田中さんは6月18日に続いて二度目です、今回は11月に迫った「国民文化祭」の成功を訴えるためでした。前回の分を拾い見してみて、この時も文化祭のことを話されていました。しかし、私の記憶には残っていないのです。その時の感想文にも触れていません。そんなことも含めて国民文化祭さらに広げて文化について考えさせられました。
戦後70年のなかで文化国家日本という言い方が新聞やラジオでも多分テレビ時代に入っても見たり聞いたりした記憶があります。それがいつ頃からか失われていました。まず、田中さんの話でそのことに気づかせてもらったことを感謝します。
田中さんも国民文化祭は「文化の国体」のようなもの、と言われましたが国体の方がずーと身近に感じています。それは私の個人的なことではなく、国体と国民文化祭の取り組みの違いにも表れているようです。Wikipediaによると国民文化祭は2018年以降開催県が未定です。文化庁では開催費用の削減案が上がっていると書かれています。因みに国体は2026年までの開催県が記されています。
今日の語りに感じた田中さんの国民文化祭成功への情熱は前回の話を通じて感じられたバレー観に裏付けられています。そのバレー観は父親から言われた「文化活動は平和でなければだめだ」にさらに基礎を置いているのでしょう。お父さんの言葉は文化が衰えると危ない、戦争の危機が近いという意味を持ちます。昨今の安保法制を巡る状況はその危険性を感じさせます。
田中さんは文化祭のため県に働きかけるなどイニシャチブを発揮しました。それは文化は享受するだけでなく自らつくりだすものであることを示しています。平和もまた同様に自らの手でつくりだすものだということを感じます。
ブログ仲間との旅を終えた直後ですので、旅は総合的な文化活動だ、という思いを記しておきます。文化活動だからこそインターネットでは得られない相互の信頼と知見が深まり、次へのステップになると気付いたことも今回の「てんがらもん」からの学びでした。
前回田中さんに出て頂いた6月18日
のkaeruさんのまとめを読んで、忘れていたことがいろいろありました。
今日も前迫さんが「カエルさんってすごいねえ」とまとめのコメントに感嘆の声を呟きましたが、こうして前回の分を紐解いて、改めてこのまとめの素晴らしさを思いました。
きちんとした社会観に支えられている思想が貫かれているという事でしょうか。それは田中さんにもいえることです。
の考えが長い期間の試練に応え発展してき
た証でもありましょう。俗に言う親も草葉
の陰で喜んでいるのです。そう思うことが
当人の深い自信ともなります。
それは親子関係ばかりではなく、正しいと
思い学び信じたことに基づいて、話したり
書いたりしたことが、幾らかでも人の心を
とらえたとすれば、思想の伝達だと思います。とはいえあの「すごい」前迫さんにす
ごいと言われると、人の受け売りです、と
か言うよりやはり面映ゆい気がするのです。
そして、来年よろしく!と下を向いて申し
上げます。
奥深い・・・
kaeru さまのコメント以上の
ものは 言葉はありませんので
これだけの足跡のこし です
文化だと気付きました。言われる通り文化と言っても奥深く、人間
社会の有している奥深さそのものでしょう。
国民文化祭に「旅」部門があってもいいのではないかと思います。
観光を広くとらえれば旅の領域の広さ深さが見えてくると思います。
ブログ仲間の旅を通じなければ、気付かないでいたことでしょう。
来年の旅につなげていきたいと思います。