本日、麹町の文藝春秋社に行き、新著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』の筆者校正を渡してきた。月刊『文藝春秋』の昨年８月号に掲載された「習近平暗殺計画」の背景を、中国論、メディア論の両面から描いたものだ。来月の出版に向け、一つの節目を迎えたことになる。
私にとっては新聞記者としての卒業論文だ。書き始めてから半年が過ぎた。万感の思いである。この間、大小にわたる構成の変更があり、いくつの夜を徹したことだろう。新聞記者人生に区切りをつけ、「独立記者」としての新たな道を歩む上で、避けては通ることのできない一歩だとの思いがあった。気は早いが、出版不況の中、根気強くお付き合いを頂いた文藝春秋ノンフィクション部の方々には深く感謝申し上げたい。そして、この本の中に登場する多くの方々にも、それを上回る謝意を伝えたい。以下、同書のあとがきに書いた文章を踏まえながら、今宵の感慨を綴る。
上海に赴任して間もなく、江蘇省蘇州の寒山寺に出かけ、門前で一幅の水墨画を買い求めた。老人が一人で岸壁に腰掛け、釣り糸を垂らしている構図だった。岸壁は力強い一筆で描かれ、「独釣」と題があった。
柳宗元の詩「江雪」に、蓑笠をかぶった老人が雪の降る中、舟て「独釣」をする光景が詠われているが、それとも通底する。
上海から北京へと、赴任地が変わっても持ち歩き、部屋の目立つ場所に置いて毎日眺めた。異国の地で記者の孤独を感じながら、その絵に思いを重ね合わせた。竿から垂れる糸は、白い余白の中で先が消えている。釣れる望みのない釣りをしながら、老人は何を自問しているのだろう。そんなことを問いかけ続けた。
憂国の詩人、中国の屈原は「挙世 皆濁り、我 独り清めり 衆人 皆酔い、我独り醒めたり（世の人はみな濁っているが、私だけは澄んでいる。回りのみんなは酔っているが、私だけは醒めている）」（『漁父』）と孤高を詠じ、絶望の末、川に身を投じた。私が選んだ辞職の決断を、この名句をもって評した中国の知人がいたが、私はそこまで強い人間ではない。現世をそこまで悲観もしていない。もし私の取った行動が独りよがりであるならば、せいぜい身の程知らずのドン・キホーテで終わるのが関の山だろう。
絶望の淵に立った屈原に、通りすがりの漁父は「賢者というものはものにこだわらず、世の中の流れに逆らわないものだ。みなと同じようにすればいいではないか」と諭す。聞き入れない屈原に対し、「水が澄んでいれば高貴な冠のひもを洗い、水が濁れば足を洗えばいい」と言い残して去っていく。釣り糸を垂れる水墨画の老人もまた、時の流れに我が身をゆだねる悟りを語りかけているように見える。だが私はそこまでの達観もできない。まだやるべきことが残されている。
中国に駐在した最後の一年半は、北京と上海を行き来する生活だった。飛行機が激しく揺れると、あり得ないことだと思いながら、「もし墜落したら……」と考えていたことがある。私が記者として経験し、一人で抱えていた様々な出来事が永遠に葬り去られることへの不安である。さぞかし無念な思いを残さなければならないだろう、と考えた。同書を書き上げたことで、ようやくその不安から解放された。真実が闇に葬られることは、これでなくなった。
寒山寺とは縁がある。３０年前の１９８６年、中国に留学中、北京の天安門広場で偶然、旅行に来ていた上海の女性と知り合った。その後は文通を続けていたが、私が帰国後、突然、東京の自宅を訪ねてきて、掛け軸を贈ってくれた。寒山寺を詠んだ唐代の詩人、張継の七言絶句「楓橋夜泊」だった。彼女との連絡は途絶えたが、書は床の間に飾ってある。
月落烏啼霜満天 月落ち烏（からす）啼（な）いて 霜 天に満つ
江楓漁火対愁眠 江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇（こそ）城外の寒山寺
夜半鐘聲到客船 夜半の鐘声 客船に到る
都落ちした文人が、蘇州西郊の楓橋近くで船中に泊まった際に詠ったものだ。漁火に照らされた楓の紅葉が目に浮かぶ。この詩によって寒山寺の名は知られ、日本から毎年、除夜の鐘を撞く人々が訪れる。寺の鐘は日本の友好団体が寄贈したものである。寒山寺を訪れた際、釣り人の画を求めたのは、この詩があったからだ。時空を超越する気を感じたのである。
以下の通り、拙著は画像のないまますでにアマゾンにはアップされている。
http://www.amazon.co.jp/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3%E6%9A%97%E6%AE%BA%E8%A8%88%E7%94%BB-%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%BD%B0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%8B-%E5%8A%A0%E8%97%A￥4-%E9%9A%86%E5%89%87/dp/4163903410/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1452084113&sr=1-1
私にとっては新聞記者としての卒業論文だ。書き始めてから半年が過ぎた。万感の思いである。この間、大小にわたる構成の変更があり、いくつの夜を徹したことだろう。新聞記者人生に区切りをつけ、「独立記者」としての新たな道を歩む上で、避けては通ることのできない一歩だとの思いがあった。気は早いが、出版不況の中、根気強くお付き合いを頂いた文藝春秋ノンフィクション部の方々には深く感謝申し上げたい。そして、この本の中に登場する多くの方々にも、それを上回る謝意を伝えたい。以下、同書のあとがきに書いた文章を踏まえながら、今宵の感慨を綴る。
上海に赴任して間もなく、江蘇省蘇州の寒山寺に出かけ、門前で一幅の水墨画を買い求めた。老人が一人で岸壁に腰掛け、釣り糸を垂らしている構図だった。岸壁は力強い一筆で描かれ、「独釣」と題があった。
柳宗元の詩「江雪」に、蓑笠をかぶった老人が雪の降る中、舟て「独釣」をする光景が詠われているが、それとも通底する。
上海から北京へと、赴任地が変わっても持ち歩き、部屋の目立つ場所に置いて毎日眺めた。異国の地で記者の孤独を感じながら、その絵に思いを重ね合わせた。竿から垂れる糸は、白い余白の中で先が消えている。釣れる望みのない釣りをしながら、老人は何を自問しているのだろう。そんなことを問いかけ続けた。
憂国の詩人、中国の屈原は「挙世 皆濁り、我 独り清めり 衆人 皆酔い、我独り醒めたり（世の人はみな濁っているが、私だけは澄んでいる。回りのみんなは酔っているが、私だけは醒めている）」（『漁父』）と孤高を詠じ、絶望の末、川に身を投じた。私が選んだ辞職の決断を、この名句をもって評した中国の知人がいたが、私はそこまで強い人間ではない。現世をそこまで悲観もしていない。もし私の取った行動が独りよがりであるならば、せいぜい身の程知らずのドン・キホーテで終わるのが関の山だろう。
絶望の淵に立った屈原に、通りすがりの漁父は「賢者というものはものにこだわらず、世の中の流れに逆らわないものだ。みなと同じようにすればいいではないか」と諭す。聞き入れない屈原に対し、「水が澄んでいれば高貴な冠のひもを洗い、水が濁れば足を洗えばいい」と言い残して去っていく。釣り糸を垂れる水墨画の老人もまた、時の流れに我が身をゆだねる悟りを語りかけているように見える。だが私はそこまでの達観もできない。まだやるべきことが残されている。
中国に駐在した最後の一年半は、北京と上海を行き来する生活だった。飛行機が激しく揺れると、あり得ないことだと思いながら、「もし墜落したら……」と考えていたことがある。私が記者として経験し、一人で抱えていた様々な出来事が永遠に葬り去られることへの不安である。さぞかし無念な思いを残さなければならないだろう、と考えた。同書を書き上げたことで、ようやくその不安から解放された。真実が闇に葬られることは、これでなくなった。
寒山寺とは縁がある。３０年前の１９８６年、中国に留学中、北京の天安門広場で偶然、旅行に来ていた上海の女性と知り合った。その後は文通を続けていたが、私が帰国後、突然、東京の自宅を訪ねてきて、掛け軸を贈ってくれた。寒山寺を詠んだ唐代の詩人、張継の七言絶句「楓橋夜泊」だった。彼女との連絡は途絶えたが、書は床の間に飾ってある。
月落烏啼霜満天 月落ち烏（からす）啼（な）いて 霜 天に満つ
江楓漁火対愁眠 江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇（こそ）城外の寒山寺
夜半鐘聲到客船 夜半の鐘声 客船に到る
都落ちした文人が、蘇州西郊の楓橋近くで船中に泊まった際に詠ったものだ。漁火に照らされた楓の紅葉が目に浮かぶ。この詩によって寒山寺の名は知られ、日本から毎年、除夜の鐘を撞く人々が訪れる。寺の鐘は日本の友好団体が寄贈したものである。寒山寺を訪れた際、釣り人の画を求めたのは、この詩があったからだ。時空を超越する気を感じたのである。
以下の通り、拙著は画像のないまますでにアマゾンにはアップされている。
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