行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・中南海ウオッチ】日本人にはわかりにくい習近平新年スピーチ

2016-01-02 23:23:57 | 日記
2015年最終日の12月31日夜、中国の習近平総書記は国内テレビ・ラジオを通じて2016年の新年あいさつを公表した。元旦の中国各紙には新華社の配信した記事が掲載された。短いメッセージなので、ざっと読むとなんの変哲もなく感じられるが、いくつかのキーワードがある。

大国のリーダとしての決意は次のように語った。

「世界は大きく、問題もたくさんある。国際社会は中国の声を聞き、中国のプランを見たいと期待しており、中国はかかわらなければならない。困難に陥り、戦火の中にある人々に対し、我々は悲しみ哀れみ、同情し、責任をもって行動しなければならない。中国は永遠に世界に対し胸襟を開き、可能な限り困難にある人々に救いの手を差し伸べ、我々の『朋友圏(友人の輪)』を広げていく」

大国の責任を前面に出す姿勢は2014年11月のAPEC北京会議以降、顕著になってきたものだ。興味深いのは前年の新年あいさつで「偉大な人民」を「点賛(いいね)」とネット用語でたたえたのに続き、今年もまた若者受けするネット用語の「朋友圏」を用いて庶民性をアピールしたことだ。ネットの声を重視しているというメッセージを意図的に発信しようとしているのがうかがえる。北京など大都市の大気汚染に言及していないのは物足りないが、中国のネット空間は、そうしたことへの不満よりも、指導者の他愛もない言葉に敏感に反応する。

それともう一つ。2015年の成果として2022年冬季五輪の開催決定、人民元が国際通貨基金(IMF)の特別引出権(SDR)を構成する主要通貨に編入されたこと、自主開発の国産大型旅客機が完成、スーパーコンピュータで世界記録の6連覇、暗黒物質の観測衛星発射、屠呦呦(トゥ・ユーユー)が中国初のノーベル生理医学賞受賞・・・これらの業績を列挙し、「堅持していれば、夢はいつか実現される」と語った。

「堅持していれば、夢はいつか実現される」・・・日本の首相が青山学院の箱根駅伝チームに同じ言葉を用いても、おそらくだれも反応しないだろう。何のことはない言葉なのだが、ネットでは元気の素を意味する「チキンスープ」との評価がセットで広まり、たちどころにミニブログ・微博での注目度5位の言葉になった。

もちろん宣伝当局が操作している側面もあるだろうが、ネット空間はそれほど単純ではない。世論誘導されているとしても、そこに市場がなければ効果は生まれない。成長過程にある社会は、同時に様々な社会矛盾を含みながらも、明日への期待や希望を持っている。個々人に多種多様な夢や希望があり、その気持ちが「堅持していれば、夢はいつか実現される」と励ましの言葉に反応したのである。一般庶民は日々、複雑な国内外の問題に頭を悩ませて過ごしているわけではない。ささやかな幸せを求めて暮らしている。この辺の素朴な庶民感情を素直に理解しないと、中国の政治を複雑怪奇な色眼鏡で見てしまうことになる。

習近平の大衆人気については次号の『文藝春秋』でも紹介をしておいた。

【独立記者論14】言論の自由の士として蘇東坡を描いた林語堂

2016-01-02 20:54:33 | 独立記者論
2016年、最初に読んだ本は林語堂『蘇東坡・上下』(合山究訳 講談社学術文庫)だった。蘇東坡が生きた宋代は、地方軍閥の台頭が招いた国内の混乱を鎮めるため、軍事を中心に中央集権化が図られた。皇帝に直言する諫官の制度ができ、科挙によって選ばれた儒者、いわゆる士大夫階級が強い責任感を持って天下国家を語った。范仲淹が「天下を以て己が任となし、天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しまん」と語り、蘇東坡が「人生 字を識るは憂患の始まり」と説いた憂患意識はこうした時代背景のもとに生まれた。

林語堂は同書で、秀でた文人や善政を敷いた官僚としての蘇東坡像に加え、民の声を代弁し、自らを死の危険にさらしてまでも真実を訴える言論の自由の士としての蘇東坡も描いている。口を開かなければならないとき、蘇東坡は「食べ物の中にハエがいたときのように」それを吐き出さずにはおられなかった。朝廷の政策や運営を批判し、「世論をくみ上げる道を持つ」(開言路)を士大夫の使命と心得た。民の負担を増やすことになる王安石の新法を批判する論争の中で、それは遺憾なく発揮された。

天下の秀才として王朝に仕え、まだ30代だった蘇東坡は皇帝への上奏文でこう語った。

「もし陛下がみんなに同じ考えを持たせ、同じ意見を表明させ、宮廷中同じ調子で歌わせたいと思召すならば、だれでもそうすることでしょう。もしも万一、朝廷に仕える者の間に節操のない人間がまじっていたならば、いったいどのようにして陛下はそれを見出そうと思っておいででしょうか」

「自由に批判する風潮が広まると、凡人でさえ思い切ってものを言う気になります。そのような自由が破壊されると、最もすぐれた人々でさえ、口を閉ざしがちになると、私には思われます。今後、この悪習が定着し、諫官が執政に対して追従の徒でしかなくなると、皇帝は人民から完全に孤立するのではないかと、私は懸念しています。ひとたびこの制度が破壊されると、何が起こるかわかりません」

「平和な時に、恐れを知らぬ批判者が朝廷にいなくなると、危急存亡のときに、国のために喜んで命を投げ出す国民的英雄もまたいなくなるという結果をまぬがれることはできません。もし陛下が人民に批判の言葉を一言もお許しにならなければ、いったん緩急の場合、どうして人民が国のために死ぬことを期待できましょうか」

蘇東坡はすでに11世紀初め、異論を廃する独裁の脆弱性を見抜いていた。そして有能な大臣の第一の必要条件として、「独自の思考」と「不偏不党」の二つを主張した。王朝体制を単純に皇帝の非情な独裁と括ることは間違っている。蘇東坡は辛辣な比喩を用い、こう語った。

「人が苦しむとき、その声を主君のお耳に達することができないならば、人は馬と同様である」

「肥えた土地には、種々さまざまの植物が育ちます。だが痩せた土地には同じようにたくさんの色々な植物はみられず、ただうんざりするほど茅(かや)や稗(ひえ)が、一面に広がるばかりだ」

林語堂に言わせれば「言論の自由は、士大夫が独立した思考と勇気ある批判精神を身に着けていない限り、無益であった」のだ。何度も左遷の憂き目を見て、飢えの危険にもさらされ、最後には化外であった海南島への流刑まで受けた。だが人生の晩年には仏教の無に触れ、道教の無為に救われ、「心になんのわだかまりもなくなった。なぜなら、自分の運命と和解し、今やそれを一片の疑いもなく受け入れたからである」との境地に達した。

現代は社会の各層に効率的な中央集権システムを張り巡らせた。だがそこには多種多様な作物に代わって単一の品種が広がっている。一見すると自由な言論があるように錯覚するが、そこには独立した思考も勇気ある批判精神も感じられない。社会は進歩したのか。人は賢くなったのか。従属し、隷属した個々の存在が、大海を漂っている光景が見える。無為の境地に達するにはまだ早い。