先日の稽古会で剣道仲間の前君が声を掛けてくれて「先生、僕今度本を出しました」というではないですか、ええっと思いきや考えたら以前から熊野地方のタウン誌に記事を書いていたなぁと云うことを思い出し、思わず「随筆かい?」と尋ねたんですが、どうも単なる随筆ではなく彼の本職である地質学的な要素の濃い「まぁそんな随筆的なものです」とのことで「おーっと、それは楽しみやなぁ」と、帰ってから早速アマゾンで手配しました。
今も手元にあります。
最近になって読み始めましたが、いい本ですね。感心しました。
元々インテリの彼ですが、剣道の方も本物で八段を受審しようかと云うほどの実力者です。
このブログにも何度か登場する彼ですが、最近では去年の夏に彼の誘いで京都で落語の鑑賞会に一緒しました。
この本はそのタウン誌に2011年から2022年にかけて掲載した「地質から見た熊野」を一冊の本にまとめたものらしいです。
僕は元々、奥熊野と紀伊山地周辺の景色なり空気が自身の原風景と感じていたのですが、彼のこの本を読んでいて、その景色を見たり空気を感じたりすることに新たな観点が加わりましたね。
熊野川と七里御浜の関係(その川から運ばれた石とか砂が海岸を形成していたなんて・・)とかが解り、驚きと共に何だか謎が解けたみたいなそんな感じします。
尾鷲から熊野にかけての典型的なリアス式海岸の景色が大泊を過ぎて熊野の名勝「鬼ケ城」を越えると、忽然とまっすぐな砂利浜、その有名な「七里御浜」が広がるんですよね。なんともまぁ不思議な光景ですが・・。
そうそう以前は国道42号線を帰省するのに松坂方面から大内山、そして紀伊長島手前の「荷阪トンネル」を抜けると眼前に雄大な熊野灘が広がり、いつもながら「あー帰って来たなぁ」と感慨深い思いがありましたが、僕は誰に聞いたか、よく知人には「荷阪トンネルなぁ、ここ抜けたらそこから熊野やで」と云っていましたね。
そこまでの道路の景色は山の中と云うか田園と山に挟まれた割とのんびりとした、退屈と云えば退屈な奥伊勢の景色が続くのですが、トンネルを抜けると突然景色が豹変しますものね。
そんなことも蘇り、やはりその土地の持つ歴史とか風物に対する知識と云うものは大切な要素で、そこにある風景やそれを見た感動などの背景として絶対に必要なものである。そんなこと思いましたね。
だって1400万年とか1600万年とか前に地球規模の火山活動の一部として、紀伊半島南部の岩盤組成はそのマクマが冷えてできたものである・・それがこの熊野地方の地勢とか風景とかを形成してたなんて想像もしませんでしたからね。
だから、そのマグマの影響がこの地方の地中深くに未だに息づいていて、それが紀伊半島のあちこちに温泉を湧き出させている・・なんて云うこと考えたこともなかったですもの。
だから、何度も言いますが毎度見ている風景がまったく新鮮で新たなロマンを持って見えるようになりましたよ。
熊野各地を流れる大小の川の流れも川岸の岩盤も川底の石も、その眺める景色すべてに興味が湧いてきます。
これは、この本の持つ一番の力だと僕は思いますね。
いやはや彼には驚かされました。中学生の頃から只者ではない感(まぁ、これは剣道のことですけど・・)持ってましたからね。
当時の僕らの噂・・「何やあいつ中学生のくせにやたら剣先が効いてるな(専門用語でスミマセン・・)」でした。
話が横道ですみません。それはともかく置いといて、そんなことも含めてこの「青のくに熊野」・・豊富な写真と丹念な調査でまとめ上げた、とても優れた本だと思います。
最後に一言、「読みやすい文章」これですね。気負いもなく淡々とそれでいて滑らかで読んでいて心地いい優れた文章です。褒めすぎ・・?でもほんと。
※話はまったく別ですが、このブログ文中でも「先生」とか呼ばれる場面が出てきますけど、剣道家は同級生にでも「何々先生」とか云う人多いです。だから僕もよく「先生」とか言われますけど後輩からならともかく、僕的には気恥ずかしいし、自分は特定の人以外にはあまり使いません。ほとんど「さん」つけですね。悪しからずですけど・・。
と云うことで終わります。