照る日曇る日 第2059回
「おいぬさま」とは狼のことで、本書には遠野にも多数棲息していた狼と民草についての逸話が生々しい挿絵と共に生き生きと紹介されている。
後藤総一郎編の「注釈遠野物語」によれば明治3年に牛馬43頭を放牧した牧場では毎年15頭前後が狼に襲われ、3年足らずで廃業している。相次ぐ狼害にたまりかねた明治政府は明治10年代に岩手県で雄1頭8円、雌5円(1頭で親子3人の半年分の米代)、子狼2円の報奨金を猟師に与えたので、明治中期には姿を消したそうだ。
ところが柳田國男は山人異人説と同様、最後までニホンオオカミ生存説をとって譲らなかったから、愉快ではないか。
「遠野物語」第39話には狼が鹿を食った噺がある。話者の佐々木喜善が祖父と一緒に大鹿が斃れて横腹が破れて湯気が立っているのを見たが、祖父は「この皮ほしいけれど、御犬(狼)は必ずどこかの近所に隠れて見ておるに相違なければ、取ることができぬ」というたそうだ。
この噺を聞いた柳田國男の疑問は、「祖父の言葉は、経験を通して得た正しい知恵なのか、単なる想像なのか分からぬ」というもの。そこで柳田はいつもそうしていたように仮説を立てた。それは「狼は元々は群れの生活。群れている時は食べ残しはしない。しかし環境の変化によって群狼生活が終焉して孤狼生活に変わったので、1匹では食べ切れないこともあったのだろう」(「狼史雑話」)というものだった。
当時狼は絶滅したと信ぜられていたが、柳田國男は「日本狼生存説」を表明すると同時に、狼の代わりに「モリ」という名の秋田犬を自宅で飼って、長らく観察を続けてたが明証はできず、昭和23年には今西錦司が「いつの時代も孤狼もあれば群狼もある」と柳田説を批判する。
狼の生存が確認できない今となっては、どちらが正しいのかを確かめることはできないが、このように柳田の「小さな疑問」はいつも私たちを思いがけない遠くまで連れていくのである。
大谷のヒットだけを取り上げるドジャースが大敗した試合も 蝶人