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白い巨塔・第四夜・感想その2・里見と柳原の過失

2019年05月26日 | 白い巨塔
この脚本だと「里見と柳原の過失のほうが目立ってしまう」と昨日書きました。☆他にも沢山書いています。

今回の白い巨塔には脚本家が三人います。どうやら僕が指摘している「矛盾」に誰かが気がついたようで、「作中で作中の設定をつっこむ」セリフが沢山でてきます。

まずはICUの医者が柳原に言います。

「こんなになるまで一体お前は何をやっていたんだ」

そして帰国した財前は柳原にこう言います。

「馬鹿の一つ覚えみたいに私のいうことを守らず、なぜ准教授の金井に相談しなかった。君は担当医として何をやっていたんだ」

その通りなわけです。柳原にはやるべきことがあったはずです。ドイツの財前にメールを送る。また准教授の金井に相談して肝臓の生検をやる。もっと早くICUに入れる。財前より上の鵜飼に相談する。

それが「絶対にできないほど財前に圧迫を受けていた」という伏線が「ない」のです。この脚本だと「柳原はそれができたはずだ」という感じになります。財前自身が柳原を「馬鹿みたいにだた俺の命令を守って失敗した」と言っているわけです。もっと柔軟に対応してくれたほうが財前にとっても良かったわけです。

柳原がそれをしないで忖度ばっかりだから、結局財前は「隠蔽」という悪の道に踏み込まざる得なくなります。

さらに里見について財前側の弁護士は言います。

「里見先生が肝臓を疑っていたのなら、なぜそれを家族に言わない。これは里見の過失ではないのか」

岸本加世子さんは「里見先生は親身になってくれました」と反論しますが、その反論では里見は守れません。里見が家族に言い、家族が強く肝臓の検査を求める。そうすれば結果は多少変わっていたはずです。

里見や柳原が悪いとか言ってるわけではありません。
この脚本だと「里見と柳原の過失の方が財前より大きく見える」と言っているのです。作中人物である柳原や里見を責めても意味ありません。脚本に矛盾が多いと言いたいわけです。

ネットでは柳原かわいそうという声が多い。「かわいそう」なのは「隠蔽を財前に強制される」からですが、そもそもその原因を作ったのは柳原ということにこの脚本だとなってしまいます。

柳原と里見はベストを尽くしたが、大学の体制と財前に行動を阻止された、となっていないのです。もちろん肝臓の病気がたとえわかったとしても「手術をした時点で既に手遅れ」なのですが、それにしても柳原の設定はどうも矛盾が多い気がします。

どうも三人の脚本家も気がついていたようで「作中で作品の矛盾をつっこむ」という変な事態になっていました。

もっとも、唐沢版では里見は裁判において「結局は財前の独断を許した自分と大学にも責任がある」と言っています。そこまで狙って「故意に里見と柳原の過失を強調した」なら、私の指摘は的外れということになります。

さらに書くと唐沢版でもこの点は似たり寄ったりです。財前の医療過誤とするなら、もう少し脚本に工夫が必要だと思います。




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