N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

ビビりすぎて暫く足震えた

2018-07-07 22:49:59 | 日記
外の天気が悪いのは知っていたが、雷は全くなっていなかった
丁度お風呂から上がって体をふいている時に突然の轟音
風呂はキッチンの隣にあるのだが、食器棚が倒れたかと思った
ちなみにうちには食器棚は無いのであり得ないのだが、それがあり得ると思う程の轟音だった
雷でビビったのって大人になってはじめてかもしれないw



アルファも机の下に閉じこもってしまった

唐突に自己紹介

2018-07-07 21:55:02 | 大切なこと
閲覧数(BOT含む)が大台に乗ったので記念に
まあね、BOT含まれてるから微妙なんだけど
某国のPVが何億再生とかで再生数だけ稼ぐ為に連打してたとかそんなのに比べたらマシでしょうw

年齢31歳
身長171cm
体重58㎏前後
A型

日本の真ん中ぐらいで生まれる
親は二人とも元教師(もう二人とも70代なので、父親は来年80ですがw)
姉が二人(8歳と10歳違い)

保育園の時、体を使った競技は全て1位だったらしい
この時既に、
十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭(し)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)
恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)
を言えた(今でも言える)
とにかく大きい数字が好きだったが、これを知ってからは特に興味が無くなった

小学6年の春休みの時に友達と3人で40kmぐらい離れたイオンのゲームセンターに2週間入りびたる
その時の友達の一人の親がなんかの社長で、親の口座の暗証番号を知っていたらしく、毎日8万位おろして
2週間で100万位使い込んだという(そのうち俺は5万位おごってもらった)過去がある
ちなみにその財布を親に見つかるとヤバいので俺が預かっていた(その財布から1円も盗んでいない)
もうこの頃からお金に興味がない性格が身についていたらしい

中学生になりサッカー部に入ったが、オスグッド病という骨の病気になって半年で辞めた
友達の半分ぐらいが喫煙を始めるが、俺は1本だけ吸って「無理」って言って終わった
近くにサティ(昔のイオン系列デパート)ができて、友達が3万のジャケットとかを万引きする手伝い(見張り)をしていた
同じ友達と近くにある中型バイクを盗む手伝いも1度だけした
失敗して追いかけられたけど何とか逃げれた

友達の親の金でどうのこうのというのを中学になって先生にチクられて
おごって貰ってまだ形が残っているものは全部返した、そしてその友達とは疎遠になる
今はその友達とは一切の連絡を取っていない

中学を卒業する頃まで善悪の概念が無く、悪い事をしているという実感は無かった

高校は4~5流の高校で、中学校よりレベルが低かった
中学2年の時に高校を卒業したらゲームプログラミングを勉強する専門学校に行くことが決まっていたので
高校なんてどうでもよかったし、勉強は嫌いなので丁度良かった
一番最初の学力テストで数学の1問目が「8 + 4 =」だったのは今でも覚えている

高校に入ってすぐ携帯をトイレに落としてしまったので、ここで同じ高校以外の中学校の友達との関係がすべて消える

1年目でクラスが2つ消えた( ゚Д゚)(1年目の退学者が50人ぐらいいたので)

1-2年は特に何もなく、3年になるとRO(MMO黎明期に日本で一番流行っていたMMORPG)を本格的に始めた(その前からやってたけど)
3年生の1学期だけで欠席数が28日もあって「これ以上休むと卒業できない」と言われた
なのでサボってROをするのは止めた(RO自体は止めていないが)

高校生になった時に母親に実は離婚しているという話を聞かされ、出ていくと言われた
更に父親はこの時に広島大学の大学院で学位を取るからと言って広島に行ってしまった
つまり俺は高校生の時は一軒家で一人で住んでいた
母親は気を使って俺の通学路のアパートを借りていたので、学校に行く前そこで朝ご飯を食べて弁当を貰った
晩御飯はどういう感じだったか覚えていない

修学旅行でディズニーシーに行ったが8割位ベンチで一人で寝ていた
最初一緒に行くメンバーが4人ぐらいだったのだが、そこに何故かどんどん人が集まってきて
10人ぐらいになってしまった
俺は多人数で居るのは楽しくない(自分を引っ込めてしまう)ので1人ではぐれてベンチで寝てた
そしたら別のグループの友達が俺を見つけて「一緒に行こう」と誘ってくれた
別にこの時はネガティブな感情は無かったと思う、トラウマになってもいないし
別に誘ってもらってうれしかった記憶も無い
実際この記事を書いていて途中まで忘れていて書き足した位
家でずっと一人で暮らしていたので一人に居る事に慣れてしまったのだろうか

専門学校に入る前に親に1000万円渡された
「これで学費(専門学校の)とか生活費とか全部自分でなんとかして」という事らしかった
高校卒業したばっかりの時の1000万は「これで一生暮らせるんじゃないか」という錯覚に陥った

専門は2年制
1年目も2年目もほぼ夜の8時(残れる一番最後の時間)までずっと勉強していた
途中で作曲の授業が1か月あって、とても楽しかった、1日1曲新曲を作っていた
今でもちゃんとした作曲の勉強をしてみたいなという気持ちは5%ぐらいはある

行きたいゲーム会社など無かったので適当に7つ受けた
今思えばそこで「俺は社会不適合者」なのだという事を知った(まだ本人は自覚していない)
簡単な数学や物理の問題が出るが勉強してないので、ほぼ白紙
2進数と16進数の変換とかは楽しかったのでできたけど
「わが社を応募した理由は何ですか」という問いに一応答えるけど、嘘をついているのでそこが嫌だった
しかし「ありません」という事も言えず、面接が嫌になった
作品選考は7社中7社受かっていたのでプログラマーとしての技術は新卒採用してもいいレベルはあったのだと思う、自分でも自信はそこそこあったし
しかし、面接とテストが終わっていたので7社とも落ちた(当たり前だが)

一応3年目(研究生という形)を受けたが、夏休み前に学校に行かなくなってしまった

小中の記憶が専門の時のある事件で吹き飛んでしまったので、小中は強烈なイベントしか覚えていない
俺の勘違いだったのだが、俺が勝手に裏切られたと思ってしまったのだ
その時は景色が白黒に見えていたほどの衝撃だった

そして母親が暮らしている場所に戻った、ここから(21歳)が引きこもり人生の始まり

引きこもりって家に居るだけじゃまだ中度だと思う、だってインターネットやってたら一応情報はあるし
俺はインターネットもせずにひたすら毎日半年間AOE3(もうすぐAOE4出るよ!)というゲームをオフラインでやっていた
つまり本当の意味で外界と遮断していたのだ
しかしそこで初めて自分との対話ができるようになった気がするし
俺というアイデンティティが誕生したのもその時だ
それまでの俺はまだ形ができておらず、フワフワしていたと思う

そしてこの頃(23歳ぐらい)貯金がほぼ無くなった(学費と家賃と食費で500万ぐらい消えていたが)
1000万がたったの5年で消えたのは衝撃だった
(年収200万程度と考えれば何ら不思議てはないが)
なので働かなければならなくなった

実家の近くで農業(米)の仕事を始めた
親子(親方と息子)でやっていて、俺は息子に仕事を教えて貰っていた
将来親方が止めた時にその息子と二人で切り盛りしていく右腕的存在として働いて欲しいと言われた(息子に)
なので俺も結構頑張った
しかし、11月12月合わせて出勤したのは2日しか無かった(月給制なので満額もらっていたが)
後々聞いた話によるとその親方が俺に仕事を教える気は無かったらしく
その田んぼ(300反以上あったが)も息子に継がせる気は無かったらしい
「自分の代で全て築いたものを他人(息子も含め)にあげる気はない」という人だった
更に息子は夫婦で手伝っていたのだが、途中から奥さんが来なくなった
聞いてみると親方と息子夫婦の3人で暮らしていたらしいのだが
家で親方にDVを受けて精神病院に通わなければならない程らしかった
親方に奥さんが居ないのも多分そういう事なのだろう
そして息子も止めてしまった、当然だが
息子から電話がかかってきて「〇〇くんも止めた方が良い、あの人(親方)教える気無いからそこにいても使い捨てられるだけだよ」と
なのでどうやって辞めようか考えた挙句、母親が介護が必要になって仕事ができなくなった(事にした)
それを親方に言ったら「そんなん本人の問題やでお前は関係ないやろ」と言われた
自分で出来ないから介護が居るのに本人の問題ってこいつ頭おかしいわ
と、その時思った
そして無理くり言ってそこを辞めた(働いたのは半年)

ちなみに終わった後、なんか俺に何とか制度の登録をしていたらしく
息子にとある用紙を貰ってそこに3か月間の事を書いて欲しいと言われた
「折角であったんだから、ここで終わりじゃなくてたまにはご飯でも食べに行こう」と言われたのだが
俺が「それより、用紙書いたんですけどいつ渡せばいいですか?」と言ってしまったので
それから連絡もこなくなって用紙も渡していない
俺としては全く深い意味は無かったんだけど、相手がそう捉えてしまったのでは仕方がない
俺はここで言葉とは発した人の気持ちは関係なく、受け取った人の気持ちが全て」だと悟った

次は引っ越しの仕事を始めた
その頃はまだ車を持ってなかったので原付で片道45分かかる場所に行っていた
しかも7時出勤なので毎日朝の5時30分ぐらいに起きてた(今では考えられないが)
給料は(バイトにしては)良かったので、半年で100万位貯金がたまった
というか俺は本当に基本お金使わないので勝手に溜まる
そこで二人鬱陶しい奴がいたが、気づいたら二人とも左遷されていた(しかも一人は九州)
最後は足のケガで止めた(働いたのは半年)

次はブックオフに入った
店長は女性だったのだが語尾に「ナリ」を付ける人で
コロ助って実在したのかよ・・・と思った
そこでの仕事で自分が手先が器用だという事を知った(上司に言われたので)
しかし数か月した頃に異変が起きた、仕事にはいろうとして喉にタンがある感じがしたので店長に
「トイレに行ってきます」といってトイレでタンを出したら「血」だった
店長に報告すると「はよ病院行け」と言われた
そしたら「肺炎」と診断され「即入院して」と言われた
原因はレジ、ここで俺は自分は接客業ができないという事を理解した
ただ、最後の一撃はお金の札を間違えて受け渡しをしてしまったこと
相手が1万を出したのに俺は5千と勘違いして会計をしてしまった
相手の人は余程金持ちなのか、5千円マイナスされて戻ってきても何も言わず
後で気付きもしなかったらしい(クレームの電話も無かったので)
しかしこれのせいで俺は「ミスをしてはいけない」「次もするかもしれない」という重圧で自分を追い込んでしまったのだ
この辺も社会不適合だと思う

1か月の入院と療養が終わって2日バイトをしたらまた血が出た(*´Д`)

次は療養を長めにして2か月にしたのにまた直ぐ血が出た(*´Д`)

なので俺は「これ以上迷惑をかけれないので辞めます」と言って辞めた

これの件のせいで俺は仕事が怖くなって、仕事ができなくなってしまった
だって働いたより出ていく(治療費)の方が多いんだもの、やる意味がない
勿論接客業に限った事だけなのかもしれないが、自分の中では仕事=恐怖の対象になってしまった

ちなみに俺が働いた引っ越し会社とブックオフは両方とも潰れていた

この時点で25歳ぐらい、どうしていいのか分からなくなった
2度目の引きこもりの時期
しかし母親の脛をかじり続けるのも俺のプライドが傷ついていった
この時は海のそば(歩いて2分ぐらい)に住んでいたので、何百回海を見に行ったか分からない
死のうと思ったことは無いが、自分が何の為に生きているのか分からなかった
「親に迷惑をかける為だけに生まれて、親が死んだらのたれ死ぬのか?」という事実で押し潰れそうになった
それから2年程、ずっと脛をかじって生きていた

27歳になる事、とある場所に通っていた
この頃から「迷ったらやら(行か)ない」から「迷ったらやる(行く)」に気持ちが変わっていった
迷うっていうのは、やり(行き)たくないから迷うんだ、と思っていたが
迷うっていうのは、やり(行き)たい気持ちがあるから迷うんだという風に変わっていった

そこでとある人に出会った、ここで俺の運命が変わった
他人に頼らずに自分で生きる方法というのを教えてくれた人と出会ったのだ
しかも都合の良い事にその条件を俺は全て満たしていた

まだ完全に一人では生きていけないが
いつか必ず一人で生きれるようになるし(ならなきゃいけない)
今度は誰かの為(まずは会社を作る事)に生きたいとも思う
そしてその過程段階に居るのが今の俺です

長くなりましたが自己紹介でした
中学の部活を半年で止めて、3つの仕事も全部半年で辞めて(ブックオフは働いた時間が半年、入院含めると1年)
俺って半年で辞めてばかり・・・今の仕事は4年続いてるけどね