Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

用もないのに京都にいます。

2021-04-30 09:05:52 | 随想・・・。

28日からこっちに居ます。

  審査はキャンセルしました。僕的に付き合い切れませんので・・・。

それでもやっぱりこの季節は京都にいないとどこか落ち着かないのですよね。京都大会もないし、いつもの剣道漬けの日々はありませんが、やっぱり長年の習性とでも云いましょうか、こっちにいると云うだけで何だかゴールデンウイークと云う感じがしましてね。

この時期の京都暮らしは本当に長いですから・・・。

  今年は去年も確かそうでしたが家内は来ていません。コクと一緒にいます。

それにしても愚策、飲食店の酒類提供の禁止とはね、まぁよくやるよなぁ、まるでアメリカの禁酒法時代みたいですよね。

ですから街に出ても飲み歩くようなことは全然できまへん(*_*)

  昨日29日は祝日ながら生憎の雨、自転車で走りまわることもできず、お昼前に孫の自転車用のヘルメットを買いに車で出かけ、その後は宝ヶ池のアウトドアショップ「ワイルドワン」で渓流釣り用の小物、クマよけの鈴やバッグに着けるピンオンリールなどを見繕い結構楽しんで来ました。そのまま洛北カナートで夕食の買い物に立ち寄ったのですが駐車場が一杯で何処にこの車の持ち主たちがいるのかと思いきや、何と地下のスーパーです。そこの大変な人出には驚かされました。まぁ他の階のお店はほとんど休業してますものね。

  お上が緊急事態宣言下「家から出ないで、出歩かないで、集まらないで」と騒いでいる割にあんまり効果なさげで滑稽な感じでしたね、そういう僕もその一人ですけど・・。

  しかし夜飲みに行くところがないというのはつらいものありますね。

大好きな「三木半」も休業らしいし、近所の居酒屋「eーとこ屋」も休業です。

  が、です!さすが「eーとこ屋」お店は閉めていますが常連には店を開放してくれて勝手にお酒や食べ物を持ち寄っては飲ませてもらっています。マスターもすべてサービスで何だかんだと料理を作ってくれてるし、ほんとありがたいですよ。まるでサロンみたいです。

で、28日は僕が尾鷲から刺身を差し入れするということで4、5人の仲良しが集まり皆で静かに・・?飲みました(>_<)

二日続けてお邪魔するのもなんだしそれで昨日はコクを傍らにはべらせながら「家飲み」したという訳です。

  夜半雨も上がったのでコクと食後の散歩、一時間程ぶらぶらしました。それなりに心地よく飲んで(酒は奈良の油長酒造の「風の森」・・これがまた旨い、つまみは「よど万」の行楽弁当とマルギンで買った刺身)ほろ酔いで歩く雨上がりは気持ちよかったですね。コクもどこか嬉しそうでね(*_*)

  そして今日はと云うと、夜にですね同じく「e-とこ屋」の常連の小森さんが、お刺身の御礼にと西陣の京料理のお店に飲み仲間数人を招待してくれるのですよ。

前にも一度連れって行ってもらったのですが、これが良いお店で料理はさすがの一品揃いだし、酒も気の利いたものが揃ってるし、と普段はあまり使わない居酒屋とはちょっと違った雰囲気のお店で僕は好きですね。

ところで酒はどうするの・・・どうするのかはここでは書けまへん!(^^)!

  今からまた駅前のヨドバシに出かけます。それとモンベルショップにも。

渓流釣りの道具もだいぶ揃ってきて、ここまで来たらもう否が応でも実地に挑戦する以外ないですよね。

趣味ってこういう風に深みにはまっていくのだということを最近実感しています。

  来年の今頃はきっと初心者を卒業してることだと勝手に決めていますが、「魚鉄」のノリちゃんが笑いながら言うのですよ「オカダさん、そんなに簡単にはいけませんよ、えへへ・・」とね。放っとけ!

と云うことで、剣道から離れ何も考えず・・という訳にもいかないのですが、なるべく考えないようにしています。自分の判断を信じてね。

  たらたらと書き連ねましたがたわ言とお許しください。

失礼します。

 

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コロナ禍の中での剣道の矛盾。

2021-04-25 10:06:20 | 随想・・・。

  三回目の緊急事態宣言が出され、この政府対応に「やれやれまたかよ」という気持ちになって厭感を持った人もかなり多いと思います。

かく云う僕もその一人です。

  特に個人的には飲食店での酒類の提供を止めよという、まともな補償なき無理難題の押し付け。これはとてもじゃないがあまりに苦し紛れの愚策としか思えないですね。それに、よりによって大手百貨店に日20万円のお手当だって(>_<)毎日億の金が動くそこに20万円はないだろう・・それは思いますよ、誰でも・・。                                               こんなことを子供には悪いけど「子供だまし」と云います。

  とにかく場当たり的なまったく思い切りの無い、押し付けだけが目立つ愚策ばかりで目を覆いたくなります。政府と云うか菅総理と自民党の危機管理能力の低さとその度量の無さが丸見えになってきました。

機能していませんね。今更病床が逼迫?1年も過ぎようとしてるのに、この冬には患者が増えることも誰もが予想してたのにったく今ま一体何やってたのと云いたいですね。

  マスコミもこのコロナ事態の真相、真実的なところにまったく踏み込んで調査もしないで煽るだけ煽るという無責任さだし、まぁ困ったもんですね。

  だから僕は自身の目線は角度を変えもしくは俯瞰しながら、この社会の状態を眺め自分なりに行動規範を構築しようと考えていますよ。大したことじゃありませんがね、要するにやれマスクだソーシャルディスタンスだPCR検査だときて、とうとうワクチンの争奪戦まで広まっているこのような現実にどっぷりと肩まで浸かってはダメだという直感を優先しようと思っている訳です。

何度も言いますが「右向けぇー右」で世間は動いているのです。僕はこの世間の同調圧力的なものにはまぁ適当に付き合いますが、正直横向いてペロっと舌出していますから・・・。

そんな風に思ってください。

  あれからも色々な方面の専門家や評論家云々方々の考えや意見、感想など数字やデータなども含めて調べ、それを総合的に踏まえ参照にして考えるに、結論はやはり端的には「異様に恐れすぎ、騒ぎすぎ、煽られすぎ」というところに行き着きますね、僕的には・・・。

  ワクチンの接種に行列を作る、それまではPCR検査にせっせと行列を成す・・まぁ何と単純で分かり易く、右向け右で全体がなんの抵抗もなくそっちを向くと云う、そういう心的構造の民族の日本列島人かと唖然とさせられるようなことが普通に起きています。

  もちろんそれとは逆のマイノリティな存在もいますが、その人達の言動は普通に黙殺されてしまっていますからね。

これには「いよいよヤバイよなぁ」と思う訳で、国民の希望者皆にその是非は別として早い処ワクチン済ませてやってホッと安心?させてやってくださいね。そこから仕切り直しです。まぁそんなところです。

  そのように思いながらも自分の身近なところでの剣道、いつの間にか面シールド、マスクは常識化しているし、大会や稽古会、審査会など軒並みに延期か中止で去年から推移しています。

僕などは曲がりなりにも稽古ができる環境があること自体に感謝していますが、試合や審査会などのイベントの中止や延期になるとどこか逆に「それでいいんじゃない」的な心境になるのですよね。これが矛盾第一ですね。

  で、一週間後に控えた八段審査、申込時は今みたいな第4波的な大騒ぎにもなっていなくて、会場が京都と云うこともあり大して考えることもなく普通に申し込みましたが、それが今になって事態が急変し、実施するのかしないのか中止なのか延期なのかとここ数日は多分皆がそういう疑心暗鬼に捉われていたと思われます。

  そして大阪、兵庫に次いで京都までもが緊急事態宣言下に置かれました。誰もがこりゃ無理だと思ったとでしょうが、ふたを開ければ29日に始まる六段審査を皮切りにすべて実施するというじゃないですか、相当な苦慮の末のことだとは察しますが、正直これには驚きましたね。

  つい先までも会場の閉館さえなければ実施すると言っていましたが、僕はそれもかなりおかしいと思っていまして、だって国が曲がりなりにも懸命にコロナを抑えたいと無理難題?を国民に押し付けながらも四苦八苦している最中に「公益財団法人の全日本剣道連盟」が全国から少なくとも一日千人以上(もっとあるか・・)の人流がある剣道の審査会を緊急事態宣言下の都市で強行する、これはいくら何でも強引すぎてちょっと呆れてしまいますね。

  審査は申し込んでる以上は受けたいのはやまやまですが「コロナ?そう気にすることでもないだろうよ」などと心の奥では思っていながらも、現実に今の事情を鑑みた時、僕自身の心情的なことは別として、正直逆に「これはとても付き合い切れないなぁ」と痛感してしまう訳です。矛盾第二ですね。

  これは全剣連という組織の判断に対しても首を傾げざるを得ない状況ともいえる訳で、ささやかな抵抗ではないですが、この事を踏まえギリギリですが(それは主催者側も同じことだし)僕は今回の審査は辞退しようという結論に至りました。

  会場の雰囲気を考えただけでその異様さが想像できるし、剣道の審査でそこにどうしてもいなければならないこと自体に違和感を覚えます。僕は自分の正直な心境を確認した上での決断です。

「剣道・・?そんなものじゃないだろう」と思うのですよ。

ですから表題の「矛盾」とはそういうことなのです。

  終わります。

 

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京都の様子から・・・。

2021-04-16 12:29:59 | 随想・・・。

  水曜日から京都に来ています。所用と云うほどの用事もないのですけどね。

剣道稽古と渓流釣りの道具を買うことと、もうひとつの目的としてはコク(胡麻毛の紀州犬♂)の興奮を治めてやることなんです。

コナ(斑毛の紀州犬♀)が今ちょうど発情期で、もうコクが可哀そうなくらいフンフンキャンキャンと泣いてばかりいるのでうるさいし、しばらくの間少し引き離してやろうかと思ってね、それもあるのですよ。

  京都は意外と賑やかで人の出も普段と変わってないように見えますね、近くの大学のキャンパスを覗いても人通りは多いし、これじゃコロナ前と同じじゃないかよと思わせる感じですよ。

世間は特に関西を中心に感染者が再拡大して大騒ぎしてるのですけど・・何だか街中も人通り多いですよ。

静かなのは飲食店・・大好きな「三木半」もまったく静かだし、もう八時頃が近ずくと否応なく閉店準備ですものね、気の毒な話しですわ。

「三木半」位の規模の飲食店なら一日4万円の給付金も店を開けて商売することと比べたら、やった方がよっぽどましだと思いますけどね。

一人でやってる小さなお店などは意外とウハウハみたいですけど・・・(>_<)

  とにかく客の僕らがどこかせわしないのですよね、会話に興が乗ってきたと思ったらもうお酒は出せない時間(19時)で慌ててテーブルに今から飲むであろう酒をあらかじめ注文したりしてね、それから一時間も経たないうちにもう店じまいですからね「ったくしょうがねぇなぁ・・」みたいな感じなんですよ。

  緊急事態宣言出た頃より今の方がずっと酷いのに政府は及び腰で緊急事態宣言も出せずあたふたしてる様子が丸見えですよね、迷惑してるのは飲食店とそれに関わる商売の人達ですよ。まったくおとなしい国民だなぁと思いますよ。関西風に言わせてもらうと「一体どうするんやねん」みたいなね!(^^)!

  オリンピックだけはごり押しでやると言ってるけど、色々と事情はあるのだろうけどそれにしても現実が見えてないのにも程がある。

  IOCは4年に一度のドル箱大会を中止するなんてもっての他みたいだし、まぁやっぱり聞くところによると莫大なテレビの放映権料がネックなんでしょうよ。

だからどうしてもやりたい・・規模や形なんてどうでもよいからやるんだ・・・これに尽きますね。

バカバカしいにもほどがある・・と僕なんかは思ってしまう訳です。

まぁアスリートと云われる人達もオリンピック・・オリンピアンというものにこだわりすぎている感がしなくともないですね。オリンピックという祭典そのものがもう過渡期が来ているのかなという気がしてきます。

  それと同じように国内の国民体育大会、天皇杯だやれ皇后杯だなんて騒いでいるけどあれももういらないと思うのですよね。同じような都道府県対抗の大会はどの競技にもあるし、毎年開催県が優勝したりしてね。まぁお祭りと云えばそれまでですが莫大なお金を使う割には何が残るのかはなはだ疑問です。※そのために強化することに意味を見出す・・か?

  まぁ元々オリンピックなんてのは政治も絡めば金も絡む、皆が声高に言ってる純粋なスポーツの祭典なんていう綺麗ごとではないのは誰もが百も承知なはずなのにねぇ。

どうするんだろ(*^^*)

  で、僕は個人的にはパンデミックなんて無い(世界でも死亡した数がすくな過ぎる・・)と思ってるし、コロナの大騒動も結構冷めた目で見ていますから・・・。

まぁ参考にYouTubeで「高橋洋一チャンネル」でも見てみると良いですよ。

それと小浜逸郎氏のブログ「言葉の戦い」などもね。

  元々僕的にはマスクやソーシャルディスタンス?なんてのは同調圧力に対し適当に付き合ってやってるみたいな感じでいますから・・・。

何で車の中でマスクしてるのかよくわかりまへん(*_*)

  今の現象は、テレビなどで大騒ぎして煽って煽って煽りまくってますけど、先にも書いたように世間は何だか「どこ吹く風」みたいな雰囲気で、あまり同調してないようなそんな真逆の現象が見え隠れするのが不思議なんですよね。

  イベントはあっちこっちで繰り広げるてるし、まったく何々が中止になったなどという情報ほとんどありませんからね、聖火リレーくらいかなぁ、どうでもいいような・・。

  剣道界も京都での審査会や大阪で開催されるの都道府県大会などの開催について何も言ってきてませんからね。

どうなってるやらですわ。

とっとと中止か延期にしたら良さそうなもんですが・・やれやれですね。

  と云うことで愚痴だか何だかみたいになっちゃいましたが終わります。

世の中どうも変だ・・・。

  話は変わりますが、今頃の京都は「桜」がほぼ終わり、今度は街中のあっちこっちでピンクや白の「ハナミズキ」が咲き誇っています。

ですが毎年そうなんですが、家の筋向いの山桜は今が見頃でこの水曜日がほぼ満開でしたね。

 辺りの新緑ともマッチしてとても綺麗でしたよ。  

 ここは僕とワンコのいつもの散歩道です。新緑が目に沁みます。

意外と人通り少ないのですよね。

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年齢と剣道稽古のことなど・・。

2021-04-12 12:10:59 | 随想・・・。

  ずっと感じていました。何だか最近周りが騒がしくなってきたのです。まぁ今は少し落ち着きましたがね。

去年の10月に65歳になってからというもの、とにかく色々なことが身の回りで騒ぎだしました。

  まぁ、高齢化は誰しも経験することでそれは致し方無いとして、それはそれでどうってことはないのですが、ただ制度的に突然「あなたは今日からお年寄り・・」みたいになって、急に年寄り扱いされだしたようで、それがどうも気に入らない訳です僕的に・・何だか決めなくてもいい年齢の既成概念のようなもののお陰で気分が滅入る時があるのですよね。

  特に年金のことなどはその一つで、やれあなたの介護保険料の支払いがどうのとか、あなたの老齢年金はこれこれだとか云々、僕個人的には「老齢って言われてもなぁ(>_<)」などと思うのですが、そんなことはまぁ制度上お構いなしで、いくら突っ張つてもしょうもないのは百も承知ですが「何だかねぇ、急に来たよなぁ・・」みたいな気持ちになるのですよ。どうしても・・。

  僕の場合は勤め人ではないので定年のようなはっきりとしたけじめというか人生の基準のようなものがなく、何となくその年齢が来たのかなぁ位の認識だったのですが、去年のその誕生日以降、まぁ一番わかりやすく云えば文書がですね届くわ届くわで、内容は様々なのですが、まぁ上記のようなことに関したものばかりなのですよ。

  で、最近なのですが三重県剣道連盟の事務局からあるメールが届きました。

その内容はと云うと、僕が現在任命されている「強化指導員」のことで、要するに「先生はその定年の65歳になられましたが強化部からの要望で引き続き3年度も指導員をお願いしたい」という旨の連絡でした。

  僕は一瞬「あっそうなんや」と思い、いつの間にか自分もそういう歳なんだなぁと納得したのですが、まぁ僕的には、必要とされているのならそれに越したことはないし、快諾させてもらいましたよ。

  これは「指導員」という名目上あくまで各地域での稽古会で集まった人たちを指導するという立場なのですが、本当はこれはですね、日当まで頂いて自分為の稽古にもなることなので実にありがたい話なのです。もう随分長く20年近くもさせてもらっていますものね。

で、早速毎年行われる「指導員研修会」開催の連絡が入り、ちょうど昨日がその日で、何だか一つのけじめの年だなぁなどと一種感慨深いものを感じながら参加しました。

  その日は国体の選手候補達の強化稽古会の日で、こっちの研修は最初の30分程の講和で終わり、その後すぐにその強化選手達との稽古に合流するという形になり、彼らの午後の基本稽古開始から僕ら(今回8人ほどで少なかった。僕が最年長・・)も参加することになりました。

  あらかじめ強化担当から無理をせず自分のペースでやって下さいという通達があったのですが、それはよく考えたら研修生の中で最年長の僕の為だったのかもなぁ・・みたいに思えてきましてね(本来なら先輩が後3、4人は居るのですが、この日は生憎来ていませんでしたから・・)

少々複雑ですが気遣いですかね・・(-_-;)考えすぎか・・・。

  と云うことで素振りから始まり基本稽古へと進みましたが、僕は先日から痛めていた右上腕から肩にかけてしっかりとテーピングで固めていたもののとてもじゃないけど同じようにはできなくて(それよりなにより体力、それに何となく気持ちも乗れない。昨今ハードな稽古にあまり意味を見出せないし、ついていけない・・)何せ選手達は20代から30代が中心で40代と50代が少しというよなメンバーですからね。

  それでも少しは付き合ってみようと一緒にやっていたら事務局から伝令が来て・・・「オカダ先生を止めてください」と言われたですって(笑)

正直ずっと付き合うつもりはありませんけどね!(^^)!

  その後は元大阪府警の師範で三重県の強化アドバイザーの船津先生の指導で選手達の基本稽古をしっかりと見取り稽古させてもらいました。

特に合間合間に自ら模範を示して見せる船津先生の動きや理論などは随分勉強になりましたね、ほんと。

さすが専門家中の専門家ですね。

  で、いよいよ稽古、何だか不思議と全身に気合が溢れ、自分の動きにも自信が湧いて来て随分と調子よかったですね。

警察官達はコロナの影響でもうかれこれ1年ほどまったくと言っていいほど剣道に関わっていません。

気の毒な話ですが・・やっぱり率先垂範しなければならない立場なのでしょうね。

で、いくらその警察官がいないと言えども、県内屈指の強豪選手ばかりですから相手に不足があろうはずもありません。

若手、中堅処と全部で八番こなしましたよ。

稽古の〆の最後の一本勝負は六勝二敗でしたね、まずまずですなぁ。

  と云うことで、色々情けないことも言いましたが、僕、やっぱ元気です。

ただ、それ続きませんけどね・・・・(>_<)要するに休みがいるのですよ・・ハイ(-_-;)

 

 

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超哲学的な生き方。

2021-04-01 13:27:50 | 随想・・・。

 自然体で生きるとか云う言葉をよく耳にしますが、僕から見たら自然体に生きるとか構えた時点でそれは自然体ではなくなる訳で、武道でいう「自然体」の捉え方とは違います。

それは現実的な身構えのことですから・・。

  それはさて置いて、超哲学的という意味ですが、一言で言えば物事何も深く考えないと言ってもまぁ過言ではないでしょうね。

生きるがままに生きる・・素晴らしいですね‥一見。

  しかし裏返せば、それは知性のようなものとはまったく無縁で、その匂いすらも皆無で、ただ生きるがままに日々を過ごし年老いていく・・ということでもある訳で、人生の楽しみのようなものも特別に考えることもなく、それでも日々はそれなりに幸せなのだと云うような、そんな感覚すらもなく過ぎて行き・・みたいな、そういう人って案外にいるものなんですよね。                           回りに溢れる情報にもさほど振り回されずというか興味もなくて、とにかく日々をやり過ごしていくというね・・・。

  まぁそれも見方によっては究極の幸せかも知れませんが、如何せん本人が気付いていないという処に人間としての真実の幸せとはまた違うのかなぁと思ったりするんですよね。

  ちょっとだけレベルを上げて見てみると、思考はするがそれは常に水平にしか伸びず、足元(物事・・)を縦に掘り下げると云うような努力はしない、目で見える範囲までしかその思考が及ばないというか見ようともしない。まぁ想像力がないと云えばそれまでなんですがね。

 何だかこの手の人が一番多いような気がしますね、何となくね。

  人は皆、その山の麓で暮らしている。その山の頂を極めた人も、また途中で引き返した人も、そうでなく最初からそこに登ろうともしない人も皆一緒に暮らしている。何も変わらない・・・。

要するに山の頂上から見える風景を経験した人も、それを見てみたいと努力して挫折した人も、まったく何も知らない人も、皆一緒だよと云う、確か「禅」だったか何かの「行って帰る」という思想の話です。

  物事を究極まで突き詰めて考えた末にまた元の場所に戻る・・これが僕的には本当の超哲学的生き方じゃないのかなぁと思ったりするんですよね。

そしてやがて「生きるがままに生きる・・」みたいなそんな心境に到達するとか・・。

  やっぱりそれが超哲学的なのかなぁ、うーん難しいぞ、こりゃ(-_-;)

そう云えば以前、榎本さんとよくこんな話ししてた頃がありました。

  彼は、思想家「吉本隆明」の熱心な信奉者で、彼の思想の原点は吉本隆明の思想そのものでしたから・・・。

僕も彼といた時間が長いですから多少ともその影響を受けています。

「対幻想」や「言語としての美とは何か」よくその話をしてましたね。

ただ僕は、吉本氏がもっと身近なところに降りて来てからの評論やエッセイのようなものから入りましたから残念ながら初期の頃の評論は彼から聞くだけで実際には読んではいません。

  何だか「超哲学的な生き方」という気に入った表題なのに思ったことがあまり云えませんでした。

※話はぶっ飛びますが「小浜逸郎・言葉の戦い」今これを興味深くといっても、連れずれにですが読んでいます。コロナのことも中国とのことも含め様々な角度からこの論客は一刀両断してくれます。

  この人をもっとちゃんと知る為に彼の著者※「吉本隆明」思想の普遍性とは何か。を読んでいます

彼が吉本隆明のことをどう捉えているかで僕なりの評価をしようと思ったからです。

   本の冒頭、彼が学生運動の真っ盛りにとある集会で、その弁舌はまるでシャーマンのごとく聞く者達を虜にする一人のカリスマ的なリーダーの口からある時、吉本隆明の名前が出た、誰かが聞いた「吉本ってどんな男なの」彼は強い調子で短く断定した「本質的な男だ」・・それは神秘的な響きだった。

という場面があって、その瞬間に僕は、この本をちゃんと読んでみようと思いました。

  本質的な男か・・・そう云えば、物事の本質のことは榎本さんの口癖だったなぁ。

と云うことで取り留めもなく終わります。

 

 

 

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