遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書

2023-09-16 19:01:07 | 源氏物語関連
 著者が編者の一人である『源氏物語図典』(小学館)と『源氏物語必携事典』(角川書店)は、身近な書棚にあり事有るごとに参照してきている。掲題の本は何時購入したのか記憶がないほど以前から、本箱に眠っていた。奥書を見ると、1968年1月に第1版が刊行され、手許の本は1994年6月第39刷である。源氏物語関連ではロングセラーの1冊だろう。調べてみると、著者は2015年11月に91歳で逝去されていた。合掌。

 本書は、源氏物語全帖の概説を主軸にしながら、1967年当時までの学会における源氏物語研究の成果や論点を踏まえて、研究者視点での論点提示と読み解きが加えられている。第1版が出版されてから、55年の歳月が経過しているので、研究者視点の論点を含め、本書はもはや准古典的な書になっているかもしれない。しかし、瀬戸内寂聽訳『源氏物語』を通読し、その後で本書をやっと読んだ一読者としては、論点も含め新鮮な思いで興味深く読めた。

 本書構成のご紹介に併せて、読後感想を記してみる。
<Ⅰ 光源氏像の誕生>
 「光源氏の不足ない資性は、いわばその生存の根本的な不安を前提として惜しげもなく与えられたものである」(p7)という箇所で、まずナルホドと感じた。それだからこそ、あの長編を書けたとも言えるなと。その続きの「かれは物語の世界に敷設された宮廷社会の現実と、深くあいわたる人間として真実性をはらんでいる」という指摘は頷ける。
 賜姓源氏についての歴史的意義の説明は役に立った。

<Ⅱ いわゆる成立論をめぐって>
 翻訳版源氏物語を通読している時にほとんど考えていなかったことの一つは、源氏物語の構成である。鈴木日出男編『源氏物語ハンドブック』(三省堂)で、全五十四帖が大きくは三部構成になっているというのを知っていたくらいだった。ストーリーの組立として、第一部(「桐壺」~「藤裏葉」)において、紫上系と玉鬘系という二系列が存在することや、執筆の順序がどうだったかなど、源氏物語成立論が仔細に論じられていることを本書で知った。論議の経緯がわかっておもしろい。半世紀が過ぎた現在、学会レベルでは定説ができているのだろうか?

<Ⅲ 宿命のうらおもて>
 著者は、「桐壺」巻から始め、光源氏の宿運が実現していく道程に着目して大筋をまず解説する。この道程に直接関わらない巻は後回しにしていく。「須磨」巻の光源氏26歳の春までの光源氏の道程が浮彫にされる。後読みなので通読時のおさらいをしている気分になる。

<Ⅳ 権勢家光源氏とその展開>
 「澪標」巻、光源氏28歳の冬から、34歳の秋の六条院造営まで。光源氏が権勢家へと顕著な変貌を遂げる様に焦点があてられる。光源氏の後宮政策のたくみさをここで再認識した次第。著者は清水好子氏の論文を踏まえ、「絵合」巻では紫式部が、天徳内裏歌合を念頭において、物語を書いている点に触れている。
 紫上が光源氏の意図にそって物語上に登場してくる。その描写が「現実感にみちた物語の世界の進行からは浮き上がらざるをえない」(p63)という側面を指摘している。一方で、「紫上は、あらゆる場合に、さまざまの段階において、あるべき理想性を発揮すべく枠づけられていたからである」(p63-64)と評しているところが興味深い。
 六条院の造営が、光源氏の超絶した能力の証となる。

<Ⅴ 別伝の巻々の世界>
 Ⅲで後回しにされた「帚木」から「夕顔」巻へのつながりが別伝として持つ意味を著者は考察する。「夕顔」巻が「その中心部に三輪山式説話の型にそうている面が顕著である。また宇多天皇と京極御息所とが河原院で左大臣源融の霊におそわれたという、江談抄が伝える怪異談も下敷になっているらしい」(p77)と指摘する。そして、「皇子であり左大臣家の婿であるという息ぐるしい身分から、軽やかに解き放たれ、一個の女そのものと純粋な愛をもって相対しうる男でありうるという意味をもっているのであろう」(p77) と解釈している点が興味深い。通読しているとき、そんな見方を考えてもいなかった。
 「蓬生」巻の末摘花、「関屋」巻の空蝉、「澪標」巻の明石君の意味を語る。
 「初音」「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」と連なる巻々が、光源氏36歳の1年をこきざみに描き出している。著者は「自然と人為とが相互に媒介して織りなされる季節の秩序の、それ自体完結した美しさ」(p81)を指摘している。
 光源氏の年齢で全く触れない空隙もあれば、一方で多くの巻を費やして1年というスパンを濃密に描くという時間軸の取り上げ方があることを再認識した。ここらあたりも、源氏物語のおもしろさかもしれない。
 この後、著者は玉鬘に光を当てて論じて行く。玉鬘十帖と称されるストーリーの流れである。光源氏と玉鬘との関わり方。玉鬘十帖について研究者の諸説を紹介し論じているところに関心が向く。いろいろな論点があるものだ・・・・と。

<Ⅵ 紫式部と源氏物語>
 「源氏物語は、なぜ紫式部によってかかれたのだろうか」という一文から始まる。この問いかけから始まるところがまずおもしろい。
 左大臣冬嗣から始まる「紫式部略系図(尊卑分脈による)」が載っていて参考になる。
 なぜという問いに対する著者の考察は本章をお読みいただきたい。
 2点だけ覚書を兼ね、引用しておこう。
*実人生で受動的に生かされる立場から、能動的に生きよみがえる術法としてこの虚構世界が造り成されたのである。  p106
*紫式部が、物語の創作とは別にこのような物語論を語りうる場はなかった。物語の世界で光源氏の玉鬘へのたわむれ言をきっかけにして、・・・・そのようなものとしてのみこの物語論が語られえたことの意味は深長である。 p113

<Ⅶ 「若菜」巻の世界と方法>
 「若菜」巻だけが、上、下と二帖になっている。著者の説明によれば、源氏物語全体の10%という長大な分量を占めるという。上下はほぼ等分量。上巻のほぼ4分の1が、明石関係の内容に割かれていると説明する。著者は、「明石君および明石一族に托する作者の問題意識には、きわめてしつこいものがある」(p130)とその点に着目している。
 「若菜 上」巻は、第2部の始まりとなり、女三宮の降嫁問題が光源氏に突きつけられてくる。それが、紫上、明石君と光源氏の関係性に新たな展開をもたらす。
 女楽の条の描写と紫上の発病が、光源氏の世界の崩壊への道となる。その状況分析が読者にとってわかりやすい。

<Ⅷ 光源氏的世界の終焉>
 「柏木」巻から「幻」巻に至る物語の展開が論じられていく。柏木の死、女三宮の出産、そして紫上の死。光源氏の世界が終焉を迎えるまでの経緯を明らかにする。
 「夕霧」巻の位置づけと、第二部の各巻がどの順に書き継がれたかという研究者視点の論議が取り上げられている。この点もまた通読していて全く意識していなかったことなので、興味深い。

<Ⅸ 結婚拒否の倫理>
 いよいよ第三部に入る。「匂宮」巻から「宿木」巻にかけての物語が概説される。その主題は、父八宮の訓育を受けた長女大君の結婚拒否の倫理とそれを基盤とした心理描写を中心に、薫と匂宮の競い合いと心理のプロセスが分析されていく。そして、その渦中で翻弄される中君の存在。
 著者は「作者の筆が自在に躍動し、そこに作者の精神が全的にに移転しうる世界を掘り起こすことができた」(p171)と評価する。「いかにも新しい、時代の浄土教ムードに適合した恋物語が開始した](p175)とすら記す。
 「宇治十帖が書かれる頭初、浮舟の登場ということは作者の構想のなかに無かったことである」(p191)と論じているところが興味深い。

<Ⅹ 死と救済>
 「東屋」巻に着目し、「宮廷的貴族的な世界の伝統的価値基準をもっては測りきることのできぬ人間関係のひしめく世界}(p195)を登場させることを背景に、浮舟が描き出されていく。著者は浮舟の登場、彼女の自主性を奪い、その運命を翻弄し、死に追い込んで行くプロセスと後の救済を概略する。そこには、「水も洩らさぬ緻密さをもって仕組まれた客観的情勢の矛盾がそのまま彼女の運命をもつむいでいくのである」(p205)と著者は読み解いている。
 浮舟を自殺行為に走らせ、その後の顛末を描くという展開に対して、著者は記す。
「彼女を地獄に送ることに堪えなかった作者は、彼女をしてなお生きることを課した。死なねばならぬほどの不幸な人生から解かれて救われる道はないか。この課題を、作者は浮舟に、というより、浮舟を死に導いた自己に課したのであった」(p206-207)と。
 
 ⅨとⅩは、源氏物語の第三部を掘り下げて読む恰好のガイドとなるように思う。

 半世紀前に書かれた源氏物語の概説書。当時の研究者たちの問題意識と論点も垣間見えてくる。源氏物語解釈の広がりは奥が深いと感じさせる。未だ色褪せることなく源氏物語への誘いとなる一冊である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
玉鬘十帖  :ウィキペディア
 
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 11冊



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