Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

あー豪栄道・・・。

2017-09-24 21:47:31 | 随想・・・。

  「豪栄道、どうしたんだ一体・・・」とも言いたくなるような負けですね。

このチャンス・・「なら」「れば」ではどうしようもないのですが、それにしても笑ってしまうくらい情けなかったですね。

  僕は思うに、やはりメンタルな部分で心を鼓舞してくれるような言葉を持たない、またそういう助言者がいない、これに尽きますね。ちから的には去年全勝優勝までしているのですから何にも遜色ありませんものね。

皆口を揃えて言っています。気力だと・・それがまったく足らないと・・。

まさしくそうなんですが、解説の北の富士親方が「立ち直るのには相当時間が掛かるんじゃないか」と云っていました。

13日目貴景勝に負けた時、北の富士親方「だめだ!気持ちが弱いよ!」と一刀両断されていましたが、思わず出てしまったその言葉、その気持ちわかりますね。

それほど歯がゆいそして情けなく無様な豪栄道でした。

僕的には「相当時間が掛かる」どころかほとんど後がないのではと思いますがね。恐ろしく化けない限りですね・・。

僕は思うに精神的、勿論稽古のことも含めてやっぱり良いアドバイザーと云うのは絶対にいりますね、彼には。

このまま心が折れなければ良いのですが・・・。

それほど彼には悲惨な今場所でしたね。

  それにしても日馬富士は心が折れずに大したもんですね、まぁ成績は別にしてですが・・・。

意外な幕切れでしたが、面白い若手「阿武咲」とか「千代大龍」とか「朝乃山」とか出てきましたね。

その辺りが収穫の今場所でした。

  豪栄道・・・引退するなよ!

まだチャンスはある!が、横綱三人が戻ってきたら・・うーんと云うところですが・・・。

豹変することを願います。

 

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大切なのは「何時」ではなく「何」

2017-09-19 13:51:19 | 随想・・・。

*テッド・ウィリアムスは42歳で、生涯最後の公式打席に立ち

ホームランをかっ飛ばした。

ミッキー・マントルは20歳の大リーグでの最初のその年に23本の

ホームランを打った。

ゴルダ・メイヤーがイスラエルの首相になったのは

71歳の時。

ウィリアム・ピット二世が英国の首相になったのは

24歳の時だった。

ジョージ・バーナード・ショーが94歳の時 

彼の芝居のひとつは

はじめて上演された。

モーツァルトのシンフォニーが

はじめて出版されたとき、

彼はたったの7つ。

ところでこんなのはどうだ?

ベンジャミン・フランクリンは

16歳で

新聞の社説を書き、

81歳でアメリカ合衆国の憲法の

草庵を起こした。

才能さえあれば

若すぎるとか

年をとり過ぎているかってことはない。

認めようじゃないか、

年齢は能力にほとんど関係ないっていう事実を。 *

* 解説*このメッセージは、マンチェスター・ユニオン・リーダー紙に載ったアンジェリーナ・フィッツバックという女性に関する記事の一部として取り上げられました。この女性は引退した建築設計積算士で、この年に最初の絵画の個展を開いた人ですが、その時彼女が88歳だったという事実にニュースバリューがあったようです。

と、云うことです。

「アメリカの心」・・・全米を動かした75のメッセージー・・・(学生社)

昔の本を引っ張り出していて良い文章を見つけました。

まぁ、以前から記憶にはありましたけどね・・。随分前に、榎本氏に紹介された本です。

読者の皆様に贈ります。

 

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単身生活。

2017-09-17 13:12:53 | 随想・・・。

  僕、単身生活と云っても3匹の紀州犬と一緒です。

昨日などコクが可愛そうに腹の具合が相当悪かったようで、いつものように夕方4時前に事務所から家に帰ったら、異臭・・。

発生元はそのコクのゲージだとすぐ判りました。

気の毒に必死で表に出ようとしたものの出られず、ゲージのカバーをずたずたにしてとうとう我慢できずにやっちゃってました。

本当につらそうな顔をして奥の方に座っていました。元々きれい好きな犬ですからね。

僕の方こそ済まないことをしてしまったと反省しきりで、すぐにゲージから連れ出し一旦外のゲージに入れ、それから大掃除です。雨の中捨てるものは捨てゲージの一部も取り外し大洗いしました。

ようやく匂いもとれて、一段落して、さぁ今度は夕餉の準備だわいと、腰を上げたらこの作業にすでに一時間以上費やしていましたね。

こういう予想外のことが起こると、その日の大体の時間配分などが変わってしまうんですよね。

  何もかも一人でこなし生活すると云うのは結構大変で、特に食事などの予定をというかメニューですね、これって案外あれこれ考えて楽しいやら面倒やらですが、やっぱりちゃんとしたものが食べたいので僕にとって一番優先すべき事柄で、そんな事を考えれば考えるほど「食べる」という行為の人生における重要さ大切さのようなものひしひしと感じるのですよ。

まぁ、朝ご飯は大体のパターンが決まっていますし、お昼は外食か弁当のようなものでもなんとなく済ませるのですが、やっぱり楽しみな夕餉のいわゆる「今夜のおかず今夜の銘酒・・」的なもの・・これが重要なわけです。

昨日は天気もこんな様子で海もダメで定置の網も引き揚げていると云うことなので、魚は諦め「鳥鍋」(鳥もも肉と豆腐、シメジにかまぼこ、ネギと・・)をすることにしていて買い物も済ましていたのですが、約一時間遅れでやっとありつくことができました。

味的には出汁から取りますからまずまずです。少し多いかなと思いつつもすっかり平らげてしまいました。

  基本的に台所は常にきれいな状態にしておくというのがスタイルですね。それと洗濯、」まぁ、一人ですから大した量があるわけでもないのですが、干したり、特にこんな天気の状況は部屋干しなのですが、乾いた順にそれをまたたたんだりする、これが以外とめんどうなんですね。

と云うことで、何だかんだと家内のありがたみを心しながら孤独を楽しんでいます。

なんと云っても気遣いがいらない・・これはいいですね。

スーパーに買い物行くのも楽しいし、久し振りに同級生のTちゃんにも会えたし、こうなんて言うか久し振りにあう同級生がなんとなく若々しくきれいだと嬉しいものですね。まったく・・。

心置きなく本を読めたりネットで調べ物したり、トレーニングしたり素振りしたり、懐かしいものを取り出してみたり・・と案外楽しくやっているのですよ。

  しょうもない単身生活話ですが悪しからず。

北朝鮮問題に関わる様々な情報が飛び交う中、僕なりの思いも意見もありますが、まぁ、止めときます。

本当にあれって危機といえるのかどうか、まぁ、なめられたものですが日本も・・・。

裏は判らんですからね。ただこれを機に衆院解散を画策する自民党の姿・・とにかく早く拮抗すべく勢力をまとめないとですね、すべては思うつぼ的な政策に巻き込まれてしまいますよね。

あの二つの学園問題も、このままじゃ済まされないでしょう。徹底的に追求すべきことは民主主義を標榜とするこの国では絶対にやらなければダメですね。

なんたって我々の税金の使い道の問題なんですから・・・。

皆判っていることでしょうが、まずはそんなところです。

ただメデイアに振り回されるのだけは勘弁やで、と、どこか醒めている自分がいます。

失礼します。

 

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森林鉄道の思い出。

2017-09-13 15:56:19 | 随想・・・。

 この「森林鉄道」という言葉を聞くと僕は何とも云われぬ郷愁と憧れの感情が湧き上がります。

今、熊野古道センターでこの尾鷲地域を中心に当時の索道(架空索道のこと)や軌道(森林鉄道のこと)と尾鷲林業の歴史などを綴った「尾鷲林業物語~森林鉄道と索道の軌跡」という企画展が開催されています。

  僕はこの企画展を知った時、ずっと遠い昔、小学5年生の頃、夏休みに親父に連れられて、その親父の運転するバイクの背に揺られ架空索道も森林鉄道も乗り継ぎ当時の尾鷲営林署の不動谷事業所まで行った、その時のことを思い出し得も言われぬ郷愁の念に駆られました。

バイクは遠くて、やっと索道の駅に辿り着いたらなんとそこには畳一畳ほどの箱をワイヤーで吊しただけの乗り物・・・?これで遠く向こうの索道駅まで峻厳で深い不動谷を渡ると云うじゃないですか、当時親父も含め三、四人の男達が慣れた様子でそれに乗り込み僕はと云うと言われるままに端の方に座った覚えがあります。ですが不思議と怖さを感じなかったんですねこれが・・・。

  その箱の眼下の不動谷を流れる川は白い線としか見えません、それほどの高さをワイヤーを片手に持ち、高さ2、30cmの箱の縁に腰掛け・・・考えただけでもとても今は乗れませんが、とにかくそれでもってその深い渓谷を渡るのです。

今思えば空恐ろしいとか云えない手段でやっと着いた架線駅、そこから憧れの森林鉄道に乗り込むのですが・・・乗り込むと云っても丸太を載せて運搬するのが本来の機能なので、天井も壁もない低い架台車にただ座って移動するだけです。

僕は機関車に曳かれる何両かの車両の一番後ろの車両の最語尾に座って、恐ろしく峻厳な崖に無数の柱を組み合わせて敷設された線路を行くのですが、よくもまぁこんな所にこんなものを作ったもんだと半ばあきれてしまいましたね。

でも移りゆく風景はそれは壮大ではるか先まで深い山々が連なり感動ものでしたね。飽きもせずまた怖くもなくその揺れと機関車のディーゼル・・?ガソリン・・?の音と匂いを感じながらガタゴトと行くのです。

各車両の横には鉄の輪っかがあってその中に棒切れが突っ込まれたいます。それが車両のブレーキなんだと同乗のおじさんに聞き驚きましたね、その時はマジで少し「ホント大丈夫かいなぁ」と思いましたね。

とにかく凄い技術ですね、当時の山の職人達の仕事ぶりに今となっては感心せざるを得ません。

そうしてようやく辿り着いた不動谷事業所・・まぁ親父達作業員の飯場みたいなものですが、僕はここで一週間ほど過ごしました。

どうやって過ごしたのかと云えば、親父が休みの時か仕事の合間なのか判りませんが、すぐそばを流れる渓流でアメゴ取りでした。親父はカナ突き(モリのこと・・)手突きで、僕はゴム付のカナ突きなんですが、とにかく獲物が豊富であれよあれよと云う間に二人で数十匹も獲った覚えがあります。

勿論夜はそれを焼いて食べます。

  後は何をして一日過ごしていたのかあまり覚えていません。

ここには小さな売店があってそこの親父さんが何かとお菓子を僕にくれたり、帰って来た若い作業員のお兄さんとキャッチボールをしたり、炊(かしき)と呼ばれるおばさんに何だかんだと食べさせてもらったり、そこで飼われている大きな黒い犬(確か名前はタマだった・・)と遊んだり・・・とそんな思い出が次々と蘇ってきます。

  この会場では当時の様子を撮ったビデオを大画面テレビで繰り返し放映しているのですが、それを熱心に見ている一人の男がいました。

よく見るとその時僕がこの不動谷作業所で出会った方でした。偶然懐かしい顔を久し振りに見ましたが、彼も僕のことを覚えてくれていてしばらくビデオを見ながら四方山話に花が咲きました。

彼もやはり若い頃の懐かしい思い出なんだろうなぁと感慨深いものありましたね。

  最後に、この企画展を実行した人はこの古道センターの職員の橋本さん。彼は僕の家の近所で親御さんとは昔から親戚みたいな関係でよくよく知った方で、元々山岳系の趣味がある人ですが、今回のこの展示会にあたってなんと約2週間もかけて現地踏査し、当時の様子が思い起こされる様々な道具や少し朽ちた鉄材などの産業遺産、中には100kgもあろうかと思われる架線の運搬具などをわざわざ現地で分解してここに持ち帰りまた溶接して、とさぞやご苦労なことだったと思います。

それらの展示物は昔の当地林業の様子を彷彿とさせるものばかりで、これにもほとほと感心させられました。

彼はいい仕事してくれましたね。親父もありがたいなぁ大したもんだと感心しきりでしたね。

  と云うことで、懐かしい思い出の森林鉄道を巡る僕の回想でした。

 

 

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男の子が生まれました。

2017-09-06 14:00:14 | 随想・・・。

  息子夫婦に待望の赤ちゃんができまして、僕も少し、いや相当そわそわしていたのですがやっと落ち着きました。

折しもこっちがクマ騒動で防災無線がうるさいほどの時に息子からのJアラートでした。

つい先日の嫁の様子からして少し余裕をかましていた僕たちは慌てて京都の病院に走ったのですが、病院で待つこと約1時間半、以外と早く生まれてくれて、まぁひと安心でしたね。

生んだ嫁本人はさぞかし大変だったでしょうが、なかなか心身ともに逞しくて安心しましたね。息子の方が感極まってうるうるしていたらしいです・・・が、こっちはやれやれでしたね。

  僕からするとまぁいわゆる「孫」な訳ですが、この子の人生が今この瞬間から始まったのかと思うとやはりそれは少なからず感動すると云うもので、すくすくと元気に育ってくれるのを唯々願うばかりです。

しばらく家内も大変でしょうが、僕も身の回りのことやワンコのことすべて一人でやることになります。

9日は近畿地区の合同稽古会があるので、また明日から京都に出向きます。来週早々に帰ってからが大変そうです(^_^;)

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