Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

「死は存在しない」・・。

2022-11-29 12:00:00 | 随想・・・。

  ここ最近「量子」とういうものの存在について漠然と興味があって※「量子とはなんだろう」松浦 壯著、から始まって何冊か読んでみましたが、何となくすべての根源・・というかすべての存在の元というか、すべては波動そのもの・・みたいな、この程度のことくらいしか理解できませんでしたね。

元々すべてを理解しようとなど甚だ思ってもいませんでしたが、何となくですけどもの凄い存在なんだ‥位は判ります。

  ただ関係本数冊の中でも記されていた「量子コンピューター」と云うものの存在が明らかになりつつあり、まぁ簡単に云えば、その解析速度ですね、それが今の最先端のコンピューターの1億倍も速くなるそうです。

世界と云うか人類の存在そのものにまで影響ありそうで、すべてが変わっちゃいますよね。

  で、次が※「時間は存在しない」カルロ・ロベェッリ著、富永 星訳(NHK出版)です。

これだけ読みやすくて素人もつい引き込まれていくような素敵な本でしたが、この本は学術書ととしても専門家の間で高い評価を受けているそうです。

  ホント端的に云うと、時間ってどこも同じようにあるのではなくて実は銀河の果てには時間は存在しないし、身近で云えば高い場所と低い場所では時間の経つ速さが微妙に違うなどと云うことが最先端の科学では解明されているらしいです。

高い所の方が僅かに時間の経つのが低い所より早いらしいですよ。

かと言って、なら低い所で生活したら老化が遅くなるとか・・決してそんなレベルの話ではありませんから、悪しからず。

そう云うことらしいです。

  かのアリストテレスやニュートン、更にアインシュタインの理論も現代では様々な場面で再検証されてきているみたいですが、それら過去に存在したとんでもない天才達が、今の最先端の物理学・・即ち科学技術のすべての元になっているんですね、凄いですね、まったく・・・・・

  時間のこと、現在の理論物理学においては「時の流れは存在しない」と云う結論に至っているらしいのですが、そんなこと言われても人間には過去から未来に向かう時間の流れが当たり前の事実のように感じられるし・・みたいな感じで後は読んでのお楽しみということで、この辺で勘弁願います。

でもやっぱり感動しますよ。

  とまぁ、そんなこんなで面白く読みました。

この著者は本の中で「この章とこの章はちょっと専門的な内容が多くなるので端折って次の何章から・・読んでくれたらよいです・・」なんてことを案内してくれてね、だから誰もがこの時間という存在のとてつもない未知の疑問の中心に入っていけるんですよ。

 そして最後、先ほど読み終わったばかりですが※「死は存在しない」ー最先端量子科学が示す新たな仮説ー 光文社新書 田坂広志著

量子科学と云う点でで先の2冊と明確に繋がります。

  この本は簡単に説明すれば、不思議なことや神秘的なこと人間の「意識」の果てしない広がりや深さ、それを超常現象だとか超能力とかのブラックボックスに落とし込んでそれで終わらせるのではなく、あくまで科学者として科学的な証明を「ゼロポイント・フィールド」という量子物理学の最先端の仮説理論でもって解き明かしてゆき、最後は「人間の死」と云うものを科学と宗教に橋掛けをしつつ結論というか想像と云うかそこに結び着けていく、そんな内容です。

  これも実に興味深い本で、神秘的なことや不思議な経験とか、人は死んだらどうなるのかとか、今まで宗教も科学も証明できなかった人類の永遠の謎に科学的な視点(先端の量子科学)から光を当てます。

それらのことに多少なりとも興味がある方なら読んでみる価値充分にありますよ。

とにかく科学的なんですが、これも結局は最先端の量子科学の生み出す最先端の仮設ですね。

以上、これら三冊はいずれも科学書でありまた哲学書とも云えますし、更にエンターテインメント的な本とも云えますが、一様に読者を引き付けると云う点でかなり優れた本達だと思いますね。

  何だかんだ書きましたが、これらの本をこれ以上詳しく解説する能力は僕にはありません。

ただ最近、本を読むと云う行為について思うに、その内容が理解できたかどうかとかではなく、それに対し少しでも興味を持って読んだということそれ自体が自分自身の一つの「アイデンティティ」として心に残る事なんだと思うようになりました。

  そう考えると気楽でね、やっぱり本を読むと云う行為は楽しいのですよ。

終わります。

 

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京都の街紅葉。

2022-11-22 09:50:01 | 随想・・・。

  先週は東京出張などもあり5日ほど京都にいました。

約束の鉄道博物館行きも孫が少し調子悪くて中止になり、実は自分の方が楽しみにしていたんですがね、まぁ残念で予定が狂ってしまい、街に出かけて映画を観たり自転車でぶらぶらしたりと何となく過ごしてしまいましたが、気付くとどこにいても京都は綺麗なんですよね。

  別段特別なお寺や神社などに人混みを覚悟で行かなくとも、とにかくいたるところで紅葉や楓、桜、イチョウやポプラと云った木々が赤や黄色に色づいていて、ただバスに乗っていても自転車こぎ漕ぎしていてもそれはそれは綺麗なもんです。

やっぱり人出も多いですがまぁさもあらんですね。

  前日の金曜に自転車で一乗寺から修学院あたりを曼殊院、圓光寺、狸山不動尊等々散策しましたが、とにかくいたるところが色付いて綺麗でしたよ。

圓光寺の拝観でもと思いましたが、やっぱり行列ができていました。

入口横には「拝観はネットで予約してください」ですって(>_<)

  と云うことで、やっぱりこの時期の京都は最高ですね。

桜の季節も若葉の季節もそれは良いものですが、うーんやっぱりこの紅葉のシーズンが一番かな・・・。

  僕はこの一乗寺(町側には大好きな本屋の「惠文社」もあるし)から修学院近辺の風景が好きで、たまに自転車で走るのですが、ただ坂道がきつくてね、最近では時に自転車引っ張って登っております(>_<)

  この辺は国の「歴史的景観保存地域」にも指定されていて、手つかずの昔ながらの風景が残っていますからね。

まぁのんびりとした畑のような所から少し行けば曼殊院や修学院離宮、ちょっと中に入れば圓光寺等の有名なお寺、それ以外にも名も知らぬような小さなお寺や神社が至る所に静かにたたずんでいて、なんせ風情があるのですよ。

  喧騒と云うほどでもないですが、多くの車が行き交う白川通から少し山側に入っていくだけでまるで遠い昔の風景に出会えます。

奥手にはこれも手つかずの、東山連峰の北のはずれになるのかなぁ、比叡山の麓あたりと云った方がよいのかも・・これも綺麗に色付いた山々がまるで借景のごとく地域に溶け込んでいて、まぁそんな風景の中に歴史的な建造物が何気なく佇んでいたりしてね。

のんびりとしたいい所ですが逆に一瞬の緊張感も垣間見えるんですよね。

  京都に行く機会があれば是非ともお奨めしたい場所ですね。

曼殊院は皇族の方々の宿坊のような面もあるようで、この辺りは宮内庁の管轄らしく、何だか手つかずと云うより自然と管理も行き届いているのでしょうね。

ここにはマンションは元より新しい民家も立てることができないらしいです。

だから、ほとんど昔そのままです・・。

  表題の街紅葉と云う言葉は僕の造語?ですが、先回紹介した雄大な大台ケ原の山紅葉とはうって変わって「街紅葉」。

寺紅葉もも神社紅葉も素晴らしいのでしょうが、京都ではやっぱりこれもまたいいのですよね。

曼殊院近辺の木々の色付き、写真貼っておきますね。

    

ついでに家の近くの楓・・これが毎年感動的に綺麗なんですよ。

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「紀州の山犬」のこと。

2022-11-08 12:42:03 | 随想・・・。

 表題の「紀州の山犬」と云うのは御浜町の下市木で紀州犬を使った猟をする傍ら、自ら系統だった紀州犬の繁殖や保護に本格的に取り組んでいる尾崎さんという方のブログの名前です。

その彼が、先日知人を頼りに我が家の紀州犬を見学に来てくれました。

まだ若い青年ですが、さすがに犬のプロだと感心させられましたね。

  まず、犬に対し大袈裟な接触を試みないですね。「ヨシヨシ」だとか「そうかそうか・・」とかもまったくしません。

背が高くて大柄な人ですが、何気に気配を消して静かにじっと眺めていました。

  家の犬たちは知らない他人にはとにかく大声で吠えますから、これは大騒動になると思いきや、柵を隔てていたものの至近距離であの一番神経質でシャイな「コナ」がじっと座って静かにしていましたからね。

これには驚きました。

勿論、僕が横でリードを掴んでいるのは当たり前ですが、それにしても吠えたのは最初だけで後は静かなものでしたよ。

「那智」などは最初ちょこっと騒いだ後は知らん顔してお気に入りのミカンの木の下で寝そべっているし、あのうるさい「コク(雄)」も最初だけ少し騒いだだけで後はしつこく吠えることもなくどこかでフラフラ遊んでいましたからね。

  その彼ですが、都会でのサラリーマンを経て故郷にUターンし、父親と共に紀州犬の飼育に携わり、狩猟免許も取得して今や一人前の職業猟師として独り立ちし、仕留めたイノシシやシカの肉を自宅でジャーキーなどに加工してネットで販売したりしています。

  彼には紀州犬界では知らない人がいないほど有名な慧眼の師匠がすぐ近くに住んでいて、その薫陶を小さい頃から受けていたらしいです。

まぁ道理でと納得しましたが、今現在も6頭の紀州犬を飼育されてると云うことでした。

  もちろん猟にはその犬達を連れ出すのは言うまでもありませんが、とにかくその「紀州犬」への思い入れは半端なく「好きなんですよね・・」と謙遜気味に話してくれましたが、僕としては何だかとても嬉しくてね。

  紀州犬に関わる人達も「展覧会」を中心にいることはいるのですが最近随分少なくなり更に高齢化も進んでいますから、この先「紀州犬」という、この熊野から紀伊山地一帯の独特の風土の中でこの地方の人々と共に生まれ育まれてきた、いわゆる「地犬」的な存在のこの犬種の将来がいささか心配ではあったのですが、彼を見て安心しましたね。

やっぱりこういう人材はいつの時代も自然と必用とされ出てくるもんなんだなぁとつくづく感心し嬉しく思いましたね。

そう云う僕も「紀州犬飼い」の端くれですが、改めて今いる家のワンコ達も大切にしなければと思いを新たにした気分でした。

3時間程も話し込んでしまいましたが、彼は僕のブログも読んでくれていて、ほとんどの情報や出来事のことを知っていました。そのことも嬉しくてね、アッと云うまに時間が過ぎていったと云う訳です。

楽しいひと時でしたね。

「紀州の山犬」これからも陰ながら応援しつつ、また色々と話も聞きたいですね。

「あーこういう楽しみもあるんだよな・・オレの人生には・・」と何だかあらためて実感しましたね。

とまぁそういうことでお終いにします。

  是非今度は僕がお邪魔しようと思っています。

その時また書きますね。

 

 

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