照る日曇る日 第2067回
42年間も待たされていた続編を、ようやく読むことが出来た。
この人、かなりの老齢だと思うが、記憶は鮮明、頭脳は明晰、表現は的確で、それはそれは見事な自叙伝である。
戦争の大混乱の中、父親が招集され、残された母親が転んでもただでは起きない牝鶏のように主人公と2人の弟妹をしっかりと抱きかかえ、疎開先の青森八戸で賢く、逞しく生き延びていく母親の姿を、著者は育ちゆく己の姿と共に活写していて、まっこと感動的である。
戦後トットちゃんが通うようになったカトリック系の香蘭女学校が、親戚が眠る九品仏の浄真寺にあったとは知らなかった。その女学校の校歌がなかなかいい歌で採録しておこう。
深山にかおる あららぎも
うつせば庭に におうなり
時とところは 世のさがぞ
咲くはわが身の つとめなり
この「咲くはわが身の つとめなり、は生徒たちのある種のスローガンのようになっていた」と作者は述べているが、おそらくこのフレーズが、その後のトットちゃんのドラスティクな生き方をしっかりと律したのだろう。
前半部で大活躍した母親や、シバリアに抑留されて出征5年後のようやく復員できたバイオリニストの父親のその後、とりわけ彼女の運命の人、偉大なるピアニスト、アレクシス・ワイセンベルクとの世紀の大恋愛についても、なにかコメントしてほしかったが、続続編を期して待つことにしたい。
馬場下の電話ボックスでソウちゃんが凝視していたアカマツ嬢の立派な太腿 蝶人