照る日曇る日第1712回
「これ運命の縮まるべき端(はじめ)か」という副題がつけられているが、これは1221年の「承久合戦」に際して「治天の君」後鳥羽上皇を懲罰しながらも、鎌倉の邸宅に落ちた雷にうろたえて畏怖に駆られた叫びを、北条ベッタリのはずの「吾妻鏡」がスクープした言葉で、ここには小心者、義時の本音が精確に描写されているようだ。
北条義時選手は、東国の武家が都の上皇天皇を頂上と崇める貴族政治を武力で打倒した「英雄」として、鎌倉幕府創成者の頼朝と並んで、後世の歴史家たちから褒め称えられいる。
しかしながら本書で著者が指摘するように、その人世最大の歴史的メルクマールにあっても、クーデタ実行に迷いに迷い、政子や大江広元の進言や決断がなければ、容易に動こうとしないダメンズでもあった。
しかしその同じ優柔不断の男が、父時政譲の策略と陰謀を弄して、将軍頼家や実朝の殺害に係り、同湖の桜畠山重忠を冷酷に葬り去るのだから、権力を目前にした人間は分からない。
義時という人物の人間のありようは、時代と国は異なっても、ロシア人プーチンの今の心境に近いのではなかろうか。
無法なるロシアの熊を斃すべく鉄腕アトム秘かに飛び立つ 蝶人