行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

日本の七夕は中国の戦争記念日 中国の七夕はバレンタインデー

2015-07-07 09:09:30 | 昔のコラム(2015年10月~15年5月
雨模様が続いている。七夕飾りにかけられたカラフルな短冊が雨に濡れないかと心配だ。七夕は「棚機」とも書く。中国ではかつて女性が針仕事が上手になるようにと星に願いをする日だった。「機」がその名残をとどめる。その後、日本でも書道や裁縫の上達を願っていたが、やがてあらゆる願い事をするようになった。

中国の七夕は陰暦によるので今年は8月20日だ。牽牛星と織女星が年に一度出会うとの伝説にちなで、昨今は中国式バレンタインデーと呼ばれるようになっている。つまり中国には2月14日を含め、年に2回のバレンタインデーがある。女性からチョコレートを贈る習慣はなく、男性からのプレゼントに限られるから「男はつらいよ」である。

時代により過ごし方は変わっても、糸を紡ぎ、願いを紡ぎ、愛を紡ぐという意味では、古来、その意味は失われていないのかも知れない。いくら社会が進歩しても、人の感情は素朴な原型をとどめるのだろう。

中国での7月7日は七七事変、日本では盧溝橋事件の記念日だ。1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の日本軍が銃撃され、日本軍はこれを口実に中国軍を攻撃した。同月一一日に停戦協定が成立したが、近衛文麿内閣は拡大方針に傾き、同月中に北京、天津地域を占領した。この事件を機に、戦火は華北や上海に広がり日中全面戦争へと拡大していく。中国では「日本が全面的な侵略戦争を開始した」とされる。

中国は事件を記憶するため日付で呼ぶことが多い。日本で言う柳条湖事件は9・18事変だ。その日は決まって記念行事が行われるので、毎年、記憶に刻まれていくことになる。電子版で今日付けの『人民日報』を読むと、計4ページにわたって七七事変78周年が特集されている。日本軍の残虐さを伝え、それと勇敢に戦った中国人民をたたえ、平和への誓いを新たにするというバランスのとれた内容だ。

日本の新聞はとかくこうした抗日戦争記念日で、「日本への牽制」「安倍政権への批判」などと外交関係の文脈で記事を書くが、私には全くピンとこない。原稿にしやすいテクニックを競い合っているだけに見えてしまう。だから読者に飽きられるし、人々の記憶にも残らない。戦勝国でありながら被害者としての感情を強く引きずる中国の人々が、どのように戦争を回顧するのかという視点がなければ報道の価値がない。

北京の文化サロンで日中関係をテーマにした座談会に参加したことがあるが、ある有名な五〇歳代の書店主が「被害者感情を乗り越えることが我々に課せられている」と話したのが印象に残っている。過剰な民族主義をいかにコントロールするかが、理性と独立を重んじる知識人の課題だというのだ。

「愛国」と「民主」のせめぎあいはなお続いている。私はその場で、「その課題は日本人も共有し、ともに乗り越えていく努力をしなければならない」と発言した。七夕にあたり、願い事の共有を短冊に託したいと思う。


駄作を一句
短冊の色を集めて虹となす 寅



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