昨日、私が担当している「日中文化コミュニケーション」で日本取材チームのメンバー、ジャーナリズム専攻四年の付玉梅が取材の成果の一部を報告した。
京都の「漆芸舎・平安堂」で取材した「金継ぎ」の紹介である。大徳寺の門前にある京町家風の店舗だ。
中国では「金繕jinshan」と翻訳されるが、もともとは中国にも、ホッチキスのように金属で裂け目を固定する「锯瓷(=鎹継ぎ)」と呼ばれる修繕方法があった。国立東京博物館所蔵の重要文化財、青磁茶碗「馬蝗絆(ばこうはん)」がその代表例である。金継ぎは漆の接着力を利用し、見た目もより精巧に修理する工芸だ。
一つの器が背負ってきた歴史や持ち主の思い出、気持ちを大切にし、壊れても捨てるのではなく、直して手元にとどめる。あらゆるものに魂があると感じる日本人の信仰、ものを「もったいない」と慈しむ心、自然への尊重と畏敬、不完全なものに価値を見出す侘び寂びの境地、さまざまな文化を背負った伝統工芸であり、不完全な作品に新たな生命を吹き込む芸術と言ってよい。
漆の木を育てるのには10年かかるが、実際に漆を取れるのは半年の間だけで、役割を終えた木は伐採される。自然の恵みに感謝し、ありがたく使わせてもらうという姿勢が、金継ぎをはじめとする漆工芸の精神に含まれている。焼き物もまた土から作られる。自然との対話をしながら、紙や麻布で下地を作り、上塗りと乾燥を繰り返し、三か月から一年の工程をかけて修理する。
高度成長期の大量生産、大量消費社会を迎えている中国社会にあって、学生たちは全く異なる文化体験ができた。付玉梅の報告に対し、教室の学生からは、「もっといいものを新たに買った方が安上がりではないのか」「壊れたものを使うのは気持ち悪くないか」などと、現代っ子的な発言もあったが、最後には金継ぎの価値を理解したようだった。
取材の対応をしていただいたのは平安堂の漆芸修復師、清川廣樹さんと弟子の藤田直子さん。清川さんは、ますます多くの人が金継ぎの技術に注目し、子々孫々に伝承されることを望んでいる、と学生に伝えた。技術は人が伝えるものであり、その人がいなくなれば技術も途絶える。学生たちは、それは藤田さんに対する期待なのだと受け止めた。
(続)
京都の「漆芸舎・平安堂」で取材した「金継ぎ」の紹介である。大徳寺の門前にある京町家風の店舗だ。
中国では「金繕jinshan」と翻訳されるが、もともとは中国にも、ホッチキスのように金属で裂け目を固定する「锯瓷(=鎹継ぎ)」と呼ばれる修繕方法があった。国立東京博物館所蔵の重要文化財、青磁茶碗「馬蝗絆(ばこうはん)」がその代表例である。金継ぎは漆の接着力を利用し、見た目もより精巧に修理する工芸だ。
一つの器が背負ってきた歴史や持ち主の思い出、気持ちを大切にし、壊れても捨てるのではなく、直して手元にとどめる。あらゆるものに魂があると感じる日本人の信仰、ものを「もったいない」と慈しむ心、自然への尊重と畏敬、不完全なものに価値を見出す侘び寂びの境地、さまざまな文化を背負った伝統工芸であり、不完全な作品に新たな生命を吹き込む芸術と言ってよい。
漆の木を育てるのには10年かかるが、実際に漆を取れるのは半年の間だけで、役割を終えた木は伐採される。自然の恵みに感謝し、ありがたく使わせてもらうという姿勢が、金継ぎをはじめとする漆工芸の精神に含まれている。焼き物もまた土から作られる。自然との対話をしながら、紙や麻布で下地を作り、上塗りと乾燥を繰り返し、三か月から一年の工程をかけて修理する。
高度成長期の大量生産、大量消費社会を迎えている中国社会にあって、学生たちは全く異なる文化体験ができた。付玉梅の報告に対し、教室の学生からは、「もっといいものを新たに買った方が安上がりではないのか」「壊れたものを使うのは気持ち悪くないか」などと、現代っ子的な発言もあったが、最後には金継ぎの価値を理解したようだった。
取材の対応をしていただいたのは平安堂の漆芸修復師、清川廣樹さんと弟子の藤田直子さん。清川さんは、ますます多くの人が金継ぎの技術に注目し、子々孫々に伝承されることを望んでいる、と学生に伝えた。技術は人が伝えるものであり、その人がいなくなれば技術も途絶える。学生たちは、それは藤田さんに対する期待なのだと受け止めた。
(続)