習近平がしばしば中国の古典や毛沢東語録を引用していることはよく知られている。『人民日報』評論部は昨年2月、習近平が引用した名言297の出典や意味を解説した『習近平用典』(人民日報出版社)を出版した。私が買ったのはソフトカバーで39元だったが、同紙の知人から記念に贈られたハードカバーの豪華版は倍以上の79元(約1400円)だった。出版不況の中でも習近平本は、党・政府機関が大量に買い集めたちまちベストセラーになるので、各社が競って出している。
同書はコンパクトにまとまっているので、簡便に古典の学習ができるメリットがある。隙に飽かせて出典を調べたら最多引用が『論語』で計10回、次いで『礼記』が6回、『孟子』が4回だった。同書が取り上げているのは発言の一部だから、実際はこれ以上ある。
習近平が党員の分派行為を戒める際に厳しく言っている政治の「規矩(きく)=掟」もまた、『孟子』にその言葉がある。規はコンパス、矩は物差しで、物事の基準となる手本を意味する。『孟子』離婁章句上には、聖人のあり方について「規矩がなければ方形も円も描けない」との比喩を用い、規矩の範を「先王の道、すなわち仁政」とした。孟子はこう言った。
「ただ善良なだけで、先王の道に従っていない善心では、立派な政治を行うには足らず、またいろいろとただ法はつくられるが、それが先王の法によらないような無駄な法では、おのずから行われることは出来ない」
『習近平用典』に取り上げられている『孟子』には、「君主が民と楽しみを同じくすれば、民もまた君主の楽しみを共有する。君主が民と憂いを同じくすれば、民も君主と憂いを共有する」(梁恵王下)、「富貴に惑わされず、貧賤にくじけず、威嚇にも動じない」(滕文公下)などがある。いずれも指導者が守るべき仁政の心得を説いたものだ。『孟子』には民主主義的思想として人口に膾炙した「民を貴しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽しとなす」の言葉がある。民こそ最も重要で、国家がこれに次ぎ、国家を治める君主はもっと軽い、との考えだ。
「規矩」を語った『孟子』離婁章句上のくだりには、実は非常に大事な教えが書かれている。
「内城や外城が完全でなく、武器や甲冑が多くないということは、決して国の災いではない。また田野が十分によく開墾されていないとか、財貨がたくさん集まらないなどということは、決して国の害ではないのである。ただ国の災害となることは、上に立つ者に礼がなく、下の者に学問がないということであって、このようであれば、人を害さない世を乱す暴民が起こるようになり、そのために、その国が滅びるということは、日を数えるひまもないほど、さしせまっていることだろう」
兵器の数やGDPで争うことに意味はなく、国の力は広まっている徳や法、文化によって決まる、そう言っている。つまりハードパワーよりもソフトパワーだと孟子は見抜いていたのである。中国は侵略を受けた不幸な歴史によって、力=ハードパワーを強く信奉する国になってしまったが、そもそもは異なる文化を持っていた。もし引用するのであれば、こうした『孟子』の理想をもっと広めことがあってもよい。
同書はコンパクトにまとまっているので、簡便に古典の学習ができるメリットがある。隙に飽かせて出典を調べたら最多引用が『論語』で計10回、次いで『礼記』が6回、『孟子』が4回だった。同書が取り上げているのは発言の一部だから、実際はこれ以上ある。
習近平が党員の分派行為を戒める際に厳しく言っている政治の「規矩(きく)=掟」もまた、『孟子』にその言葉がある。規はコンパス、矩は物差しで、物事の基準となる手本を意味する。『孟子』離婁章句上には、聖人のあり方について「規矩がなければ方形も円も描けない」との比喩を用い、規矩の範を「先王の道、すなわち仁政」とした。孟子はこう言った。
「ただ善良なだけで、先王の道に従っていない善心では、立派な政治を行うには足らず、またいろいろとただ法はつくられるが、それが先王の法によらないような無駄な法では、おのずから行われることは出来ない」
『習近平用典』に取り上げられている『孟子』には、「君主が民と楽しみを同じくすれば、民もまた君主の楽しみを共有する。君主が民と憂いを同じくすれば、民も君主と憂いを共有する」(梁恵王下)、「富貴に惑わされず、貧賤にくじけず、威嚇にも動じない」(滕文公下)などがある。いずれも指導者が守るべき仁政の心得を説いたものだ。『孟子』には民主主義的思想として人口に膾炙した「民を貴しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽しとなす」の言葉がある。民こそ最も重要で、国家がこれに次ぎ、国家を治める君主はもっと軽い、との考えだ。
「規矩」を語った『孟子』離婁章句上のくだりには、実は非常に大事な教えが書かれている。
「内城や外城が完全でなく、武器や甲冑が多くないということは、決して国の災いではない。また田野が十分によく開墾されていないとか、財貨がたくさん集まらないなどということは、決して国の害ではないのである。ただ国の災害となることは、上に立つ者に礼がなく、下の者に学問がないということであって、このようであれば、人を害さない世を乱す暴民が起こるようになり、そのために、その国が滅びるということは、日を数えるひまもないほど、さしせまっていることだろう」
兵器の数やGDPで争うことに意味はなく、国の力は広まっている徳や法、文化によって決まる、そう言っている。つまりハードパワーよりもソフトパワーだと孟子は見抜いていたのである。中国は侵略を受けた不幸な歴史によって、力=ハードパワーを強く信奉する国になってしまったが、そもそもは異なる文化を持っていた。もし引用するのであれば、こうした『孟子』の理想をもっと広めことがあってもよい。