あまでうす日記

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復本一郎編「正岡子規スケッチ帖」を読んで

2024-06-16 11:31:30 | Weblog

復本一郎編「正岡子規スケッチ帖」を読んで

 

照る日曇る日 第2063回

 

正岡子規が彼の短い生涯の最晩年の3ケ月に、毎日出てくる高熱をモルヒネで沈静しながら、しかも万年床で仰向けに仰臥しつつ、まるで遺書のように描き残したスケッチが岩波文庫に入りました。

 

明治39年6月から8月まで描かれた「果物帖」に加えて、明治35年8月の「草花帖」と「玩具帖」の3冊ですが、いずれも中村不折からもらった水彩絵の具で描かれた彩色画です。

 

文庫本の後半にはこのスケッチ帖を巡る寒川鼠骨、下村為山、夏目漱石の感想文が収録されていますが、晩年になってから神経衰弱的に奇妙に疲弊した南画を描くようになった漱石は、子規から貰った1点の東菊の絵を「拙くて真面目である」と評しています。

 

同じ「拙くて真面目な」素人の絵でありながら、子規の明るく澄み切った清明さに比べて、漱石の南画の世界の病的なまでに暗鬱なこと。余技として描かれた2枚の絵が、2人の天才の相反する個性を雄弁に物語っているような気がします。

 

それはさておき、子規のスケッチ帖に戻ると、確かに本業の詩歌や散文と違って素人の絵なので、「拙くて真面目」は仕方ないのですが、その素人の絵を、専門家の下村為山や中村不折が「プロにも描けない驚嘆すべき出来栄えである」と手放しで絶賛しているのはどうしてでしょう?

 

ここで私は、はしなくもクラシック音楽の演奏会での実体験を思い出しました。

むかし2年間ほど東京の全部のオーケストラと時々来日する外国の有名な交響楽団の演奏を全部聞きまくっていた時のこと、初めは物珍しかった彼らの演奏が、日が経ち回を重ねるにしたがって、次第につまらなくなってきました。

 

ちょうど手持ちの資金も無くなってきたので、もうそろそろ外来オケや定期通いもよそうかと思っていた時、たまたま耳にした大学のアマチュア交響楽団の演奏会は、そんな耳糞だらけの耳を一気に洗い流すような衝撃でした。

 

彼らは多少の瑕瑾はありつつも、屈指の専門家集団のどこにも求めることが出来ない、音楽に奉仕することの純一無雑な喜びと感動、そして若々しい情熱に満ち溢れていたのでした。

 

それ以来、「マンネリのプロより一期一会のアマ」というのが、私のささやかな確信になりましたが、それはもしかすると音楽だけではなく、絵画や芸術活動全般にまで拡大することが出来る、知られざる格率なのかもしれませんね。

 

来年のG7では各国の首脳の首がみなすげ変わるかも 蝶人

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