遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   今村翔吾   祥伝社文庫

2023-09-24 22:02:12 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズを読み継いでいる。本書はその第5弾、書き下ろし作品として、平成30年(2008)に刊行された。
 
 「菩薩花」は仏桑華の別名だという。松永源吾の妻・深雪は道を尋ねられて知り合った久保田藩の絵師曙山から贈られたのだと源吾に言う。琉球を故郷とし薩摩などの南国以外では冬を越えるのが極めて難しい花。曙山からそのことを聞き、深雪は冬を越させてみせようと思うと返答した。本書のタイトルはここに由来する。
 また、この名称中の「菩薩」は本書のストーリーに重なっていく。なぜか? 深雪が曙山に自分が駕籠舁きさんの間では火消菩薩と呼ばれていると話したのだ。それが花を贈られた契機となる。ここに菩薩が出てくる。もう一つは、八重洲河岸定火消に任じられている旗本の本多大学のもとで火消頭を務める進藤内記。内記は人々から菩薩と称されているのだ。かつて、源吾が、飯田町定火消、松平隼人家で勤めていた時の立場と同じ。その頃から、源吾は内記を「胡散臭え野郎め」(p36)と感じていた。

 このストーリー、主な登場人物の一人として、この進藤内記が登場する。 なぜ内記が菩薩と呼ばれるようになったのか。火難に遭った遺児を救い育てるという行為を行っていて、遺児たちの生きる道を見つけてやっていると、人々から見られていたからだった。
 源吾がこの内記と再会するのは、源吾の率いる羽州ぼろ鳶組が火事場の芝口久保町に駆けつけた時である。これが始まりとなる。この火事場で、源吾は己が現場指揮を執る方針を抑制し、新庄藩火消は火消に撤し協力した。内記の指示とそれを的確に具現化する配下の動きを観察する加持星十郎は「良い人材を集めているようですね」と源吾に語りかけると、「あいつは集めているんじゃねえ。足りない駒を作っているのさ」(p40)と源吾は答えた。その言が一つの伏線となっている。

 新庄藩火消の面々以外に、あと3人主な登場人物がいる。一人は序章にまず登場する仁正寺藩市橋家の火消頭、柊余市。元禄の頃の藩主が火消を市橋家の象徴とし、小藩といえども名を知られるようにした。だが、現藩主の方針を家老が与市に告げる。116名の鳶を30名に減らせというのだ。藩主に翻意してもらうには火消大名の名を挙げるしかない。火消番付での格を三役に上げよと家老は言う。配下の鳶の死活問題である。窮地に立たされた与市。「三役を獲る。大物喰いだ」(p13)と配下に宣言する。与市の通称は「凪海」。火消番付では西の前頭三枚目だった。
 本郷の東、不忍池あたりが火事になった時、与市率いる仁正寺藩火消が火事場に駆けつけていく。加賀鳶が火札を掲げ消口で指揮を執っていた。だが与市はそれを奪い、指揮を執ろうとする行動に出る。燃え上がる火を前にして火消たちの繰り広げる騒動描写は実に緊迫感を生む。
 この時点で、読者としては、今後与市がどのような行動をとっていくか、興味津々とならざるを得ない。
 この火事場に主な登場人物がもう一人居る。加賀鳶を指揮している詠兵馬(ナガメヒョウマ)だ。加賀鳶の頭取並にして、一番組頭を勤め、通称「隻鷹」。番付は西の小結。ストーリー全体の中では、脇役的に押さえ所として登場している印象を持った。

 主な登場人物でありながら、3人目は火事読売という瓦版の書き手である文五郎。彼は第一章の最初及び第六章以降に登場する。文五郎は常に火事場に駆けつけて、その状況を客観的に観察し、事実を読売として伝えることを実践している。読売を己の天職とする男。四谷塩町で起こった火事を観察記録しつつ、この火事は火付けの線が濃厚と推測する。この火事場に真っ先に駆けつけた頭を勿論知っていた。そこで文五郎は疑問を抱く。この文五郎がその後に行方不明となる。そこで、息子の福助が父を捜し回る行動をとる。
 その福助が狙われていると偶然察知した大音勘九郎の娘のお琳とお七が、福助に関わることになる。それで、文五郎が行方不明という件を源吾と星十郎が知るに至る。勿論、源吾は文五郎を知っていた。源吾は星十郎と二人で文五郎の失踪について、ある仮設を導き出していく。

 京橋筋の北紺屋町で火事が起こる。そこは、蝗の秋仁の名で呼ばれる頭が率いる町火消よ組の管轄なのだが、その消口を八重洲河岸定火消の進藤内記が取ったのだ。秋仁は、源吾に「こいつら太鼓を打たねば町火消が動けぬのをいいことに、消口を取ってからようやく太鼓を叩きやがった」(p136)と彼の行為について告げた。源吾の問いに対し、内記は火消番付目当てを当然の如くに嘯く。秋仁はやむなく引き下がる。源吾も弓町まで引き下がり、飛び火の警戒にあたった。
 一方、火事場に与市の率いる仁正寺藩火消が乱入して行った。消火した後、与市の行方が絶たれた。

 ここから読者にとっては、源吾と星十郎を中核にストーリーは謎解きへと急速に進展していく。その進展に再び火事が絡んでいく。どこまでも火消絡みのストーリーとして構想され実に巧妙に仕組まれていく。読者を飽きさせず引っ張っていく。なかなかのエンターテインメント作家だと思う。

 深雪が菩薩花を絵師曙山から贈られたことについて源吾に話した中に次の言葉がある。「人も花も同じ。住まう地、取り巻く人々で生きも死にもします。だからこそ越前衆の方々をしっかりと支えなくてはなりません」(p224)と。このストーリーのテーマは、この深雪の発言の最初の二つの文に大きく関係していると思う。今回は、そこに火消番付が大きく関わっている。人は評価されることに対して無心ではいられない。評価することにも関心を示す。人がそれぞれの立場で抱く承認欲求の存在。それが様々に影響を及ぼして行く。テーマとしてどこまでも興味深い。
 このストーリー、菩薩と呼ばれる内記の裏の姿を暴き出していくことになる。そのプロセスをお楽しみに!

 さて、今回のストーリーの背景に少し触れておきたい。
 読後印象をまとめるに辺り、部分的に読み直していて気づいたことである。第一章の初めのあたりに、「昨年の明和の大火で多くの優秀な火消が殉職した」(p25)と記されている。第七章の六の冒頭に「振り返れば様々なことがあった安永2年(1773)が暮れた」の一文。このストーリー、源吾の視点に立つと安永2年という一年間に起こった出来事である。
 そこで少し調べてみて、なるほどと思った。
 明和の大火は、明和9年2月29日(1772年4月1日)に発生した。大火発生の後、改元されて安永になっていた。安永は西暦で表記すると、1772年11月16日から始まっている。つまり、明和9年は安永元年であり、安永2年の暮れから見れば、昨年になる。
 このシリーズ、フィクションと雖もよく続けられるな、と思いながら読み継いでいたら最初の段階で、「江戸では年に300回以上の火事がある。素人は意外に思うかも知れないが、その原因の大半は火付けに因るものである」(p30)という地の文が出て来た。フィクションでも、この辺りは当時の事実を踏まえていると考えると、フィクション化がしやすくなることだろう。どこでいつ火事が起きようと不自然感はなくなる。

 更に、歴史的事実を歴史年表で確かめてみると、次の背景がわかる。
 明和4年(1767)7月 田沼意次、側用人に。第10代将軍家治の治世。田沼時代の始まり
 安永元年(明和9/1772)1月 田沼意次、老中となる。

 このストーリーでは、老中田沼意次は密かに浅間山に視察に出かけていて、江戸不在の設定になっている。「これまで幾度となく噴火しており、もっとも記憶に新しいところでは今より約20年前に燃え滾った。この山ニまた不穏な兆しがあるということで、・・・・」(p238)とある。浅間山の噴火記録では、1752(宝暦2)年と1754(宝暦4)年に噴火している。そして、1776(安永5)年9月5日と1777(安永6)年には数度にわたり噴火した。
 田沼の視察の先遣として加賀鳶の大音勘九郎が浅間山に調べに赴き、その後国元に戻るという設定がうまく織り込まれている。

 最後に、このシリーズでの朗報を二つご紹介しておきたい。
 一つは、深雪が出産した。男子である。平志郎と名付けられた。
 二つ目は、老中田沼意次により、新庄藩が方角火消桜田組を免じられ、改めて方角火消大手組に任じられた。
 
 このシリーズ、火消菩薩と称される深雪を背景に、源吾と羽州ぼろ鳶組の活躍がさらにステップアップすることを期待したい。勿論、一方で、老中田沼意次への反撃が顕わになってくることも予測される。源吾はどのように立ち向かっていくのか・・・・。前作で、安永2年の前半に、長谷川平蔵が京都西町奉行所在任中に急逝した。息子銕三郎が家督と平蔵の名を継ぎ、安永2年に江戸に戻ってきていた。お琳、お七、福助の危機を救う形で源吾との関わりが江戸で再び始まって行く。二代目長谷川平蔵との関わりもまた、読者として期待を抱く。ますますおもしろくなりそう・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
明和の大火  :ウィキペディア
33. 明和9年江戸目黒行人坂大火之図   :「国立公文書館」
明和の大火死者供養墓  :「港区立郷土歴史館」
浅間山 有史以降の火山活動  :「国土交通省気象庁」 
幕府番方武官 長谷川平蔵  :「大江戸歴史散歩を楽しむ会」
ブッソウゲ   :ウィキペディア
ブッソウゲ/ぶっそうげ/仏桑花  :「庭木図鑑」

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