ突破!)

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徒歩の旅 第33日 鳥取市  柳茶屋キャンプ場へ

2009年03月15日 | 2008年日本海側の旅
5月13日(火) 曇時々雨 (「道の駅大栄」~鳥取市・「柳茶屋キャンプ場」)



4時40分、出発。今日も約45キロの長丁場。天気予報は雨で雷も、と告げている。ダメなら途中の白兎海岸にある道の駅あたりまででもいいかなと、ちょっと弱気。ほぼ真っ直ぐな国道9号線を、朝焼けの空の中に林立する風車を見つつ行く。天気の下り坂を予想させる。


昨日とはうって変わって、風は穏やかで風車は止まっている。大型トラックのヘッドライトが時々行き交う。


5時15分、日の出。朝日が眩しい。


5時30分頃、「道の駅北条公園」をそれと気づかずに通過してしまい、後から道路標識で知る。というのも、道路の右側の歩道を歩いていると、背の高さほどの防風林が遮蔽してしまい、反対側が見えないのだ。さらに、時々は歩道のさらに右側にある農道が歩きよさそうなので、そこを通ったりもしたくなる。
6時30分、天神川を渡るころには雲が広がってくる。


新天神橋をわたると、湯梨浜(ゆりはま)町に入る。


6時45分、はわいインターチェンジの先は歩行者通行止め。左折して海岸通りをいくことになる。


7時05分、「ハワイ海水浴場」などという名の浜辺もある。この頃まではまだ天気も晴れたり曇ったりで、日本海を見ながら歩く。


7時40分、宇野海岸の「亀石」に打ち寄せる荒波。


「亀石」の由来。


湯梨浜町の案内図がある。


8時30分、伯東インターチェンジ入口を過ぎると山陰本線の泊駅。見上げると「潮風の丘とまり」の風車がある。ここは1基で、今日は止まっている。
9時10分、雨が降り出し、雨具とザックカバーを着用。デジカメはザックの中とあいなる。
9時20分、鳥取市に入る。
10時、休憩してビスケット、カルパス、レモンで食事。
10時20分、青谷海水浴場では、雨の中、サーファーたちが大勢で波と戯れている。
白く幾重にも波立つ荒れた日本海を見つつ坂を上り、
10時45分、「魚見台」を通過。晴れていれば絶好の展望台だろうに残念。


11時15分、コンビニで、おにぎり2個、野菜ジュースを買って、食事。
12時10分、再び陽が射してきたので、休憩してテント、雨具などを乾かす。
短いトンネルを4つ通って、
13時05分~20分、白兎海岸にある「道の駅神話の里白うさぎ」で小休止。因幡の白兎の話で有名なところである。一休みして、舞鶴から来たという2人連れの若い女性の自転車旅行者と話。屋久島まで行く予定とか。こちらへ来る途中で、Bさんらしき人に出会わなかったかと聞いたが、気づかなかったとの答え。
今夜のテント泊に備えて、食料を補充する。牛乳、食パン、マヨネーズ。
雨が止み、時々陽のさす中を歩く。
13時55分、末恒駅入口を通過して鳥取バイパスへ。左手に鳥取空港を眺めつつ、市街地に入り広い道を行く。
15時05分、南バイパス交差点。千代川にかかる鳥取大橋を渡り、秋里交差点でキャンプ場の位置を確認する。その後3人ほどに聞きつつ、自転車道路の坂をくねくねと上っていくと、
16時10分、「鳥取砂丘こどもの国」に隣接する柳茶屋キャンプ場に到着。
松林の中のテントサイトで、適地を探していると、「おっちゃーん」と声がする。見ると、炊事棟の屋根の下で、10日ほど前に浜田市の近くで会った自転車の青年が「一期一会」の旗を振りながら合図している。彼も友人とここでキャンプとのこと。再会を祝して握手。


その後受付に行く。幕営無料。管理人さんが、ぜひ砂丘に行ってくるといいと薦める。砂丘見物は明朝のつもりでいたのだが、それではと松林を抜けて、砂丘を見に行く。実に広い。東西16キロ、南北2.4キロということだ。


誰もいない砂丘を、写真を撮りつつ、上り下りして海に近い方まで歩いて見る。


10万年のいとなみ。


所々に風紋が鮮やかである。天然の造形なり。


彼方の小高い丘まで行って見ようと思ったが、時間的に無理。引き返そうとすると、今度は元来たところがどこなのか迷ってしまう。
なんとかテントの場所まで戻り、自転車青年とその友人としばらく話をして今日の行程を終了する。友人は、15キロの重さのザックを背負って45キロ以上を歩いてきたことに驚いていた。

(本日の到達地点)


経費  854円     累計  123,241円
歩数  73,298歩    累計  1,512,047歩
距離  48km    累計  977km

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徒歩の旅 第32日 北栄町  道の駅大栄へ

2009年03月13日 | 2008年日本海側の旅
5月12日(月) 快晴 (「ビジネス・インよなご」~北栄町・「道の駅大栄」)



6時、出発。早朝の静かな市街地を行く。
6時30分、右折する国道9号線から離れてそのまま直進し、皆生街道を日本海の美保湾方面に向かう。はじめは爽やかで穏やかな晴天と思いきや、
7時05分、皆生大橋を渡ってからは、今日もまた強い向かい風に抗して歩くことになる。


日野川にかかる橋の上から正面に見える大山へは、北側から雲が押し寄せて来ている。


日野川上流方面。


下流方面はすぐに日本海に注いでいる。


7時35分、再び9号線に合流し、右手前方遠くに見える大山の写真を撮りつつ歩く。




8時30分、日本海は空を映して真っ青で、遠く島根半島の美保神社方面までよく見える。


空の青と海の青とは、一言で同じ青といっても 随分と違う。海の青は深い青である。青色の呼び名も、浅葱、縹、群青、藍、紺など思いつくが、もっともっとたくさんあるのだろう。


8時35分、淀江港を通過し、大山町に入る。気温16度の表示がある。


9時05分、遠くに風車が林立しているのが見える。強風を受けて風車がぐんぐん回っている。


田園地帯を行く。


真下で見る風車は大きい。自動車が玩具のようだ。


さらに風車を目指して歩く。


10時00分、バス停にてパン、レモン、カルパスで食事。
大山をバックに、道路の右隣を走る山陰本線の写真を撮る。


10時20分、大山は徐々に後方に見えるようになる。


名和駅、御来屋(みくりや)駅と過ぎて、12時頃、気温17度の表示を見る。このころから大山に薄い雲がかかり始める。
12時45分、はまなすパーキングエリアにて小休止。
13時20分、大山町を後にして琴浦町に入る。




13時35分、勝田川河口。白い波がうち寄せている。


13時45分、周辺案内図がある。予定では「お台場公園キャンプ場」泊なのだが、寒さに負けて弱気になり、今日の泊まりはどこにしようかなどと考えはじめる。


13時50分、コンビニにて牛乳、おにぎり2個を買い食事。寒くておちおち食べていられず、早々にまた歩き始める。
14時40分~15時05分、「ポート赤崎」道の駅。隣に「日韓友好交流公園」がある。外の芝生には風除けの植生があるものの、やはりこの強風でテント泊はちょっと困難だろうと判断。建物の方も、「8時から18時」開設の掲示があり夜間は閉鎖らしく、休憩所での宿泊も無理のようである。
16時、北栄町に入る。大山はもう右手はるか後方になっている。


16時25分、途中の砂地の畑で、スプリンクラーを回して水を撒いているので、そばで作業していた男性に何を作っているのか尋ねると、長芋とのこと。


16時50分、「道の駅大栄」に到着。今日は「お台場公園」でキャンプの予定だったが、風が強く、キャンプ場の入口は道の駅の裏側にあったものの、なにやら道の駅の中で泊まれそうなので、こちらに決定。売店でトマトを買う。
夕食後、休憩所の床にシート・銀マットを敷いて寝ていると、外で風がごうごうと鳴り響き、あたかも建物全体を揺るがすかの勢いだった。

経費  625円     累計   122,387円
歩数  66,501歩    累計  1,438,749歩
距離  46km    累計    929km

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徒歩の旅 第31日 米子市  ビジネス・インよなごへ

2009年03月11日 | 2008年日本海側の旅
5月11日(日) 雨のち晴 (「松江レークサイドユース」~米子市 「ビジネス・インよなご」)



休養日を2日とったが、今日からまた本格的に徒歩の旅の開始である。Bさんはどれくらい先行しているのか、気になるところ。
早朝、ユースの窓から宍道湖と青空が見える。


これは幸先よいと思ったが、出発の支度をしていたら、急に雨。
8時10分、予報は天気回復とあり、雨具着用で出発する。
宍道湖湖北自転車道を行き、雨が小降りになってくる中を、早苗の写真を撮ったりしつつ歩く。ユースのオーナーの話では、このあたりは早場米の米どころとのこと。なるほど苗の生育がよい。


油断して途中で道に迷い、小さな坂を越える。ようやく昨日バスで通った記憶のある道路に出て一安心。
9時15分、湖に沿った国道431号線に出たので、湖岸の遊歩道を行く。
小泉八雲のレリーフ。
「神々の国の首都 松江 
私も方々へ巡礼の旅をしなければならない。この市をぐるっととりまいて、みずうみのかなた、山々のあなたに、いつからともなく古い神聖な場所があるから。」と刻まれている。


耳なし芳一の像などを見つつ行く。


9時30分、宍道湖大橋が近づく。高層ビルは、松江市で一番高い山陰合同銀行ビル。


9時40分、宍道湖大橋を渡る。


このころから再び青空が見えてくるが、風が強く寒い。


きのう乗った「松江レイクラインバス」が走っている。


9時50分、松江駅を通過して、
10時、松江中央郵便局で母と自宅宛のお土産のエクスパックを出す。
10時10分、山陰道の国道9号線に合流。
しばらくJR山陰本線と並行して歩く。
10時55分、宍道湖と中海をつなぐ大橋川の彼方に中海大橋が見える。橋の向こう側が中海。


大橋川に浮かぶ塩楯島と右に山陰本線。


塩楯島の手間天神社の鳥居が見える。舟でわたってお参りするのかな。


中海大橋が近づく。空はだいぶ晴れてきたが、風強く雲の動きが早い。


11時25分、中海大橋を通過し、そのまま国道を離れて中海に沿って写真を撮りながら行ったところ、工業団地の中に迷い込んでしまう。
引き返し、20分ほどロス。
12時10分、揖屋(いや)駅手前のコンビニで牛乳を買い、きのう買っておいたメンチカツ、ウインナーで昼食。
12時40分、再び国道9号線に合流。
13時30分、水田の向こう側は中海。中海は日本で5番目に大きい湖で、汽水湖。


13時40分、東出雲町をあとに、安来市に入る。空はもうほとんど青空になり、綿のような雲が浮かんでいるが、相変わらず風が強い。






14時、「どじょう掬い」の安来節演芸館への案内。


荒島駅を過ぎたあたりで、雲に蔽われてぼんやりながらも、ちょっと大山が見える。


14時30分、飯梨川をわたる。前方に大山。


飯梨川はきれいな川床。


その後はずっと大山を眺めながら黙々と寒い向かい風に抗して歩く。
15時05分、安来駅で小休止。予定では、今日の宿泊はこの近くの十神山なぎさ公園のキャンプ場だったが、強風と寒さを考慮してキャンプは取り止め。むしろ、この間の2日の連泊による遅れを挽回すべく、また明日の行程をも考えて、行けるだけ行こうと決める。
15時50分、大山上空も雲が取れ美しい姿を現す。


16時20分~35分、公衆電話で米子駅周辺の宿探し。米子駅前のビジネスホテルに決定。
16時45、吉佐を通ぎ、島根県を後にして、鳥取県米子市に入る。7県目。




県境。


16時50分、中海に太陽が反射して輝き、とてもきれいなので写真を撮る。


米子駅に向かい、駅周辺を電話で聞いたとおりに探しつつ行くと、駅前の大きなホテル群の中に、小さな「ビジネス・インよなご」がある。


17時20分、到着。受付を済ませ、女性オーナーに教えてもらった近くのスーパーで買い物。素泊まりなので、ヨーグルト、ビスケット、コールスロー、パイナップル、レモン、バナナ、カルパス、甘露飴、氷砂糖など仕入れる。オーナーは感じのよい人で親切、また風呂などにも「安い料金を維持したいので、出しっぱなしはしないようにお願いします」と貼ってあったりした。大型連休の暖かさが嘘のような寒い一日だったので、熱い風呂が有難い。宿泊代は素泊まりで消費税こみ2625円。本当に安い宿でした。

経費  4,149円     累計  121,762円
歩数  58,392歩    累計  1,372,248歩
距離  40km       累計  883km


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徒歩の旅 第30日 松江 連泊

2009年03月09日 | 2008年日本海側の旅
5月10日(土) 曇のち雨 (「松江レークサイドユースホステル」連泊)

九州以来の足首の痛みもほとんどとれて、あとは転倒や捻挫に気をつけながら歩けばよいだろうというところまで回復し、歩く意欲は十分なのだが、行きがかり上、今日も「休養日」。
朝食後、9時08分のバスにて、自宅からの局留め郵便物の回収、買い物、市内見物などのために松江市街に行く。
9時35分、先ずはじめに松江城を見ることにする。
城の傍に「なんじゃもんじゃ」の木が真っ白な花をつけている。「なんじゃもんじゃ」の木といえば、山崎方代さんの、
「生れは甲州 鶯宿峠に立っている なんじゃもんじゃの股からですよ」という短歌を思い出す。


熊本城と同じく、ここも開府400年祭という。堀尾吉晴のよる築城開始の1607年から完成の1611年までを記念しての、5年間のイベントだそうである。




松江城は、やや小ぶりの黒い城で、江戸時代以前の天守閣が現存する12の城のうちの一つとのこと。山陰地方ではこの城だけである。


天守閣の案内が、日本語、英語、ハングル、中国語で書かれていて国際的なり。


千鳥が羽をひろげたような三角形の破風屋根の形から別名「千鳥城」という。小さいながらも風格を備えたキリッとした印象を与えている。








天守閣へ上ってみたかったが、雨が近づいている気配があり、まずは松江郵便局で用件を果たさなければならずと考え、断念。
城の隣の松江神社。


心を落ち着かせる堀の水のたたずまい。


松江城下の案内図。


10時10分、京橋川をわたり、東茶屋町の「町屋造り」の家屋を見る。松江は「山陰の小京都」とも言われ、古くからの町並みが保存されている。




10時25分、宍道湖大橋を渡り、白潟公園。このころ雨が降り出す。


有名な「夕日スポット」も今日は厚い雲の下。


松江中央郵便局に着くころには雨は本降りになる。局留め郵便物はすぐに判明して回収。郵便物の留め置き期間は10日間。エクスパックを2つ買う。
その後、サティへ買い物に。週末で賑わっている。
まず追加の着替え用Tシャツを買い、食料品売り場で、牛乳、いなりずし、チキンフライ、ウインナー、カルパス、コロッケとメンチカツ、缶コーヒー、を買う。休憩コーナーで、いなりずし、チキンフライ、牛乳、缶コーヒーを食べ昼食。
松江駅に回り、母と自宅へ送るため、お土産品コーナーで名物の「どじょう掬いまんじゅう」を2箱買う。昔、フランス人が出てくる「どじょう掬いまんじゅう」のCMがあったのを思い出す。そう言えば、フランス語で「私は食べます。」は「Je manje.」(ジュ マンジュ)だったっけ、かな?
午後は、時間があるものの雨のため動き回ることも出来ず。
12時40分、松江レイクラインバスという観光バスで市内を回った。赤いレトロ調の観光バス兼市内周遊バスで、料金は200円。


駅前を出発し、松江城、堀川の遊覧船、小泉八雲記念館、宍道湖大橋などを回り、約50分で一周する。


その後、14時25分のバスにてユースに戻る。
夕刻、同宿者のEさんと雑談。彼は僕と同年配で、自動車で日本一周中。日本百名山はやってしまったから次は日本一周と決め、できる限り海岸線に沿って走っているとのこと。道が悪いところや、たまには行き止まりで戻らなくてはならなくなったりもする、などという話を面白く聞く。気さくな感じの人で、「実は1箇所ずるをしていて、天草で島を回らずに橋を渡ってしまったよ」と打ち明けられた。彼の道路地図帳で一緒に今後の道の駅の調査をしたり、情報を教えてもらったりして、なごやかに過ごす。

経費  6,682円     累計  117,613円
歩数  13,788歩    累計には加えず
距離  0km        累計には加えず


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徒歩の旅 第29日 松江市  松江レークサイドユースへ

2009年03月07日 | 2008年日本海側の旅
5月9日(金) 曇、風強し (「出雲ゑびす屋ユース」~松江市 「松江レークサイドユースホステル」)



ゆっくり朝食をとって出発。
8時05分、ユースの奥さんがいつまでも見送ってくれる。空は、「八雲たつ出雲」の通りの曇り空で、空気は肌寒い。勢溜を経て、県立出雲古代博物館の前を通り、国道431号線を行く。
8時20分、「天平古道」という案内板がある。説明によると、北側の山々と国道431号線との間にあり、「古くからの山地の生活道であり、駄賃馬が町に炭を運び、帰りに塩や海産物を運んだ道でもありましょう」とある。今回は無理だが、いつか機会があれば歩いてみたい。


8時40分、島根ワイナリー通過。城福寺ユースで一緒になった男性に、出雲を通るなら寄って試飲して行きなよ、と言われていたが、未だ開いていなかった。それに、心中秘めるところもあったし。


八重桜はとっくに散ってしまい、ツツジもよく見るとだいぶ枯れた花びらが目立つ。アヤメの類も然りである。田圃には水が張られて、早苗が風に揺れているところも多い。


季節が着実に移り変わりつつある。歩き始めて今日で29日目、全行程の約三分の一が過ぎたことになるが、宗谷岬まではまだまだ先が長い。
9時20分、右手やや遠くに出雲ドームの白い屋根が見えるあたりで、二つ目の「天平古道」の案内板。


10時30分、道端に石積みの塔のごときものが祀られてあり、その傍を通る。説明を読むと「この古式宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、古来から地方の人達が『御所さん』と呼んであがめ敬っている。往古、この地方が『林木の荘』といって藤原氏(九條家)の荘園であった頃、やんごとなきお姫様(一説には村上天皇の孫阿野姫 九八六~一○五四年 の墓であるという)」と書いてある。どういういきさつなのだろうか。


さらに水田の早苗を見ながら歩く。


このあたりでは、食べる物を買おうと思っても、431号線にはここまでコンビニはないし、昔の万屋の如き、酒・タバコ・食料品・日用品と書かれてある「・・・商店」は、どこもシャッターが閉まっている。この地の人たちは、食料品などはどのようにして購入しているのだろうか。自動車で郊外のスーパーのようなところで一括購入するとしたら、高齢になって運転がままならなくなったらどうするのだろうか、などと考えつつ歩いていたら、
11時、雲州平田の町に入って、ようやくコンビニを発見。牛乳、おにぎり2個、スティックパンを買う。
11時35分、ギターを背負って自転車に乗った青年に出会う。彼は、小田原から日本一周をめざしているとのこと。こちらも川崎に住んでいて、鹿児島から歩いて来たと言うと感激していた。同じ神奈川県人同士でしばらく話をし、お互いに目的達成まで頑張ろうと握手をして別れた。
11時45分、「がんばれ、一畑電車。」という大きな看板がある。故郷電車を廃止させないために利用を呼びかけたもの。一畑電車は、地元では「バタデン」と呼ばれている。


水田の中を行く一畑電車。


12時50分、宍道湖が見えてくる。日本で7番目の広さの湖である。あいにく曇天で、寒々とした茶色っぽい波が打ち寄せている。


13時15分、一畑口駅通過。ここの北側へ行くと、一畑薬師というお寺があり、目の病にご利益があるといわれている。4年前の8月、白馬鑓の雪渓で転倒し網膜はく離になった身としては、お参りして今後のためにお願いを……とも思ったが、やや距離があるので残念ながら先を急ぐ。
13時45分、湖岸を走る青い一畑電鉄北松江線。


13時50分、出雲市をあとに松江市に入る。




14時10分、津ノ森駅で小休止。こちらも青い一畑電車。


14時40分、松江フォーゲルパーク駅で、駅舎やちょうど来た黄色い一畑電車の写真を撮る。


14時55分、宍道湖沿岸の「秋鹿なぎさ公園」道の駅。風が強い中で高齢者たちが庭の手入れなどをしていた。


道の駅からの宍道湖。


15時20分、長江駅で小休止。


15時40分、線路の向こう側、田圃の中の白鷺。九州では何羽も見かけたが、久しぶりである。いつ見ても美しい。


頭上を行く一畑電車。


15時50分、宍道湖湖北自転車道が431号から分かれる。自転車道に沿って行く。
16時05分、朝日ヶ丘駅付近でユースの場所を丁寧に教えてもらい、
16時20分、松江レークサイドユースホステルに到着する。
夕食時に、ユースのオーナーが缶チューハイをサービスで出してくれたが、せめて旅の行程の半分まで行って目鼻がつくまでは、などと柄にもなく殊勝に思い、せっかくのご好意をお断りしてしまった。あ~ぁ。
明日は休養日扱いでユースに連泊。松江郵便局に局留め郵便物を回収に行きがてら、市内見物の予定。

経費  9,769円     累計  110,931円
歩数  47,290歩    累計  1,313,856歩
距離  33km        累計  843km

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徒歩の旅 第28日 出雲連泊

2009年03月05日 | 2008年日本海側の旅
5月8日(木)  晴 (「ゑびす屋ユースホステル」に連泊)

今日は休養日。松江のユースが休業日なので宿泊できず、足止めになったような具合で、いささか変則的な宿泊状況になっている。まあ、それならそれでと、一日ゆっくりと出雲見物をすることにした。
8時30分、宿を出て出雲大社へ向かう。
神門通りを行くと勢溜。出雲大社の入り口である。


木製の鳥居をくぐって行く。気持ちも引き締まる。


参道の松並木。樹齢数百年といわれる松が続く下を玉砂利を踏んで歩く。


「御慈愛の御神像」の大国主神と兎。


反対側には、「ムスビの御神像」。大国主神が波間の玉に向かっている。


銅鳥居から振り返る参道。


出雲大社拝殿へ。






注連縄は長さ8メートル、重さ1500㎏、とのこと。


出雲大社八足門。一般の参拝はこの門まで。


八足門の中側に、本殿の楼門。


本殿の屋根だけ見える。高さ24メートル、千木は7.8メートル。


時計回りに左に行くと十九社。神在祭の期間に全国の神々が泊まる社、とされている。


横から眺める本殿の桧皮葺の屋根。


うしろ側。


彰古館。現在の宝物殿ができるまではここが宝物殿でした。


素鵞社。須佐之男命が祀られている。


横側より。


宝物殿


釜社。食物を守る神様が祀られている。


青銅の神馬と、


神牛。


写真を撮りながら一回りして拝殿に戻ると、参拝者が、賽銭を箱に入れずに注連縄に向けて投げ上げている。注連縄にコインがうまくささってとまると願いがかなうということらしい。若い男女がしきりに挑戦している。さすがに高齢者はしない。
大社を見た後、
10時、モダンな建物の県立出雲古代博物館に行く。
2007年3月にオープンしたばかり。


案内。


パンフレットと入場券600円。


出雲風土記や神話シアターなどのコンピュータ・グラフィックを見、出雲大社本殿の模型や資料館の収蔵物を見る。写真撮影は禁止。展示物では、出雲大社境内遺跡から発見された直径3メートルの宇豆柱(うづばしら)や、青銅の剣や銅鐸のレプリカなど。青銅器はいずれも黄金色の美しい輝きである。不明ながら、緑青の記憶から、青銅の剣も銅鐸も緑色のものかと思っていた。銅鐸の使用目的も、昔の教科書では分からないとされていたと記憶するが、今日の研究では、祭事の鐘のごとき楽器と推察されている。中の振り子に相当するものも出土しているとのことであった。いろいろと興味深いテーマである。
14時、大社郵便局で4万円下ろす。昼食にサンドイッチ2つと菓子パンを買う。
その後、吉兆館の傍で「国引き伝説」を描いたレリーフを見る。島根半島は八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)という神が海の向こうから引っ張ってきた、という伝説。


14時10分、さらに足を伸ばして、旧国鉄の大社駅へ。
駅正面。大社駅は、1990年に大社線の廃止とともに営業を終了。


瓦屋根の落ち着いた純和風建築で「日本建築二百選」にも加えられている。




案内。


駅内部。


旧切符売り場。


「新しい」きっぷうりば。


駅ホーム側。


展示されてあるD51機関車も心なしか寂しそうである。


14時30分、一畑電車大社線終点の出雲大社前駅。西洋建築の駅舎は、1996年に国の登録有形文化財建造物として登録された。


ステンドグラスがモダンで美しい駅内部。


一畑電車、通称「バタデン」。


その後はのんびりと散歩しつつ帰り、最後に「古代出雲大社模型展示館 雲太」に立ち寄った。高さ96メートルの古代の「雲太」や、鎌倉期のもの、現代の本殿の模型が展示されてある。比較すると、古代の雲太の大きさが圧倒的だ。
今日は、まさに神話の地に来ているということを実感した一日だった。同時に、自分の勉強不足も痛感させられた。われわれの世代は、神話に対して戦前の軍国主義教育と結びついたイメージがあり、きちんと学んでこなかったように思う。しかし、神話も日本文化の重要な部分であり、歴史的な産物である以上、科学的な視点から日本史の中に位置づけられねばならないし、さらにまた、伝統文化として理解し鑑賞できる力を自分の中に養わねばならないと感じた。それにしても、古代の雲太の高さが96メートルなど、驚かされることが多い。この旅が終わったら少し調べてみたいと思う。また一つ、帰ってから学ぶテーマが増えたが、それもまた旅の収穫の一部分ということになるだろう。家にいたのでは得ることができない経験の中から、新しい知の獲得への意欲も生まれるのだろうから。

経費     987円    累計  101,162円
歩数  14,997歩    累計には加えず
距離      km     累計には加えず

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徒歩の旅 第27日 出雲市  ゑびす屋ユースへ

2009年03月03日 | 2008年日本海側の旅
5月7日(水) 晴、風強し (「キララ多伎」~出雲市 「ゑびす屋ユースホステル」)



5時、起床。浜辺の傍でのテント泊だったので、万一津波でも来たらひとたまりもなく、余りよい宿泊場所の選択とはいえなかった。また、潮鳴りはむしろ子守唄がわりで心地よくまったく気にならなかったが、夜半から寒くなってきたので、もうだいぶ慣れたとはいうもののやや睡眠不足だった。
6時、出発。


国道9号線を離れ、久村海水浴場を見ながら海岸に沿った地方道を行くことにする。道の駅のすぐ先に「見晴らしの丘公園」というのがあり、ここでなら草地の上の幕営も可能だし、海岸線よりもだいぶ高いので津波の心配も少なかっただろう。風車は、キララトゥーリマキ風力発電所である。


また、波の上遠くには、出雲半島の山々が見える。そこが今日の到着地点である。


海は、ラジオの天気予報では、波の高さ2メートルとのこと。長い海岸線では、波頭がくずれる姿が複雑な形になって面白く、見飽きない。何コマか写真を撮る。




6時45分、海沿いの畑でおばあさんが作業している。


7時10分、さらに海岸線を行く。振り返ると、風車もずいぶんと遠くなっている。


国道ではないので車の量は少ない。
7時30分、非常に芳ばしい臭いがし、豚舎がいくつもあるところを通る。
7時45分、国道9号線への分岐地点に、四阿があり、広々とした海を見ながら休憩し、カロリーメイトを食べる。
この道路は、「くにびき海岸道路」と名づけられている。


その後は、目印らしきものが分からないままに道路が海岸線から離れていったのだが、複雑な地形で、現在地を確認できないまましばらく行く。
途中に咲いていたニセアカシアの花(と、思うが)。


8時50分、西園町の表示を発見し、現在地が確認でき一安心する。空は晴れあがって汗ばむ陽気。


8時55分、出雲の山々が間近である。


9時05分、神戸(かんど)川を渡る。汽水域で魚が豊富なのか、川で漁をしている舟が5艘ほどあった。


川の傍のビニールハウスと舟が陽を浴びている。


9時10分~30分、荒茅町のローソンで、牛乳、おにぎり2個、スティックパンを買い、出雲大社への道を確認する。コンビニの駐車場で食事をしていると、早朝でまだ客が少ないせいか、ザック姿に興味をもったらしい店長がやって来て、グレープヨーグルトを1つ呉れる。少し旅の話をし、激励される。彼の夢は、夫婦で四国八十八ヶ所をめぐることだと言っていた。また、若い女店員も飴をくれて、「頑張って」と応援してくれる。これまでに、コンビニで買い物のついでに歩き旅の話になり、「頑張って」と何回も激励されたが、実際に商品を貰ったのは初めてだった。
9時50分、大社方面へ、明瞭になった道を行く。


10時05分、スーパーで買い物。トマト、きゅうり、氷砂糖、いわしハンバーグ、電池。
10時35分、時間がたっぷりあるので、ひとまず県立浜山公園へ。


公園案内図。左側上部に少年野球場。


公園は広く非常にきれいだが、時間帯のせいか利用者の気配はなく、高齢の男女が、草の手入れやトイレの清掃などをやっている。
ユースの時刻には早すぎるので、少年野球場の横の草の上で、食事をしたり昼寝をしたりして時間を過ごす。やや風が強かったものの、空は青く高く、日差しは快く、銀マットを敷いてしばしの間快適に眠る。「至福の時をむさぼった」ということ。長い旅だから、たまにはこんな事があってもいいだろう。
『奥の細道』の文庫本も、下関で買って以来、パラパラと眺める程度だったが、少しまとめて読み返すことができた。
公園を出ようとするときに、元電気屋だという58歳の男性と少し話をした。彼は体調を崩して仕事をやめているのだが、1年ほど前からパソコンを覚え始め、ようやく慣れてきたとのこと。インターネットでの外国の報道(例えばチベットについてなど)を知ると、国内の新聞やテレビがいかに情報を不十分にしか伝えていないかということを実感する、と憤慨していた。確かにそうかもしれない。例えば、郵政民営化の選挙のときのことを思い出しても然りである。「小泉劇場」などと面白おかしく報道し、刺客などと騒ぎまくったが、民営化の真の姿をあきらかにしようという姿勢とは程遠かった。
15時20分、出雲大社へのルートも明瞭。


15時35分~16時、「道の駅 大社ご縁広場」にある「吉兆館」で、吉兆幡や出雲の伝統行事の展示を見学する。無料。


出雲ガイド『物語ろう、出雲国大社』600円を購入する。手短に知識を得たいという虫のよいことを考えてのことだが、ようするに付け焼刃である。


16時15分、堀川をわたったところに「日本一の大鳥居」がある。



16時20分、松並木を大社方面に進み、「ゑびす屋ユースホステル」に着く。


ユースの奥さん(「ペアレント」と言うそうだ)は一見つっけんどんだったがとても親切で、こちらが風呂に入っている間に、衣類を洗濯し干しておいてくれたりした。夕食は、予約時には出せないとのことだったが、もし我が家と同じものでよければということになり、もちろんお願いする。
同宿者は、整備士をやっている神戸の青年ライダー。気持ちのいい若者で、29歳。これまで自分のやりたいことをやってきたから、そろそろ身を固めることを考えている、と言っていた。
夜、『物語ろう、出雲国大社』を少し読む。

経費  10,955円    累計  100,175円
歩数  29,547歩    累計  1,266,566歩
距離     16km    累計  810km

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徒歩の旅 第26日 出雲市  キララ多伎へ

2009年03月01日 | 2008年日本海側の旅
5月6日(火)  快晴 (「城福寺ユースハウス」~出雲市 「道の駅キララ多伎」)



久しぶりの畳の上で、充分に眠ってゆっくり起きた。
7時15分、ユースの窓からの朝の仁摩(にま)の町。


7時20分、一緒に朝食。宿泊者は、子供2人の4人家族、広島から来た高齢者、きのう話した兵庫の女学生、静岡から来たライダー、それと小生。連休のため、あやうく泊まれなくなるところだったようである。
食後、4人家族と旅の話。北海道まで行く予定と言うと驚いて激励される。ユースの奥さんから石見神楽の衣装を見せてもらい、子供たちと衣装を着た写真を撮ってもらう。衣装はずっしりと重く、これを着て舞うのは慣れないと大変だろう。


8時15分、城福寺ユースを出発。快晴微風、実にさわやかである。


昨日上った坂を下り、田圃の中の道を仁万駅方面に向かう。ここも田植えが終わり、早苗がきれいに並んでいる。


しばらく田園地帯を行き、仁万トンネルをぬけ、
9時05分、宅野トンネルをぬける。
9時35分、「とるぱ」というフォトスポット&パーキングというところから、海の方を俯瞰する。


9時45分、海は何処までも青く続き、はるか前方にはうっすらと出雲半島が見える。


9時50分、五十猛(いそたけ)を通過。トンネルをぬけて海岸沿いを歩いていると、クラクションが鳴り、見るとドライバーが手を振って挨拶する。こちらも手を振って応えた。


10時30分、海から離れ、和江港への分岐。この菜の花はキャベツの花。ついこの間まで土手や河川敷、線路際で見かけたアブラナの菜の花はもう少ない。季節はどんどん移り変わっている。


10時50分~11時20分、大田市郊外のジャスコで買い物。休日のせいか、広い駐車場もあふれかえっている。牛乳、食パン、菓子パン、トマト、から揚げ、カロリーメイト5個を買う。ベンチに座り、大勢の人々、たくさんの車を眺めながら、昼食。
12時45分、水田の彼方、立神岩を遠望する。離れていても80メートルの崖の断層がはっきり見える。


13時分、晴れて汗ばむ陽気。のどが渇き、波根町のコンビニで抹茶オレを飲む。
13時20分、陽を浴びて静かな田園風景。


13時50分、農作業をしているおじいさんの写真などをを撮りつつ、のどかな里山のようなところ歩く。




14時20分、人気ない昼下がりの道。ツツジがきれいだ。


真っ白い花が満開だったので思わす写真に撮ったが、名前はわからず。


14時45分、大田市から出雲市に入る。




15時、田儀(たき)港を通過する。




15時10分、手引ヶ浦台場公園。幕末、松江藩が外国船を監視するためにつくった「唐船番」の砲台。


大砲の複製。




付近は公園になっており、青いきれいな海である。


陽を浴びて、きらめく海。


国道の反対側は無人駅の田儀駅。予定ではここの待合室で泊まらせてもらうことにしていたが、時間も早いので、終電まで待つのは容易ではないと判断し、道の駅まで行くことにする。


15時30分、出雲半島が近づく。右手の風車のあるところが道の駅「キララ多伎」。


振り返ると手引ヶ浦台場公園。


15時45分、小田漁港。


16時05分、太陽を背に近づいてくる山陰本線の写真を撮る。


16時20分、道の駅「キララ多伎」が近づく。


銀マットを後ろにつけたライダーが手を上げて挨拶をしていく。
16時30分、「道の駅キララ多伎」到着。連休の最終日とあって、ここも大変な混雑である。売店で今朝の4人家族にまた会う。彼らは水族館アクアスに行って来たとのことで、ここでも「頑張って」と言われ恐縮してしまう。
「キララ多伎道の駅」は、東屋もなく、また草の上も幕営適地とは言いがたくて、あまりテント泊には向いていない。結局、浜辺に続く傾斜地の砂の上にテントを張った。
16時50分、階段をおりた浜辺は「キララビーチ」といって「日本の夕陽百選」に入っているそうである。


18時、海に夕日が沈もうとして、一刻一刻と色合いが変化していくのが美しく、追いかけて何コマか写真を撮った。雄大な海面に反射する太陽が眩しい。


18時25分。空は徐々に赤みがまし、波は金色に輝いている。
ずっとむかし、新宿の「アートシアター」で観たジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』という映画のシーンを思い出す。ランボーの詩と共に。
「とうとう見つけた、
 何を、
 永遠、
 それは海だ 太陽に溶けている」


18時46分。


18時56分、今や沈まんとしている。


19時、太陽はすっかり見えなくなってしまった。あとには子供が二人。


夜は北斗七星がくっきり見えたが、やや寒かった。昨日の気分の反動か、天気もよかったせいもあって今日は随分たくさん写真を撮った。

経費  1,757円     累計  89,220円
歩数  50,128歩    累計  1,237,019歩
距離  32km       累計  794km

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徒歩の旅 第25日 仁摩町  城福寺ユースへ

2009年02月27日 | 2008年日本海側の旅
5月5日(月) 雨のち晴 (「石見海浜公園キャンプ場」~仁摩町 「城福寺ユースハウス」)



今日の目的地である「城福寺ユースハウス」まではまた40キロ余の旅なので、天気が下り坂という予報も考えて、3時起床、4時出発の体制をとる。3時半頃小雨が降り出したとな思っていると、あれよあれよという間に、急に雨脚が強くなる。暗い中、雨中という悪条件下で撤収、出発準備ということになる。装備一式を急遽近くの炊事棟の屋根の下に移し、パッキング。ところが、準備が整い、雨具を着ていざ出発という段になって、急に小降りになり、雨が上がってしまった。
4時15分、真っ暗な中をヘッドランプを頼りに国道9号線を歩く。まだ車は少ないが、時折ヘッドライトが近づいてくる。
4時50分、「県立しまね海洋館アクアス」という広い敷地の水族館の横を通過。中国地方最大の水族館だそうで、連休のためか、暗い中に開館を待つ車が停車している。「お父さん」は大変だ。
5時、浜田市を抜けて、江津市に入る。周囲がやや明るくなるが、雨はいつ降ってくるかしれず。
5時50分。JR山陰本線の敬川(うやがわ)駅通過。
6時10分、コンビニで朝食、牛乳、おにぎり3個。「焼き豚チャーハンおにぎり」というものを食べてみた。
6時30分、都野津(つのづ)駅をへて、しばらく山陰本線と並行しつつ市街地を行く。
7時20分、江津駅前を通過。
7時40分、江の川にかかる江川橋を渡る。山陰本線が鉄橋を渡って来たが、デジカメは雨対策でザックの中、残念。静かな街中を行くが、車が徐々に多くなってくる。
8時35分、浅利トンネル(470メートル)を抜ける。
8時40分、デジカメをザックから出す。日本海を望む。海から離れ、やや内陸部を行く。


9時05分、浅利駅手前のコンビニも連休のためか満車状態である。
9時15分、道路標識は、「松江 99km、大田 34km」と、松江まで100キロを切っている。


10時30分、大田市に入る。「おおだ」と読むそうである。難読地名の一つか。


11時05分、コンビニにて食事。牛乳、おにぎり1個。
トンネルをいくつか抜けていくが、曇天のせいか、新緑の匂いが非常に濃い感じがする。
12時、温泉津(ゆのつ)駅、12時分40分、湯里(ゆさと)駅と、温泉地を過ぎる。途中の清水トンネル(434メートル)は今日の最長トンネル。再び小雨が降り出し雨具を着用する。デジカメは再びザックの中へ。
この付近は両側に木々が生い茂り、さまざまな若葉に包まれて、まるで緑の廊下のようだ。
13時10分、馬路(まじ)トンネル(266メートル)を抜け、これで今日の分の7つのトンネルをすべて抜けきる。
雨はますます強く降ってくる。丁度よい具合に桜の木があり、雨宿り。さらに見回すと近くに小学校があるので、そのトイレの庇の下に駆け込んで休む。かなり濡れてしまった後、いくらか小止みになったので歩き始めると、200メートルほど先に、立派なバス停の建物があったので我ながら笑ってしまった。まあ、こんなもんであろう。
14時40分、仁万(にま)駅を経て、少し坂を登り、
15時頃、城福寺というお寺のユースに着く。声をかけても応答がないので、土間に入らせてもらって待つ。携帯電話で自宅へ郵便差出の依頼をし、しばらくすると同宿者という女子大生が来る。ユースに連泊して、今日は石見銀山に行ってきたと言う。ワンゲル部に所属しており、明日は三瓶山に登りにいくとのこと。
旅の話など二人で雑談をしているところへ家人が帰ってくる。タオルと洗面道具などを入れる袋をいただき、早速風呂に入ることができたのは有難かった。
ここで右靴下の底に大きな穴が開いているのを発見。風呂で計ったら体重が65キロだったので、荷物の重量や歩行距離をあわせて考えれば、靴下にとっても過重であったのだろう。


さらに言えば、靴底の方もだいぶ磨り減ってきている。当分は大丈夫だと思うが、この先どこかで新調しなければならないかもしれない。
雨が止んだので、夕食を待つ間に、窓の手すりにテント、雨具などを干し、出雲、松江の両ユースの予約を検討する。当初予定では、5月8日・9日に松江のレイクサイドユースホステルに連泊し、9日昼に自宅からの松江中央局留め郵便物を回収するつもりだったが、松江ユースが8日は休業のため、やむなく7日・8日を出雲のユースに連泊し、9日・10日と松江ユースに泊まる方針に変更する。
夕刻、晴れて真っ赤に染まった空と海、仁摩の街や夕陽が反射している水田の写真を撮る。
18時42分、


18時52分、日没時刻もずいぶんと遅くなっている。


城福寺は真言宗のお寺なので、夕食のメニューは精進料理かと思っていたらラム肉のすき焼きだった。もちろん美味しくいただいた。
今日は、アップダウンの多い40キロ余の行程だということに気持ちが左右され、しかも途中で強い雨に降られたりと、あまりゆとりのない一日だった。写真もほとんど撮ることができなかったのは残念。しかし、体中が緑色に染まるくらいの新緑の中を歩けたのは大収穫だった。

経費  4,911円     累計  87,463円
歩数  60,834歩    累計  1,186,891歩
距離  41km      累計  762km


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徒歩の旅 第24日 浜田市  石見海浜公園キャンプ場へ

2009年02月25日 | 2008年日本海側の旅
5月4日(日) 晴のち曇 (「ゆうひパーク三隅」~浜田市 「石見海浜公園キャンプ場」)



5時、起床。一昨日、昨日と約40キロ以上歩いて来たので、今日の石見海浜公園キャンプ場までの距離は余裕に感じられ、朝少しのんびりする。
道の駅の洗面所で歯を磨いていると呼ぶ声がし、振り向くとBさんが自販機の傍にいた。そこでテント泊だったとの話。どうしたのですかと尋ねると、夕べは宿泊予定の荒磯館はじめことごとく断られてしまい、夜8時過ぎにここに到着したとのこと。どうやら連休と、さらに工事関係者が大量に入ってきたのが重なってしまったためらしい。今日の行程を石見海浜公園までと一応決めて、あとはお互いの歩行ペースを考え、自主行動で行きましょうということになった。


6時45分、出発。朝の海はとてもおだやかである。


これから行く方向に鉄路が伸びている。海岸線を走るディーゼル車の線路は、電線もなくすっきりと美しい。


7時、折居駅でちょうどやってきたJR山陰本線の写真を撮る。


8時、このあたりも農作業の真っ最中である。


8時20分、周布(すふ)駅を通過。
8時40分~55分、コンビニで買い物と朝食。牛乳、鮭弁当。コンビニ弁当は、この旅ではじめてのこと。中に食事ができるコーナーがあり、ゆっくり食べることができた。旅人には、とても助かるいいアイデアで、もっと普及して欲しいところだ。
9時15分、海を離れ、やや高台に上ったところで、浜田港方面を遠望する。


9時20分~9時50分、結露に濡れたテント干し休憩。後で考えたら、テント干しに30分もかける必要があったかどうか、今日は時間に余裕があるのだから、石見海浜公園に着いてからそこで干せばよかった。しかし、休憩中に山陰本線のディーゼル車が通過し、写真を撮ることができたのは収穫であった。




10時、西浜田駅通過。
大型連休中なので車が多い。三重ナンバーの車もある。


10時25分、時間の余裕もあるので、国道9号線を離れて浜田港から市街地方面へ行ってみることにする。浜田は山登りにとっては、ラジオの気象通報でお馴染みの地。初めてなのになんとなく親しみを感じてしまう。



10時30分、コンビニで、飲むヨーグルトを買う。
10時40分、浜田漁港と浜田マリン大橋。


11時10分~35分、浜田城跡見学。


浜田城山は、案内板によると、万葉歌人の柿本人麻呂の終焉の地といわれているそうである。人麻呂辞世の一首、
「鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ」
と、妻の歌二首、
「今日今日とわが待つ君は 石川の貝に交りてありといはずや」
「直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ 石川に雲立ち渡れ 見つつ偲はむ」
が紹介されてある。


緑の木陰を城山の広場へと上って行く。


護国神社がある。


神社の境内には、島根県生まれの島村抱月の文学碑。「在るがまゝの現實に即して全的存在の意義を髣髴す 観照の世界也 味に徹したる人生也 此の心境を藝術といふ」とある。


また、日清戦争で、敵の弾を受けてもラッパを放さなかった地元浜田歩兵第21連隊所属のラッパ手・木口小平像。


ノモンハン事件の戦没者の慰霊碑などもある。


11時45分、スーパードラッグで、カロリーメイト2個を買う。
11時55分、山陰本線車庫横を通過する。


12時30分、国道9号線に合流。
12時50分、下府(しもこう)駅通過。
13時20分、コンビニで買い物をしていた自転車の若者と話をする。彼は「一期一会」という旗をリュックに挿して背負っており、こちらも銀マットを背負っているので、お互い旅人同士の親近感の如きものをいだいたということか。彼は、大阪から、淡路島、四国、九州、沖縄、九州へ戻り、山陰へと、途中で働いたりしつつ回って来、旅は8ヶ月目とのこと。こちらも自己紹介で、鹿児島から北海道を目指して歩いており今日で24日目、ということを話すと、「おれよりもすごいよ」と驚いていた。「いや、君の方がすごいよ」などと言いつつ、お互いに頑張ろうと握手をして別れた。別れ際に彼が、左手の親指を立てて挨拶を送ったので、こちらも「グッドラック」と呼びかけた。
連休中なので、9号線はずっと混雑しており、一部で渋滞もしていた。広島、大阪、神戸、岡山などのナンバーの乗用車もあった。また、バイクのグループも多数見かけた。キャンプの装備を後ろに付けたバイクもかなり見かけた。
13時45分、石見海浜公園入口。


事務センターで受付を済ませて、広々とした「キャンプ村」へ。


ここにテント設営を決定。


14時、設営完了。


その後周囲を見て回ったが、Bさんは見つからなかった。衣類などを洗濯し、ゆっくりする。ここは、立派な施設なのにテント場使用料は無料。こういう施設がもっと増えることを切望する。
夕刻、あたりを散策。昼間の賑わいはなく、広くきれいな砂浜は静かだった。


公園西端の赤鼻方面。


しかし、雲が出てきたため、残念ながら期待していた夕日を見ることはできなかった。天気は下り坂のようだ。

経費  1,094円     累計  82,552円
歩数  37,991歩    累計  1,126,057歩
距離  25km      累計  721km


(途中から当ブログにこられた方は、右バー「最新コメント」欄の「◎はじまり◎/ブログを始めました」をクリックして旅のはじめのページに飛び、「次の記事」へと進みつつ、徒歩の旅をお楽しみください。--管理人より)

徒歩の旅 第23日 浜田市  ゆうひパーク三隅へ

2009年02月23日 | 2008年日本海側の旅
5月3日(土) 快晴 (「ゆとりパークたまがわ」~浜田市 「道の駅ゆうひパーク三隅」)



今日は憲法記念日。テント内での朝食つくりにもたついてしまい、
6時10分、出発。青空に鯉のぼりが泳いでいる。今日もよい天気が続くだろう。


6時25分、朝日を浴びる田園。


6時50分、仏峠の田万川トンネルを抜けて、山口県を後に、島根県益田市に入る。6県目である。


路傍にミツバツツジの濃いピンクの花。


7時30分、人形トンネルを抜けると、左側に日本海が広がっている。


飯浦漁港を眼下に歩く。


7時50分、益田市小浜町に入る。


ゆるく蛇行する静かな道を行く。益田市は柿本人麻呂と雪舟の町。


8時10分、戸田小浜駅は下関より150キロ地点。
田園地帯を行くと、水を張った田圃に映る老人。


8時35分~9時05分、道路わきの広々とした誰もいない「ふれあい広場パーキング」で休憩し、テントを干しつつ食事。雪舟と人麻呂の解説もある。


9時10分、のどかな海辺では釣りをしている人たちも。


三里が浜の海岸沿いを行く。


ウミウ。


10時、萩石見空港入口を通過。天気よく、非常に暑い。前を歩いているBさんと出会う。彼は昨夜9時に「ゆとりパークたまがわ」道の駅に着き、自販機の脇でテント泊とのこと。今朝は5時に出発してきたので、今日は少しゆっくりと荒磯館の温泉に泊まる予定と言っている。こちらの宿泊予定地はもう少し先なので、先行させてもらう。
10時05分~15分、コンビニで買い物。牛乳、オールレーズン、農協グレープ果汁、おやつラーメン、柿ピー、ガム。
10時45分、高津川にかかる高津大橋をわたる。


高津川はゆったりと流れている。


10時50分、中吉田の交差点を左折し、国道191号線から、9号線(山陰道)に入る。


心なしかコンビニが増えた感じである。それと、今日からの4連休の影響だろうか、車が非常に多い。さらに、バイクに銀マットをつけたグループや、自転車の集団など、さまざまに走っている。ナンバーも島根のみならず、大阪、久留米、などの乗用車がある。
10時55分、益田川にかかる新大橋をわたる。


11時15分、ここでも田圃に水を張っている。ツツジが満開である。


12時05分~20分、バス停で休憩。食事と水分補給。
12時35分、石見津田駅を通過。小さなトンネルを二つ抜ける。


13時15分、このあたりは立派な瓦屋根の家が多い。


13時35分、鎌手駅で山陰本線のディーゼルの写真を撮ろうとして、待機していたら、ベンチで待っていた女性が、反対側ホームにぴょんと駆け上がった。


14時05分、蓮華の花盛り。「蓮華たんぽぽ花盛り、何やら悲しい旅の空、いとし殿御の心の内は、雲にお聞きと言うのかえ~」(美空ひばり「花笠道中」)


14時15分、浜田市に入る。


14時40分、通区訓練中の郵便労働者。聞いてみたら、住居が飛び飛びなので番地を覚えるのが大変だと言っていた。


14時55分、分岐で、9号線に分かれて、海沿いの171号線を行く。
6月1日から始まる石見神楽舞のポスターが貼ってある。


15時20分、漁港方面に向かって行く。


三隅火力発電所と三隅港。


15時30分、田ノ浦海水浴場の浜辺。


16時20分、三保三隅駅の先で後ろから来た自転車の青年に挨拶される。
16時35分、ここはもう田植えが終わっている。


田植えの済んだ田圃とおばあさん。


16時50分、再び9号線に戻り、峠を越える。
17時15分、山陰本線を眼下に見下ろす「ゆうひパーク三隅」道の駅に着く。


前方の海。海岸に沿って鉄路が伸びている。


休憩していたら先ほどの青年とまた出会い、20分くらい話。連休で中国地方一周をしている、仕事は1週間くらいしか続けて休むことはできないが、これまでに北海道を4分の1、四国は一周したとのこと。こちらの計画の話も少しし、激励された。
18時30分、道の駅の店が閉まったので、テント設営。夜、自宅と交信。松江郵便局留めを頼んだ品をいつ受け取るか、松江のユースの予約日をいつにするかなどを検討しつつ就寝。

経費   988円     累計  81,458円
歩数  65,105歩    累計  1,088,066歩
距離   44km    累計  696km

徒歩の旅 第22日 萩市 ゆとりパークたまがわへ

2009年02月21日 | 2008年日本海側の旅
5月2日(金) 晴 (「萩ユース」~萩市 「道の駅ゆとりパークたまがわ」)



萩ユースの同宿者たちとゆっくり朝食をとり、
7時45分、出発。今日も朝から晴れてよい天気。


7時50分、すぐに菊ヶ浜。白砂青松のむこうに真っ青な海。


左手は指月山。


遠くの帆船は練習船だろうか。


菊が浜の海岸線に沿ってしばらく行く。ゴミ一つない浜辺は気持ちがよい。


阿武川河口の卸魚市場や停泊する漁船の写真を撮りながら行く。




8時30分、萩橋にて国道191号線に合流。萩の町は日本一ゴミのない町とかで、たしかにきれいであった。


9時15分、越ヶ浜。海は青く、浜辺にはハマナスの赤と白の花が咲いている。




相変わらず海は澄んで底までも見える。


漁船が操業中。海は太陽の光と角度によって多様な色を見せてくれる。








そのまま白砂青松の海岸を見つつ行く。


10時25分、不思議なものが祀ってあるのを発見。このたわしは何の神様かな。


10時45分、山陰の大井川。長門大井を通過。


10時50分、コンビニで食事。牛乳、柏餅、新聞を買う。5月なので、いつも買うおにぎりをやめて、今日は柏餅にした。こしあんが実にうまい。
11時15分、海岸で先生と生徒たち。理科の授業だろうか。


でも遊びに夢中のようにも見えるなぁ。


あっ、それなら自分も同じだ。


長い海岸線を行く。


遠くの島々。


海の色はどこまでも神秘的。


よく見ると、ウミウが一羽、岩の上に。


11時50分~12時05分、「全国道の駅発祥の地」である阿武(あぶ)道の駅にて、買い物。トマト、きゅうり。ATMで2万円おろし。


12時50分、サエカ峠を越える。


14時05分、木与駅周辺は海を眺めるのに格好のスポットになっており、写真を撮りつつ歩く。「北長門コバルトライン」と名づけられている白砂青松の浜辺が続き、「西の松島」と呼ばれているところもある。海のみか、島々、砂浜、空、いずれもすばらしい。








ユースでくんできたお茶は早々と飲んでしまい、自販機でペットボトルを買う。
14時30分、トンネルを2つ(田部トンネル、井部田トンネル)抜ける。
15時、静かな午後の宇田郷漁港を通過。


15時15分、海は午後の日差しを浴びて。


ひねもす のたりのたりかな。


15時40分、海草を干している家がある。


16時05分、峠越えの小刈トンネル入口に、「益田 32km、須佐 4km」とある。


16時10分、今日はしきりにのどが渇き、またペットボトル。
16時35分、大刈トンネル(1469メートル)を抜ける。


ここに再び萩市の標識があり、萩市に入る。阿武町は囲まれているが、「平成の大合併」の愚行に抗し独立独歩で行くのかな。


17時、須佐トンネルを抜ける。
17時15分、益田氏を祀る笠松神社。


17時30分、JR山陰本線の下をくぐり、須佐の街に入り、広々とした須佐駅前を通過する。


18時40分、江崎のスーパーで泊まりに備え買い物。牛乳、氷砂糖、ウインナー、煮豆、卵。
19時10分、鯉のぼりが立つ道の駅「ゆとりパークたまがわ」着。東屋の横の芝生の隅にテントを設営し今夜の宿とした。写真は道の駅まであと1.3キロ地点。今日の歩行の目途がつく。


今日は山陰の海の美しさを満喫しつつ、11時間行動でよく歩いた日だった。

経費  2,174円    累計  80,470円
歩数  65,871歩   累計  1,022,961歩
距離   44km    累計  652km

徒歩の旅 第21日 萩市 萩ユースへ

2009年02月19日 | 2008年日本海側の旅
5月1日(木) 晴 (黄波戸駅~萩市 「萩ユースホステル」)



無人駅は寒く、早々と目が覚める。カロリーメイトと昨晩の残りのハムを食べ、
4時50分出発、あたりはまだうす暗い。深川湾に沿っていく。夜明けの海は穏やかであった。
5時20分、国道191号線に合流。案内板あり。


5時30分、海は美しく、幻想的なり。対岸は青海島。


6時10分、長門市駅近くのコンビニで食事。牛乳、おにぎり3個。
6時20分、長門市役所前を通過。


6時50分、JR山陰本線のディーゼル列車がすぐ傍を通る歩道を歩く。


7時、萩まで23キロ。
7時10分、遠くに海を眺めつつ、広々とした田園を行く。


7時20分、村田清風の旧家があり記念館になっている。


清風は「維新回天の楚」で幕末にこの地の子弟の教育に功績のあった人物だそうである。恥ずかしながら初めて知る名前で、自分の無知を悟る。立ち寄って見学しようと思ったが、時間が早く開いていないので外から見ただけで通過した。
記念館と、


旧宅。


しばらく行くとここにも道路に狸の死骸があった。鹿児島のバイパスでも見かけたが、可哀想である。
8時25分、分岐。景色の点では海沿いの地方道を行きたかったが、少し先に香月泰男美術館があり、是非とも立ち寄ってみたかったので、結局191号線を行くことにする。
8時45分、歓迎ゲートをくぐって、「三隅町立香月泰男美術館」方面に右折、開館にはまだ早かったので、ふれあい広場で小休止。
9時00分~9時40分、館内見学。500円。香月泰男はシベリアに抑留され、収容所で強制労働に従事させられた。その経験をモチーフにした作品で有名。学生時代にいくつかの作品は知っていたが、ちょうど旅立ち前の3月にも、NHK教育テレビの新日曜美術館という番組で紹介されていた。軍隊からの家族への便り、金属製のおもちゃなども、興味深く見学した。終生、故郷三隅の風景を愛した、と解説されていた。


香月泰男の作った金属のおもちゃの像。


11時、宗頭(そうとう)の分岐にて、トマト、甘夏、を買う。山口県には5月2日~4日に「マラニック」というのがあるそうで、店の人は、僕のザック姿を見て、そのためのトレーニングかと思ったとのこと。マラソン+ピクニックかな。
11時45分、新緑の中を鎖峠に向かう。


12時、長門市から萩市に入る。トマトを食べ、標高231メートルの鎖峠を越えて行く。


長門市よさようなら。美しい海を忘れない。


12時55分、静かな里山を見ながら峠を下っていく。


13時15分、分岐で小休止、甘夏を食べる。それから長い下り坂を経て、
13時25分、下り坂はゆとりを持って、周囲の新緑も味わいながら眺められる。


13時45分、道路わきの甘夏の木がたくさんの実をつけている。


14時10分、コンビニで、牛乳、おにぎり2個を買う。
14時20分、橋本川にかかる玉江橋を渡り、萩市街に入る。奥は指月山、その麓に萩城跡がある。


14時45分、市内にて高杉晋作の生家を見学。100円。


「西へ行く人をしたひて東行く 心の底ぞ神や知るらむ」と石碑にある。西行を慕って頭を丸めて見たけれど、自分の心は逆に東に行く。その心は神だけが知っているだろう、という意味。倒幕の決意表明と言われている。高杉晋作もまた、興味深い人物だ。


高杉晋作が産湯をつかった井戸。


その後、萩の古い家並みなどを眺めつつ写真を撮る。萩の町並みはきれいで看板もないし電柱も少なかった。




16時20分、ユース着。しばらくすると、Bさんも到着した。同室になり夕食後、昨日の宿泊地選定の苦労話などして過ごす。

経費  6,345円     累計  78,296円
歩数  53,372歩    累計  957,090歩
距離  33km       累計  608km


徒歩の旅 第20日 長門市  黄波戸駅へ

2009年02月17日 | 2008年日本海側の旅
4月30日(水) 晴 (長門二見駅~長門市 JR黄波戸駅)



5時50分、長門二見駅の「夫婦岩ふれあいステーション」を出発。




6時、二見トンネルを抜け、国道191号線に戻り海岸線を行く。


6時05分、二見漁港で働く人々。


二見川を渡るころ朝日が昇ってくる。


ここの海は「長門ブルーライン」と呼ばれているそうだ。海岸線に沿って行く。(前方)


(後方)


昨日とは打って変わって、海底まで見える澄んだ海水を眺めつつ行く。


7時05分、矢玉漁港を通過。漁港にはカモメやカラスではなく、トンビがいて、大きな声で鳴いている。が、騒々しくなく、むしろのどかな感じがトンビのよいところ。


次いで、「危険、事故多発地帯」と看板のある、歩道が無い狭い国道を通過する。
7時35分、土井ガ浜近辺を通るが、キャンプ場の位置は不分明。仮に昨日こ
こまで来ていたら、夜間で、疲れた状態で、危険地帯を通るという、最悪の事態に陥っていた可能性もあり。長門二見駅で泊まってよかった。


7時30分、海の反対側は農作業の準備をまっている。


7時45分~8時15分、道端の小さな社の前で休んでいたら、ギターを手に、ザックを背負った若者がやってくる。京都の大学生のC君で、1年休学して放浪の旅と言う。屋久島まで行くつもりとのことで、しばらく情報交換をする。京都からここまで1ヶ月かかって来たこと。お寺で1週間泊めてもらったり、いろいろなところで泊まったりしていること等々。ヒッチハイクもしている。テントは持たず、シラフだけで寝ているとのことで、今日中に下関まで行きたいと言っていた。下関までの道路状況を教え、「お互いに頑張ろう」とエールを交わして握手で別れる。
8時20分、再び海に沿って行く。海岸線に野菜畑がある。


8時30分、海水は澄んできれいだが、海岸はゴミというアンバランス。景観がもったいない。


8時40分、鏡のような澄んだ入り江を見つつ行く。


8時55分、特牛(こっとい)漁港。


空青く、海もまたどこまでも。


10時05分、牛乳を買って食事休憩。
10時10分、阿川八幡を通過。


10時20分、白い蓮華咲く海辺。


海の写真を撮っていると、おばあさんが近づいてきて、少し話をする。海が本当にきれいですねと言うと、郷土を褒められとても喜んだのか、持っていた甘夏4個入りのネットを呉れると言う。重そうなので1個だけいただきたいと言ったが、これは家で作ったもので甘くておいしいからぜひみんなもっていきなさいと言われ、有難くいただく。
10時35分、内陸部を通過。里山の風情。


11時35分~12時20分、Bさんに追いつき、しばらく同行する。甘夏1個を食べてもらい、2個はこちらで食べる(彼は小串で、漁港のせり場の近くに許可を貰ってテントで泊まったのだが、2時ごろからあたりがにぎやかになり起こされてしまい3時に出発。夜明け前に歩き始めたので僕よりも先行していた。足首が軽い化膿状態だと言いながらも、頑張って歩いている)。
12時40分、ようやく長かった下関市を抜け、長門市に入る。


さらば下関市。


このあたりは「北長門海岸国定公園」に指定されており、透き通った海の水と、きれいな砂浜があちらこちらに展開していた。




本当にきれいな海なので、いくらでも撮っていたくなる。


13時05分、路傍に六地蔵がまつられている。思わず、「これこれ石の地蔵さん~、西へ行くのはこっちかえ~」と美空ひばり。でも自分は東に向かって歩いているのだが。


13時30分、伊上海浜公園で写真を撮る。こちらもまたきれいな海である。




14時、西光寺の「椎ノ木巨樹群」の写真を撮る。


14時30分、自転車の男性としばらく話。彼は益田から来て、今日は小串まで行くとのこと、58歳。団塊の遊び好き同士で話がはずみ、世間の遊びへの無理解を二人で嘆きあった。
16時10分、長門古市で駅の様子を見に行くと、男女の高校生がたむろしている。そろそろ泊まる場所探しにはいるが、もちろんここでは泊まれず、県道56号線の長門油谷線に入るころには日没。さらに黄波戸(きわど)峠を越える。
17時40分、空が暗くなった頃、無人駅であるJR黄波戸駅に着く。時間も遅くなったのでここで泊まらせてもらうことにする。翌日の萩ユースホステルを予約して、行動終了。
今日はほとんど一日、真っ青で底が見えるほど透き通ったきれいな海を見ながら歩き、日本海の美しさを堪能した。4月も今日で終わりである。3月31日に定年退職して準備し、すぐに旅に出て、あっという間の1ヶ月間であった。

経費  1,081円    累計  71,951円
歩数  61,284歩   累計  903,718歩
距離  39km      累計  575km

(多忙により、しばらくの間、ブログ作成を一日おきにします。)