遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『秀吉 vs. 利休  和合と、破局と』  矢部良明  宮帯出版社

2023-09-11 18:18:47 | 茶の世界
 7月に著者の『茶道の正体』(宮帯出版社)を読んだ時に、本書について知った。本書は『茶道の正体』より4ヵ月先行し、2022年8月に単行本が刊行されていた。
 
 「はじめに」を読むと、研究という領域で論文や本を発表してきた著者が、「はじめて、ノンフィクションという手法を借りて、利休と秀吉のあいだに展開したドラマを描いてみたいと思い実行してみた。この試みは、利休と秀吉の信条にふかく迫ってみようという筆者の意図から発している」(p4)という。
 ノンフィクション作品としては読みやすい本になっている。
 
 『秀吉 vs. 利休』というタイトル、その副題「和合と、破局と」を最初に見たとき、秀吉と利休の茶の湯におけるスタンスの違いや精神的な確執にフォーカスを絞り込んで分析した本かなと想像していた。秀吉と利休が直接的に主従関係、茶の湯の人間関係を築いて破局を迎える時期を詳細に追究していくのかと勝手なイメージを抱いていた。
 読み始め、通読してみると、確かに「和合と、破局と」を「秀吉 vs. 利休」の関係性として、利休の最終ステージで明らかにしている。ノンフィクション手法で描き出している故に、対立・確執という側面での秀吉と利休の心理・心情理解に隔靴掻痒感を抱いた。この辺りフィクションの小説として描き出すこととの違いなのかもしれない。
 私には「利休伝」を読んだという印象が強く残った。

 まず、本書の全体構成をご紹介する。
  第 一 章 利休と紹鴎の出会い             
  第 二 章 師匠紹鴎から離れる利休          
  第 三 章 利休、信長と出会う             
  第 四 章 茶の湯の改革に目覚める利休         
  第 五 章 利休の提案を理解する秀吉          
  第 六 章 利休、創作活動を開始する    
  第 七 章 津田宗及と利休を平等に扱う秀吉    
  第 八 章 秀吉茶の湯の真骨頂       
  第 九 章 秀吉と利休、茶の湯の相違     
  第 十 章 コンセプトの利休とファッションの秀吉   
  第十一章 破局への道       
  (付記:紹鷗の鷗は環境依存文字なので鴎を使う。本書では鷗で表記されている)

 第一章~第四章は、利休が茶の湯の世界に足を踏み入れ、紹鴎を師匠として学ぶ過程で、珠光が提唱した冷凍寂枯というコンセプトの茶の湯に回帰していく。冷凍寂枯をめざす茶の湯への改革に利休が目覚めるまでの過程が跡づけられている。この四章は、利休が己の創意を本格的に表出する以前の、いわば利休の雌伏期を明らかにすることになる。

 著者は、「山上宗二記」を拠り所にしながら利休の足跡を描いて行く。当初利休は、四畳半の茶室を確立した武野紹鴎を師匠とした。だが、紹鴎流は名物主義の茶の湯だった。著者は、「冷凍寂枯の美学を基準にして、名物とはどういうものかを実践で示して、名物を骨子に据えた茶道具のランキングを整理し、茶の湯の価値の体系を築いた」(p37)と述べ、この業績で紹鴎を茶の湯の正風体の完成者に位置づける山上宗二の意見に、著者は「心底から賛成する」(p37)
 利休は、紹鴎の名物主義が、茶の湯界に身分差を生み出したととらえる。四畳半の茶室を建てられず、名物物を所有できない侘び数寄者の存在に利休は眼を向ける。著者は「侘び数寄を救済するためには、どうしたらよいだろうか」という課題を利休が自らに課したと説く(p92)。それは、珠光の茶の湯、「茶の湯に上下なし」の精神に利休が回帰することへと導く。冷凍寂枯のコンセプトを追究・純化していく道であり、紹鴎流を離れ、茶の湯を改革する歩みとなる。40代で紹鴎流の茶の湯を越える信念を利休は固めたと著者はみている。だがこの考えは、信長には通じ無い。つまり、利休の雌伏期となる。

 天正11年~12年頃に、利休は「四民平等の茶の湯こそ、茶の湯の真髄」(p113)という己の考えを秀吉に言上したと、著者は推測する。信長とは異なり、下賤の出である秀吉は、利休の考えに対し、己の天下の有り様がひらめき、利休の考えに合意する。第五章はこの和合の瞬間に光を当てている。

 第六章は、利休が己の茶の湯を目指して創作活動を開始する側面を描く。利休の創意を茶室の工夫の側面で描いている。「常識的な建築ではなく、日常性を遮断してしまう、別乾坤を樹立しなくてはならないという信条」(p126)を背景に、紹鴎流の開放的建築ではなく、利休流の閉鎖的建築の創出へと突きすすむ。「藁屋に名馬を繋ぎたるが、面白く候」(p127)という珠光の言葉にリンクして行くという。利休の茶の湯の進展がわかる章である。

 第七章では、利休に和合した秀吉が、見える形として、紹鴎流の津田宗及と利休を平等に扱う様子を事実で例証する。
 
 秀吉と利休が茶の湯という接点で和合できたことにより、利休は冷凍寂枯のコンセプトを追究し己の創意を茶の湯に注ぎ込める場を確保できた。しかし、それを具現化する中では、互いの茶の湯に対するスタンスが異なる側面が明らかになっていく。二人は同床異夢の状況にあるということなのだ。第八章はこの点を秀吉の視点を主にして描いて行く。
 「一、北野大茶湯」「二、侘び数寄を視野に収める秀吉」「三、天皇を視野に入れる秀吉茶の湯」「四、官能の極、黄金の茶室」「五、眩惑の茶の湯装束」「六、長次郎の黒茶茶碗と黄金の井戸茶碗」「七、井戸茶碗 銘『筒井筒』にまつわるエピソード」「八、井戸茶碗 銘『筒井筒』と長次郎の黒茶碗 銘『大黒』の対比」という実例から読み解いていく。
 読者にとっては、その違いがよくわかる説明になっている。しかし、その相違を感じ取った両者がその時点で相手をどのように感じていたのか、両者の心理、心情については触れられていないように思う。そこがノンフィクション手法の限界なのかもしれない。本書を読む最初の動機は、ここでの両者の心理、心情の確執と軋轢の側面にあったので、少し肩すかしを感じた。一方、事実の側面を具体的に理解できた点は収穫である。

 第九章で、著者は秀吉と利休の問題意識の位相が異なることを明確にしていく。
 「秀吉は、利休流茶の湯を実践して、自ら楽しむことには、まったくといってよいほどに関心がなかったのである。利休流の茶の湯を全国に広め、普及させる役目を担うことには、無関心であった。利休は秀吉の懐刀となって仕えることによって、結果的には全国区の茶人になれたというのが、正しいであろう」(p207)
 「侘び人を不憫に思って企画したと秀吉が自らいう北野大茶湯には、実は、同様に佗び数寄者の救済を狙って創造した、利休新製の茶道具類をまったく登用しなかった」(p208)
 これらの指摘は実に興味深い。著者は具体的に事実ベースで例証している。

 「二、区別されて評価された秀吉と利休の茶道具」では、聚楽第の茶室を使った秀吉と利休のそれぞれの茶席の事例が取り上げられていておもしろい。

 第十章は、章題の示す通り、コンセプトの利休とファッションの秀吉という二人の対極的なスタンスが論じられていく。この章の論旨は、本書より4ヵ月後に刊行された『茶道の正体』で更に展開されて行くことになる。
 著者は、茶の湯という芸術活動において、コンセプトとファッションの両側面の重要性を説いている。利休は、冷凍寂枯のコンセプトを超克の美学に高めた。だが、ファッションという切り口を開いたのが秀吉であり、「遊戯」が秀吉茶の湯の特徴だと指摘する(p227)。「衝動に駆られての遊戯こそ、もっとも重要な秀吉茶の湯のモチベーションの一つであった」(p234)と説く。
 さらに、秀吉茶の湯に対して、信条レベルでは秀吉と利休は同じだった点を重視している。それが利休の「人と同じ茶の湯をしてはならない」という信条なのだと。
 秀吉と利休を論じつつ、この章ではコンセプトとファッションについて、著者の持論が展開されている。本章をお読みいただきたい。

 第十一章は、利休に対する突然の指弾から始まっって破局に至る様々な憶測が論じられていく。現在までに論じられてきた諸説を概説し、分析して、背景要因をまとめられている。それで利休の賜死の謎が解ける訳ではない。その上で、最後に利休の破局に対し、著者の信条が語られている。

 破局の謎がスッキリと解明された訳ではない。一つの視点は提示された。屋上屋を重ねることになっているのかもしれないが、それは仕方がない。しかし、破局の謎への全体図はわかりやすく説明されている。ノンフィクションの「利休伝」としては読みやすい。
 当時の茶道具で、現存するものについて知識豊富な方が読めば、茶会での茶道具の事実記述が各所に出てくるので、本書の楽しみ方が一味違ってくるかも知れないと思う。

 本書を読み、興味深く思った箇所をいくつか引用する。
*茶道具が有力者の間を往来するのが天文年間から弘治・永禄年間であった。 p24
*ものそれ自身は何も変わることなく存在するにすぎないのに、見る目が変わると、それに価値が生まれる。世の中、こんなうまい話はそうざらにあるものではない。無価値に近い安い工芸品が評判を集めるこの経済効果は、通常では発生することはまずない。
 ただ、欠かすことのできない要件が付きまとう。それは、その無名な工芸が、はたして茶席のなかで、効果を発揮できるかという「働き」の具合である。 p33
*冷凍寂枯をうたう喫茶法がやがて茶の湯と呼ばれることとなるわけだが、茶の湯には発祥の段階から、経済効果の裏付けを持って発展するという地場があった。 p34
*織部を天下一宗匠という指導者に祭りあげたのはときの浮世の人々であった。・・・・
 大衆の意思が時流を左右するというこのパターンは、21世紀の現代にもそのまま通用する。  p236-237

 最後に、著者が「侘び」について言及している箇所をご紹介しておこう。
「もともと、侘びには美的カテゴリーの意味はなかった。平安時代以来、『経済的に整わず、うらぶれて、将来を見失うほど落ちぶれた生活の状態』を指す言葉であった。
 桃山時代の茶人たちは、婉曲的な言い回しをせずに、単刀直入に言い表すので、名物茶器にめぐまれない茶人を侘数寄、あるいは単に侘といって、裕福な本数寄者と区別したのであった。ちなみに、侘を生活状況から切り離して、情緒たっぷりの美的カテゴリーに祭り上げたのは、ずっと下って昭和年間になってからのことであり、今ではすっかり侘びという言葉は、本義から離れてしまったのである。」(p86)
 珠光が評価し、利休がコンセプトとした冷凍寂枯の美に出てくる「寂」は「寂びる」である。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
村田珠光  :ウィキペディア
武野紹鴎  :ウィキペディア
北野大茶湯  :ウィキペディア
10分の1に期間短縮?豊臣秀吉主催、800人参加の大イベント北野天満宮大茶会の謎!:「和楽」
大井戸茶碗『筒井筒』|井戸茶碗  :「茶道具事典」
井戸茶碗の魅力  :「陶磁器~お役立ち情報~」
黒楽茶碗 長次郎作  :「MIHO MUSEUM」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『茶道の正体』  矢部良明  宮帯出版社
『茶人物語』  読売新聞社編  中公文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 26冊


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