4月30日(水) 晴 (長門二見駅~長門市 JR黄波戸駅)
5時50分、長門二見駅の「夫婦岩ふれあいステーション」を出発。
6時、二見トンネルを抜け、国道191号線に戻り海岸線を行く。
6時05分、二見漁港で働く人々。
二見川を渡るころ朝日が昇ってくる。
ここの海は「長門ブルーライン」と呼ばれているそうだ。海岸線に沿って行く。(前方)
(後方)
昨日とは打って変わって、海底まで見える澄んだ海水を眺めつつ行く。
7時05分、矢玉漁港を通過。漁港にはカモメやカラスではなく、トンビがいて、大きな声で鳴いている。が、騒々しくなく、むしろのどかな感じがトンビのよいところ。
次いで、「危険、事故多発地帯」と看板のある、歩道が無い狭い国道を通過する。
7時35分、土井ガ浜近辺を通るが、キャンプ場の位置は不分明。仮に昨日こ
こまで来ていたら、夜間で、疲れた状態で、危険地帯を通るという、最悪の事態に陥っていた可能性もあり。長門二見駅で泊まってよかった。
7時30分、海の反対側は農作業の準備をまっている。
7時45分~8時15分、道端の小さな社の前で休んでいたら、ギターを手に、ザックを背負った若者がやってくる。京都の大学生のC君で、1年休学して放浪の旅と言う。屋久島まで行くつもりとのことで、しばらく情報交換をする。京都からここまで1ヶ月かかって来たこと。お寺で1週間泊めてもらったり、いろいろなところで泊まったりしていること等々。ヒッチハイクもしている。テントは持たず、シラフだけで寝ているとのことで、今日中に下関まで行きたいと言っていた。下関までの道路状況を教え、「お互いに頑張ろう」とエールを交わして握手で別れる。
8時20分、再び海に沿って行く。海岸線に野菜畑がある。
8時30分、海水は澄んできれいだが、海岸はゴミというアンバランス。景観がもったいない。
8時40分、鏡のような澄んだ入り江を見つつ行く。
8時55分、特牛(こっとい)漁港。
空青く、海もまたどこまでも。
10時05分、牛乳を買って食事休憩。
10時10分、阿川八幡を通過。
10時20分、白い蓮華咲く海辺。
海の写真を撮っていると、おばあさんが近づいてきて、少し話をする。海が本当にきれいですねと言うと、郷土を褒められとても喜んだのか、持っていた甘夏4個入りのネットを呉れると言う。重そうなので1個だけいただきたいと言ったが、これは家で作ったもので甘くておいしいからぜひみんなもっていきなさいと言われ、有難くいただく。
10時35分、内陸部を通過。里山の風情。
11時35分~12時20分、Bさんに追いつき、しばらく同行する。甘夏1個を食べてもらい、2個はこちらで食べる(彼は小串で、漁港のせり場の近くに許可を貰ってテントで泊まったのだが、2時ごろからあたりがにぎやかになり起こされてしまい3時に出発。夜明け前に歩き始めたので僕よりも先行していた。足首が軽い化膿状態だと言いながらも、頑張って歩いている)。
12時40分、ようやく長かった下関市を抜け、長門市に入る。
さらば下関市。
このあたりは「北長門海岸国定公園」に指定されており、透き通った海の水と、きれいな砂浜があちらこちらに展開していた。
本当にきれいな海なので、いくらでも撮っていたくなる。
13時05分、路傍に六地蔵がまつられている。思わず、「これこれ石の地蔵さん~、西へ行くのはこっちかえ~」と美空ひばり。でも自分は東に向かって歩いているのだが。
13時30分、伊上海浜公園で写真を撮る。こちらもまたきれいな海である。
14時、西光寺の「椎ノ木巨樹群」の写真を撮る。
14時30分、自転車の男性としばらく話。彼は益田から来て、今日は小串まで行くとのこと、58歳。団塊の遊び好き同士で話がはずみ、世間の遊びへの無理解を二人で嘆きあった。
16時10分、長門古市で駅の様子を見に行くと、男女の高校生がたむろしている。そろそろ泊まる場所探しにはいるが、もちろんここでは泊まれず、県道56号線の長門油谷線に入るころには日没。さらに黄波戸(きわど)峠を越える。
17時40分、空が暗くなった頃、無人駅であるJR黄波戸駅に着く。時間も遅くなったのでここで泊まらせてもらうことにする。翌日の萩ユースホステルを予約して、行動終了。
今日はほとんど一日、真っ青で底が見えるほど透き通ったきれいな海を見ながら歩き、日本海の美しさを堪能した。4月も今日で終わりである。3月31日に定年退職して準備し、すぐに旅に出て、あっという間の1ヶ月間であった。
経費 1,081円 累計 71,951円
歩数 61,284歩 累計 903,718歩
距離 39km 累計 575km
(多忙により、しばらくの間、ブログ作成を一日おきにします。)
5時50分、長門二見駅の「夫婦岩ふれあいステーション」を出発。
6時、二見トンネルを抜け、国道191号線に戻り海岸線を行く。
6時05分、二見漁港で働く人々。
二見川を渡るころ朝日が昇ってくる。
ここの海は「長門ブルーライン」と呼ばれているそうだ。海岸線に沿って行く。(前方)
(後方)
昨日とは打って変わって、海底まで見える澄んだ海水を眺めつつ行く。
7時05分、矢玉漁港を通過。漁港にはカモメやカラスではなく、トンビがいて、大きな声で鳴いている。が、騒々しくなく、むしろのどかな感じがトンビのよいところ。
次いで、「危険、事故多発地帯」と看板のある、歩道が無い狭い国道を通過する。
7時35分、土井ガ浜近辺を通るが、キャンプ場の位置は不分明。仮に昨日こ
こまで来ていたら、夜間で、疲れた状態で、危険地帯を通るという、最悪の事態に陥っていた可能性もあり。長門二見駅で泊まってよかった。
7時30分、海の反対側は農作業の準備をまっている。
7時45分~8時15分、道端の小さな社の前で休んでいたら、ギターを手に、ザックを背負った若者がやってくる。京都の大学生のC君で、1年休学して放浪の旅と言う。屋久島まで行くつもりとのことで、しばらく情報交換をする。京都からここまで1ヶ月かかって来たこと。お寺で1週間泊めてもらったり、いろいろなところで泊まったりしていること等々。ヒッチハイクもしている。テントは持たず、シラフだけで寝ているとのことで、今日中に下関まで行きたいと言っていた。下関までの道路状況を教え、「お互いに頑張ろう」とエールを交わして握手で別れる。
8時20分、再び海に沿って行く。海岸線に野菜畑がある。
8時30分、海水は澄んできれいだが、海岸はゴミというアンバランス。景観がもったいない。
8時40分、鏡のような澄んだ入り江を見つつ行く。
8時55分、特牛(こっとい)漁港。
空青く、海もまたどこまでも。
10時05分、牛乳を買って食事休憩。
10時10分、阿川八幡を通過。
10時20分、白い蓮華咲く海辺。
海の写真を撮っていると、おばあさんが近づいてきて、少し話をする。海が本当にきれいですねと言うと、郷土を褒められとても喜んだのか、持っていた甘夏4個入りのネットを呉れると言う。重そうなので1個だけいただきたいと言ったが、これは家で作ったもので甘くておいしいからぜひみんなもっていきなさいと言われ、有難くいただく。
10時35分、内陸部を通過。里山の風情。
11時35分~12時20分、Bさんに追いつき、しばらく同行する。甘夏1個を食べてもらい、2個はこちらで食べる(彼は小串で、漁港のせり場の近くに許可を貰ってテントで泊まったのだが、2時ごろからあたりがにぎやかになり起こされてしまい3時に出発。夜明け前に歩き始めたので僕よりも先行していた。足首が軽い化膿状態だと言いながらも、頑張って歩いている)。
12時40分、ようやく長かった下関市を抜け、長門市に入る。
さらば下関市。
このあたりは「北長門海岸国定公園」に指定されており、透き通った海の水と、きれいな砂浜があちらこちらに展開していた。
本当にきれいな海なので、いくらでも撮っていたくなる。
13時05分、路傍に六地蔵がまつられている。思わず、「これこれ石の地蔵さん~、西へ行くのはこっちかえ~」と美空ひばり。でも自分は東に向かって歩いているのだが。
13時30分、伊上海浜公園で写真を撮る。こちらもまたきれいな海である。
14時、西光寺の「椎ノ木巨樹群」の写真を撮る。
14時30分、自転車の男性としばらく話。彼は益田から来て、今日は小串まで行くとのこと、58歳。団塊の遊び好き同士で話がはずみ、世間の遊びへの無理解を二人で嘆きあった。
16時10分、長門古市で駅の様子を見に行くと、男女の高校生がたむろしている。そろそろ泊まる場所探しにはいるが、もちろんここでは泊まれず、県道56号線の長門油谷線に入るころには日没。さらに黄波戸(きわど)峠を越える。
17時40分、空が暗くなった頃、無人駅であるJR黄波戸駅に着く。時間も遅くなったのでここで泊まらせてもらうことにする。翌日の萩ユースホステルを予約して、行動終了。
今日はほとんど一日、真っ青で底が見えるほど透き通ったきれいな海を見ながら歩き、日本海の美しさを堪能した。4月も今日で終わりである。3月31日に定年退職して準備し、すぐに旅に出て、あっという間の1ヶ月間であった。
経費 1,081円 累計 71,951円
歩数 61,284歩 累計 903,718歩
距離 39km 累計 575km
(多忙により、しばらくの間、ブログ作成を一日おきにします。)
(いつまでもこのままでありますように)
結局写真がいいってことでもありますよね。
いろいろな人と出会える幸せ。
足は痛いけどうらやましいです。・・ん?
乞う、ご期待。
おかげさまで、足の具合もだいぶよくなってきています。