行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

なぜ汕頭を現地語の発音「スワトウ」で呼ぶのか・・・知られざる日本との深い縁

2016-10-26 20:14:47 | 日記
メディア関連の授業で汕頭出身の学生が、地元旧市街の洋風建築群に関する研究発表をした。私は何度か旧市街を歩きながら、100年前にタイムスリップしたような感覚を抱き、それを埋めたいと思った。授業中に町探検の感想を話し、歴史文化研究の課題を提供すると、地元生まれ、育ちの女子2年生が率先して引き受けてくれた。町の記憶をいかに記録するかということは、メディアの重要な役割である。

汕頭(スワトウ)は19世紀半ば、欧米列強の進出で開港を迫られ、19世紀に入って栄華を極めた。1930年代末、日本軍の攻撃、進駐で多くの市民は海外に逃げ華僑となった。改革開放後の80年代、深圳、アモイと並ぶ経済特区となり、再び繁栄が戻るが、政府の腐敗などから経済が停滞した。現在は、家主のいなくなった近代建築の補修、修復が再開発の主要テーマの一つとなっている。

彼女は旧市街の歴史に関する映像やビデオ、文書のアーカイブを見つけ、貴重な写真を提供してくれた。驚いたのは、日本人が多くの絵葉書を残していることだった。







漢字では「南支那汕頭」とあるが、英語表記は「Swatow South China」である。彼女の発見は、汕頭が現地方言の潮汕話と同じ「Swatow」と記されていることだった。現在は英語表記も中国の共通語発音に準じて「Shantou シャントウ」と書かれるのだ。こちらに来て二か月近くがたつが、確かに私も深く考えたことはなかった。日本語の読み「スワトウ」は方言から直接入ったものなのだ。ちょうど広東を共通語発音の「Guangdong」と読まず、広東語に近い「カントン」と呼ぶように。

彼女が紹介してくれた写真には台湾銀行の写真もあった。



台湾銀行(TAIWAN BANK)は日本が統治していた台湾で設立した銀行だ。台湾の資源開発を支えた最大の商業銀行であり、南洋との貿易金融も行った。汕頭は地理的に台湾と近い。その支店が置かれていたことになる。つまり、日本の台湾統治を起点として、大陸での経済活動にも進出しようとする国策を担っていたことがうかがえる。

この建物は現在、きれいに修復され「汕頭開埠(開港)文化陳列館」に姿を変えている。結婚前にカップルがウエディングドレスで記念撮影をする人気スポットの一つである。



目の前の広場には大きなパネルで「汕頭小公園」と呼ばれる一帯の紹介がされている。先月、パネルに並んだ写真の中に「日本領事館」の名前を見つけ、びっくりした。



だが彼女が見つけたアーカイブには、日本との縁を物語るもっと詳しい資料が隠されていた。今では直行便もない、日本人もほとんど見かけないこの町に、当時、果たしてどれほど多くの日本人が住んでいたのかと思わせる写真だ。興味は尽きない。(続)





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