Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

「那智」熱中症になる。

2024-09-29 10:36:32 | 随想・・・。

  今月の初旬、少し暑さも和らいだ夕刻に久し振りに那智(我が家の珍しい班毛の紀州犬)を散歩に連れ出しました。

少し走った後に珍しい知人に出会い立ち話をしていたら(那智は僕が誰かと話していたら必ずと言ってよい程ずっと自転車の横で座って待っています)そこにいつも仲の良い柿沼家の三匹(甲斐犬のゴンとハヤテそれと那智の子の小梅)が、もちろん飼い主に連れられてというか軽トラに乗せられてやって来て、いつものようにお互い嗅ぎまわったりして仲良くワイワイと賑やかにしていたのですが、まぁウンチも済ませたことだしそろそろ帰ろうと云うことで、僕たちはみんなに挨拶をすませ、そのまま家に帰りました。その後なんですよね。

どうも那智の様子がおかしい。

  しばらく様子を見ていたのですが、かなり疲れた様子でなんだか水すらも自分では飲めなくて、もちろん食欲もありません。ぐったりして時々つらそうな短い悲鳴を上げたりしてね、これには僕も家内もとても心配しまして、まず症状からして熱中症としか考えられないので、とにかく水は手で飲ませ、氷袋や冷凍パックやらで腹から脇、それに喉元を徹底的に冷やしながらほとんどずっと付きっきりで様子を見守りました。

しばらくすると少し元気が出てきたようで胸をなでおろしましたが、まだいけません。

翌日も余り食べないし、相変わらず水を飲むにも容器に頭を下げられないのです。

イヤー、一瞬このまま死んでしまうのではないかともう気が気ではありません、あたふたしました。

もしものことを想像していくら心の準備をしようとしても、胸が締め付けられるようでいけません。

  那智は来年2月で14歳になるかなりの老齢です。

いくら普段は類まれな元気さでいつも感心していたといえどもやはり限界というものがあるもので、それが今じゃなあろうかとほんと心底心配しました。

  娘(彼女は犬の専門家で、多くの犬と関り、訓練したり預かったりして今も毎日多忙にしている)に相談して色々アドバイスももらったりしながら慎重に過ぎゆく時間を見守っていました。

  で、2日過ぎた頃からようやく自力で水が飲めるようになって、同時にいつもの二階の僕の部屋によたよたしながらも上って行こうとするようになりました。

ただいつものようなわけにはいきません、もちろん調子よく上がって行くことはできず、僕が後から支えてやらなければならないような状況で、ほんとヘロヘロで足元もおぼつきません、それでも自分の寝床に行こうという意識があるので好きにさせていました。

  日頃からあの子の凄さは、我が家の急な階段をあっという間に登るのは勿論のこと、その階段を躊躇することなくリズムよく駆け下りてくるところにあります。それも平然とね。

とにかく大した運動能力ですから・・・。

  それが随分昔のことのように思えるほど弱り切ってしまいました。

勿論下りは僕が抱かえて降ります。そういう日が何日か続きました。

  ということでその後のことです。

その抱いて階段を降りるというその習慣も何だかんだと数日で終わりました。

やはりあの子は只者じゃありませんでした。

  すぐに自力で降りようとしだしました。それからまた数日過ぎた頃には、僕がフォローしながら躊躇しつつも慎重にようやく自力で降りてくるほどになりまして、それでもまだ介護状態でしたけどね。

そうこうしながらある時、突然、僕が目を離した隙に自分で勝手に降りてきて、まるで何事も無かったかのようにいつものフロアで寝転んでいました。えっ!みたいな感じでしたよ。

で、結論的に現在はどうなったかということなんですが、以前とまったく同じに戻りました (>_<)

  今やそれが当然のことのように、いつの通り好きな時間に好きなように勝手に駆け降りてくるようになりまして、その後に自分のソファーに飛び上がる時のジャンプ力もスピードもリズムも前と変わらぬどころかそれ以上かと思わせるほどです。

  今は、何食わぬ顔しています。

長々と「那智」の熱中症のその後を書いて来ましたが、一時は「別れと死」も覚悟したものの、要するに今や完全に回復と云うか復活したということです。

  僕も家内もそのいつもながらの動きを見ながら顔を見合わせては呆れています。

そして今はその強靭な体力と回復力に唯々驚いています。そして嬉しいのです。

  外の段々畑跡を駆け上がる姿も、涼しくなって再開した僕の自転車散歩に付いて走る姿も前と何も変わりません。

鉄人だわこりゃ!鉄犬かぁ・・・なんて思っていますよ。

  ということで、犬バカ日誌じゃないですがそんな近況です。

ありがとうございます。

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兵庫県知事問題のこと。

2024-09-11 18:58:36 | 随想・・・。

  随分マスコミを騒がせているようですが、僕的には相変わらずしょうもないマスゴミにしか見えず、一体いつまでワイワイ大騒ぎやってるのかもう首傾げちゃう訳です。

 で、彼のこと「カエルの面に小便」なんですよ、この一言ですね僕的には・・。

過去何人か知ってます。

こういう人は、自分が悪いことしたとかあるいはまずい事してるんじゃないか・・とか、まったく思ってないのですよ。そういう意識がまったく本人に無いのです。

「なぜお前らそんなに騒ぐんだ」くらいにしか思っていませんから・・。

論外なんです。「暖簾に腕押し」「糠に釘」とまぁそんなんでしょう。

そういう諺の一つも出てきませんけどね。

まわりになんと言われようがそんな意識が無いのですから・・だからなに言ってもダメ「馬耳東風」なんです。

  まぁそう言いながらまわりは一生懸命にそれに気付かせようと努力するのですけど・・ダメなんです。

そのうち「ちょっとまずいのかなぁ」となって「カエルの面に涙」となって幕引きでしょうね。

ほんとしょうもない。

  議員は解散が怖くて面倒で腰が引けてね、端からこの騒動の様子をみてると、いくら自殺者まで出たからといわれても僕的には滑稽にしか見えません。実際亡くなられた人に気の毒ですけど。

マスコミの罪なんですよ。

  ホント最近のというか、前からそうか、マスコミの意識レベルと責任感のはき違えと全体的な質の低さを痛感しちゃいます。そのなくてはならない彼等の役割があることは知ってますけどね。

で、この知事もここまでウソもホントも含め叩かれたらとっととやめるか、裁判でも起こしてケンカすれば良いのですよ。

  ということで、この報道に接するたびにそんなこと思ってます。

あーあ(-_-;)

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剣道復帰

2024-09-10 15:25:18 | 随想・・・。

  約2ヶ月半振りに剣道復帰しました。

気分良かったですね。

動きや竹刀捌きはまったく錆びついてもいなかったし、暑さにも耐えられました。というか加減を見極められると云った方が良いかもですが・・・そんな感じでしたね。

  稽古は楽しい。それは相手を尊重しながら気分よくやれるということです。

最近、剣道と云うか稽古においてですね、常に気を付けていることがありまして、それは「自他不敗」という言葉の奥にあるものです。

「私は勝つ」ではなく「私は負けない」尚且つ「あなたも負けない」とまぁ僕的にはそう解釈しています。

  最近はがつがつやりません。そのこと意識しています。

稽古における厳しさや激しさは別問題としてです。もちろん・・・。

  どんなに厳しい稽古をしてもその後はいつも気分よくいられることが一番幸せだと思えるようになりました。

剣道だけでなく他の競技にしても相手と競うこと・・何でもそうですが、お金のことは別として、それ以外に何か意味ありますか。

  所詮いつかはすべてナッシングですもの「盛者必衰のことわりを現わす」の通りにね。

最近「楽しみというものの本質を考えなくちゃね」とつくづく思う訳です。

  八段挑戦も気持ちを切り替えて、また頑張ろうと思っています。もちろん僕なりの楽しみとしてですが・・・。

ということで白内障手術を乗り越え(ちと大袈裟か・・)剣道復帰の話でした。

※汗が目に入るとヤバイ感じですよやはり・・、1か月前ならダメでしたね。

 

 

 

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神坐す山の物語(完本)

2024-09-03 09:48:02 | 随想・・・。

  今回は完本と云うことで楽しみにしていて漸く本屋さんで手に入れました。

アマゾンでは買わず本屋で探して買いました。

  惠文社(一乗寺店)にはたまたま置いてなくて次の道中にある大垣書店(高野店)です。

暑い中、自転車漕ぎ漕ぎ行ってきました。

何を大袈裟なと思われるかも知れませんが、これが良いのです。

目的の本を探す楽しみはここから始まるんですよ。

  で、表題のこの本は以前、完本出版の前の本は読んでいて、僕的にかなり好きな本でよく覚えていましたので今回、完本が出たということなので改めて読むことにした訳です。

  以前の短編に新たなものも加わって相変わらず楽しませてもらいましたが、それより更に「日本の神」というものの存在について深く考えさせられました。

ご存じ、浅田次郎氏の作品ですが、僕的には一番好きかも知れません。

  彼自身の出自と幼少期の体験や、御嶽山という(現在は青梅市になる)その太古から祀られ畏れ敬われてきた神々の坐す場所にまつわる諸々の物語は、実に不思議で神秘的であり、その聞き語りや実体験の話を取りまとめたこの短編集を楽しみながら一編づつ読んでいるうちに何故かしらこっちも敬虔でな清らかな気持ちになりまして「本」そのものさえが大切に思えてきました。

ただただ神秘的であり不思議でありかつ清らかであるのですが、少し怖くもある・・。

  我々の日本の神々のことです。

その点で特に気になったページ(この短編の中で一番好きな「天井裏の春子」)から一部抜粋します。

「外国から渡来した神仏には、愛だの慈悲だのという人間性があるのだが、日本古来の神は超然としており、ひたすら畏怖すべき存在である。そうした意味では、一概に宗教とは言えまい。私たちは未知なる自然や神秘なる現象を総括して、固有の神様とした。長い歴史の中で、預言者の出現さえ許さなかった、怖ろしい神である」

  とまぁ、そういう神様感・・・我々は忘れず肝に銘じておかなければならないだろう思う訳です。

特に無宗教の僕は、一番心に響く「神様感」でした。

少しでも興味のある方、是非読んでみてください。

  因みに「天井裏の春子」狐憑きの顛末の話です。

終わります。

 

 

 

 

 

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シャーロック・ホームズ

2024-08-18 10:46:03 | 随想・・・。

 最近の暑さは僕にとってまったく外出の意欲がなくなるほどで、お陰で部屋に籠ってもっぱらアマゾンのプライムビデオにはまっています。

情けない話ちょっと前までは、少々暑かろうがなんのそので表に出ていく、まぁそこそこのアウトドア派だったはずなのですが、この暑さはいけません、ほんと危険を覚えます。

  そんなんで表題の「シャーロック・ホームズ」特にTVシリーズの現代版ですね、これが今更ながらに面白くてついついシリーズ1からシリーズ4まで各エピソード「最後の問題」まで全部を観ちゃいましたよ。

面白いですね、よくできています。俳優も良いし、悪役のモリアーティももちろん凄いし、構成も秀逸で、まぁ原作が原作ですから当然と云えば当然ですが・・。

  ご存じアーサー・コナン・ドイルの名作ですが、僕は今更この「シャーロックホームズ」の内容について云々を言うつもりなどまったくなくて、ただこのドラマをずっと観ているうちに、ある言葉と云うか文字というか・・それがほぼ明瞭に思い出され、その遠い僕の記憶の中からふつふつと湧き出てきまして、結局そのことを書きたかった訳です。

  コナン・ドイル、1881年エジンバラ大学卒。在学中に師事しその影響を受けていた講師であり外科医のジョセフ・ベル。

その彼の言葉です。

「小さな違いの大きな意味、些細な事柄の果てしない重要性」

どうですか?

「人々は自分達が理解しないものを軽蔑する」

これはコナンドイル本人の言葉らしいですが・・・。

  僕は今回わりとじっくりと映像でこの「シャーロックホームズ(現代版ですが・・)」を観ましたが、それで思い出したのが、随分若い頃に手帳にしたためてあったこの言葉だったのですよ。

その頃の懐かしさも含め、ついこのことを書きたくなったのですよ。

終わります。

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