kaeruのつぶやき

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人生最後の資本論学習。

2018-04-24 18:48:18 | kaeruの『資本論』

   友人Yさんからの手紙に「資本論」との出会いが書かれていて、「こうした経過を経て、身体的な衰えも見通して、最後になるだろう資本論の学習を考えている」と結んでありました。


    私より一つ下誕生日がくれば80歳、資本論との出会いは30歳の時と書かれています。その時は「残念ながら、途中で読むのを断念」したが1990年に新日本出版社刊13分冊の『資本論』を購入したのを契機に、6年半ほどで第1分冊を読了。

    その直後民商事務局を退局しています、59歳。

    退局後集中して読まれたようで、1ヶ月で第2分冊読了、第13分冊まで読み終わったのが98年2月とあります、第3分冊からの11冊を7ヶ月ほどで読み通したわけです。

    これは早い! なによりもこのエネルギーには敬意を表します。私の頭ではとてもこのスピードについていけません、が実感です。

  そして改めて思い出すのが、Yさんが会議で発言するときの論理的展開の見事さです。県下の民商事務局長会議がその場でしたが、ある時会議の休み時間にYさんが席に残って文庫本を広げていましたので「なに読んでるの」とのぞくと、表紙を見せてくれました、レーニンの『唯物論と経験批判論』。そのことが印象深く残ってたのですが、今回頂いた手紙で一層深くなりました。

  「理論も大衆をとらえるやいなや物理的力となる」とはマルクスの言葉ですが、Yさんの発言が筋道たってこちらの心を捉えてきたのは、まさに彼の理論への研鑽にあったのです。そして理論が人間を捉えるには根源的な提起でなければならず、人間にとって何が根源的かと言えば人間に他ならない、とのマルクスの言葉を受けて考えてみます。

   私も彼も人生の最終の直線コースに入ったと言えるでしょう。人間稼業を重ねてきたおかげでこの「稼業」の表裏も少しは分かりかけている筈ですから、根源的な語りかけに挑戦してみなければと思います。その有力な理論として「資本論」への「最後の学習」にYさんと共に取組んでみようと思います。


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