僕は戦争を知らないし、勉強も好きではなかったから、社会の授業も興味なかったので、映画を観たり本を読んだりすると、ちゃんと勉強していたらよかったなと思うことがこの歳になってから多くある。
第二次世界大戦は、飛行機の戦力が重要な戦争だったと思う。
自動車のエンジンなんかまだロクなものでなかった時代に、同じレシプロエンジンの軍用機では、すでに燃料噴射も存在している。
現在の多くの自動車メーカーやいろいろな企業は、この戦争で軍用のエンジンやいろいろな部品などを開発製造することで得た資金がなければ存在していなかった可能性は高い。
飛行機のエンジンは、終戦近くにはジェットエンジンが実用化され、レシプロエンジンはその後少なくなっていく。
自動車のエンジンは、今だにレシプロエンジンが主流であり、最近になってようやく電動化へと変化しようとしてきている。
僕は、ようやくレシプロエンジンを搭載しながらもモーターも併用するハイブリッド車を買った。
運転支援についても、30年以上前からあるクルーズコントロールの付いた車にすら乗ったことがなかったのに、自動追従するレーダークルーズコントロールに、車線を外れそうになるとハンドルを自動で修正するレーントレーシングアシストなど、いろんなものが付いている。
車好きな人やマニアの人に言わせれば、不要な装備であって、車を操る楽しさや動力性能を充実させろと言うだろう。
そういった人たちは「燃費が悪くても」と言うことがあるが、当時でも軍用機において限られた搭載燃料での航続距離は重要だったはずだ、現状販売されている自動車の性能は日常や公道において必要十分であるのに、より以上の動力性能や運動性能を求め、燃費なんて犠牲にしてもというのは、僕が多くの自動車マニアをバカにする理由のひとつだ。(失礼)
新しく買った車を運転すると、これはこれまで僕が乗ってきた自動車という乗り物とは別の乗り物だと感じる。
基本的に自動車マニアをバカにしている僕ではあるが(失礼)やはり少しさみしいと思うこともなくはない。
いや。。。これでいいんだ。
身近な飛行機である旅客機の多くはすでに自動操縦が可能で、乗せられていてもエンジンの存在も感じない、戦闘機乗りのような人たちにしてみたら、それこそ思っている飛行機じゃないんだと思う。
より以上運動性能を求めるものは、飛行機なら戦闘機などの軍用機にもう限られている。
ドローンが進化すれば、それすらもう必要ない。
自動車にたとえるなら、もう公道の戦闘機 戦闘機乗りは必要ないというところだ。
自動車の運動性能や操縦テクニックを上げたりするようなことがステイタスであったような時代は終わった、車をドラフトさせたり速く走らせたりというのは、もう一般的には現在恥ずかしい運転という時代になったのだと感じている。
自動車が運動性能を上げる理由もなければ、もうそういったものの存在意義すらない時代にきた。
飛行機の後に続いてきた自動車も、旅客機のような方向性に向かっていくのは当然なんだろう。