震度7でも倒壊しない家が欲しい。
ということで、コンテナ住居。
コンテナだったら、たとえ90度にひっくり返っても、壊れない、きっと原形をとどめているだろう。
まっすぐのものがまっすぐであること。
水平のものは水平、垂直のものは垂直であること。
当たり前の光景がどれだけ人の心を平静に保ってくれていることか。
なんでもない街並みの何とありがたいことか。
自分の意思ではどうにもならなかったという無力感とゆがんだ街の様相は人の心を破壊する。
単純なショック状態とか恐怖心とかにとどまらない。
浮遊感がある。自己喪失感まで生じてしまうのだ。
人間は、自分自身の肉体を含む環境を、無意識のうちにではあるがコントロールしながら生きている。
時にはそれが人間を傲慢にしてしまうこともあるが、自己の尊厳を保つためには大切なことだ。
天災であれ、人災(犯罪や事故)であれ、自分の肉体・意思のコントロール権を自分以外の何ものかによって奪われた人間は、無力感と無価感にとりつかれ、自尊感情を大きく傷つけられる。ひどい時にはそれを失ってしまうこともある。又、苦しんでいる人間を見ながら何も出来なかったという思いも自分で自分を傷つけていってしまう。
わけのわからない無価値感と劣等感と罪悪感・・・私はここにいてもいいの? 許されていいの?
立ち上がっていくまでには時間がかかる。
ひとりひとり、そのプロセスは異なる。
震度7の地震でもまっすぐに建ち続けている家が欲しい。
不動不変のものが欲しいのである。
これは、地震で崩れた家や街や山を忘れられない私の正直な思いである。
住居をコンテナにする?
本気か?
NOAの設計士でさえそう思ったというのが本当のところだろう。
しかし、本気も本気。大真面目。切実な願いであった。
また、せっかく強い骨格のコンテナでも、基礎が弱かったらダメ。
阪神大震災のとき、基礎厚が50cmあった家は躯体に影響が無かったという記事を読んでいたので、
「基礎は50cm厚にして下さい。」
とNOAには言った。
基礎屋の社長が
「何で?と思うぐらいに頑丈な基礎になってますけど・・・。それでも杭打ちするのですか?」
「もう一晩考えてから決めたら? そりゃ、仕事ですから、『せえ』言われたら、しますけど。」
と苦笑していた。
基礎屋にとっては儲け話のはずなのに・・・、逆に私を止めたのだった。
へえ~そうか、それほどすごい基礎をNOAは私にくれていたんだ。 ノアよ、ありがとう!!
しかし、それでも杭打ちをすることにした。
いくら、基礎が頑丈でも、地盤そのものが弱かったらせっかくの基礎が何にもならないから。
せっかNOAが私にくれた基礎だ、これを生かさなくては。
と言うわけで、平屋のくせにとんでもない家が誕生しつつある。
震度7の地震でも真っ直ぐに建ち続けている家・・・私が一番望んできたこと。
周囲の深堀り 捨てコン 配筋
配筋のアップ① 配筋のアップ②
工事は、兄ちゃんの“顔”でやってもらっている。
とても忙しい基礎屋らしく、他の仕事とのからみで、いきなり工事がおっぱじまって、工事内容も前後が入れ替わったことがある。
勿論、天候にも左右されるので、これは致し方ない。
ここまで来たのも兄ちゃんのおかげ。
定点写真を撮るのが楽しみで、毎日土地へ足を運んではパチパチやっている。