行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【2019古都取材ツアー⑨】アンドロイド観音への違和感と共感

2019-05-11 10:29:13 | 日記
中国の学生はインターネットで何でも見つけてくる。中国は言論統制をしているので、人々の得ている情報は偏っていると考えている日本人が多いが、その見方は一面的だ。情報が規制されていることを知りながら、それを乗り越え、新奇な目で世界を知ろうとする若者と、情報が自由に流通しながら、その有難みに気づかず、タコつぼに閉じこもっている若者と、どちらの世界観が健全かを考えれば答えは明らかだ。

取材テーマの選定でも、学生は縦横無尽に日本のネットを検索し、思わぬネタを拾ってくる。翻訳ソフトもかなり精度が高まっているので、日本語のサイトも平気で解読してしまう。京都の高台寺が取り入れ、話題になったアンドロイド観音もその一つだった。





高台寺は豊臣秀吉の正室、ねねゆかりの寺として知られる。ライトアップを他の寺院に先駆けて行うなど、斬新な試みでも注目を集めているが、今回はなんと般若心境を説くロボットの観音さまである。今年2月、報道陣に公開され、3月8日から5月6日まで一般公開された。

ちょうど私たち取材チームの滞在中と重なるので、ダメもとで取材を申し込んだ。意外だったのは、高台寺には「中国担当」を務める寺前浄因和尚がいて、取材に対応してくれるという。当初からアンドロイド観音の導入にかかわっていたこともあり、寺前和尚の話は具体的で明快だった。わざわざ撮影のため、私たちに特別上演までしていただいた。深く感謝申し上げたい。

学生たちの発見は、和尚からも拝観者からも、日本人が昔から鉄腕アトムやドラえもんなどに触れており、ロボットに対して抵抗感が少ないとの指摘があったことだ。寺院にロボットの観音が登場することに違和感を持っていた彼女たちも、徐々に理解を深めていった。

京都大学ヒューマンロボットインタラクション研究室の神田崇行教授には、人間と「人間らしいロボット」との共生について、貴重な研究成果を聞くことができた。



また、学生は中国では使えないはずのフェイスブックを、壁越えソフトで潜り抜け、ソニー・AIBOを店内に置いている京都市五条の「おむすびCafé みちくさ」を見つけてきた。電話取材のアポを入れると、店長の赤松哲史さんが快く引き受けてくれた。

赤松さんが本物のペットのようにAIBOと接している姿を見て驚いていた学生たちも、自分でAIBOと遊び始めると、「かわいい」と頭をなでていた。特別な体験だったようだ。何よりも開業中にもかかわらず、熱心に、根気強く質問に答えてくれた赤松さんの真摯な姿に感動していた。ありがとうございました!





きっといい作品が生まれることと思う。

(続)


【2019古都取材ツアー⑧】金継ぎの体験で学んだこと

2019-05-09 10:59:12 | 日記
昨日、私が担当している「日中文化コミュニケーション」で日本取材チームのメンバー、ジャーナリズム専攻四年の付玉梅が取材の成果の一部を報告した。













京都の「漆芸舎・平安堂」で取材した「金継ぎ」の紹介である。大徳寺の門前にある京町家風の店舗だ。







中国では「金繕jinshan」と翻訳されるが、もともとは中国にも、ホッチキスのように金属で裂け目を固定する「锯瓷(=鎹継ぎ)」と呼ばれる修繕方法があった。国立東京博物館所蔵の重要文化財、青磁茶碗「馬蝗絆(ばこうはん)」がその代表例である。金継ぎは漆の接着力を利用し、見た目もより精巧に修理する工芸だ。

一つの器が背負ってきた歴史や持ち主の思い出、気持ちを大切にし、壊れても捨てるのではなく、直して手元にとどめる。あらゆるものに魂があると感じる日本人の信仰、ものを「もったいない」と慈しむ心、自然への尊重と畏敬、不完全なものに価値を見出す侘び寂びの境地、さまざまな文化を背負った伝統工芸であり、不完全な作品に新たな生命を吹き込む芸術と言ってよい。

漆の木を育てるのには10年かかるが、実際に漆を取れるのは半年の間だけで、役割を終えた木は伐採される。自然の恵みに感謝し、ありがたく使わせてもらうという姿勢が、金継ぎをはじめとする漆工芸の精神に含まれている。焼き物もまた土から作られる。自然との対話をしながら、紙や麻布で下地を作り、上塗りと乾燥を繰り返し、三か月から一年の工程をかけて修理する。

高度成長期の大量生産、大量消費社会を迎えている中国社会にあって、学生たちは全く異なる文化体験ができた。付玉梅の報告に対し、教室の学生からは、「もっといいものを新たに買った方が安上がりではないのか」「壊れたものを使うのは気持ち悪くないか」などと、現代っ子的な発言もあったが、最後には金継ぎの価値を理解したようだった。





取材の対応をしていただいたのは平安堂の漆芸修復師、清川廣樹さんと弟子の藤田直子さん。清川さんは、ますます多くの人が金継ぎの技術に注目し、子々孫々に伝承されることを望んでいる、と学生に伝えた。技術は人が伝えるものであり、その人がいなくなれば技術も途絶える。学生たちは、それは藤田さんに対する期待なのだと受け止めた。

(続)





【2019古都取材ツアー⑦】京都を走り回った令和の初日

2019-05-09 10:56:17 | 日記
日本滞在日程を4月22日から5月2日に決めるにあたっては、取材対象の都合を考えGWに入る前の時間を十分確保することと、令和の初日を古都で経験することの二つが念頭にあった。新元号のニュースは、典拠をめぐる論争を含め、中国でも大きな話題になった。令和初日の風景は貴重なニュースであり、いくつかの中国メディアから原稿や映像の発注が来ていた。

歴史的な令和元年初日の現場に居合わせることは貴重な体験であるが、加えて、重要な報道の任務が加わった。学生8人を総動員して4グループに分け、それぞれに通訳を配置し、私を含め計13人が京都市内を駆け回った。十分な事前調査をし、学生が自分たちで詳細な計画を練った。



河原町・ゼスト御池での記念コンサートや京都御苑内を練り歩く御霊神社の神輿、祇園での特別セール、京都駅での階段イルミネーションや京都タワーのライトアップなどのほか、全国に唯一という漢字博物館での「令和」関連イベントも取材した。中国人観光客へのインタビューも集中して行った。ゼスト御池では京都ミスきものの荻野まどかさんと記念写真まで撮影した。

















和服姿の通行人にまじり、特別に中国伝統の漢服を来て記念する中国人観光客もいた。歴史的な1日に、中国と深い縁のある日本の古都で、日中の文化が行き交う光景は、学生たちにとって忘れ難いものになった。



この日の取材では、大きな問題にぶつかった。映像のボリュームが大きすぎ、通常のネットワーク環境では素材の送信に膨大な時間のかかることがわかった。ネットカフェで試してもダメで、最後は通訳をしていた同志社の中国人留学生が大学の研究室で使用している高速LANを提供してくれて、難を逃れた。ありがたい後方支援だった。

最終的に、メディア側で規制がかかり、配信までには至らなかった。天皇即位に関する報道なので、過剰になったのだろう。よくあることなので、学生たちもしぶしぶながら受け入れた。個人が抵抗しても変わるものではない。だが、一日をかけて京都の町を走り回った経験は無駄にならない。

「よくやった。ご苦労さん。じゃあ、京都最後の夕食を楽しもう」

と声をかけると、ちょっとしょげていたみんなの顔がいきなり元気になり、「行きましょう!」と声が上がった。かわいい学生たちだ。

(続)






【2019古都取材ツアー⑥】唐招提寺で触れた職人気質

2019-05-08 21:50:30 | 日記
2月末、面接でメンバー8人を確定させ、すぐに取材の準備を始めた。最初は基礎的な準備として、京都奈良の歴史や産業、人口、寺社、中国との関係など8テーマを定めてそれぞれが研究成果を持ち寄り、知識を共有した。それを土台に各自が自分の興味に応じ、具体的な取材テーマの選定に入った。

学生の一人が、2000年から10年をかけて行われた唐招提寺の「平成の大修理」について取材したいと申し出た。中国中央テレビが2017年に放映したドキュメンタリー番組「鑑真千年の縁」で大修理が紹介されたのを見て、強い印象を持ったのだという。

鑑真和上言うまでもなく日中仏教交流の基礎を作った最重要人物である。中国の学生が鑑真にかかわる唐招提寺に興味を持ち、取材をするのは大きな意義がある。だが、なにしろ多数の国宝や重要文化財を抱え、世界遺産にも登録されている名刹だ。大学生の取材がそう簡単に受け入れられるとは思えない。

そんな難局を救ってくれたのは、北京大使館での勤務経験がある奈良県職員の財賀憲司さんだった。

知人の紹介で財賀さんに連絡を取ったのは3月の半ば。後でわかったことだが、ちょうど東京への異動を控えた超多忙期で、全く畑違いの仕事だったにもかかわらず、私の学生のために骨を折ってくださった。官僚主義、事なかれ主義が蔓延し、忖度することしか知らない役人が増えている中で、地方にこうした熱い心を持った人物がいるのはうれしい。日本人として誇りに思う。

事前視察で一時帰国し、賛助をいただいた笹川平和財団に立ち寄った際、すでに東京に転勤していた財賀さんも来られた。同財団の早乙女尚さんとは北京の大使館勤務で重なっていたそうで、奇縁を感じざるを得なかった。学生からの感謝状やささやかなプレゼントを贈り、気持ちを伝えた。


財賀さん(右)と早乙女さん

財賀さんの異動後、引き継いでくださったのは奈良県文化財保存課建造物係長の田中泉さんだ。平成の大修理に最初から最後までかかわった数少ない当事者の一人で、文化財保護に関して貴重な体験談や考え方をおうかがいすることができた。あるものにできるだけ手を加えず、時間の経緯による変化も含めてありのままに残すこと。現場で情熱を傾ける職人気質を、学生たちは感じ取ることができた。



唐招提寺では石田太一副執事長からもお話をおうかがいすることができた。鑑真が1000年以上を経た日本でなお尊敬され、信仰の基礎としてあがめられていることをじかに聞くことができたことは、学生たちにとって得難い経験だったに違いない。

大修理における難題の一つは瓦屋根の修理だった。これについては同寺の「平成の鴟尾(しび)」を仕上げ、「日本一の瓦葺工」としても知られた山本瓦工業会長の山本清一さんがいたが、昨年、86歳で亡くなられたばかりだった。最適な取材対象となるはずだったが、田中さんのご紹介により、山本さんの弟子で同社工場長の山本正道さんが丁寧に対応してくださった。



山本正道さんからは、文書に残っていない古代の瓦造りについて、学術研究の成果をくみ取りながら、手探りをしながら探求をした師匠の作業場を案内していただいた。師を慕う職人の気持ちがひしひしと伝わり、あたかも山本清一さんがいまでもそこにいるような気さえした。

学生が奮闘している記事がもうすぐ仕上がる。大いに楽しみだ。

(続)





【2019古都取材ツアー⑤】女子学生8人との合宿生活

2019-05-07 18:43:27 | 日記
GW10連休と一部重なった取材ツアーのロジで、最大の難題は宿泊先の確保だった。経費の節約を含め、同級生の寺院に布団代だけでお世話になることも考えたが、銭湯に行けない学生が多く断念した。中国の北方では「澡堂」と通称される共同浴場があり、他人と一緒に裸の付き合いをすることに慣れているが、汕頭大学の地元である南方、主として広東省周辺はその習慣がなく、抵抗感が強い。銭湯通いは断念せざるを得なかった。南北は言語だけでなく、飲食、信仰など幅広い範囲で大きな文化の違いがある。

ホテルを予約するには空き室が限られており、ビジネスホテルでさえGW価格で手が届かない。やむなく選択したのが、最近、京都で大流行りの民泊だった。中国人観光客が急増しており、中国からの予約も容易にできる。学生たちが取材の便を考えながら東福寺の近くにある民宿「宿彩アートステイイン東福寺」の予約に成功した。4月半ばに下見をしたが、京阪、JRの東福寺駅に近く、桜並木も見られた。残念ながら学生が到着した4月22日には八重桜のみだったが・・・。





民宿は和室の3LDKで、私のために一部屋を使い、残りの二部屋はふすまを取り払って、布団を敷き詰めた。計7人分の布団しか敷けなかったが、そこで8人が雑魚寝することになった。中国の大学はほとんどが寄宿舎で、合宿のような共同生活に慣れているのが救いだった。なんの支障もなく、寝室だけでなく、洗面所、浴室、トイレをうまくシェアできた。

リビングは会議室で、毎晩、当日の反省や翌日の日程を話し合った。失敗してくじけ、泣き出す学生もいた。取材先に忘れ物をしたことを、神妙な表情で申告する学生もいた。いずれも想定の範囲内で、これもまた学びの一つである。外食の時間がないときには、近くのコンビニやファストフード店で食材を買い、質素ながらもにぎやかな夕食を囲んだ。朝食は毎日、前日に買っておいたサンドイッチかおにぎりだった。





せっかく近くに銭湯があるので、異文化体験の一つとして、一度、学生を誘ってみた。3人が興味を持ってついてきた。地元の人たちが裸の付き合いをしている様子に触れ、貴重な体験ができたが、風呂自体はあまり楽しめなかったようだ。仕方なく、これも勉強のためにと、帰り道に居酒屋に寄った。近所の住民がカウンター席でカラオケを歌っているのが面白かったらしく、さかんに携帯で写真を撮っていた。



付近は住宅街で、大きなスーパーも百貨店もなく、仕事に追われてお土産を買う時間もなかった。民宿を離れる際の荷物は、来た時と同じスーツケースのみで、見送りに来てくれた笹川平和財団の早乙女さんがそれを見て、「こんな中国人のツアーは初めてだ」と驚いていた。本職の記者の取材ツアーでさえ、帰国時には土産の袋が山のように増えているそうだ。



関西国際空港に着き、チェックインの列に並んでいる間、交代で土産店に駆け込むのが精いっぱいだった。女子学生が喜びそうなアクセサリーの店などをチラチラ見ながら、ぐっとこらえて京都奈良の街中を駆け回った彼女たちをほめてあげたい。

(続)