先日、中国共産党の幹部から携帯電話の微信(中国式LINE)で、「日本の庶民は9・3記念活動のことをどう思っているのか」と聞かれた。気心の知れた友人なので、彼はいつも本音の話を求めてくる。私はこう答えた。
「一般庶民の多くは、中国の閲兵式(軍事パレード)にそんな関心がない。直接聞いてみれば、ある者は好奇心を持つだろうし、ある者は怖がるだろうし、ある者は批判的な態度をとるだろう。ただはっきり言えるのは、賛同する人はだれもいねいということだ」
すると彼は言った。
「あなたの言ってるのは閲兵式ですよね。9・3記念活動ではないですよね?」
9・3記念活動とは9月3日の抗日戦争勝利記念日に行われる一連の記念行事を指している。国家指導者の演説のほか、各地で学生を動員した集会や展示会などが行われる。私はハッとした。軍事パレードのことばかり論じているので、つい9・3記念活動イコール軍事パレードだと錯覚していた。軍事パレードは戦争記念行事の重要部分ではあっても、一部分でしかない。
9・3記念日は、日本が米艦船ミズーリ号で降伏文書にサインしたのは1945年9月2日で、その翌日、祝賀記念をしたことが由来だ。近代以来、列強の侵略を受けた中国にとって、独立を果たした輝かしい日だというのである。だから単なる戦争記念ではなく、戦争勝利記念である。「勝利」に重きが置かれている。
この点、勝ち負けとは切り離して「終戦記念」を語ることに慣れている日本人は注意が必要だ。中国人にとって戦争は抽象的な概念ではなく、殺すか殺されるかの戦いである。弱ければ負ける。だから強くなければならない。抗日戦争ドラマや記念館を通じ、幼少からそういう教育を受けている。
抗日戦争終了後、中国は国共内戦が始まり、再び国土は戦火にまみえる。1949年10月1日、共産党が勝利し、中華人民共和国の建国を宣言する。10月1日は建国記念日にあたる国慶節だ。共産党の勝利ではあるが、当時はその他の政党も参加していた連合政府であり、国民党も中国人民に含まれるので、「建国」に重きが置かれた。だが実際、共産党政権の正統性に直接かかわる、党にとっては最も重要な日である。共産党勝利記念日である。旧正月の春節と並ぶ国民の祝日だが、前者は風俗習慣の伝統、後者は政治的な由来を持つ。これまで軍事パレードは国慶節の節目に行われてきたが、共産党の勝利を祝う意味では当然だろう。
今年は初めて、抗日戦争記念日に行われることになった。戦争に勝利したのは主として国民党であり、日本の降伏を受け入れ、戦勝国として戦後処理に参画したのは国民党の蒋介石だった。共産党政権が抗日戦争勝利記念日をどう祝うかは、非常にデリケートな政治判断が加わる。「中国の夢」を掲げる習近平総書記はそのデリケートさを一気に取り払い、中華民族の勝利として祝おうとしている。それは反ファシズムという意味で、世界と共有できる普遍的な意義がある、というのが彼の発想だ。
こうした背景が十分に説明されていないので、いろいろな誤解が生じているように思う。
説明が長くなったが、友人の質問は実は非常に重要だ。
「あなたの言ってるのは閲兵式ですよね。9・3記念活動ではないですよね?」
中国人にとって9・3は戦争「勝利」記念である。だから日本のメディアにしばしば登場する、「反日的」という言い方は当たっていない。負けたのであれば反日といえるかも知れないが、勝ったのだから反日にならない。抗日戦争勝利のアピールが反日という論理は、私には理解できない。だが私の疑問は、国民党軍の勝利を共産党軍が祝うことの違和感である。習近平のようにあっさり割り切ることはできない。
戦争記念行事が過去の反省に立った平和の希求にあることは言うまでもない。中国政府も抗日戦争勝利70年周年記念式典に関して、同じ立場を表明し続けている。だが、軍事パレードが加わっていることによって、平和のメッセージがかすんでしまった。私は微信で友人に「戦争記念と軍事パレードの理念は対立する。今年の戦勝記念は外から見て非常に分かりにくいものとなってしまった」と答えた。私がうっかり誤って答えてしまったのもそのためだ。
一連の行事で浮かび上がるのは「勝利」でしかない。あくまで国内向けの政治メッセージにとどまる。いつまでも被害者感情にとらわれていてはいけない。大国になった以上、堂々と戦勝国のお祝いをしよう。国民党でも共産党でもいい。中国人のお祝いじゃないか。習近平はそう言っているように思える。
潘基文(パンギムン)国連事務総長が軍事パレードに参加することについて、日本の国連代表部が国連事務局に対し、「いたずらに過去に焦点を当てる行事に対し、国連は中立的な姿勢で臨んでもらいたい」と懸念を伝えた。読売新聞によると、外務省幹部は潘氏の対応について、「天安門事件が起きた場所で軍事パレードを観覧するのであれば、判断に疑問符をつけざるを得ない。自由や人権といった国連の精神を体現しているのか、国際社会が非常に懸念するのではないか」と不快感をしたという。
天安門事件が起きた場所という言い方が気になった。周恩来の追悼も、胡耀邦の追悼も、みなここで行われた。天安門は世界の観光客が集まる一大観光スポットでもある。その場所がいけないという論法はあまりにも稚拙だ。いけないのは、戦争記念日の本来の趣旨と実際行われることの落差ではないのか。中国の友人とチャットをしながら、そんなことを考えた。
北京に向かう飛行機の中でこの文章を書いた。北京は思ったより暑い。あと数日後、もっと熱い日がやってくる。
「一般庶民の多くは、中国の閲兵式(軍事パレード)にそんな関心がない。直接聞いてみれば、ある者は好奇心を持つだろうし、ある者は怖がるだろうし、ある者は批判的な態度をとるだろう。ただはっきり言えるのは、賛同する人はだれもいねいということだ」
すると彼は言った。
「あなたの言ってるのは閲兵式ですよね。9・3記念活動ではないですよね?」
9・3記念活動とは9月3日の抗日戦争勝利記念日に行われる一連の記念行事を指している。国家指導者の演説のほか、各地で学生を動員した集会や展示会などが行われる。私はハッとした。軍事パレードのことばかり論じているので、つい9・3記念活動イコール軍事パレードだと錯覚していた。軍事パレードは戦争記念行事の重要部分ではあっても、一部分でしかない。
9・3記念日は、日本が米艦船ミズーリ号で降伏文書にサインしたのは1945年9月2日で、その翌日、祝賀記念をしたことが由来だ。近代以来、列強の侵略を受けた中国にとって、独立を果たした輝かしい日だというのである。だから単なる戦争記念ではなく、戦争勝利記念である。「勝利」に重きが置かれている。
この点、勝ち負けとは切り離して「終戦記念」を語ることに慣れている日本人は注意が必要だ。中国人にとって戦争は抽象的な概念ではなく、殺すか殺されるかの戦いである。弱ければ負ける。だから強くなければならない。抗日戦争ドラマや記念館を通じ、幼少からそういう教育を受けている。
抗日戦争終了後、中国は国共内戦が始まり、再び国土は戦火にまみえる。1949年10月1日、共産党が勝利し、中華人民共和国の建国を宣言する。10月1日は建国記念日にあたる国慶節だ。共産党の勝利ではあるが、当時はその他の政党も参加していた連合政府であり、国民党も中国人民に含まれるので、「建国」に重きが置かれた。だが実際、共産党政権の正統性に直接かかわる、党にとっては最も重要な日である。共産党勝利記念日である。旧正月の春節と並ぶ国民の祝日だが、前者は風俗習慣の伝統、後者は政治的な由来を持つ。これまで軍事パレードは国慶節の節目に行われてきたが、共産党の勝利を祝う意味では当然だろう。
今年は初めて、抗日戦争記念日に行われることになった。戦争に勝利したのは主として国民党であり、日本の降伏を受け入れ、戦勝国として戦後処理に参画したのは国民党の蒋介石だった。共産党政権が抗日戦争勝利記念日をどう祝うかは、非常にデリケートな政治判断が加わる。「中国の夢」を掲げる習近平総書記はそのデリケートさを一気に取り払い、中華民族の勝利として祝おうとしている。それは反ファシズムという意味で、世界と共有できる普遍的な意義がある、というのが彼の発想だ。
こうした背景が十分に説明されていないので、いろいろな誤解が生じているように思う。
説明が長くなったが、友人の質問は実は非常に重要だ。
「あなたの言ってるのは閲兵式ですよね。9・3記念活動ではないですよね?」
中国人にとって9・3は戦争「勝利」記念である。だから日本のメディアにしばしば登場する、「反日的」という言い方は当たっていない。負けたのであれば反日といえるかも知れないが、勝ったのだから反日にならない。抗日戦争勝利のアピールが反日という論理は、私には理解できない。だが私の疑問は、国民党軍の勝利を共産党軍が祝うことの違和感である。習近平のようにあっさり割り切ることはできない。
戦争記念行事が過去の反省に立った平和の希求にあることは言うまでもない。中国政府も抗日戦争勝利70年周年記念式典に関して、同じ立場を表明し続けている。だが、軍事パレードが加わっていることによって、平和のメッセージがかすんでしまった。私は微信で友人に「戦争記念と軍事パレードの理念は対立する。今年の戦勝記念は外から見て非常に分かりにくいものとなってしまった」と答えた。私がうっかり誤って答えてしまったのもそのためだ。
一連の行事で浮かび上がるのは「勝利」でしかない。あくまで国内向けの政治メッセージにとどまる。いつまでも被害者感情にとらわれていてはいけない。大国になった以上、堂々と戦勝国のお祝いをしよう。国民党でも共産党でもいい。中国人のお祝いじゃないか。習近平はそう言っているように思える。
潘基文(パンギムン)国連事務総長が軍事パレードに参加することについて、日本の国連代表部が国連事務局に対し、「いたずらに過去に焦点を当てる行事に対し、国連は中立的な姿勢で臨んでもらいたい」と懸念を伝えた。読売新聞によると、外務省幹部は潘氏の対応について、「天安門事件が起きた場所で軍事パレードを観覧するのであれば、判断に疑問符をつけざるを得ない。自由や人権といった国連の精神を体現しているのか、国際社会が非常に懸念するのではないか」と不快感をしたという。
天安門事件が起きた場所という言い方が気になった。周恩来の追悼も、胡耀邦の追悼も、みなここで行われた。天安門は世界の観光客が集まる一大観光スポットでもある。その場所がいけないという論法はあまりにも稚拙だ。いけないのは、戦争記念日の本来の趣旨と実際行われることの落差ではないのか。中国の友人とチャットをしながら、そんなことを考えた。
北京に向かう飛行機の中でこの文章を書いた。北京は思ったより暑い。あと数日後、もっと熱い日がやってくる。
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