行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「コロナ下の国際交流」を探る試み④

2021-05-19 13:25:14 | 昔のコラム(2015年10月~15年5月
先週末、学部の卒業記念行事が終わり、6月末の卒業式に向け、学内では別れを惜しむ光景が目立つようになった。期末テストや新入生の募集準備も同時に進行し、にわかにそわそわし始めた。




4月に入って広東省が外国人へのコロナ・ワクチン接種を開放すると発表していたが、今月12日、大学で外国人教師に対する接種が始まり、さっそく第1回を受けてきた。接種後、幸い何の反応もなかった。時間をおいて、改めて2回目を接種する予定だ。


残念ながら目下、ワクチン接種によって再入国条件が緩和されるわけではなく、従来通り4週間(入国場所3週間+居住地1週間)の隔離が必要なので、夏休みの一時帰国は断念せざるを得ない。その分、「こんにちはサロン」の第二弾に専念しようと思う。すでに日時と場所が内定し、準備が順調に進んでいる。

第1回目の「こんにちはサロン」は3月27日、北京の日本大使館で行ったが、「コロナ下の国際交流」イベントは、実は同月25日の「無錫国際桜祭り」からスタートしている。私は無錫市から「桜花使者」を拝命しているので、都合の許す限り毎年参加しているが、今年は「新緑」メンバーを同行し、取材チームとしてかかわった。

昨年はコロナの影響でイベント自体が中止となったが、今年は、日本からの植樹チームが参列できない中、上海の日本総領事をはじめ各国総領事、北京からはシンガポール大使、さらには多数の日系企業関係者が集まり、文字通り「コロナ下の国際交流」を模索する試みとなった。







無錫の太湖湖畔には今や3万本となった桜林「中日桜花友誼林」があるが、もともとは1988年、日本の戦争世代が植樹をしたのが始まりである。今年で34周年を数え、これまで1万6000人が参加した。民間レベルの日中交流事業としては、間違いなく最も息の長い、最も中身の深い行事の一つである。

残念ながら日本からの植樹チームは参加できなかったが、無錫市の開幕イベント会場で、「日中共同建設桜花友誼林保存協会」代表の新発田豊さんのビデオレターが披露され、「3万本が大きく育ち、きれいに咲き、中国一の桜の名所となったのは、無錫のみなさんとともに桜に託した友好と平和の願いが届いたものです。これからも世世代代まで成長していくことを願っています」との言葉が来場者を感動させた。




妻の新発田喜代子さんによると、わずか1分の収録のため3日間をかけたという。たくさんの思いが詰まったビデオレターだった。新発田夫妻は「新緑」チームの取材にも応じ、「保存協会は高齢化が進み、父を知る人も少なくなりました。日中未来創想会の若者のパワーを感じて私達で終わりにしてはいけない。桜の花が百年、千年と咲き続けるのを見守らなくてはとの想いになりました」と答えてくれた。

非常に困難な状況のもとでの無錫国際桜祭りだったが、その分、意義深いものになったと思う。さらに注目されたのが、当日のゲストだった。全国人民対外友好協会からはそれまで副会長が参列していたが、今回初めて「会長」が姿を見せたのだ。

(続)

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