通訳案内士試験・受験体験記

2007-02-11 07:49:49 | Weblog
      国家資格「通訳案内士」試験に挑戦!
               そして、合格!(平成18年度)

                          OK英語村・岡村寛三郎

注:通訳案内士は、「語学分野」での唯一の国家資格であり、司法試験・公認会計士試験と並び、三大難関の一つとされています。
合格率は6%前後を続けていましたが、2005年度は、政府の推進する海外からの観光客増加作戦に応じて試験制度が変わり、合格率は多少向上した模様です。
しかし、約60年に及ぶこの試験制度の歴史において、この試験が易しかった年は無いといわれているくらい難しく、英語のみならず日本語科目の負担もかなり大きく、「英検1級合格者」でも、なかなか合格できないのが実態です。

受験歴
(1)平成10年12月(53歳)・・・数学教師としての26年を経過後、
傍らで英語の勉強開始
(2)平成15年 7月・・・初回受験・(a)一次試験・英語科合格
               (b)二次試験(口述試験)不合格
(3)平成16~17年度・・・一次試験・不合格
(4)平成18年度
  (a)一次試験(9月)、次の4科目に合格[英語・日本地理・日本歴史・一般常識]
                (注:全科目同時合格が要件とされています)
  (b) 二次試験(12月)・口述試験受験
   ※口述試験受験は2回目に付き、予想問題も的中し、割と良くできました。
   そこで、2月9日の最終結果発表でも、無事に自分の名前を見つけました。

[受験&合格・体験記]

[英語を学び始めた動機]
数学教師を26年間もしてきた平成10年(1998年)53歳の10月に、学習塾業界の仲間たちと、オーストラリアの南部・アデレード市を訪問しました。
訪問先の皆さんから、ご親切に、いろんな歓迎行事やパーテイをしていただきましたが、残念ながら、英会話はほとんどできず、肝心の交流目的も果たせず、惨憺たる状態でした。
そこで、帰国してから、一念発起して英会話の勉強をスタートしました。
とはいっても、子供向け番組から大人向け番組までの外国語放送をしているテレビの前に一日中座り続けていても、また、それを、辛抱強く何日続けようとも、全く何も聴き取れず、意味も分かりませんでした。
遂には、なぜこんなに必死になって毎日毎日聴き取ろうとしているのに、なぜ何にも分からないのだろうと悲しくなり、涙さえ流す日々が続きました。
しかし、今思えば、何の前提的知識や必要な海外留学体験・トレーニングも為しに、日本人が、いきなりテレビ番組の前にかじりついても、何も聴き取れず、分からないのは当たり前でした。
そこで、基礎的な中学生向けや高校生向けの英単語を書いたり、覚えたり、使ったり・・・あるいは、英語で書かれた子供向け童話集を読んだりと、やむを得ず、リスニングやスピーキングを諦めて、過去の中学生時代以降の段階で遣りなれていて、日本人の自分には馴染みやすい「読み書き」中心の英語学習を、日々の学習の中心にすえるスタイルで再スタートしました。
この方法なら、取り組みやすく、その分野の学力なら、少しづつですが伸びていきました。また、それに応じて、ほんの少しだけですが、子供向けの英語番組なら、聞き分けられるところも増えてきました。

[通訳受験予備校・ハローアカデミーへ入学]
そんなこんなの泥縄式の英語学習を4年も続けていましたが、なおかつ、英字新聞を読んでいても分からないことが多く、自分だけの力では解決しょうがないなと困っていた頃のある日、新大阪駅の近所に、通訳案内士になりたい希望者が通っている資格受験指導校の「ハローアカデミー」があることを聞きつけ、善は急げとばかり、早速に入学してみました。
さすがに超一流の受験指導校とあって、教材も授業のレベルも、更には、生徒さんのレベルも極めて高く、再度スタートラインに戻っての学習が始まった感じがしましたが、無我夢中で勉強に取り組める良い刺激にはなりました。
しかし、ハローアカデミーに1年ほど通ったところで、いろいろの過労が重なり何ヶ月も入院したため、(勉強を始めて4年経過後の)57歳の折には、通訳案内士の資格試験は受験できませんでした。

[運よく、初回挑戦で、筆記試験合格]
退院後、再度、勉強に熱中の日々が続き、ハローアカデミーで行われた毎月の模擬試験では、次第に得点も向上し、100点満点中の70点ぐらいが取れるようになりました。
そこで、平成15年(2003年)、勉強開始後5年足らずが経過した58歳の6月、緊張の中で、初めての通訳案内士試験(一次試験・英語科)を受験しました。
ところが、たまたま覚えていた単語がたくさん出題された幸運のお陰で、ハローアカデミーで行われた解答説明会での講評を聞いた後、自己採点結果が85点ぐらいもあり、合格をほぼ確信しました。
そこで、受験生の1割しか合格しないといわれる極めて難しい一次試験・筆記試験にも、初めての受験で運よく合格できましたが、情けないことに、まだまだ、勉強期間や経験が少なく、読み書きの練習が精一杯で、苦手なリスニングやスピーキングの準備やその上達はほとんどできていませんでした。
折角、超難関の一次試験に合格したのだからと、二次試験の面接・口述試験期日までは、ハローアカデミーの直前特訓に出席する傍ら、その予想問題集を中心に、死に物狂いで頑張りましたが、余りに多くの知識を急速に頭に詰め込んだ結果、知識の不消化を起こしました。
ですから、試験当日は、緊張していたためもあって、頭がカチカチで柔軟性を欠き、質問に対する返答の途中で口ごもり、後の言葉が出なくなってしまって完全な失敗でした。

[二次・口述試験に不合格]
[その後、2年連続で、一次試験不合格]
予想通りの不合格で、ここから再度、厳しい受験勉強の開始となりました。
しかし、「運」は、毎年そう簡単に着くものではなく、必死のパッチでの「単語数の増強」と「模擬試験での得点の安定化や向上」努力にもかかわらず、その後、2年連続で一次試験・筆記試験に不合格の悲運を味わいました。
自己採点では、65点~70点であって、合格最低点の75点に遠く及びませんでした。
その失意の2年間の間には、いつかの日には来るべき合格を夢見て、リスニングやスピーキング力の向上対策のみならず、更には、通訳案内士試験で同時に果たされる英語科以外の受験科目である日本語科目の[日本歴史・日本地理・一般常識]3科目の受験勉強も、1年365日、一日の休日もなく(1日8時間の英語の勉強に追加して)毎日毎日1時間づつ取り組みました。
逆に、一次試験・筆記試験の直前に、日本語科目を集中的に学習する受験生もいますが、それに時間を取られる分、英語力は衰退することが明らかであり、極めて危険です。

[日本史で、安定的に満点に近い高得点を稼ぐ法]
ここで特記すべきことは、特に日本史においては、覚えるべきことが多すぎるため、それらを、時代順・年代順にきちんと整理して覚えておかなければ、高得点が取れないということです。
しかし、出題される項目や出題傾向に、ある程度の限定と特徴の見られる日本史は、受験生には高得点を狙えるチャンス科目であり、ここで90点以上の高得点を稼いでおくことは、日本語科目の「3科目平均」で70点あたりの足切点が設けられていることから考えても、極めて有利になります。
なぜなら、「地理」も、時代ごとに変化の激しい産業分野からの出題を含めて、細かくややこしい問題が多いのみならず、回答形式が引っ掛けのような受験生いじめの問題が出され、80点程度を覚悟しなければならず、「一般常識」に至っては、実際のところ、世界の出来事の中から、しかも、政治・経済・社会学・科学・文化・芸術などのあらゆる分野から、無意味としか思われないような微細な事柄までが尋ねられる難問・奇問が多く、科目単位の足切点である50%をやっと越せる程度の得点しか期待できないため、どうしても、安全圏を見込んで、歴史で90点以上を稼いでおくことが必要となるからです。
私は、数学教師を30年近くもしていたお陰で、幸い「数字」に敏感になっていました。
そこで、歴史のすべての事項について、年代をも併せて覚えて、極めて多くの事柄をも時系列で整理して覚えられるように努力しましたが、これがとても役立ちました。
ただし、年代の覚え方は、大学受験生が良く試す手法の「こじ付け」での覚え方です。

例えば、「天に二日なく、民に二主なし」と断言して幕府を否定した山梨県出身・江戸時代の勤皇の志士・山県大弐が、幕府の賄賂政治を批判したために捕らえられ、死罪に処せられたのは、「1767」年でしたが、この年は、「非難空し」でぴったり当てはまりますよね。
また、この年は、賄賂政治で有名な田沼意次が老中に就任し、後に、天明の飢饉(1782年)等も生じて、幕政に批判が集中した田沼時代の始まりでした。

ところで、鎌倉時代は、新しい多くの宗教が誕生し、文化も大いに発展した画期的な時代でしたが、先ず、法然が、「選択(せんじゃく)本願念仏集」を著して、空也や源信(985年「往生要集」)の後をついで「浄土宗」を起こし、同時に、栄西が、既存の仏教宗派に対抗するために「興禅護国論」を説いて臨済宗を導入したのは、共に「1198年」でしたが、この年号は、「人々(が)食うや」食わずの厳しい時代に、仏の救いを説いた・・・として覚えました。
また、親鸞が浄土真宗を、「教行信証」でもって説いたのは「1224」年でしたが、
これは、「人に(浄土の世界での)不死」を説いた・・・とこじつけて覚えられますね。
この他、鎌倉時代には、その文化面にも多くの業績がありますが、例えば、鴨長明が「方丈記」を著した1212年は、方丈が一丈四方を意味しているところから、「いちにいちに(一二一二)」と縦横に歩いて・・・として覚えました。吉田兼好の「徒然草」は、建武の中興(1333年)の直前でもあった1331年でした。これは、「草」にちなんで、その花が、「いざ咲いた」・・・で覚えました。

ところで、そもそも、わが国が、神道と仏教の共存する世界でも珍しい多神教国家として成立したのは、聖徳太子のお陰ですが、その神仏共存が始まる直前には、神道派の物部守屋と仏教派の聖徳太子・蘇我馬子連合軍との間で戦われた日本でたった一度の宗教戦争がありました。それは、587年です。これは、「(戦の)後、花(咲く)」として覚えました。

その他、極めて多くの事項について、年号が判明している限り、その内容に関連した「こじ付け式」で覚えきりました(興味のある方は、Tel.090-9097-7613までどうぞ)。

[英単語数の増強策]
ところで、英検1級に合格するための単語数は、1万語から1万5千語と言われていますが、通訳案内士試験では、覚えなければならない語数は、私の個人的な推定では、
優に2万語を超えるでしょう。
そこで、日本史に於ける年代暗記のような「こじ付け」では到底間に合いません。
最近は、大勢の方が採用しておられると思いますが、(1)単語を「語源」に遡って理解し、同じ語源の類語についての知識を増やしながら、(2)各単語を接頭語・語幹・接尾辞に分解して、その構成を知り、先に覚えた語幹の語源と引っ掛けることで覚えていきました。
ここでも、数学の教師をしていたお陰で、分析が好きで、単語の分解が、数学の因数分解にも似て、とても楽しい作業でした。

[英語熟語と文法の難しさ]
その難しさにひるまないための対策
➊熟語は無数にあるから、重要なもののみに限定する
  ハローアカデミーの推薦書=森一郎著「試験に出る英熟語」(青春出版社)
➋「文法は、原則のみの学習に徹し、例外などは、文例に接するたびごとに研究する」

熟語を含めて文法の難しさは、その原則や例外の多さ、多くの他の表現方法の存在など、覚えなければならないことが多すぎて、とても短時間には克服できないことが第一原因です。
しかも、日本語の構造や感覚とは全く異なるため、日本語に引っ掛けて覚えるテクニックも通用しないため、ひたすら、多くの文例に当たって、その都度、分厚い文法書に舞い戻って不明な箇所を、分かるまで研究するしかないことです。
ただ、そのように困った場合、ハロー・アカデミーの友達たちが、親切に教えてくれました。

[本当に難しい文法項目は数少ない]
(1)多くの助動詞のそれぞれの役割(「確信度」を示す順位、時制の一致や仮定法での役割) (2)様々な関係代名詞、主格の省略 (3)使役動詞の使用法 (4)to-不定詞ではなく「動名詞」を取る動詞、特殊な前置詞と結びつく動詞(注:「動詞」関係の良い指導書は、綿貫陽「英語語法の征服」旺文社)

[英語教育改革]
英語学習について様々な試行錯誤を続けていた頃のある日、横浜の学習塾の方から、(平成15年・2003年3月の文科省の宣言である)「平成18年度・2008年度からは、全国の公立の中高等学校で、英語の授業は、日本語を使わないで英語で教える(Teaching English Through English=T.E.T.E.)こととし、それまでの5年間を、そのための準備期間とする。」というニュースを伝え聞きました。
自分自身が、ほとんど聞き取れず、話せず、単に読み書きができるだけの英語力で苦しんできていただけに、国際化の進展に併せて、日本の子供たちに、実際に使える英語力を身につけさせるのだという、文科省の理想の高邁さと雄大さには、心から共鳴・感動しました。
そんな文科省の挑戦を是非とも応援したい気持ちで、岡村ゼミナールでも、2005年度から、その宣言の趣旨に沿う英語授業を為すべきための準備を始めることを決意しました。これが、「岡村ゼミナール」で言う「英語教育改革」のスタートでした。
その趣旨は、旧来からの効率の悪い教育実態の一つでもある「日本語で教える英語授業」からの脱皮を目指したものでした。
なぜなら、日本語で教える英語授業では、文法説明が主体となりがちで、高校や大学への進学受験には向いていても、実践的英会話力の養成が大きく欠如しているため、やがて、実社会に出た後で、仕事で、あるいは社会生活上で英語力・英会話力を必要とする場合に、ほとんど役立たないという悲哀を味わなければならないからです。
しかも、リスニング力を向上させるのに最も適した小・中・高校生の年代を、読み書き中心の誤った英語学習で過ごすことの不利と機会の損失は、計り知れないほどに大きく、
大人になってから始めるリスニング練習や技量の向上を、決定的に困難なものにしてしまっています。
それらの事情から、2003年に文科省が提唱したT.E.T.E.は、極めて正しい教育法への志向であり、実際、国際交流の全面的な進展を示している今日や明日の状況にも、完全に適合するものです。
そこで、TETEの舞台となるべき日本中の一部の公立の中・高等学校でも、関西大学大学院教授の斉藤栄二先生の唱導に従い、準備活動が活発に行われました。
にもかかわらず、全国的な規模で見れば、まだまだ学校教師や教育関係者の多くの理解と賛同、そしてまた追随を得る所にまでは至らず、宣言後、4年を経過した2007年の今日においてもなおかつ、TETE実施への確固たる動きが見られないことは、日本の英語教育上の痛恨の極みと言わざるを得ません。

[社会奉仕・市民運動
そして、市長選に立候補と断念]
そのような紆余曲折の61歳を迎えた平成18年(2006年)春、私は、本業の「岡村ゼミナール㈱社長」を、社内の若手に譲ることとし、その後は、お世話になった故郷・姫路の町や市民の皆様に対して、社会奉仕をもって尽くす決意をしました。
ところが、たまたま、日々の散歩道に沿う市立城内図書館の運営における、利用希望の市民側における不便や不都合を垣間見る機会を、長年にわたって体験してきたため、
その運営改善を求める手紙や嘆願を、市役所当局に何度も繰り返しました。
しかし、一向に誠意ある回答を得られなかったため、1000名に近い大勢の市民を巻き込んでの市民運動にまで発展しました。
市立図書館を管理する市役所が、この時に示した「市民の要望に対する無関心な姿勢」への反発や、多くの市民の切なる要望の大きさに背中を押されて、姫路市の町の発展や行政改革を唱えて、2006年の夏には、遂に、翌年に予定された市長選に立候補する決意をしました。
しかし、地元の町の人たちや同級生など、長年のお付き合いの中で培われた多くの一般市民の支持を得たまでが精一杯でした。
他方では、期待していた自民党の応援が思うように得られなかったため、有力企業からの応援獲得も容易ではなく、更には、後援会や選挙事務所を支えるべき中枢部の人材が足りなかったため、自分ひとりで、後援会事務所の清掃から、街頭演説、選挙行事のスケジュールの立案に至るまで、早朝から深夜に至るまでの激務が連続しました。
結局それらの心身ともにわたる過労が災いし、同年末には体調を急に崩し、極めて残念ながら、遂に「立候補を断念」しました。
しかし、私を支持してくださった大勢の市民の皆様のご期待に沿うべく、今後も精進してまいりますので、どうか宜しくお願いします。

[3年ぶりに一次試験に合格]
2006年夏場における選挙準備を進めながらの多忙を極める厳しい環境下にありながらも、英語学習への熱い想いは一向に衰えず、9月の初めには、通訳案内士の一次(筆記)試験[➊英語、➋日本歴史・➌日本地理・➍一般常識]を受験しました。
今回も極めて難しい問題ばかりで、とりわけ自信を持っていた単語問題については、15問中で僅かに5問しか正解を書けなかったという厳しさで、ここで10点もの減点でした。ただ、他の読解や英作・文法問題などは比較的順調にできたため、自己採点では、何とか合格に必要な75点をギリギリで確保できたように思います。
いずれにしても、薄氷を踏む合格でした。

[二次・口述試験受験]
更に、二次・口述試験は、12月の冒頭にあり、この時期も、新聞紙上での市長選への公式の立候補表明などと重なり、多忙と過労が極みにまで高まっていました。
しかし、「合格」は、今回を於いてはないという必死の気持ちと直前の集中的な努力の結果、本番では、ズバリ予想問題も当たり、よく出来たのではないかと思います。
ただ、予想問題が当たったといってもたいしたことは無いのですが、友人たちの言葉やハローアカデミーの編集している合格体験記からも分かりますが、かなりの確実度で、質問の最初には「どこから来ましたか?」と尋ねられると予測していましたので、(1)自分の故郷・姫路の町の特徴の詳しい説明をした上で、(2)自分が、通訳案内士になって姫路の町への観光客増加の良い結果や「もてなし」の向上に尽くしたい旨をしっかりと述べる練習を積んでおきました。
お蔭様で、予想通りの展開になったため、後は気持ちも楽になり、計8分間を楽しく過ごせました。
平成19年・2007年2月9日、最終結果の発表日、「合格」を戴きました。
今後も、初心を忘れずに精進いたしますので、どうか、皆様、倍旧のご支援を宜しくお願いします。

[総合旅行業務取扱管理者]試験の受験準備を開始
かくて、通訳案内士の受験も一段落しましたので、その通訳ガイドの仕事をしやすいように、2007年1月から、表記の国家資格試験を受験する準備を始めています。
その資格があれば、基本的に、国内外の旅行に関するすべての企画や手配を自分で出来るようになるのです。
毎年10月に行われるその試験においては、国内の旅行業務に関することから、海外の旅行業務に関することまで、また、取締り法規や約款の内容から鉄道・航空便の旅費計算まで、極めて広範囲でかつ細かい事柄までが出題されます。
そこで、結構,難解な問題も多いのですが、結局は、通訳案内業を営む際には、直接間接に知っておいた方が良いことばかりなので、この資格試験を受験することはとても有益だと考えます。

                                  以上






                           

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