行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」⑦

2020-08-31 19:36:33 | 昔のコラム(2015年10月~15年5月
汕頭大学日本取材チーム「新緑」には貴重な支援者がいるが、中でも私の学生時代の友人はとても頼りになる応援団だ。私がウィー・チャットの「新緑」公式アカウントでそれを紹介したところ、中国語に堪能な応援団の一人、(旧姓)江守依子さんが、上手な日本語訳を作ってくれたので、以下、全文を掲載する。
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日本には“継続は力なり”ということわざがあります。

汕頭大学の日本取材チーム「新緑」は2017年から毎年1回実施され、今年で既に4回目になります。第1回は新しい道を“開拓”する試みで、全てが探索と模索の過程でした。第2回の任務は“継承”,だが決して容易な道ではなく、おそらく開拓以上に困難でした。第3回のテーマは“発展”,直面する困難を一つ一つ克服し、大きなプレッシャーがありました。第4回目は“イノベーション”に挑戦しました。容易ではない道のりの中、“継続は力なり”を実践してきました。

“継続は力なり”は「新緑」に活力をもたらしただけでなく、周囲の人たちの心も動かしました。その結果、「新緑」は、中国だけでなく日本でも多くの応援団に恵まれました。その中で特に重要なのは私の大学時代の同級生たちで、それは“友情+情熱”の応援団でした。


(木村純香さんが第3代「新緑」にプレゼントしてくれた「一期一会」の絵葉書)

(伝統舞踏の披露を終え、正定院で記念写真)

2019年4月下旬から5月初めにかけて、「新緑」第3代は京都、奈良、大阪を訪問しました。中でも多くの取材場所は、伝統文化の精髄が集まる京都でした。古い町のため、往々にして人々は保守的なので、外からの者、特に外国人にとって文化の核心的な部分に触れるのはとても難しいことです。ただ深い取材をするためには、どうしても中枢の人々に接する必要があります。

運の良いことに、私の大学の同級生、木村純香さんが京都出町柳正定院の住職でした。彼女は珍しい女性の住職です。もともと京都でお寺の地位はとても高いうえ、彼女は社交的で活発な方で、広い交際範囲を持っています。彼女が各方面の代表的な人物と連絡を取ってくれ、学生たちに得難い貴重な取材の機会を提供してくれました。

その中の一人は、冷泉家の第25代女性当主冷泉貴実子さん。冷泉家は明治時代以降、京都に残った唯一の公家で、冷泉家邸は200年以上の歴史があります。冷泉家は日本の和歌の伝統を守り続け、5件の国宝と47件の重要文化財を所蔵しています。「新緑」の学生にとっては、直接取材することは考えもつかないことです。

ところが木村さんが懇意にしていた関係で、取材を受けていただき、学生たちをお茶と和菓子で手厚くもてなしてくれました。取材の際は、日中の文化交流の歴史を詳しく説明していただき、興味深いエピソードや珍しい文物までご披露いただきました。

あと京都を代表する二人の女将がいます。日本語の女将(おかみ)は最高の敬称である「お上」から来ていて、一般には料理店や旅館の女性経営者を指します。彼女たちはお茶や生け花、歌謡などの伝統文化をたしなみ、日本のおもてなしを守っています。一期一会の精神を体現しており、学生たちとっては、日本のおもてなし文化を理解する重要な窓口です。

私たちが訪問したのは4月末で、ちょうど年号が令和に変わる大型ゴールデンウィークにぶつかり、超繁忙期を迎えた各店舗の取材は至難でした。ここでも木村さんが自ら直接出向いて取材をお願いし、アポイントを取ってくれました。

一人は、200年の歴史を有する「柊家旅館」の女将西村明美さん。柊家は江戸時代の1818年創業で、京都を代表する老舗旅館の一つです。かつては川端康成やチャップリンらの著名人が宿泊したことで知られ、西村さんは京都女将協会の名誉会長や京都観光おもてなし大使なども務めておられます。彼女は忙しい中、学生のため3時間も取材に時間を割いて、生け花とおもてなしとの関係など重要な心得について話してくれました。本当にありがたいことです!

もう一人は、京都の繁華街四条河原町の「ひさご寿司」二代目女将宇治田恵子さん。彼女は今年72歳ですが、朝から晩まで映像の密着取材を受けいただいたうえ、さらに学生を小鼓の師匠宅にまで同行し、貴重な小鼓の稽古風景も見せてくれました。

わずか十数日の京都の滞在で、中国の学生がこれほど実りの多い、素晴らしい内容の取材ができるのはとても想像出来ないことです。それも、木村さんの熱意とお骨折りで実現したのです。その時彼女は私にこう言いました。「私も『新緑』の一員になった気分。私自身も、取材対象が見つけられなかったら気持ちがすまなかった」と、「新緑」対する深い思いを話してくれました。

平成最後の日、2019年4月30日、彼女はわざわざ新緑チーム全員を彼女のお寺に招いてくれました。彼女と息子さん、ご近所の方々までもが来てくれて、学生たちのためにお豆腐料理のコースをふるまってくれました。さらに独特な祭事の演舞も披露してくれ、破格の待遇で学生たちに対する歓迎の気持ちを示してくれました。

第3三代メンバーの一人、付玉梅が卒業後に仕事で京都に行った際、彼女に会おうと正定院を訪ねました。その時、お寺の入り口に汕頭大学新聞学院の旗と私たちの集合写真が掛けられているのを見て、木村さんの気持ちを感じ、とても感動しました。

(中央が木村純香さん、右が付玉梅)


(正定院の玄関に掲げられた「新緑」の記念品)

感動したのは一度や二度ではありません。思いもかけず、新型コロナ流行後に、私は突然京都の木村さんからの速達を受け取りました。開けてみると、包装紙の上に「山川異域、風月同天、寄諸学生、共結来縁。」と書かれ、中にはマスクが入っていました。彼女は私が中国にこのマスクを持ち帰り、学生たちに渡すようにと、贈ってくれたのです。その時日本ではすでにマスクがとても入手困難な状況になっていたので、私はとても感動しました。



彼女が書いた詩の原作は「山川異域、風月同天。寄諸佛子、共結来縁。」で、1500年前に日本の王族の長屋の王子が鑑真和上を招待した時に贈った袈裟の襟に刺繍された詩です。木村さんは当時、学生たちの頑張り、真面目さ、努力がとても印象深かったので、困難に直面している学生たちを慰め、励ますために、「佛子」を「学生」に書き換えたのです。

昨年の経験によって、私の大学時代の友人たち間でも、「新緑」は既に見知らぬ存在ではなく、主要な話題の一つになりました。さらにうれしいことに、木村さん以外の友人も積極的に参加したり手伝ったりする方法を考えてくれるようになっています。

第4代はもともと2020年の東京オリンピック期間中、東京へ取材に行くことになっていましたが、大きな悩みの種だったのは、その期間の東京の宿泊料金は通常の数倍もの値段で、我々の予算をはるかに超えてしまっていたことです。

しかし、幸いなことに、私たち「新緑」は困難にぶつかると、いつも人の好意に恵まれ、助けを得られるのです。私の大学時代の親友、小林和夫君が無料で学生たちの宿の提供を申し出てくれたのです。彼の父君は数年前にお亡くなりになり、母君は老人ホームに入居され、奥方はお仕事で単身赴任されているので、たくさんの部屋が空いており、その上、彼の家は東京の練馬区にあり、交通の便もいいのです。まさに干天の慈雨です。

その後、コロナの発生により、今年の計画は考え直さねばならなくなり、ある日私は彼に会った際、計画を延期することを告げました。学生たちの半数が学業の関係で継続して参加出来ません。数日たって、彼から学生たちに向けた英語のビデオレターが届きました。英語で学生たちを励ました内容です。

“Your efforts to come to Tokyo this time will surely be the light that illuminates your way. Anyway, Tokyo is still here, and waiting you all.”
彼は、どんなことがあっても、全ての学生さんたちが東京に来るのを歓迎すると伝え、映像の背景にはわざわざ「加油(頑張れ)!」の文字がありました。またまた学生たちは感動しました。以下が全文です。


Hello新緑 members
I'm Kazuo Kobayashi, the host at your accommodation in Tokyo.
Tokyo is now in rainy season, hot & wet.

I'm really sorry that I can't meet you this summer.
I think you had a very anxious day because of an invisible enemy called a virus. You worried it is possible to go to Tokyo or not.
My friend Kato was struggling in search of possibilities to the last minute.  You also worked very hard to prepare, study, and research to come to Tokyo until the very end. I think you all are really brave. but was really unfortunately it was impossible, considering your health and safety.
The virus closed your way.
But remember, the way is not the only one.
You can now follow the WAY of your choice.
And I believe that the way will surely lead you to hope.
Your efforts to come to Tokyo this time will surely be the light that illuminates your way.

Anyway, Tokyo is still here, and waiting you all.
Maybe next spring, or summer?
I’m waiting to see you all, magnificient12, as long as my life lasts.
We will surely see ya, 12menbers!
Until then I don't say goodbye.
See You very soon!
I wish your health, daily happiness and future success!

翌日の夜、私たちはSkypeでオンライン飲み会をしました。おおよそ7,8名の大学の同級生が参加しました。実は私たちは最近毎週土曜日の夜に、オンライン飲み会を開催しているのです。時には誕生日を祝い、時には自粛生活について話し合い、コロナへの不満をぶつけ、もちろん一番多いのは昔の思い出話ですが。

その日は、東京の感染状況が少しずつ収まりつつある状況だったので、皆ついに、オンライン飲み会ではなく、外で、居酒屋などでの飲み会を始めてもいいのではないかという話が出始めました。しかし小林君は突然、「まだ駄目だよ!もしも加藤がかかったら、中国の学生たちにとても迷惑をかけることになるから。もう少し我慢しよう」と言ったのです。私はそれを聞いて心が温かくなり、酒がますます進んでしまいました。人は酒に酔うのではなく、自分に酔うのですね。

「新緑」の存在により、私たち同級生たちの話題もますます増え、一緒に協力して助け合う機会も増えました。旧友の友情も深まりました。私たちの大学時代の友情が中国の学生たちのために生かされ、私たちはみなとても光栄で、とても嬉しく感じでいます。これも縁ですね。ずっと大切にし、感謝しなければ!

私たちは「いつでも新しいスタート」という心構えで、引き続き頑張っていきます!

(続)

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