今回、僕も所属する「日本オオカミ協会」のイベントが奈良県東吉野村でありました。
この村の鷲家口と云う所はニホンオオカミが最後に捕獲された所といわれ、これがニホンオオカミの絶滅の基準となった場所でもあります。
そう云うことで村全体がオオカミを村おこし的な対象としていて中々熱心な活動をしているようでした。
100年程前、この村でロンドン動物学協会によって当地の生き物の調査の為に派遣されたアメリカ人のアンダーソンさん(スタンフォード大学出身の当時の若い動物研究者)との間で取引されたそのオオカミの毛皮がロンドンの自然史博物館に保管されていて、3年程前に当時の村議や有志が様々な伝手を頼りに(特に総務省)その博物館を訪問したらしいです。
本心はこれを是非取り戻したいという強い思いを持っていたようですが・・。
僕はその時の様子を聞いていて思わず目頭が熱くなりました。
博物館に保管されていたその毛皮は普段まったく公開されることなくひっそりと驚くほど厳重に管理されていて、簡単に目にすることはできない代物で、その保管されている部屋は光りもなくそれは厳重なガラスケースに覆われまったく開かずのこの部屋の中央に安置されていたとのことでした。100年間・・・。
その対面の時、彼らが約100年ぶりに吉野の山奥からはるばるそのオオカミに会いに来たことに対し、あたかもそれを待っていたかのように素晴らしくその毛皮は輝いて、まさにフサフサの毛並みがそのままだったらしいです。(写真も多く撮らせてもらったようです。見ましたが本当に状態のよいものでしたね)
僕はその時訪問した彼らが、その瞬間全員が得も言われぬ感動に声を失った・・・このことにえらく感動してしまいましたね。
その様子がまるで映画の一場面のようにまさしく手に取るように脳裏に浮かびましたよ。
まさに「うーーんそうか・・」という感じでした。
我々日本オオカミ協会は、今後この東吉野村と協力してオオカミに関する様々な情報を提供や、またこの村がニホンオオカミ最後の場所としての情報の発信地として多くの人々が訪れそれら村おこし的な可能性をバックアップしていけたら良いなぁとつくずく思いましたね。
ニホンオオカミの絶滅に関しては様々な憶測や事例が存在します・・が、学術的にここが最後と云われているこのことは村の特色として大いに持ち上げれば良いことで、多くの過疎や衰退に悩む限界集落的なこれら共通した地域に何らかの新たな風が吹けばよいのになぁと、僕的には思う訳です。
それにしても東吉野村・・初めて行きましたが山奥でした。面積も広いのですが人口は既に1500人を割っているようです。
尾鷲からは約2時間で着きましたがそのかかった時間以上に遠く感じましたね。
でもこの村、僕の心の中にある一種原風景的な面もありとてもいい所に思えました。
遠く大阪や名古屋方面からも家族連れが清流のそばで川遊びやバーベキューを楽しんでいました。
協会と村がタイアップした講演やイベントも盛況で、こんなこと言ってはなんですが正直「よくもまぁこんな所まで来るもんだなぁ・・」などとそんなこと思いましたね。
まぁ、僕も含めてですが、今回の講演会、東京、千葉、神奈川、静岡、愛知等々各地から約50名も集まりました。
僕のオオカミ熱などホント可愛いもんです。みんな凄い情熱を持ち合わせているんですよね。
丸山先生(会長)ご夫妻などもう20数年この活動を続けてきているんですから・・。
ほとほとその情熱と行動力には頭が下がります。
オオカミ協会はアカデミック且つ学術的な背景を元にオオカミのことを少しでも多くの人々に知ってもらい、日本における生態系(シカなどの増えすぎによる末期的な森林破壊などから)の回復とそれに伴う森林の正常化と保全、農業や趣味の耕作などを含めたそれらの環境の復活を目指しています。
一種の啓発運動なんですよね。
実際にオオカミ再導入の決断は国の環境行政がやることです。
我々はそこまでの道筋を如何に付けていくか、それだけなんです。
この活動、なんとか皆さんにも理解と応援をお願いしたいものです。ホント!
とこんなことがありました。
※因みに「コク(我が家の紀州犬)」と今回初めて京都以外の所に一緒に行きました。
彼はいくつもの峠や曲がりくねった山道でも別段車酔いすることもなくへっちゃらでびくともしませんでしたね。
夜も見知らぬ土地にもかかわらず車の中のゲージで熟睡していたようです。
朝は寒いくらいでしたが庭園(「天好園」という大きな庭園のある宿泊先)の中を散歩しながら、至る所で匂いを取って活発に動き回っていました。おまけに河原では胸まで水に浸かってはしゃいでいましたよ(笑)