注釈集:若者になぜ英語学習が重要なのか?

2005-11-21 16:53:09 | Weblog

注1. ソクラテス・プラトン、特に、アリストテレスに代表されるギリシャ哲学に関する膨大な量の「ラテン語で書かれた著作集」は、ラテン語に通じていたはずの
ローマ帝国の学者たちが研究して書いたものではないのです。
実は、バグダッドに首都を置き、アラブ文化の最盛期を現出させたバグダッドに首都を置いた、イスラム教帝国のアッバス朝(AD 750~1258)時代に、地理的条件で、ギリシャ語とラテン語の双方に通じていたイスラムの学者たちが、まず、ギリシャ時代の哲学・科学を研究して作り上げた「アラブ語での著作物」を、次いで、12世紀末までに、彼ら自身が「ラテン語に翻訳」したものなのです。
そして、これらの翻訳本が、後にやってくる〔主に、14~16世紀〕北イタリアの富裕な諸都市から始まったルネッサンスにおいての、ヘレニズム文化〔ギリシャ文化〕再発見の学問的土台になったということは、容易に推測されます。
   →「添付資料」の中段部分を、ご参照ください。

注2. 英語における次の言葉は、アラビア語起源です。zero, (de)cipher, almanac, algebra, alchemy・・・→「添付資料」の下段

注3.更に、「数の計算」は、インド人の発明を発展させて、アラビア人が、現代の簡単な計算方式を編み出しました。→「添付資料」の上段
    
注4.商業に関する言葉も、今に使われ続けています。→「添付資料」の下段
(例)英語のtariff, magazine、フランス語のdounae
収支計算の出納帳も、アラビア人の創作によります。→「添付資料」の下段
The Arab merchants taught Christians how to keep accounts.

注5.数えられない名詞や抽象的な意味の名詞など、いわゆる不可算名詞も、例外的に(原則的に?)、形容詞・形容詞句などでその性質や状況が特定されていくと、〔具体的・具象的〕な事物へと転換すると考えられて、可算名詞化するとされています。
しかし、元来、ほとんど全部の名詞が、形容詞で修飾されなくとも、それ自体で、既に、抽象的・無形的な意味で使用されるのか、具体的・特定的な意味で使用されるのかの違いによって、不可算名詞として扱われもすれば、可算名詞としても扱われるという性質があります。
ですから、「形容詞・形容詞句などで特定化/具体化される場合」と断る必要もありませんし、逆に、形容詞で特定されても、頑として、不可算名詞として扱われ続ける”weather”などもあります。ところがそのweatherにも、「れっきとした例外がある!」と聞けば、もう、流石の貴方も、すっかりlabyrinthに迷い込んだ気分でしょう・・・
また、何が単数で、何が複数なのかの定義についても、うっかり「2個以上が複数!」などと単純な定義をしていると、2と1との間の小数や、1と0との間の小数が、すべて単数になってしまって、多くの複数表現に出会って吃驚してしまいますよ。ここでも原則と例外とが入り混じっての戦争に要注意です。
また、0はどちららに属しますか・・・例:zero times, zero degrees, zero hours,

大原則/不可算名詞、例外にまた例外あり
   (a) weather
He remained a good friend in all weathers.
・ ・・運の良いときにも、悪いときにも, 英国では、「どんな天気でも」
✰ただし、adviceの場合は、against all advice
(b) fish, fruit・・・特に、「種類」をあらわすときは、複数可fruits
 ・・・魚屋さん・八百屋さん・水族館などでの多種類の魚・果物の販売・展示
(c) damage・・・「損害額」を意味するときは、damages
work・・・「作品」を意味・・・works可
  paper・・・「書類document・文書・記録・資料・証明書」を意味するときは、papers
identification papers「身分証明書」
confidential papers「機密書類」
(d) sky・・・「空模様・天候/気候、風土」を意味するときは・・・skies
「[天国・heaven]を意味するときは、 the skies

注6-1.単複の区別は、完全ではない例、その1
as follows・・・「次の通りで(に)」・・・主語の時制や単数・複数の区別無く
           The results are as follows : ・・・

注6-2.単複の区別は、完全ではない例、その2・・・ここでは、「彼ら」が、一塊で捉えられている。
     Probably their minds were not focused on people at all. They were a blur of anger and hatred against something much bigger –society, organized life,” Western values, ” meaning any kind of advanced or industrialized society.
( The Japan Times on July 14,2005; an article written by David Howell: a former British Cabinet minister)
注6-3.単複の区別は、完全ではない例、その2・・・ここでも、複数個の主語が、補語では、一塊で捕らえられている。
     Alfred’s innovations were a creative effort of government unique in Europe.

注6-4.単複の区別は、完全ではない例、その3・・・此処では、複数主語にもかかわらず、堂々と、三単現のsがつけられている。理由は、読者の耳に響きの良い強弱のリズム感を創出するためか?
    With the decision to create an advance directive comes concerns about legal issues, particularly for those who travel frequently. 
   (The Washington Post)

注7.needの用法・・・文法書や辞書によれば、「助動詞的に、疑問文か否定文中で使われる。ただし、米国では、本動詞としても使われる。」とされています。しかし、次のような使用例もあります。
    Twelfth-century Mongolia is as far back as a search for their origins need go.
    ( p.377 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)
〔肯定文中で、助動詞的に使用されている〕

注8.多様な例外事例、その(1)
[目的格の関係代名詞]に限らず、「主格の関係代名詞」もまた、[数種類]の場合で、省略されることがあります。
    一例:Though they(=the ‘Franks’) were to abandon Constantinople and the ( Byzantine) emperors would be restored in 1261 the Franks wouldn’t again be cleared from the old Byzantine territories until a new conqueror came along, the Ottoman Turk. ( p.361 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)
※ 上記の2行目末尾は、通常は、“・・・the Franks which・・・”とされるところです。

一例:Taiwan looks down the ever-enlarging barrel of the People’s Republic of China, which stubbornly refuses to forswear the use of force against the proud island entity it frets is trending toward formal independence. (UCLA professor Tom Plate)
※ 上記の3行目は、通常は、“・・・entity which, it frets,・・・”とされるところです。

    一例:There was no take-off into sustained growth such as the flowering of commerce and the emergence of moneyed men outside the ruling and military hierarchies might have seemed to promise.
( p.372 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)
※ 上記の3行目は、通常は、“・・・hierarchies that might ・・・”とされるところです。
    
注9.多様な例外事例、その(2)
「倒置」・・・数多くの場合と形態があり、それぞれ文法的にも重要ですが、
特に、(1)hardly, never, rarely, not only, onlyなどの否定の意味の副詞が、文頭で先行したときは、その後の文章は、「疑問文」の形式〔語順〕を取ることが普通です。
しかし、(2)特に「場所」(や「時」)を表す副詞句が文の先頭に来たときの「倒置」は、通常は、述語動詞だけが、主語に先行しますが、❶助動詞+本動詞・➋完了形(have+P.P.)・➌受身形(be+P.P.)であれば、これらがセットで、主語(主部)に先行します。ところが、その副詞や副詞句が、後に続く文章との間でコンマで区切られれば、倒置は起こりません。
例文: On them were built towns whose sites are still inhabited today.
( p.409 of ”The Penguin History of The World ” authored by J.M.ROBERTS)


注10.多様な例外事例、その(3)・・・時制の一致と例外
    これも、どちらが原則で例外なのか、迷うほどです。「例外」に埋め込まれている共通法則による縛りが緩いため、歴史的な大事件の場合はともかくも、日常の出来事においても、どんどん例外が登場します。 

注11.多様な例外事例、その(4)・・・仮定法
これは、英語の特有性であって、欠点ではないのですが、「仮定法」の時制や型についても、助動詞、とりわけwould, should, could, might など助動詞の過去形が、「現在・未来の推量」を表すことも多いため、一見すれば、「if節の現在時制」と「帰結節の過去時制」とが混在し、日本の学生たちをしばしば混乱させています。

注12.多様な例外事例、その(5)・・・「to不定詞」の”to”が省略される場合
The one thing women don’t do in South Africa, however, is tell their husbands to use condoms. (Ilene Wong, a physician at Stanford University Hospital and Clinics; “Safety net for poor women” The Japan Times on July 21,2005 )


注12.実際、私は,英語の文法に関して、英語研究の専門家である友人(2004年度・通訳ガイド試験合格)から次のような手紙をもらっています。
その要点は、英国の伝統では、「文法規則よりも、実際的適合性pragmatismこそ」が優先されるというものです。
I have attended the class of British culture once a week in Osaka.
I remember that according to the lecture featuring English grammar,
"Something which has helped the language in its adaptations has been
a tradition of pragmatism, which has meant that there is no English Academy
to legislate on questions of correctness. There is no big grammar book lays down the law. Actually, there is the Comprehensive Grammar of the English
Language written by Quirk, Greenbaum, Leech and Svartvic, but this book
describes how the language is used, not how it should be used.
In addition, although software makers such as Microsoft include grammar checkers in their word processing packages, most British people quite rightly ignore them, because they think the checkers are still fairly primitive. And British people fear of those grammar book and checkers becoming the grammar police." So the conclusion is that basic rules of grammar is necessary but people should put importance on pragmatism, I guess.
Thank you. See you.
Wednesday, July 06, 2005
Akihiro Kasagi

注13.その仮定法では、特に、各助動詞の意味する「可能性・実現度」の差に、注意を払う必要があります。
➊絶対的な実現可能性  [ must → will→ would ](可能性100%~90%)
❷かなり信頼できる可能性 [ ought to → should → can ](80%)
❸可能性は低い[ may → might → could ]〔50%以下〕
最新の「ジーニアス英和辞典」によれば、この9段階の順で、実現可能性が減少していくとされています。
この点は、英語の言語としての「論理性・科学性」主張の一つの根拠とされています。

注14.ラテン語・ギリシャ語系の一例
(a)philanthropy慈善事業, philharmonic音楽(好き)の, xenophilia 外国人好き、Philadelphiaフィラデルフィア・米国の都市名(兄弟愛) pedophilia小児愛, philosophy哲学,
(b)evangelist福音伝道者、apostle指導者、
(c) ’tain’ (保持する)を語幹とする重要語群・・・maintain, retain, detain, contain, sustain, entertain, obtain, captain
(d) star星, asterisk星印, astronaut宇宙飛行士
(e)’ten’(ピンと伸ばす)を語源とする重要語群・・・antenna, tend, tension, attend, attention, extend, extension, intend, intension, pretend, pretension, contend, contention,
(f)’cap’(頭)を語源とする重要語群・・・captain, capital, capitalize, capitalism, cape, caption, decapitate, decapitation,
(g)’di-’(二つに分かれる)を語源とする重要語群・・・dividend, diploma, diplomat, dividers, divide and rule, division, devisor, dialog, dioxide, diatomic, diverge, (h)’-cide’(殺す)を語源とする重要語群・・・suicidal, suicide pilot, pesticide, autocide, regicide, matricide, insecticide, homicide, parricide, herbicide, fungicide
(i) ‘geo’(地球・土地)を語源 geometry, geology, geopolitics
以上
平成17年7月14日 木曜日
岡村ゼミナール㈱社長
岡村寛三郎

若者にとって、「英語学習」がなぜ重要なのか?

2005-11-21 16:50:27 | Weblog
若者にとって、「英語学習」が
なぜ重要なのか?

「どの科目も重要であるに変わりは無いはずなのに、なぜ、外国語の『英語』が、数学や国語と並んで重要三科目の一つにされているのだろうか?」
小生は、30年余りも、(当塾で)専ら、算数・数学担当の教師をしていたせいもあって、こんな疑問を絶えず持ち続けてきました。
もちろん、多くの人たちが、その理由らしきことを言ってきました。
➊最近の文科省の人たちなら、さしずめ「経済的・政治的・軍事的分野で、世界のトップの座を占める英米の人たちや国々との間で、円滑に交流や相互理解を促進したり、市場開拓・貿易促進等のために不可欠・・・さらには、最近では、成熟度を増しつつあるアジアの人たちとの間での交流推進手段としても極めて重要だから・・・」という理由を挙げるでしょうか。
❷しかし、学校教育の中で、「英語」は、既に、明治時代の昔から、国家近代化の必要のための富国強兵政策の旗印の下、「欧米諸国の圧倒的に優れた文明・技術を吸収するため」という理由で、重要科目に指定されていたように思われます。
❸一方、英米人は、こんな風に言っています。「日本語は、古来、〔多様に解釈できる〕曖昧さと情緒性とをもって誇りとしているが、英語は、単数・複数の区別をするだけではなく、時制も多様であり,言語数も極めて多く、精密な論理的思考を進めるのに適した言語なので、科学的論証や論文にも向いていて、次第に世界中で広く採用され続け、従って、ノーベル賞も圧倒的に獲得しやすい、世界中で最も秀でた言語・・・」
しかし、実際に、英語を深く勉強し続けていけば、これらの理由が必ずしも当たらないことが分かります。なぜなら、すべての文法規則や原則に対して、合理的な説明の出来ない多数の例外があり、またさらにその例外もあるなど、風に吹かれる雲の動きに似て、安定性や一貫性に著しく欠けているといわざるを得ないからです。
ただ、そのため、文法上の大原則や規則に厳しく縛られること無く、個々の場合に応じた、よりきめ細かい多様な表現が可能であり、また、時代の流れや環境の変化に機敏に対応しながら、極めて柔軟に変化し続けていて、それが、逆に英語の長所でありメリットであるとも言えるでしょうか。〔→注をご参照ください。〕
後述しますが、歴史的に、ヨーロッパ大陸の文明との間で、絶えず大きな摩擦を繰り返してこざるを得なかった英国や英語のたどった道から推察すれば、文法上の原則に対する尊重・固守は、事実上不可能であったし、極めて柔軟に変化し続けていくことが、むしろ必要不可欠だったのでしょう。
しかし、もともと、どの言語も、大なり小なりそんなものでしょう。だからこそ、多くの種類の言語が、各地・各国で、2千年、3千年・・・いや、時には数千年以上に及ぶ環境や思想の変遷にも耐えて、なおかつ使われ続けているのでしょう。(→「注」参照)
それにしても、東洋の果ての小さな島国で、長年の間、鎖国を通して平和を維持できた日本では、そういった大きな変遷の必要性は遥かに少なく、「原則」を尊重・固守し、「例外」を厭い嫌う習慣と思念とが、極めて強く養成されて来たのでしょう。
かくて、一般的に、何事にも柔軟性に乏しいこの国民性は、日本人全体のことが、欧米人から、よく”homogeneous〔均質的〕”であると揶揄はされても、なかなか”monolithic〔一枚岩的〕”であると言う表現で褒められはしないことの原因にもなっていると推測されます。
こういった英語の世界と日本語の世界との根本的な由来と性質との違いをしっかりと認識しておかないと、日本語上のルールに慣れきった日本人は、英語の大きな異質性に戸惑うばかりでしょう。
西洋文明と言語の核は、ギリシャ文明の思想的基盤であった、「自由と個性と多様性の尊重」であって、決して、「秩序・全体性・均質性の尊重」に頑固にこだわり続けることではないことを、改めて認識するべきでしょう。
ですから、日本の大方の学校における伝統的な英語教育が、固定的な文法原則中心で行われ、それでいて(そのため?)効果が極めて小さく、英語を使う能力の点では、世界の特別の後進国に位置して久しいのも、単に、学校での学習時間数が極めて少ないということだけが理由なのではなく、他にも理由のあることなのです。
➍私は、英語学習が重要とされる理由について、多くの人たちが説明するような、主に実用的な、直接の実益ばかりを狙った理由とは異なる、真の答えが他にあったのではないか、あるいは、今も存在し続けているのではないかと、最近、強く思い始めました。
話を元に戻しますが、その答えは、ズバリ言って、「英語を学ぶことは、単に英米語を学ぶということを意味しているのではなく、根源にさかのぼって、人類・世界の文化と歴史の最も重要な部分を学ぶという意味と効果とを併せ有している。」がゆえに、重要不可欠な学習科目となっているのではないでしょうか。
私に、このような考えが芽生えた最大の理由は、次の通りです。
(1)先ず、習得する英単語数が、1万語(英検1級レベル)を越えて増え続けるに従い、いくつかの単語のグループ毎に、それぞれ顕著な共通特性があることに気づき始めたのです。
即ち、多くの漢字が,多種類の冠や辺、それにつくり等で構成されているのと類似の原理です。英語では、それらは、接頭辞・語幹・接尾辞と呼ばれています。
(2)次に、その三要素のうちで、最も根幹をなす大切な「語幹」が、実は、フランス語であったり、ギリシャ語・ラテン語であったりすることが、極めて多いのです。時に、アラビア語であったりします。(→添付「資料No.1」をご覧ください。)
即ち、英国の歴史を反映して、(a)最初に、紀元前50年頃のローマ帝国軍・シーザーによる征服や、紀元後601年以降のキリスト教文化の植え付けによって、ラテン語が大量に流入し、(b)ついで、5世紀のゲルマン人(北ドイツ)による移住・征服で、ドイツ語、(c)そして、3番目に、1066年のノルマン人〔北フランス〕の征服以降300年間に渡るフランス語の〔強制的〕公用語化・・・という言語それ自体の激変の歴史が、外来語を極めて多くすると同時に、文法規則の例外を多くしている原因となっていると推測されます。
フランス語系は、今日でも、50万語前後を数える総単語数の25%以上に及んでいる様子ですし、今日の電子辞書〔ジーニアス英和大辞典〕で参照する限り、ラテン語(及びギリシャ語)となれば、その割合は、その2~3倍に達しているのではないかとさえ思われます。(→添付「資料No.2」をご覧ください。)
(3)かくて、習得単語数が、2~3万語あたりに達して、例えば、日本で毎日発行されている「ザ・ジャパン・タイムズ」に掲載されている、各国の批評家・学者の手になる「政治・経済・文化・社会に関する論説記事」をスムースに読解し、かつ、世界史とりわけギリシャ哲学の真髄を、英語を通して学べるレベルに達した時、それは、英語の学習というよりは、もはや、今日の欧米文化の2大潮流となっているギリシャ文化(ヘレニズム文化)と、キリスト教文化(ヘブライズム)との融合した世界を、自由に遊泳しているのと、なんら変わらなくなってきます。
しかも、それは、「自由と合理的精神」とを根源とするギリシャ人の世界と、「正義と愛」とを原理とするキリスト教の世界の双方の、奥深くにまで立ち入っていることを意味しますから、人類の歴史と文化の主要部分を習得しつつあることをも意味します。
母国語である日本語を通じての中国文明や仏教・儒教等の精神の習得は、日本人なら、誰でも容易に出来ますが、英語を介して、ヨーロッパ文明、とりわけギリシャ文明等を理解するには、そのための、かなりの努力の継続が不可欠となります。
しかし、わが国の歴史と文化をしっかりと捉える傍らで、広く西洋世界の潮流・源流をも併せて把握した上で行動するという、バランスの取れた態度は、今後、世界を舞台に活躍したいと願っている日本の若者については、一人でも多く、是非とも期待したい所です。

わが国は、今、国際連合の安全保障理事会の常任委員に立候補をもくろんでいますが、単に気前よく世界中に、各種の援助金や運営金をばら撒いたり、紛争地に自衛隊を派遣するといった協力ができるというだけで、真に世界のリーダーとしてふさわしい資格や能力が備わっているということにはならないのです。
世界的な広がりと歴史の深みとを踏まえての、哲学・政治思想(自由と民主主義)・宗教観・社会観(個人の独立と国家の繁栄)などなど、できるかぎり多くの分野にまたがる深い知識と人類愛とが基になっての決断と行動が、真に求められています。
これこそ、わが国で「英語学習」が、長年にわたって「重要科目」とされ続けてきた、そして、今後もされ続けるべき「真の理由」ではないでしょうか。