Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

「腕立て伏せ」に始まって「腕立て伏せ」に終わる。

2023-04-18 13:46:48 | 随想・・・。

 僕のトレーニング(と云うか鍛錬と言った方が相応しいかも)のことです。

最近の鍛錬は表題の通り「腕立て伏せ」をもっぱらメインにやっています。

  僕は元々器械や器具を用いたトレーニングが好きではなく、ましてやジムに通うなんて云うことは考えたこともありません。

ボディビルダーのような身体なんぞまったく興味がなくて、もっぱら自重をもって鍛錬しています。

僕の妄想かも知れませんが、イメージしている理想の身体は昭和初期頃までのお相撲さんの身体ですね。

  オカダ式トレーニングももう随分以前から色々と試行錯誤を繰り返しながら構築してきましたが、時にダンベルとかケトルベルを使うことはあっても、今はほとんど本格的な「腕立て伏せ」を研究しながらやっています。

適当な腕立てではありませんよ、正確な姿勢を維持しつつ、しっかりと肘を曲げ上体を深く沈ませ、まっすぐに腕を伸ばす、とまぁこれが一番オーソドックスなスタイルですが結構キツイのですよね。

  今までやっていたごく普通の腕立て伏せなら連続で100回位はこなせましたけど、この本格的な腕立伏せではとてもじゃないですが100回なんて無理です。

せいぜい30回が限界で、それを様々な腕や手の向き、方向を変えながらパターンを変えて数セットこなします。

独自の腹筋運動も加え、整理運動の骨ストレッチやその他独自のストレッチなども含めまぁ大体一時間ちょいはやります。

週2回程が目安ですね。

余り酷なことはしません・・歳は歳です(^^;

  僕はいつも京都の「自然形態療法」の治療院で身体のメンテナンスをしますが、この前はちょっと間を明けすぎちゃいまして約3か月振りに施術してもらいましたが、身体のあっちこっちまずい状態でしたね。

特に痛みを感じていた膝と肩、大体原因がわかり、そのあたりを中心に施術してもらったらかなり楽になりましたね。

要は骨盤ですわ。

反省・・・今後メンテナンスの間隔は1か月位を目処にしようと思っています。

それだけ剣道や鍛錬で結構身体を酷使してますものね。痛くなってきてからでは遅いですからね。

  それと毎回のように自己療法のやり方もレクチャーしてもらえるのでありがたいですし・・。

今回得た貴重な情報の一つにサポーターのことがあります。

「サポーターはしてはダメ、特に膝(一時的なテーピングなら可)」筋肉がいびつな方向で固定されてしまって逆効果を生むこととか「膝は絶対に温めてはいけない」膝には身体の中で冷却装置的な一面があるから、と云うこととか、様々な視点からアドバイスをしてもらいました。

膝の痛みもほとんど無くなりましたし、蹲踞から立ち上がる際の股関節の痛みもほとんど取れました。

と云うことで最近の僕のトレーニングというか鍛錬の様子と身体にまつわる話でした。

終わります。

 

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剣道とストレスとボケのこと・・。

2023-04-11 15:33:25 | 随想・・・。

  剣道は一見激しい動きだし、運動としては相当なストレス発散効果がありそうに見えるのですが、実は意外とストレスが溜まるのですよ精神的な部分でね。

こんなこと言っちゃなんですが、まるで「人生のうっ憤を晴らしているじゃないか」というような剣道する人もいますからね、中には・・(>_<)

  で、まずこの社会の構造そのものから言わなくてはなりませんが、我々の社会は、すべては「優劣」「強弱」と「勝ち負け」と云うような相対的な規範で成り立っていると云うことを確認しなければなりません。

強弱=優劣・・的な基準が蔓延し普遍化しています。何から何まで・・。

  今始まったことじゃありませんから、何を今更と思われるかも知れませんが、まぁその辺が、この今の人類全体のレベルであると言っても過言ではないと思います。だから争い事、競い事は絶えません。

多少大袈裟かも知れませんが、僕的には多分そうだと思っています。

  僕は本来、成熟した人間社会とは個々の持つ「絶対感や絶対意識」の中にあると常々思っています。

他人を認めつつも比較はしない生き方や物事すべてににおいて他と比べない考え方を求めていますが、世の中の仕組みににどっぷり浸かっている今の状況ではいやはやこれは何とも難しい・・。

とこれが今の僕の心境です。

  話はストレスに戻ります。

先に書いた通り剣道の世界も典型的な相対意識の中に浸かっています。

意味が解らんと言われそうですが、要するにそのまんまです。

だからそういう僕とて稽古や試合、審査などの度にそんな感覚にさいなまれてしまうのですよ。

  今日の俺は強かったなぁとか、あいつには負けてないぞとか、あいつより俺が云々とか、そんなんばっかりですよ、まったく、だから心では分かっていながらもその情けない程の相対感のバカさ加減がいつもストレスになるんですよね。

  例えば俺は七段だ、やれ八段だ(特に八段ともなれば・・)と、俺は俺はと思い込んで相手を見ていると、その相手の方達は全然自分とかと比べてなどいなくて、そこには明確な自分達のフィールドがあってきちんとした自意識が存在していて、勝手に比べて悦に入ってるこっちがまるでバカみたいなことってあるのですよ。

それは大人が子供に対してもある事なんですよね。何だか他にも気付くことありません?

  少なくともその位のことは気付いていなくちゃね、恥ずかしくなりますよ。

だから剣道は意外とストレスなんです僕には・・・。

  で、ボケのこと、一言で云えば「ストレスなどは無い方が良いに決まってる」と云うのが社会通念かと思われますが、いやいや僕的観念では「ストレスなくなったら、アンタ・・ボケるで」と言いたい訳です。

これほんとそう思いますから・・。

だから人生には少々のストレスなど精神的にも肉体的にもあった方が「いんでねェ・・」とか思っている訳です。

と云うことで言いっぱなしですが、すっと終わります(^^;。

 

 

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コロナ後遺症。

2023-04-06 09:54:01 | 随想・・・。

  病気的なことではありません。社会的な現象についてです。

良いことも悪いことも含め色々残りましたね。

僕的にはほとんど嫌なことばかりが残りましたけど。

  その代表的な例は「マスク」ですね。やはり・・。

そのことに特化して言わせてもらうと「もーいい加減にすれば?・・」の一言でですね。

  特に街で見かける学童達、気持ちの良い春の陽射しの中、自転車に乗ったりワイワイ言いながらみんなでたむろしたりしてるその子達がほとんどマスク姿なんですよね。

これには唖然とさせられます。

勿論、子供には罪はないと思います。僕はその子達がどう思っていようが構いませんが、漠然とどこか可哀そうで仕方がないのですよ。

その子達には当然それをさせていると云うか容認している親御さんがいて、そして学校の先生がいてるんでしょうがね。

それを特定してどうこうとかはまったく思いませんし、というかもう無駄ですね。

  結論的に云わせてもらえば、僕はこの今の社会のどうしようもない知性の貧困さを感じられずにはいられないと云うことです。

このように未だにマスク後遺症がはびこっているこの現実を垣間見てると「やれやれ、どうにかしてるぜ・・ったく」となるのですよね。僕は・・・。

勿論、そうでない人も沢山いるはずです。それなりの理由でね・・。

  今朝の新聞のアンケートでは3割くらいの人がこのままマスクを着け続けることに賛同しているんですからね。

これには驚きました。

ただね、どうもマスク=風邪などの予防、というそれだけの意味じゃなさそうなのですよね、これが・・・。

だから「顔を隠せる」なんてことですよ。

※注「いつまでもマスクみたいなもん着けてばかりいると、その内どんどん口元が退化ちゃうからな!(>_<)」

こんなことが何だか一種のマスク文化のようなものになっちゃってると云うのが怖いですね。

   と云うことで少し生意気なこと言うようですが、僕は今この「社会の知性」と云うようなものに対し強い疑念と少しの焦燥感のようなものを持っていると云うことです。

そう云うことです。

終わります。

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