かえすがえす気障な表題でごめんです。
ようやくこのホテルに行き着いたのは良かったのですが、薄明りの下のドアをノックしても誰も来ません・・不安になって大声で何度も呼びかけたところ、やにわにドアが開いて若い金髪の青年がニコニコとしながら出迎えてくれました。
いやーホットしましたよ。
で、彼氏、笑いながら招き入れてくれたのですがどうも通路も狭くておかしいと思っていたら、何のことはない「裏口」でした。ったくバカでしょう!(^^)!。
少し進むと急に目の前が明るくなり、そこがこの小さなホテルのフロントとこじんまりしたレストランだったという訳です。
チェックインの後すぐに部屋に案内してくれたのですが、そこは急な階段を登った最上階の屋根裏部屋で、僕はひと目で気に入りました。
食事はどうかと訊ねられたので「もちろん」と答え、そのまま荷物を置いて階下のレストランに行き、早速ビールを注文、いやーこれがメチャ美味い、これが僕が初めて飲む本場のベルギービールでした。
僕はこの日までそれなりに比較してもやっぱり日本のビールが世界一と思っていましたからね。まったくこれには参ったでしたね。
今でこそベルギービール有名になりましたが、その時はね・・。帰国してからもしばらくはまってました。
中ジョッキというか日本の大ジョッキ並みですが二杯立て続けに飲んじゃいました。
料理は肉か魚かどちらが良いかと聞かれたので、すかさず「肉」この旅が始まってやっと初めて本格的な食事にありつきました(イギリスでは、エジンバラでもですが、寒い中もっぱら夜な夜なで出張っては毎晩のようにパブを巡り、飲んで食ってしてましたから・・)嬉しかったですね。安らぎを覚えましたよ。
まぁ、とにかく美味しくてね、ヨーロッパ・・・を感じましたね。
で、屋根裏部屋、その部屋の天窓から射し込む月明りはそれはそれはロマンチックで素敵でしたよ。想像してください。
窓から見下ろすと階下に広がる中世そのままの先端の尖った建物とそこに暮らす家々の明かり・・外見は中世のままで中には現代の生活がある。
やっぱりこの街は「ヨーロッパの宝石箱」といわれるだけのことはあるんですね。
このホテルも従業員もとても感じがよくて、どうも家族らしく、とても居心地がよくついつい仲良くなって、このホテルのオヤジが翌朝、自前の船で運河を案内してくれることになってね、嬉しいサプライスでしたよ。
僕はフロントのおかみさんとおぼしき女性に「ホッカイロ」(旅行の前にばあさんが僕のカバンに詰め込んでいた)を数個プレゼントしました、多分そんな文化はこのヨーロッパの片隅にはなかったのですね。随分驚かれ喜ばれました。
代わりにこの街の有名なレースの手編み、小さいけど奥さん手作りの物を頂きましたよ。
そういえばモスクワのホテルの彼女達にもプレゼントして随分喜ばれましたけどね・・・ホッカイロ。
ただ後々「ストッキングはないか」とか、何々はないかとか、色々言われ辟易しましたけどね。
このブルージュも2月のシーズンオフで客も少なく、お陰で自転車を借りて、あちこち走り回って郊外の水車小屋まで足を延ばしたりしてね。ぼろい自転車だったけど楽しませてもらいました。
とてもいい街でした。
先のTV番組「世界街歩き」がこの思い出を蘇らせてくれました。
ということでブルージュ・・まだ他にも思い出たくさんありますがきりがないのでこの辺で終わります。
人が旅行に行った話とうまいものを食った話ほど聞く側にとってつまらないものないですものね。
前後しますが、成田を発ってアエロフロートの古い小さなジェットで朝焼けやら夕焼けやら分からない景色を眺めながらシベリア上空を飛んで最短、確か約9時間・・。
ようやくロシアのシュレメチュボ空港に到着したのは随分夜遅くで、ほとんどの客がトランジットでロンドンとかパリに向かう人達でここで降りたつのは多分僕だけじゃないのかと思いましたよ。寂しかったですね、ホント。
うす暗くて天井の低い空港ロビーでね、心細かったですよ正直・・この先どうしようかなと・・。
やれやれ初めての海外旅行でこれかよ・・みたいなね。
出国手続きも不慣れで、もたもたして、軍服みたいな身なりの目つきの鋭い職員が何だかんだと細かくて、随分困っていたら、その時なんです、ある人が突然救世主みたいに日本語で声を掛けてくれましてね、更に手続きの手伝いまでしてくれて・・・もうホント助かりましたよ。
ロビーを出てからも大きなロシア人達が肩に手を回さんばかりに「キャビア・・キャビア」と声を掛けてくるし、乗るはずのバスがどれだか分からないし、何だか二両編成のトレーラー見たいなバスでね、いよいよ心細さもピークでこのまま空港に戻ってどこかの便で東京に引き返し、1週間くらいホテルに隠れて外国のお土産でも買って帰ろうか、と本気で考えましたからね(>_<)
で、その後先の声を掛けてくれた日本人、僕がロビーに舞い戻って、うろうろしてたら自分の荷物が多くて随分手続きに時間が掛かったらしくまだそこにいて、会話「お前何しにこんなとこへ来たんだ?」「旅行です・・」「この時期にここへ来る旅行者なんかいないぞ。これからどうするの?」
ブック(地球の歩き方)を取り出して、このホテルを予約してますが・・(このモスクワの二泊だけは事前予約しておいた)
「そうか、良かったら、今から仲間が迎えに来るから、そのホテルまで送ってやるよ」
僕「地獄に仏とはまさにこのことだ(心の声)」と思いました。
もちろん一も二もなく「お願いします」となり、迎えに来た2,3人の日本人スタッフと同行して雪の中、暗い夜道をモスクワ市街までドライブしました。
この親切な彼らは、僕の泊まるホテルが道路を挟んで二つあることまで教えてくれて、僕が最初間違えた側から別の二番館とでも云うかホテルまで送ってくれました(一人だったらどうしたことやら・・)
おまけに別れ際、ドルをルーブルに両替までしてくれましてね、これには本当に助かりました。
ここでは現金よりタバコを使えとか、なるべくドルは使うなとか、治安は良くないから気を付けよとかね、随分アドバイスをもらって名残惜しみつつお別れしました。
彼らは、当時ソビエト国内で一軒しかない「さくら」という日本料理店のスタッフで、最初に声を掛けてくれた彼はチーフ料理長とのことでした。
その後、二泊。
有名なモスクワの地下鉄(一面大理石で作られた豪華な駅。そこからゴトゴトとどこまでも地下深く降りて行く・・)木製の内装のレトロな車体の電車に乗ってそのまま方向も関係なく、話のネタだとばかりに分からないまま30分ほど揺られ、もうそろそろ降りようと着いた駅を出ると何だかプーシキンの銅像のある街で、またウロチョロして訳の分からぬままとある映画館に入り、多分プロレタリアートものの映画が上映されていましたが、いくら映画好きの僕でも言葉も判らないし字幕もなくさっぱりチンプンカンプンでしばらくしてもうとっとと出ようとしたら、周りの客に随分顰蹙を買ったようで、かなりイヤな顔されましたよ。おまけに出口がカンヌキされて封鎖状態なんですよね。
僕は思わず近くにいたスタッフらしきおばさんに少々きつめに「ここ出たいんだけど!」と言ったら渋々、渋々ですよ、やっとこさ開けてもらって外に出てとっても清々した記憶があります。
この国の映画館、自由に出られんのかい!みたいな不思議な感覚でしたね。
まぁ、それはさて置き最終日、これはモスクワのほんとに良い思い出です。
今日はクレムリンに行こうと、ホテルの前でタクシーを待っていたら、一台の車が止まってくれました。
僕は「クレムリン」とだけ伝え、広場まで行ったのは良かったのですが、カメラをホテルに忘れてきまして、その運転手にホテルまで戻って欲しいことを伝えたら機嫌よく了承してくれましてね、その若い運転手はハンサムで当時有名だったピアニストのブーニンみたいな感じで、物静かで僕はすっかり気に入ってしまい、クレムリンに戻って恐る恐る衛兵と並んで写真など撮ってから、ようやく待ってもらっていた車に戻り、その運転手の彼に「今日は1日僕の案内をしてくれないか」と英語と身振り手振りでお願いしてみました。
そしたら彼、急にが困った顔をしだして、今から仕事があるからとか云々・・色々と英語交じりで答えてくれました。
よくよく話を聞いていると、なんと彼はタクシーの運転手じゃなかったんです。そういえば変なメーターらしきもが無かったような気もするし・・・。
で、日本人を見かけてなのかどうかはわかりませんが、ほんとの好意だけで乗せてくれてたんですよね。
あんな気まま言っといて僕は「穴があったら入りたい」ほど恥ずかしく困惑しました。
彼は相変わらずニコニコとはにかみながら別れを告げます。
僕はどう御礼をしたらよいかもわからず、しどろもどろしていたら思わずバッグにしまっていたタバコを思い出し、1パックそのまま手渡しました。
そしたら彼はとても喜んでくれてね「本当にもらっていいのか?」みたいな顔していましたが「そんなん問題じゃないよ」と僕は本当に恐縮で恥ずかしく、同時に嬉しく感動して握手してお別れしました。
そんなことでした。気持ちの良い思い出ですね、36年前のね・・。
次回は、モスクワ最終日「さくら」にお邪魔した話です。
続く。