先日3日に熊野古道センターで「岸田日出夫が遺したもの」というテーマの講演会がありました。
講師は奈良県の大淀町教育委員(学芸員)の松田 度氏という方です。
※専門は古代史からフィルムアーカイブそしてニホンオオカミまで幅広い。大和・紀伊半島学研究所協力員
岸田日出夫は吉野熊野国立公園の父とも呼ばれ、紀伊半島の隅々まで踏査した彼のエコロジー哲学がよく理解できたとても良い講演会でした。
其の中の一環として「ニホンオオカミ」の記憶というテーマがあり、そのオオカミの頭骨の展示もされていました。
僕も所属する「日本オオカミ協会」のメンバーも串本や十津川から駆けつけ、コロナの影響で随分ご無沙汰していましたが、久し振りに旧交を温めることができました。
僕もそうですがこの講演の中で重要な位置を占めたのが「日本オオカミ」に関する様々な研究と当時の情報や伝承のことで、岸田日出夫がそれを「日本狼物語」という一冊の本にまとめていたことも知りました。
同席した友人の二人もこの本のことは知りませんでした。
彼は大正時代に大台ケ原にある大台協会でその主である宗教家の古川嵩の話の「自分は二匹のオオカミと暮らしたことがある」というのをを聞き及んだもののその時はさほどオオカミについて深い関心はなかったらしいのですが、昭和になり熱心にオオカミを研究していた、かの有名な民俗学者の「柳田国男」との出会いによって、その関心が急速に高まり、昭和10年から11年にかけてこの地方で随分と情報収集を行ったらしく、その時の74件の談話をこの本にまとめたらしいです。
日本オオカミは明治38年に東吉野村で捕獲されたのを最後に絶滅したとされ現在に至っていますが、当時彼の集めた情報では少なくとも昭和の11年頃の話が出てくるところによると当時はおそらくまだ生き残っていたであろうことは容易に推測されます。
彼はこの本でオオカミは絶滅したとは書かず、伝染病などの蔓延で激減したという言い方で締めくくっています。
僕としてはとても興味深い内容でしたね。
オオカミは人を襲うことなど余程のケース以外にはなく、むしろ適度な距離をとりながら人間とうまく共存していたということらしいです。
僕はこれが事実であろうと推測しています。
アメリカやヨーロッパの事例からみても人的被害はほとんどその例を見ません。ゼロとは言いませんが・・・。
講演会の後何人かの人と話をしましたが、何だか僕が「オオカミの知識大あり」みたいに思われているようで、ちょっと戸惑いましたが、この日本オオカミのことについては随分興味のある方が多いようで今更ながらに根強いオオカミ熱を感じましたね。
僕が子供の頃、小学生の頃ですね、当時大台ケ原山地一帯で営林署の下請けの庄屋と云われ手広く林業に関わってきた祖父からもオオカミの話はよく聴きました、当時の僕のオオカミ生存かどうかの質問に祖父はぽつねんと一言「オオカミ・・?まだおるわれ」と云ったことを昨日のことのように思い出しました。
少なくともそれは昭和40年頃の話ですから・・・。
ただ、まだまだ日本オオカミ協会の推し進める「オオカミ再導入による生物多様性の復活」例えばシカやサル、イノシシなどの獣害による森林や田畑の被害の防止と、それに伴う基本的な生態系の回復や同時に食物連鎖の正常化など、それら根本的なエコロジーの問題を考え提唱していく活動ですが、そのこと本当はわかっていているのに相変わらず莫大なお金をつぎ込んでいつもやることは同じ、それに関わる行政の態度のことです。
もう少し前向きに正しい知識を踏まえつつ真っ当に現実を捉え推進して欲しいものですね。
決して突拍子な話ではありませんから・・・。
元々われわれのそばにいた山の「オオカミ」をもとに戻そうと云うことなんですから・・・。
閑話休題・・日本オオカミは日本の「固有種」ではないということはすでに証明されていますが、そのこと立ち話でしていたら、それを聞いていた一人の男性が「そうだったんですか、やっとわかりました」と言って御礼を言いながら立ち去って行きました。
ということで終わります。
またご意見などありましたらいつでもコメントくださいね。